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弟・誠のお話です。
本編とはリンクしていません。
腹黒い……というより、面白いもの好きな誠の恋愛事情。
ロックオンされた『彼女』はひたすら不憫です。
本編
番外:ゲームな日常(誠サイド)
 
「なにかあるんですか?」
「さあ……どうだか」

 数分前と変わらぬやりとりに、溜息ひとつ。
 目の前に座る男は、携帯に視線を落としつつ生返事ともとれる言葉を繰り返している。
 が、彼の意識が自分の方を向いていることに彼女も気付いていた。


 ことの始まりは、彼女の雇い主宛に届いた一通の手紙だった。
 弁護士を志したからには、早く一人前になって独立するというのは憧れるもので。
 だからこそ、その独立の足がかりになりそうな【名家の顧問弁護士補佐】という引き抜き依頼に、的場まとば由香里ゆかりはよし、と拳を握り締めた。

 その依頼はどうやら彼女の上司が断れない筋からのものであるらしく、とんとん拍子に由香里の退職・再就職が決まった。
【宇佐見家】……それが彼女の次なる雇い主である。
 旧家の家柄であり、今は引退した前当主の現役時代は政治家やキャリア官僚に顔色を窺われるほどの影響力を持っていたとされる。
 現在は代替わりした所為かそこまで名は聞かなくなったが、それでも顧問弁護士ともなるとあらゆる画面での活躍を期待されるに違いない。


 意気込んで事務所に顔を出した由香里は、何故か事務員達に向けられた同情と哀れみの眼差しに疑問を抱いた。
 だがその謎は、所長室に顔を出した瞬間に解けることとなる。


「遅い」
「……は?」
「初日なんだから普通より早めに、まず挨拶に来るもんだろ。君のお陰で二度も負けた」
「…………はあ。すみません」

 その男の姿を見た瞬間、脳内で組み立てていた完璧な挨拶はどこかへ飛んで行ってしまった。
 広いようで狭い弁護士社会。
 上司となる男にどこかで逢っていてもおかしくはない、おかしくはないのだが。

 以前出逢った時、彼は大手事務所の下っ端だった。
 正彼に言わせると、それはある程度経験を積んで宇佐見家の親戚一同を黙らせるため……箔をつけるための一時的な出向であったらしい。
 下っ端と言えど広く名の知れた大手の事務所にいるのだと、弁護士の卵ばかりの【合コン】で彼は一番人気だった、はずだ。

(あの時は偶々で済んだとしても、今回のこれは……偶然?)

「偶然、ですよね?」
「ま、君がそう思うんならそうなんじゃないの」
「もしかして、何かあるんですか?」
「さあ。その頭使って想像してみれば」

 とここで、冒頭のやり取りに戻る。

 この突然の事務所異動には何か意味があるんじゃないのかと疑う由香里に、男はのらりくらりとした態度でまともに答えようとしない。
 何もないのかと問えば、どうだろうなと意味深な物言いをする。
 何かあるのかと聞けば、想像してみろとはぐらかす。

 その会話にならない『会話』を数分続けたところで、彼女は問い質すことを諦めざるを得なかった。

「……もういいです」
「あれ、諦めるんだ?」
「答える気がない人にいくら問い質しても無駄だということはわかりましたから、もういいです」

 諦めはえー、と彼女の上司はまるで学生のように呟き、そこで漸く由香里に視線を戻す。
『二度負けた』ネットゲームの相手に今度は漸く勝てたらしく、表情はご満悦そのものだ。

「まあ、これでまた一手進んだってことで、ひとまずターンエンドにしといてやるよ」

 にやりと笑いながら告げられた言葉は、彼女には理解不能だった。


 そんな再会から数日。

「所長、確かに私は『決裁印をください』とは言いましたが……」
「ん、だからやったよな?」
「決裁印そのものを寄越せ、という意味ではありません」

 彼らは概ね、上手くやっていた。

 少なからず彼のこの適当なやり方の犠牲になったらしい事務員達は、口々に彼女の働きを評価し労ってくれる。
 たった数日だというのに、由香里は彼の『お守り役』として位置づけられてしまったらしい。

「とにかく押印し……」
「昨日さー、君が帰った後に急ぎの用件でメール送ったって連絡きたんだけど」
「…………」
「そのパソコン、ロックかかってんのな。ちょっと外しといてくれる」

 思いついたら言わずにいられない。
 そんな彼の特性はここ数日で把握済みであるから、由香里も心得たように口を閉ざす。

 こういった場合、須く彼が何か『不満』を申し立てようとしているものだ。
 今回の苦情も、先に帰った由香里のパソコンを開けられずメールチェックができなかったからロックを外せ、という内容で。
 上司が口にするには至極真っ当な内容であったため、彼女は頷いてパソコンのセキュリティロックを解除した。
 続いて、深夜に届いたメールを確認し上司のパソコンへ転送する。

(こんな時間まで残ってたの?地味に大変なのね、所長って)

 いくら態度が真面目とは言いがたい上司であったとしても、ダラダラと何もしないまま深夜まで残業することはないだろう。
 彼がその時間まで仕事をしていた、それはデスクの上に山積みになっていた書類が綺麗に片付いていることが証明している。

「所長、メールを転送しました」
「そ、ご苦労さん」

 随分素っ気無いが、由香里の仕事はこれで終わりだ。
 上司から指示がない限り、後は自分のデスクに移された決裁済みの書類を区分けして役所に持っていくという仕事に移る。

 では行って来ますと挨拶した彼女の背に、「ん、」と生返事が返ってくるのもいつものことだ。


 手の中の書類を空にして、彼女がオフィスに戻ってきたのはお昼過ぎ。
 所長室では、眉根を寄せて不満げな表情の上司が彼女を見るなり立ち上がった。

「………なん、ですか?」
「考えたら、君の連絡先を知らないんだよな」
「……はあ」
「だからさっき、用事があったのに伝えられなかった。思いついた時に業務連絡もできないなんて不便すぎる。そう思わないか?」

 そうですね、と由香里が応じると彼も「だろ?」とスライド式の携帯をカチンと閉じる。
 そしてもう一度カチッと開くとその携帯を由香里の方に向けてきた。

「ん」
「はい?」
「……ったく鈍いなぁ。赤外線だよ赤外線、こうやった段階で気付かない?普通」

 俺の連絡先も必要でしょ、と言われてしまえば従うしかないのだが。
 本当に必要かと問われると、どうだろうと首を傾げるしかない。

 確かに彼の言う通り、由香里が席を外している時や帰宅後に用事があった時は携帯に連絡してもらった方が早い。
 だが、彼女から彼に連絡を取る用事があるのかというと、実はそれほどないような気がするのだ。

 そしてその旨申し立てると、今度は深々とため息をつかれた。

「じゃあ君、見ず知らずの番号からの電話にほいほい出ちゃうんだ?へぇ……」
「……あ、そういう意味ですか」
「なに、どういう意味だと思ったワケ?」

 にやにや、と笑いながらデスクの上に肘を突き身を乗り出す。
 こうなると話がどんどん脱線していってしまうため、彼女は視線を外し努めて冷静に携帯を赤外線通信モードに切り替えた。

 ピコッとかわいらしい音がして、ディスプレイに【榎本 誠】と表示される。

(ああ、そういえばそんな名前だっけ)

 初めて逢ったあの日、貰った名刺にそう印刷されてあったのを思い出す。
 合コンという場で名刺を配るKYがいるんだなぁと印象深かったのは記憶にあるが、さてその名刺はどこに仕舞ったか全く記憶にない。

「ん、よし。これで一手進んだ、っと」

 携帯をいじりながら、またしても由香里の分からない呟きが零れる。

「ケータイゲームですか?所長」
「そんなとこ。君もやってみれば?意外とハマるぜ」
「遠慮します。ゲームに興味はありません」
「あっそ」

 んじゃメシ行くか。
 携帯を手にしたまま、誠は所長室の扉に手をかけて振り返った。
 ここは「いってらっしゃいませ」と言うべきか否か、判断がつけられず首を傾げた由香里に

「なにやってんだよ、メシ行くかって言ったろ?」

 君も来るんだよ、と当然のように言い放つ。
 彼女に断るという選択肢は用意されていなかった。


 それから更に数日後のある日。
 どうしてもその日中に纏めなければならない資料があり、由香里は誠の許可を得て遅くまでオフィスに残っていた。
『悪ぃな、今日は用事があるんだ』と上司はさっさと定時にあがり、先輩達も一人減り二人減りしていつの間にか彼女一人だけになってしまっている。
 誰もいないオフィスの静寂は耳に痛いくらいだが、この方が集中できるというのが偽らざる本音だ。

 と、そんな時
 カチャッと扉が開く音がして、誰かの靴音がオフィス内に響いて聞こえた。
 誰か忘れ物でもしたんだろうか、そう思った彼女のデスクにコトン、と缶コーヒーが置かれる。

「………所長。用事があるんじゃなかったんですか?」
「ん、まぁこのところの調査結果を渡してきただけだからな。あとどのくらいだ?」
「あとは数字の検算をするだけです」
「そっか。ならそれ飲んでちょっと休憩しろよ」

 珍しい、と由香里は暗がりに立つ誠の顔をじっと見上げる。
 もしかすると何か忘れ物のついでなのかもしれないが、それでも差し入れを貰うということ自体が初めてではないだろうか。
 差し入れを貰ったからどうというわけでもない、だがやはりこういう気遣いは少しだけ心を温かくしてくれた。

 お言葉に甘えて、と缶コーヒーに口をつける。
 誠は満足げにそれを眺め、正面に位置する椅子に行儀悪く腰掛けた。


「なあ、的場……君さ」
「はい」
「彼氏とかいないわけ?」

 は?と全く無防備に上げられた声に、誠は「だから彼氏」と言い募る。

 セクハラじゃないか、と表情が一瞬で険しくなる部下を前に
 彼は、最近姉に漸く彼氏ができただの、その彼氏が人使いが荒く姉以外には人でなしなんだとか、でも姉が幸せそうだし彼氏も面白いことを企んでくれるからいいかと思い始めているとか、勝手に個人情報を暴露した挙句、

「だからさ、まぁ恋人持つのもいいもんじゃないのかなって思ってるわけ。で、君はいないのかと気になっただけだよ」

 とフォローするように付け足した。

「あのですね所長、貴方と初めてお逢いした時って合コンの場だったと思うんですが」
「けど、あの時はあの時だろ。……ってことは、いないのか。ふぅん」

 ふぅんってなんだ、失礼な。
 危うく出ていきかけたつっこみをどうにか飲み込み、残ったコーヒーと共に溜息も喉の奥に流し込む。
 この上司の発言にいちいち反応していては神経がもたない。
 そのことは、疲れきった様子の事務員輩達を見ればよくわかる。


 気持ちを切り替えてパソコン画面に向き直った由香里を、彼はその正面に座ってちらちらと窺っている。
 が、その指が携帯のボタンをいじっていることから、意識はゲームに向いているらしい。

 奇妙な沈黙が続いたのはほんの数分のこと。
 デスクの上にあった電卓やボールペンを片付け始めた彼女をちらりと見て、「終わったのか」と声がかかる。

「はい。所長の用事がまだのようなら、施錠をお願いしたいのですが」
「俺の用事?……まだだけど……そうだな、そろそろいいか」

 コトン、と携帯を置く音がする。
 スライド式のメタリックピンクの携帯は、今は何も映さず黒一色に染まっている……ということは恐らく電源を切ったのだろう。

(携帯中毒の室長が、電源を切った?なんで?)

 コツン、と誠の革靴がオフィスの床とぶつかって音を立てる。

「やっとここまで来た、って感じか。結構長かったよなぁ」
「どうしたんですか、所長」
「仕事終わったんだろ?だったら所長なんて無粋な呼び方しないでくれる?」

 それでもここはまだオフィス内だ。
 仕事は終わってるが、目の前の男が上司であることは変わりがないんじゃないのか。

 余計なことを考えている間に、
 コツン、とまた一つ靴音が鳴った。

「最初に逢ったのはホント偶然。まさか弁護士ばっかの合コンでこんな出逢いがあるなんてなー」

 正直驚いた、と彼は小さく笑う。

 そしてまた、コツンという靴音。

「返された名刺を見て、俺は考えた。そうだ、これから忙しくなるんだからどうせなら彼女を手元に呼べばいい、ってね」
「え、それじゃ……」
「君が疑った通り、この異動は俺が仕組んだ。君にとっても悪い話じゃなかっただろ?」

 唖然とする彼女を前に、誠の言葉はなおも続く。

「君は思った以上に優秀で、すぐに俺のやり方を覚えてついてきた。不満があるとすれば、融通が利かないってことくらいか」

 だから、と彼は靴音を響かせて二歩前に進む。

「君が俺に慣れてきた頃を見計らって、携帯番号の交換をした。ここまできたら、回り道なんてする気はなかったし。素直に従ってくれてホッとしたよ」

 コツン、と響く靴音が徐々に近づいてくる。

「そうそう、食事に行くって言った時も素直についてきたよな?まさか部下だったら上司に何言われても従わなきゃいけない、なんて思ってるわけじゃないだろ、そんなバカじゃないよな?」
「あれは、っ」
「まぁいいや。お陰で『詰み』に一歩近づいたわけだから」

 そして今夜、とまた靴音が近づく。

 立ち上がった由香里の目の前に、誠の顔がある。
 まだ少し距離のあるそれは、いつもの人の悪い笑みでも偶に見せる真顔でもなく

 獲物を狙う、ハンターの眼差し。

「今夜、君が残業するって言った時……決まりだと思った。だから誰もいなくなるのを待って、コーヒーを差し入れる優しい上司になって戻ってきたってわけさ」

 靴音は、もう聞こえない。
 かわりに、トン、と壁に両手をつかれる。

 背後には壁、目の前には誠、両脇には彼の腕。
 逃げ場はどこにもない。

「この『ゲーム』は一対一、俺は真正面から一手一手慎重に詰めてきて……ここにいる。この意味、わかる?」

 わからない、と頭を振る由香里。
 見据える誠の口元には、勝利者の笑み。


「チェックメイト」


 意地の悪い囁きは闇に溶け、後には二人分の吐息だけが部屋を満たした。

次からまた本編に戻ります。


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