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この話に限り、残酷描写とR15が適用されます。
エロくはないですが、従兄がドSなヤンデレです。
本編
5.極上の嫉妬
 
「なにこれ」

 これ、と指先で頬のガーゼをちょいとつつかれ、瑞希は小さく眉を顰める。

「ガーゼだけど、何?」
「あのさぁ、そういうこと聞いてんじゃねーんだけど」
「猫に引っ掻かれたの」

 溜息混じりに答えてやると、宇佐見家顧問弁護士見習いの青年は「猫、ねえ…」と呟いた。
 その手は、話しかけながらも依然として携帯を弄りっ放しだ。
 興味をなくしたのだろうと思い手元の本に視線を戻すと、誠がニヤリと嗤う気配がした。

「なあ、その猫ってどんなの?」
「血統書付きの雌猫。大学の後輩が飼ってるんだけど……そんなに気になる?」

 猫好きだったっけ?と訊ねると、「別に」と簡潔な否定の言葉。
 彼が興味を持ったのは猫に関してではなく、瑞希の怪我についてなのだろう。


『この泥棒猫!!』


(どうしてこの手の女性が言うことってワンパターンなのかな……)

【大学の後輩】というのは正しいが、【猫】呼ばわりされたのはむしろ瑞希の方である。
 彼女は由緒正しい官僚一家の一人娘で、宇佐見家の隠居とも付き合いのある家だったからか幼い頃から次期当主幸也の許婚として内々に話が進められていた。
 そこまでは良かったが、いざ年頃になり結婚話を進めようと動いたところ『この話はなかったことに』と破棄を申し渡され、件の男が現在執着している瑞希を呼び出した挙句に綺麗に磨がれた爪で引っ掻いたというわけだ。


 誠は婚約破棄のことは知っていても、姉が引っかかれたことまでは知らないはずだ。
 だが彼の情報収集能力は侮れない。
 いくら普段の態度が不真面目に見えるとはいえ、情報端末を操ることに関してはプロフェッショナルと言っていいほどの実力を秘めているのだから。


「そのガーゼ、剥いていい?」
「…………だめに決まってるでしょ。なに考えてるの」
「つっまんねーの」
「つまらないとかじゃなくて……っ、」

 瑞希の携帯が震えて着信を知らせる。
 ビクリと揺れた肩をどう思ったか、誠の興味は目下負け越し中のチェス対戦に向いている。

【宇佐見幸也】

 ディスプレイにはそう表示されてあり、瑞希は息を呑んで震える指先で電源ボタンを押した。

「……あーあ、切っちゃった」

 どうやらチェス対戦に夢中になりながらも様子を伺っていたらしい誠が、まるで見透かしたように呟く。
 この様子では、電話の相手が誰だったかも気付いているのかもしれない。

「お休みの日くらいプライベートを満喫したいじゃない」
「ふーん。ま、俺には関係ないけど」

 暗に『仕事の電話だからね』と仄めかしたのだが、彼はそれすら見抜いているとばかりに話題を打ち切った。

 気まずい沈黙の中、カフェラテを飲み干した瑞希が先に立ち上がる。
 正面に座る誠は途中から席を移ってきただけの存在だから、わざわざ彼のペースに付き合う必要はない。
 ここはさっさと帰って本の続きを読むに限る。

「それじゃ。支払いはしておくけど、追加するなら自分で払いなさいよ」

 偶には姉らしく言葉を掛けてみるが、やはり反応はない。
 やれやれという表情で会計を済ませ、瑞希は雨脚の強まった外の世界へ足を踏み出した。


「…………幸也にーさんが飼うはずだった猫、か……殺されなきゃいいけどね」

 窓の外を眺めながら、誠はチェシャ猫のような笑みを浮かべる。
 そして携帯の画面をメールに切り替え、現在進行形で苛々を募らせているだろう従兄に位置情報を送信してやった。

「が・ん・ば・っ・て・く・だ・さ・い・ね、っと」



 土砂降りの雨の中、瑞希はいつものルートをぐるりと迂回してマンションに帰ろうと歩いていた。
 いつものルートを避けたのは、もしかすると電話の主に逢うかもしれないという可能性を考えた故だ。

 彼を避ける、その行為がどれだけ彼の怒りを買うのか承知した上で。

 一言、『もう逢いたくない』『構わないでください』と言ってそれで終わりになるのならとっくにそうしていただろうが。
 彼の場合、その一言が逆効果になりかねないのだから迂闊なことも言えない。

 もう少し、あと少しで最寄の駅に着くというその時。

「……!」

 ピタリ、と足が止まった。

 メトロの入り口前に横付けされているそれは、【真紅】が主流であるというのに【漆黒】の装いを纏った高級スポーツカーで。
 その気障な車を所有している人物に、心当たりはたった一人。
 運転席の扉が開き、ネイビーブルーの傘をさした男がゆっくりとした足取りで彼女に近づいてきた。

 彼の視線はまず頬のガーゼに向き、険しい視線はそのままに瑞希の目を覗き込む。
 視線を外しじりじりと後退しようとする彼女の手首を捉え、ギリッと力任せに握り捻り上げるとその手から傘が滑り落ちた。

「乗れ」
「いっ、……や、です」
「俺に逆らうのか。覚悟は出来てるんだろうな?」

 あっという間にびしょ濡れになった瑞希の手首を掴んだまま、宇佐見は愛車の助手席の扉を開けて彼女を突き飛ばし、
 慌てて起き上がったタイミングで、素早く回り込み運転席から全ての扉をロックしてしまった。

 走り出した車は真っ直ぐ彼の自宅駐車場に滑り込み、助手席で項垂れている瑞希を苛立たしげに引っ張って宇佐見はエントランスを足早に通り抜けた。

 靴を脱ぐのももどかしく、彼にしては珍しく蹴散らして室内に入る。
 引っ張られるままだった瑞希は、そこで漸く自分の置かれた立場に気付いてまるで子供のような抵抗を始めた。

「や、っ……!」
「……何を今更」

 遅いんだよ、と嘲る口調で呟いて。
 座りこんでしまった身体を軽々と抱き上げて、部屋の奥へと歩を進める。

 ドサリと放り出されたのは、大人三人ほどが余裕で入ることのできる大きなバスタブの中。
 彼は無表情のまま湯沸かし器のスイッチを入れ、彼女の身体ごとバスタブに湯を張り始めた。
 冷えた身体に当たって弾けるお湯は、眩暈を引き起こすほどの熱さを訴えてくる。

(こんなこと、してちゃいけない。別れなきゃ、離れなきゃって決めたのに)

 宇佐見が後ろを向いた一瞬の間に、瑞希は力の入らない足で立ち上がる。
 だが彼は、そんな抵抗など予測していたとばかりに振り返り、自分の身体ごと再び彼女をバスタブに沈めた。

「遅い、って言ったよな?」

 もう何もかも遅いんだ。
 言いながら彼のしなやかな指が頬のガーゼを剥ぎ取る。

【猫】のものではありえない爪痕がくっきりと浮かび上がる白い頬。
 その痕を辿るように指先は頬を滑り、

「い、っ!」
「許さない」
「……っ、?」
「俺以外のやつに傷をつけさせるな」

 漸く薄く張った瘡蓋を剥がすような行為に生理的な涙が零れる。
 滲んだ血と混ざり合った苦い涙に唇を寄せ、見せ付けるようにしっとりと自分がつけた傷跡に舌を這わせる宇佐見。
 そこに官能的な色は全くなく、瑞希はじくじくと痛みを訴える頬から彼を引き剥がそうと圧し掛かる肩を押した。

「……もうやめだ」
「……?」
「『清く正しい交際』はもうやめてやる。……逃げるなら、壊すまでだ」

 その瞳には紛れもない【狂気】が宿っていた。

 ふるりと身体を震わせる瑞希を冷ややかに見下ろし、宇佐見は抵抗を示す両手首を一纏めにして上に掲げ、水分を含んで重くなったネクタイを外すと器用に手首を縛り上げる。
 シルク生地だけあって肌触りだけは良好だが、素材が高級なだけに絡まった結び目はどんなに抵抗しても緩まる気配すらない。

 下りてきた唇を避けようと顔を背けると、彼の指が傷痕を抉る。
 鉄の味のするキスに歯を噛み締めて抵抗するが、執拗に傷痕を嬲られて悲鳴を上げる寸前で舌をねじ込まれてしまう。

「っ、ふ……んっ、ゃ、んんっ……」
「……っ、は、……本気で、いや、なら……んっ、舌を、噛んで、みろよっ」

 ほら、と差し入れた舌で歯列の裏側をなぞられ、
 やれるものならやってみろ、とばかりに奥歯を舌先で突付かれる。

 濡れて張り付いた服の隙間から入り込んだお湯が熱い。
 服を着たまま圧し掛かってくる彼の掌から、唇から、舌先から与えられる熱はそれ以上に熱い。

 散々口の中を蹂躙した後、そのまま顎のラインを辿って唇が首筋に吸い付く。

「ちょっ、だめ……っ」
「まだわからないのか。お前に最初っから拒否権なんてないんだ」
「や、ぁ」

 キツく、そこを吸い上げられ声が洩れる。
 流れる涙は憤りのためか、それとも堪えようのない快感のためか。

「お前は、俺にだけ従ってれば、それでいいっ」
「や、……そんなの、いや……」
「俺の声だけ聞いて、俺に酔ってれば、それでいいんだ」


『幸也さんの声って、チェロみたいですね』

 まだ彼らが、『清く正しい交際』を続けていた時
 誘われて行った弦楽器のコンサートの帰り際、彼女は彼の声をそう評した。

 低く、響きのいいバリトン。

 時にそれは艶を孕んで甘く囁き、時にそれは怒りを含んで冷たく冴える。
 ヴァイオリンよりもヴィオラよりも、高低さのバランスに長けたチェロのような声だと…… そんな彼の声は耳に心地いいのだと、彼女は笑った。

 情事の際、彼のその【チェロ】は毒となる。
 相手の女性を一撃で仕留め、甘く溶かして己に全面服従させるだけのポテンシャルを秘めた、とてつもない威力の毒だ。

(彼の言う事だけを聞いて、彼にだけ酔ってる。そんなの……ただの人形じゃない)

「私、は……にんぎょ、じゃ、な……」
「ほぅ?……今日はまた随分とマゾヒスティックなことだな」

 くっ、と笑って朱色の痣に噛み付く宇佐見。
 痛みに仰け反る喉を両手で挟み、まるで吸血鬼のように執拗に噛み跡を残していく。
 普段眼鏡の奥に隠された瞳が、狂気の色に染まり捕食される哀れな獲物を映している。

「瑞希、この際だからはっきり言っとくが」

 宇佐見は一旦言葉を切って顔を上げた。
 荒い息をつく瑞希の傷ついた頬を両手で挟み込み、鼻先が触れ合うほどの距離に近づいて低く ──── 冷たく、宣告する。

「お前の脆弱な意思なんて、関係ねぇんだよ」

 瞬間、瑞希は呼吸をすることすら忘れた。



「……お前、バカか」

 風呂場で貧血を起こしてしまった瑞希を解放して服を着替えさせ、ベッドルームに運んでから宇佐見は改めて傷の経緯を尋ねた。

 大体の経緯は誠経由で聞いてはいたものの、瑞希の後輩に当たるという家同士が決めた名ばかり婚約者の思い上がった所業を聞かされると、溜息をつくしかできない。
 家同士の駆け引きの材料にされた婚約を、イコール将来の約束と受け取った女のバカさ加減にも呆れるが、その女に引っ掻かれた挙句彼から離れようとする恋人にも腹が立つ。

 バカか、バカだろう、バカ決定だ。
 と三段論法の如く追い詰めてやると彼女はしゅんと項垂れる。

 彼女の与り知らないところで、彼がどれだけ策を練り、罠を張り、ありとあらゆる権力とコネをフルに活用し、そうやって彼女を追い詰めていったのか。
 そんな『健気な』努力も知らずに、彼女はあっさりと手を放して逃げていこうとする。


「……とにかく、そいつのことはきちんと話を通す。これでいいな?」
「宇佐見さんは」
「…………もう一回啼かせてやろうか?」
「幸也さん、は。……それでいいんですか?」

 官僚たるもの、須く上昇志向が強いものだ。
 だからこそ彼ら、彼女達は【家柄】が良く【能力】があり【将来性】が見込まれる相手を選ぶ。
 それは何も今に始まったことではなく、
 古く、古墳を建てていた時代から受け継がれる慣習のようなもの。

 彼が今回あっさりと切り捨ててしまった件の女性は、性格等はともかく【家柄】は最高ランクに位置する。
【能力】や【将来性】など、そういった邪魔になる要素は政略結婚の相手には望んではならないものだ。
 自分の言う事だけを大人しく聞き入れ、何をしていようと黙って待っている女性……その点だけ見れば彼女は理想的だと言える。
 ただ、嫉妬深さと執着心は邪魔ではあるが。

 それを知っている瑞希は、それでいいのかと彼に問うた。
 の、だが……。

「お前、まさか自分の彼氏が【政略結婚しないと出世できない男】だと思ってるのか?」

 返ってきたのは、嘲笑だった。

 自分の力だけで伸し上がる、そこに血縁者以外の縁故関係は必要ないのだと。
 そこで血縁者すらいらないと言わない辺りが狡猾な彼らしい。

「だが、まぁそうだな……俺の実力に強力なバックアップがつけば今以上に出世が早かったかもしれないが」
「…………ですよね」

 彼女があの日彼を拾わなければ、互いに惹かれたりしなければ、彼は恐らく近い将来本当の意味で【人形】に等しい妻を迎えてエリートコースの階段を駆け上がっていただろう。

「……というわけだ」
「は?」
「俺の将来設計を狂わせた責任は取ってもらうぞ」

 どういう意味だかわからない。
 目を見開いて2,3度瞬く恋人の唇を柔らかく吸い上げ、宇佐見はシニカルな笑みを浮かべた。



 シャワーを浴び直す。
 そう告げて、ベッドルームを後にする宇佐見。
 もう瑞希も逃げる気はないのか、少しするとドライヤーの音が響いてきた。

 身支度を終えて部屋に戻ると、ドライヤーの音は止んでいた。
 いろいろあって余程疲れたのだろう、瑞希はベッドに頬を預けて眠り込んでいる。

 その頬には引っ掻かれた傷痕、首筋には無数の痣と噛み痕、手首には縛られた跡。

 我ながら随分とサディスティックなことをしてしまったな、と苦笑するしかない。
 普段クールだ理知的だと言われていても、一人の女が絡むとこうも理性を崩壊させてしまえるのはどうしてか。

「瑞希」

 耳元で名前を呼んでやると、無意識なのかくすぐったそうに身を捩る。

「瑞希、俺は」

 彼女の頬と同じ様に、彼の心も血を流していた。
 電源が切られた携帯電話、目の前から逃げていこうとする姿、たったそれだけのことなのに。
 それだけのことで、感情をコントロールできなくなるほど、彼女を

「俺は、お前を」

 たった五文字の言葉を告げてやれたなら、彼女の不安は取り払われるだろうか。



 どうあっても起きる気配がない瑞希を部屋に残し、彼は携帯片手にベランダに出た。

『……どうしたんですか、幸也にーさん。今頃お楽しみ中だと思ってましたけど』
「喧しい。そんなことより、前に使い勝手のいい便利屋を知ってると言ってただろ。すぐに手配できるか?」
『連絡を取ってみないことには何とも。ただ、迅速行動が基本ですから多分大丈夫でしょう』

 ライバルの暗殺ですか?と電話の向こうから従弟が笑う。

 その便利屋は、暗殺から諜報活動まであらゆる裏の仕事をこなすと評判らしく、余程無茶な申し出以外は依頼者の希望をとことん汲んでくれるという柔軟さをも持ち合わせているらしい。
 今回宇佐見が依頼したいのは暗殺という血生臭い仕事ではなく、暗殺未遂という仕組まれたテロ未遂行為だった。

 計画の内訳を聞いた誠は『面白いっすね、俺はそういうの好きですよ』と笑って返し、ひとまず連絡を取ってみるからと一旦通話を打ち切った。


 数分後、『了解、だそうです』とだけ書かれたメールに笑みが洩れる。

 瑞希に怪我を負わせた、挙句別れようとすら思い詰めさせた。
 そんなことをした相手など、殺してやってもいいほどだ。
 だがバックがバックなだけに下手に騒がれるわけにもいかず、だからこそ死ぬよりも辛い目にあわせなければと考えた結果が『暗殺未遂事件』の捏造だった。

 誠の言う『使い勝手のいい便利屋』にわざと彼女の親を狙わせる。
 予め調べ上げておいた彼女に想いを寄せる官僚候補がその現場に居合わせるように仕向け、彼が『命の恩人』になるように適当に便利屋に引き上げさせる。

 その官僚候補は宇佐見には劣るものの【家柄】はまあまあではあるが、【容姿】はお世辞にも魅力的とは言えない。
 だが、彼の優れた点は『上の人間に取り入るコミュニケーション能力』だ。
 彼女の親に上手く気に入られれば、あれよあれよという間に政略結婚の道筋が整えられることだろう。
 宇佐見のステータスと容姿に惚れ込んで擦り寄ろうとした愚かな雌猫に対する報復としては、中々上出来の計画に違いない。


「それまでには、こちらも地固めをしておかなきゃな」

 果たして、寸前のところでいつも彼の手をすり抜けようとする大事な獲物が大人しく攻略されてくれるかどうか。

【がんばってくださいねー】

 最新メールのそれの一つ下、あっけらかんとした従弟の声が今にも聞こえてきそうなそのメールを眺めて舌打ちひとつ。

「頑張れとか言ってんじゃねぇよ。うぜえな」


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