初デート
朝一番でまずは颯人の家に行く。
朝一番、と言っても、せっかく休みを取ったんだからと少しだけゆっくり寝ていたけれど。正しくは、奏が起き出させてもらえなかった、ということ。
最初の朝、まんまと奏にそっと起き出されてしまった颯人は、ほとんど無意識に奏を完全に抱き枕にしていた。奏が動けずにいる間に颯人の目が覚めてきて、困惑顔の奏と目が合った。
「もう~。わたしも朝、動き出すのにだいぶ思い切りが必要で二度寝大好きですけど、先輩も朝弱い感じですか?」
電車のドア近くに寄りかかって立ち、向き合って立っている颯人を見上げて尋ねる。どうせだいぶ無精でのびたし、とひげをうまく整えておしゃれにしてしまってるんだからさすがだなぁ、と見上げながらふと思ってしまう。変装なのか、それで少し色の入った眼鏡をしていて、それがまた似合ってかっこいいというんだから、あこがれる、尊敬するを通り越して腹立たしくなる。
「二度寝?って、奏、なんかむっとしてる?」
「だってなんだか先輩、ひげにサングラスってあやしいはずなのにかっこいいって、ずるい」
「ずるいって言われてもなぁ」
思わず笑ってしまいながら颯人は奏のおでこをぐしゃっと撫でた。
「ゆっくりしたいなぁ、と思う時にゆっくりできるなら、朝のああいう時間もいいよなぁ、と思っただけだよ。奏、二度寝するの?」
「しますよ。二度寝用の目覚ましかけるくらい、二度寝は大事です」
変なことを力説する姿をまじまじと見てしまう。
「二度寝用の、早めの目覚ましと、起きなきゃいけない目覚ましかけてありますから」
「……それって、いいもん?」
「二度寝した~って満足感は得られます」
おっもしれぇヤツ~、と笑った顔がまた妙にかっこよくて奏は目を逸らすしかなかった。この人は、まぶしすぎます。
そうやってたどり着いた場所で、颯人は近くのCDショップに入る。一緒に入りながら奏は訝しげに颯人を見上げた。
「先輩、あの夜、どうやってあそこまで来たんですか。いくら何でも遠い」
「スタート地点がここじゃないからな」
「ああ、そうか」
でもそれにしたって、どこなんだか知らないけど近くはないんじゃないだろうか。
そう思っていたのがしっかりと顔に出ていたようで、見下ろしていた颯人は眼を細める。勘ぐられるのもいろいろ詮索されるのも厭わしくて仕方ないのだが、相手がこの子だとそれでいい、むしろ鋭いところが好ましく見えるのだから不思議だ。
「納得してないのが顔に出てるぞ」
「あ」
「阿呆、聞きたければ聞け」
普段奏の家で言葉を交わしている時のやわらかい口調と違う、なんだか偉そうな口調。少し色がついた眼鏡の奥でどんな色を浮かべているのか、正確には読み取りにくい。
これは、颯人が自分に信用していると示そうとしてくれていると言うことなのか、それとも素が出ているだけなのか、と首をかしげる。
「無言で問いかけるな、無言で。奏に会った日、あの日に全部が起こったわけじゃないよ。行く場所なくしてうろうろしてたんだ」
「それでそのひげ」
「ひげかよ」
はは、と笑う颯人は楽しそうで、奏も笑みを浮かべる。
でも本当は、そこじゃない。いつも人に囲まれていたような人。その人が、行く場所がないという。うろうろしていて、しかも一日に全部が起こったわけじゃないという。何があったのか、どこまで聞いてもいいんだろう。その距離感が、つかめない。
そんなことを思っている奏に、颯人が手を出す。
「?」
「携帯、貸して」
「携帯?」
言われるままに差し出すと、何か操作をしている。それを奏に返しながら、颯人は微かに笑う。妙に弱気なその笑みが、なかなか見せない不安をあらわしているようで奏はつい、それを受け止めてしまった。
「メモのところに、暗証番号を入れた。マンションの玄関に機械があるから、それを入れれば玄関は通れる。ここは誰も知らない。誰にも教えていない家だ」
「だって、ここが先輩のホントのおうちなんでしょ?別宅じゃなくて」
「だからだよ」
なんだかそれが、最初から誰も信用していない、だから行く場所がないと言っているように聞こえて奏は俯いてしまう。
「でもそれでも、俺が自分ではいけないから。奏、行ってくれるか?」
「最初からそのつもりです。一人っていうのはびっくりしたけど。いいんですか?赤の他人、一人で入らせて」
「赤の他人じゃないよ」
思いの外、優しい声で言われて奏は挙動不審になりそうになる。そんな反応をいちいち颯人が楽しんでいるのにはまだ気づいていない。
「でも、そんなお友達や恋人にも教えてないところにわたし連れてきていいんですか?」
「家族だって知らないさ。奏なら、いいよ」
本当に心配そうに尋ねる奏に颯人は請け合う。ただそれも、奏は携帯の言われた画面を確かめていて、どんな顔で言っていたか気がついていない。
「うわ~、期間限定って分かってても、そういう風に言われるとうれしくなりますね」
「奏……」
照れ隠しのように言った奏を、少し強い口調で颯人はたしなめるけれど、奏の方は聞いていない。
「そうか、あとで暗証番号なんて変えられるし、引っ越しもできるんですもんね」
「お前ね」
実際、その通りなのだ。今は必要なものがそこにあるから、うまいことを言って利用して取ってこさせて、あとで来たところでそこはもぬけのから。
でも、奏相手にそんなことをする気はない。思い浮かんでもいなかった。いつだって好きに出入りすればいいと思って教えていた自分に気がついて、気がつかされたことに腹が立って、さらに、そうとは信じる気がなさそうな奏にも腹が立った。
「彼氏の言ってること、信じないのは良くないね。奏、お仕置きされたい?」
「っっっっ」
ぶんぶんと首を横に慌てて振っている。
一体何を想像したのか、それとも自分はどんな顔をしたのか。まあひげ面にサングラスじゃあコワモテでもあるのか。
「部屋の番号もメモに入れた。前についたら電話寄越せ。でももし、マンションに入る時とか近くでイヤな感じがしたら、何もしないで通り過ぎろ。危ないことはしなくていいから」
「……心配してるんですか?」
「当たり前だろう」
少し苛立ったような口調に、なんだか妙にほっとして奏は笑顔になってしまった。この先輩は、何で自分にこんなによくしてくれるんだろう。自分をこんなに認めてくれるんだろう。
「ありがとう、いってきますっ」
颯人に指示をされるまま、颯人が言った場所だけを開けて言われたものだけを取って戻ってきた奏は、CDを試聴している様子の颯人を遠目に見つけて思わず立ち止まった。
本当に目立つのだ。スタイルの良さとかももちろんあるのだけれど、姿勢が良くて、なんだかそこだけ空気が違うよう。
風貌が違うから、きっと何も知らなければあれを颯人だとは、奏は思わなかっただろう。もともと、髪型などが変わると誰だか自信を持って言えなくなるようなところもあるし。それでも、知らない人に見えても目を惹く。
視線に気づいた颯人が、耳にあてていたヘッドホンを戻して奏の方にまっすぐ歩いてくる。自然な流れで奏の背中に手を当てて、奏の向きを変えさせると店から出て行く。
きっと周りには、待ち合わせをしていたようにしか見えていない。
「声、かけろよな、お前」
「だって先輩、絵になるから。つい見とれちゃいました」
照れ隠しにおどけながらも正直に言うと、思いの外颯人の方も面食らったように目を逸らした。
「先輩?」
「まさかそう言われると思わなくて……ありえない」
俺が照れるなんて、という言葉は飲み込んで、代わりにこちらも照れ隠しで少し乱暴に、隣を歩く奏の頭を引き寄せて自分の胸に押しつけた。
「え、……え??」
「ありがとう。奏」
不意打ちのスキンシップに驚いている奏に短くそう言うと、すぐに解放してやり、そのまま手をつなぐ。完全に不意打ち続きでなされるがままの奏は、どうしていいか分からないという顔で颯人を見上げていた。
「なんともなかったか?」
「え?はい。あ、ちゃんと、暗証番号とかは消しておきますね」
「消さなくていいよ」
「?」
「違うな。消さないでおけよ」
「命令口調?」
「お願いしてほしいか?」
「……それもなんかやだからイイデス」
奏が持っていても不思議はないくらいに小さな荷物に入りきるものしか取ってきていない。それを受け取って、特に中を確かめるでもない颯人に、また浮かんだ疑問。
「そんな、何かあった時のため、みたいな準備がこんなにしてあるなんて。先輩、何者ですか?」
「別に、大した何かじゃないよ。用心深いだけ」
「あんな部屋に住めて、他にも部屋もてて?」
「そんなこともある」
「ごまかしてるっ。詮索するなってなら、ちゃんと言ってください」
「お前もはっきり言うなぁ。いいことだ」
つい笑いながら、颯人は握っていた奏の手をしっかりと握りなおした。拗ねて離れていこうとしたのを引き止めるように。
「今行ってもらったのは、身内から生前贈与だってもらった家。名義は俺になってないからそう簡単に俺を捜してもあそこにはたどり着けない」
「やっぱり用意周到」
ぷうとふくれる顔がおかしくて、そしてそうやって怒るということは少なくとも奏は自分に興味を持っていて、知りたいと思ってくれているということ。そう思われることがうれしいなんてこともあるのだと。なんだか奏といると今まで知らなかった感情、気持ちをいろいろと知ってしまう。
「隠したいわけじゃないから、ちゃんと話すよ。でも今はデートだろ。ほら、映画見に行くぞ」
「ん~」
「ん?」
「もう。ごまかされた気がするけどいいです。行きます」
二人で見た映画は、奏が見たかったいくつかの中から颯人が選んだ。きっと、奏が言わなければ颯人は知ることもなかったような種類の映画。観てみれば印象的で引き込まれて、見終わったあとにまで残るような。
そして、いいのがあったら、と寄った家具屋で、今日は気に入るベッドは見つけられず。でも、探しながら一つできた約束。
人と一緒に寝るのは、続けばストレスになるかもしれないから。基本、一人はベッド、一人は床で。一緒に寝たいと思ったらそれを相手に言う。言われた方も、どうしてもいやならそれをきちんと言う。
そのために、マットレスなど一式買った。いずれ、他にも使い道はこれならあるから、と。
この約束を切り出した奏に、颯人は仕方ないなぁ、という顔でわらった。
「俺は全然、かまわないのに。人と寝るの、苦手?」
「それに慣れちゃうのが、困るんです」
ぶすっとした顔と声は照れ隠しのポーカーフェイス。臆病なのを隠すため。自分を守るため。
見抜いている颯人は、ただ奏の頭をくしゃりと撫でた。
「阿呆」
「それ、くちぐせですか?」
そんなやりとりをしながら帰る途中。奏の携帯にメールが入る。
約束をしている友人から。
『買い出し、してから行こうか?』
気づいていて首をかしげる颯人に、なんの問題もないその文面を見せてから、奏は返信を打つ。不器用で、どうやら携帯をそこまで使いこなしてはいないような様子がなんだかほほえましい。
『もうすぐ帰るから、一緒に行くよ。
本日、びっくりするスペシャルゲストあり。詳しくはあとで話すね』
返信画面を見せてから、送信する。
「俺に見せなくてもいいのに」
「先輩にも関係することですから。どうするんですか、これでわたしが先輩にこんな怪我させた相手と実はつながってて引き込んでたら」
「まあその場合、見せられても無駄だよね。口裏合わせておけば何ともない文面でも使えるだろ?」
「なるほど~」
そんなところに感心する奏を見下ろして、また気づけば顔に浮かんでいるのは笑み。
他人、特に女は信用しないはずなのに。むしろ自分でこんなことを言い出して、油断させようとしていると用心したはずなのに。なぜかまったくそんな気は起きない。
「お前、ホントおもしろいな」
「?よく分からないけど、わたしにしてみたら先輩の方がよっぽどおもしろいですよ」
「俺が?おもしろい?」
「はい」
「初めて言われた」
ふふ、と楽しそうに笑う顔を見れば、まあ、それもいいかと思えてしまう。
「何鍋?」
「辛い方向予定です」
「この暑いのに……」
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