この話は所謂後日談に当たりますが、主役二人は全く出番がありません。
タイトルの通り【舞台裏】事情のお話です。
本編で説明を省いた部分(事件の詳細、背後関係等)について、黒幕とご隠居が語っているだけです。
本筋の続編(番外)を期待された方、どうもすみません。
「やあやあどうも宇佐見先生!遠いところをご足労ありがとうございます。ご無沙汰しておりましたがお変わりないようで安心致しました」
「君は相変わらずのようだね、羽柴君……いや、羽柴先生。君の噂は遠く私のところへも届いているよ。随分とご活躍のようで何よりだ」
「それはそれはお耳汚しを。しかし私など【先生】と呼ばれるにはまだまだ至らぬ若輩者ですよ。どうかこれまで通り気軽にお呼びください」
とある高級ホテルのスイートルーム。
迎える方は推定40代半ば、訪れた方は推定80代、どちらも【先生】と呼ばれる職種ではあるが、会話の内容からして教師や医師ではないとわかる。
彼らは政治家……40代の方は現役であり80代の方は既に引退済みという違いはあれど、それなりに知名度は高い。
引退して久しい大先輩を隠居の地から招いた男、羽柴誠一郎。
彼は自分で謙遜する通り政治家としてはまだ若輩の域にあるが、二世やタレントといったネームバリューのない状態から這い上がってきた努力家と名高く、その分国民からの期待度も高まっているという、今注目の議員である。
対する宇佐見……今は楽隠居の身であるものの、現役時代は数々の役職を歴任し、裏では歴代大臣・総理のアドバイザーも務めたとされる筋金入りの実力者である。
未だ彼に助言を請う者は多く、彼に恩を感じ頭が上がらない議員・キャリア官僚は多いらしい。
そんな二人がこうして高級ホテルの一室で秘密裏に会合の場を設けたきっかけは、宇佐見老からの一本の電話にあった。
『そういえば羽柴君、少し前にうちの孫が君に世話になったと言っていてね。是非礼をと言付かっていたのを忘れていたよ』
『宇佐見先生のお孫さん、ですか?……申し訳ありませんが、私にはなんのことやら……』
『あれが言うには直接世話になったわけではなさそうだ。なんだったか……名前は忘れたが、あれの後輩にあたる若手官僚候補が君と懇意だったとかで、その繋がりだと言っていた気がする』
(チッ、厄介だな。あの男、仕掛けるにしても時と条件を選べばいいものを。粗忽者が)
うっかり政治献金の話題を料亭という場で口にした愚かな議員は処分した、だがそれを立ち聞きしてしまった若手官僚候補に『今後ともいいお付き合いをお願いしたいですね』と弱みをちらつかされた羽柴は、秘書を通してその男の先輩にあたる芹沢という男に処分を命じた。
『依頼』ではなく『命令』だ。
芹沢とは羽柴の後援パーティで知り合い、彼の政治的野心を逆手に取ってあれこれと雑務を命じてきた間柄だが、この時ばかりはそれが裏目に出てしまった。
伝手を辿って手に入れた爆弾を件の男の部屋に仕掛けたまでは良かったが、そこにたまたま宇佐見老の孫が同席していたことが災いした。
当人が羽柴までたどり着いていなかったとしても、この狡猾な老人があらゆる情報を組み合わせて羽柴まで辿り着いたのは間違いない。
『さて……ありがたいことに私を慕ってくれる若者は多いもので、誰のことを言っておられるのかはわかりかねます。ですがさすが宇佐見先生のお孫さん、わざわざ礼をと仰っていただけるその礼儀正しさには頭が下がりますよ』
結局問題を摩り替えて誤魔化した羽柴に、電話の向こうからは『心当たりがないのならいいんだ』と話題を切り上げる旨の答えが返ってきた。
ひとまず追求しないでおいてやろう、という意味だと羽柴も内心ホッと胸を撫で下ろす。
『そうそう、せっかくお電話いただいたんです。久しぶりに先生に直接お目にかかりたいと愚考しておるのですが、ご都合はいかがでしょうか?』
まだまだ何か掴んでいそうな宇佐見老に探りを入れるべく、羽柴は策を練り始めた。
(さあ、どこで仕掛けてくる?このまま孫自慢で終わるはずなんかないだろうが)
現在、羽柴の目の前で宇佐見老は先日結婚式を挙げたばかりの孫夫婦について、あれこれと楽しそうに語っている。
それだけ聞いていれば老人の孫自慢と聞き流してしまいそうだが、この曲者のことだ、どこで仕掛けてくるか一向に気が抜けない。
「外孫の方は所轄勤務をしているんだが、間が悪いことに初夜の直前に呼び出しを食らってしまってね」
「おやおや、それは新郎もやきもきされたのではないですか?」
「誠……その外孫の弟にあたるんだが、あいつが言うにはその事件の犯人を抹殺しに行きそうな勢いだったらしい。ギリギリハネムーンの予定日までにはカタがついたらしいんだがね。所轄署を出たあの子を掻っ攫うように空港に行ったと聞いた時は、さすがに呆れるしかできなかったよ」
ここを聞き流してはいけない、と羽柴はしっかりと脳内に情報を書き留めた。
なんてことのないハプニング……しかし彼はここから『内孫にあたる男は妻になった外孫にあたる女を溺愛している』という情報を読み取った。
それは即ち、彼女次第で夫となった男やこの隠居が動き出すかもしれない、ということ。
ノンキャリアの女だからと侮るなかれ、下手に手出しするのは危険、ということだ。
孫自慢ばかりでは埒があかないと、今度は羽柴の方から少し仕掛けてみることにした。
「そうそう、結婚といえばですね。以前宇佐見先生とも懇意にされておられた高畑さん、あちらの娘さんも最近結婚されたとか。ご存知でしたか?」
「ああ、無論。実はここだけの話、彼女はうちの幸也と許婚ということになっていたんだが、まぁ幸也がどうしても瑞希でなければ嫌だと我侭を言い出してねぇ。それで相手方には納得してもらったんだが……少々ご令嬢にはごねられてしまってね。なんにせよ、いいご縁があって何よりだと思っているんだよ。うちの孫とは違い、誠実そうなのがいい」
「ご存知でしたか、それはお見逸れしました」
(何が『納得してもらった』だ……無理やり纏め上げたのはアンタの孫だろう)
宇佐見の外孫……瑞希という名のノンキャリアの女性に、件の元許婚が手を出した。
元々この二人は大学の先輩後輩という間柄だったらしいが、下手に親しくもない顔見知り程度だったことが災いしてしまったようだ。
彼女を傷つけられたことに腹を立てた幸也という名の外孫の男が、何らかの手段を講じて自分よりも格下の男を相手方の両親に取り入らせた。
あとはその男を気に入った両親が、娘の反発を押さえつけて結婚まで持ち込んだ、つまりはそういうことなのだ。
「いやはや、先生もお若い頃は色々浮名を流しておいでだったと聞き及んでおりますし、どうやらお孫さんは先生に似られたようですねぇ。羨ましい限りですよ」
「ははっ、これは痛いところをつかれてしまったなぁ。あいつはやたらと面倒な女に好かれる性質のようでね、その所為かどうにも同性には妬まれてばかりらしい。人望ある君を見習わせたいものだよ」
「恐縮です。私など単に顔が広いだけでして、人望というほどのものはなかなか得難いものですよ」
「ああ、そういえば君は警察庁にも顔がきくんだったね。ではひとつ頼まれてくれないか?」
来た、と羽柴は身構えた。
どこで仕掛けられるかとずっと老人の世間話に耐えてきたが、こうもわかりやすく仕掛けてこられるとは少し予想外だった。
が、それだけに一瞬たりとも気が抜けない。
私でできることなら何なりと。
そう無難に答えた羽柴に、宇佐見老はひとつ頷いて
「今は警視庁の公安部にいる芹沢という男、彼に繋ぎをとってもらえないだろうか?」
そう、一つ目の爆弾を投下した。
ドキリ、と跳ね上がった鼓動を悟らせまいと、羽柴はポーカーフェイスを装う。
「芹沢君はうちの幸也の後輩なんだが、聞いた話によると君の後援会に何度か顔を出しているらしいね?勿論君ほどの人気となればいちいち後援者の顔など覚えていないかもしれないが……どうだろう?」
「芹沢君、ですか……ああ、覚えてますよ!彼は随分と優秀な人材ですからね」
ここで『知らない』とは言えない、むしろ言わせない雰囲気に持って行ってしまった宇佐見老を疎ましく思いながらも、羽柴はやむなく芹沢との繋がりに関しては認めてみせた。
「繋ぎ、といいますと?」
「実は彼はね、うちの孫達を結婚に導いてくれた……古臭い言い方をすればキューピットのような存在らしくてね。彼にそんな意図はなかったのかもしれないが、結果的に孫達が纏まってくれたその礼をしたくてねぇ」
宇佐見老の孫馬鹿ともとれるこの一言には、強力な毒が仕込まれてある。
芹沢が彼らに何をやらかしたか、それを聞いて知っている身とすればこの毒をもし芹沢本人に向けられたが最後、もしかすると一蓮托生で羽柴にまで被害が及ぶかもしれないと身を震わせてしまう。
それは避けなければ、と彼は目まぐるしく思考を回転させる。
「先生、もしよろしければその役目、私めにお譲りいただけないでしょうか?芹沢君も、突然ご高名なる宇佐見先生から連絡がいけば仰天してしまうでしょうし」
芹沢が潰れるのは構わないが引きずりこまれるのは真っ平御免。
そんな羽柴の必死なフォローをどう思ったか、宇佐見老はゆったりと頷いて「では頼むよ」と了承の意を示した。
「先生、よろしいのですか?」
「ん、なにがだい?」
「先程のお話は【彼】を切り捨てると宣言なさったように思えましたが」
「ああ、そうだとも。芹沢は切り捨てる」
野心のある男は、羽柴も嫌いではない。
だがそのせっかくの野心を、彼の男は先輩への妬ましさ高じて姑息な根回しを行うといった方向に向けてしまった。
宇佐見老の孫と知っていたわけではないだろうが、常々『可愛がられて』きた先輩が執着しているという所轄の女刑事の所属部署に、現役警察庁幹部の娘を放り込んだ。
その娘にはあらかじめ、遠回しに『榎本瑞希という女は美形の独身キャリアと付き合いがある』と彼女のライバル心を煽るような情報を吹き込んでおく。
蝶よ花よと育てられたお嬢様は勝手に敵意を抱き、ライバルを蹴落とすために、そして何より己の自尊心を満足させられるハイスペックな男を手に入れるために、行動に出た。
この一連の流れのうち、芹沢が噛んだのは人事に口出ししたことと、件の先輩の部屋に入る合鍵を融通したこと、この二つだ。
聞いたところによると、令嬢サイドから警察庁への異動を餌としてちらつかされたらしいが、それはそれとして。
他人事なら『かわいらしい嫌がらせじゃないか』で済ませられるが、問題なのは宇佐見老がこのことに対し【礼】と称した【報復行動】を考えたという点だ。
であれば、羽柴としてはいい加減扱いにくくなった駒よりも、今はまだ逆らえない大先輩に従う方を選ぶしかない。
この羽柴の選択に、ずっとその場で石像の如く黙って立っていた彼の秘書は「ですが」と逆説の接続詞を口にした。
「彼は官房長官のご令嬢と婚約が決まっていたはずですが……」
「ああ……あの娘か。あれは相当な食わせ者だぞ。芹沢を処分したとしても、いや、処分したとなるとむしろ嬉々として未来の夫を躾けにかかるだろうさ」
現役官房長官の娘であり楚々とした美人、というハイスペックなその彼女は、件の宇佐見老の孫のように隙のないスペックを誇る男よりもむしろ、教育し甲斐のあるやや粗の見えるタイプを好むのだという。
そんな彼女のことだ、羽柴が考えている芹沢の処分案……『本庁勤めから一転、ド田舎の警察本部長職に栄転という名の左遷』を実行したなら、不甲斐ない未来の夫の尻をひっ叩いてビシバシ扱くに違いない。
それは恐らく、芹沢にとっては何らかの罪に問われ秘密裏に処理されるよりも遥かに辛い【お仕置き】だろう。
『羽柴君、庭の紫陽花は綺麗に咲いているかね?』
帰り際、何の脈絡もなくそう問いかけられた羽柴は
『ええ勿論ですとも。今年も来年も再来年も、この不肖羽柴誠一郎の政治生命のある限り、綺麗に咲かせてみせましょう』
当然だという表情で、そう返した。
(隠居ジジイを『切る』ことくらい容易いが……まぁ精々恩を売っておくさ)
少なくとも宇佐見老が存命の間くらいは茶番に付き合ってやってもいい。
そう思うくらいには、羽柴は退屈していたのだ。
これで本当に「極上彼氏」は完結です。
だらだらと説明ばかりが長くなってしまい、すみませんでした。
お付き合いありがとうございました。
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