タイトルに偽りあり。ちっとも正しくありません(笑)
ストーリー内で出てくる水族館にモデルはありませんが、アイスは実在したそうです。
「ふぁ、……ぁ……」
「おいおい、朝っぱらからでっけー口開けてんじゃねぇよ。お前それでも年頃の女か?」
せめて手で隠せ、とすれ違いざま後頭部をパコンと叩かれ。
夜勤明けの女性刑事、榎本瑞希は恨みがましい目で朝からすっきり爽やかな先輩刑事を睨んだ。
「窪田先輩はやけにご機嫌さんですねぇ」
「ん?普通だろ」
「あれですか、今日は週末だし彼女さんと逢うとかでしょ?」
「当たりだ。……俺、そんなわかりやすいか?」
はい、と素直に答えると
彼は「そうか」と呟き照れ臭そうに俯いた。
瑞希の先輩であり刑事としての心得やらなにやら教えこんでくれた師匠でもある窪田刑事が、最近漸く『彼女』と呼べる存在をゲットした、という情報はあっという間に署内を駆け巡り。
今ではことあるごとにからかいの種として使われている。
『彼女』は本庁勤務の事務職員であり、以前この署にも顔を出した事のあるかわいらしい女性だ。
窪田はその彼女にほぼ一目惚れ状態でずっとわかりにくいアプローチを続けてきたのだが、それが漸く報われたとあって事あるごとに惚気たりしている。
今もきっと、定時後のデートが楽しみで仕方がないはずだ。
外見的には余裕でイケメンの部類に入る彼が、その彼女のことになるとデレデレとし始めてしまうのだから惚れこみ具合はかなりのものだろう。
瑞希は席についても落ち着かない先輩刑事の横顔をじっと見つめてから視線を外し、無理やり携帯の待ち受けにさせられた従兄の顔をかわりに眺めた。
くっきりした二重に縁取られた切れ長の双眸、その色はチョコレート・ブラウン。
シャープな頬のラインにすっと通った鼻梁、引き締まった口元、無駄なく筋肉のついた細い体に少し鼻にかかった低い声。
(先輩もイケメンだけど、こっちは相当ハイスペックってことか……うーん)
身贔屓だと言われてしまいそうだが、実際彼は美形と呼んでも差し支えないほどの容姿だ。
加えて、ほどほどに鍛えている所為か体格もいい。
そのハイスペックな従兄とは、とある事件をきっかけに一時は同居するまでの仲になった。
といっても、その時は彼にも戻れない事情があったらしく、その事件が公になった後はきちんと自宅に戻って行ったが。
『俺はここに住みたい』
彼は毎日のように瑞希の部屋へと足を運び、事あるごとにそう言って譲らない。
対して瑞希も、この部屋には二人も住む余裕はありませんといつもそれを跳ね除けている。
実際、彼所有のマンションは瑞希の部屋など比べ物にならないほどに広く、キッチン兼バーカウンターだけでワンフロアという贅沢なつくりになっているらしい。
そんな部屋に慣れた男が、偶々『拾われた』狭い部屋を物珍しく思っているだけだ、と彼女は頑なに意見を変えようとはしなかった。
つい先日、そんな態度に焦れた従兄が『そろそろ籍を入れたいんだが』と一足跳びに結婚を匂わせてきた。
さすがにそれは寝耳に水だったため、彼女は何事にも順序があると懇々と説明し、結婚もなにも正式なお付き合いすらまだじゃないですかと根本的なところを指摘してやったのだが。
彼は一瞬きょとんとそのブラウンアイズを見開き、次いで何がおかしかったのか喉の奥をくつりと鳴らした。
『それもそうだな。じゃあまず、清く正しいお付き合いから始めるとしよう』
その言葉を違えることなく、彼は日の高いうちに瑞希を誘い何度かデートに連れ出した。
そして『付き合い始めの恋人』らしく日の落ちる前に送り届け、それじゃあまたと去っていく。
その間、口説かれるわけでも迫られるわけでもない。
最初は何か企んでいるんだろうと警戒心を持っていた瑞希も、回を重ねるごとに従兄の態度にも慣れつつあった。
なし崩しにある程度仲が深まっていたこともあり、別れ際に少し寂しく思うことはあったけれど。
簡単に業務の引継ぎを済ませ、瑞希は帰途についた。
帰り際携帯をチェックしてみると、件の従兄……宇佐見幸也からメールが入っていた。
【明日の予定はどうなってる?】
警察庁キャリア官僚という立場にある宇佐見は、休みもほぼカレンダー通りだ。
何かトラブルが起きた時などは突然呼び出されたり急な出張が入ったりするらしいが、それ以外はごく普通に纏まった休みをもらうことができる。
対してノンキャリアの警察官である瑞希は、こうした夜勤や休日当番も含めてカレンダー通りとはいかない。
勿論、人手が足りなかったり大きなイベントがあったりすると真っ先に駆り出される。
宇佐見はそのカレンダーを考慮した上で、こうして時折予定を事前に訊ねるという紳士的なメールを送ってくるのだ。
【呼び出しがなければ暇です】
【それじゃ朝10時、迎えに行く。水族館に行こう】
「……幸也さんが、水族館?」
余りの共通点のなさに、思わず声に出してしまう。
彼から誘われるデートは、ショッピングだったり食事だったり映画だったりと色々だったが、
これまで、動物園だの植物園だの水族館だの、とにかく生き物が関わった施設には行った事がない。
とにかく、宇佐見幸也と生き物という構図が想像できないほど意外性抜群のお誘いだった。
ひとまず【わかりました】と返事を出して、迎えた翌朝。
これまでのスポーツカーではなく、行き先を意識したのかオシャレなミニバンに乗って登場した宇佐見は、普段よりも幾分か砕けた格好だった。
「あの、幸也さん、ですよね?」
「他の誰に見えるんだ」
「えーと……いえ、いいんですけど」
砕けた、と言ってもTシャツだとかポロシャツだとか着ているわけではない。
コットンシャツにジーンズ、というくらいだ。
ただいつもと違うのは、眼鏡のフレームが変わっていることと、革靴ではなくスニーカーを履いていることか。
「お前はいつも通り……でもないな。なんだ、この暑いのに長袖か?」
「え、あの、この前張り込みしてたら虫に大量に刺されてしまいまして」
跡が残っているから見せたくない。
そう主張すると、宇佐見は低く笑った。
「前もそんなことを言ってなかったか?つくづく虫と相性がいいんだな」
「……私に纏わりついてくるのは虫くらいだ、って先輩にも言われました。まぁ、反論できませんけど」
「それは心外だな。じゃあ俺は虫と同類なのか?」
意外な切り返しに、瑞希は首を傾げて言われた意味がわからないと示す。
いつもと違うブランドフレームの下、微かに眉を顰めた宇佐見は「いい加減忘れてるようだが」と前置きしてから
「俺はお前と清く正しいお付き合いをしているはずだよな?それを虫と同列に扱うとは中々いい度胸をしている」
そう告げて、深い溜息を吐き出した。
(そうだった。でも、ここまで清く正しいと忘れちゃうんだけどなぁ)
とりあえず距離感を元に戻してやる、とでも言いたげな宇佐見のその『清く正しい交際宣言』を、覚えていなかったわけではない。
ただ、それが日常になってしまうとどうにも以前の距離感と比較してしまい、恋人というよりは友人関係かもしくはギリギリ従兄妹同士の付き合いのように思えてしまっていた。
こうしてデートするようになってから、色めいたアプローチが全くなかったというのも理由のひとつだろう。
萎縮したようにすいませんと謝る瑞希に、宇佐見はもう一度溜息をついてからダッシュボードから取り出したものをポンと放り投げた。
「跡が残りにくいかゆみ止めだ。塗っておけ」
「…………今日の幸也さんは意外性の塊ですね」
「それは褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めてますよ。うん、多分」
多分かよ、と応える声に不機嫌さは残っていない。
ホッとしつつも、先ほど指摘された言葉が頭を離れずどこか落ち着かない気分になる瑞希。
ぎこちない空気を纏った彼女を横目でちらりと確認し、宇佐見はふっと口の端を上げた。
(自覚が遅いんだよ、全く)
週末の水族館はそこそこの混み具合だった。
カップルというよりは家族連れの姿が目立ち、あちこちで小さな子供がはしゃいでいるのが目に留まる。
一瞬だけだが、宇佐見が心底ウンザリとした表情になったのを瑞希は見逃さなかった。
「やっぱりやめますか?」
「いや……行くぞ」
覚悟を決めたというように歩き出すその背を、何の覚悟だろうと首を傾げながら追いかける。
余程観たいものがあるなら別だが、宇佐見がわざわざストレスを我慢してまで水族館で観たいものがあるというのも想像がつかない。
大方、せっかくここまで来たのだから引き返すのも面倒だ、という程度の理由なのだろう。
それとも、子供達を理由に引き下がるのはプライドが許さないとでもいうのか。
わいわいと騒ぐ親子連れの会話の端々から、もうすぐイルカショーが始まると知って
それならこの騒ぎも収まるかな、と瑞希はやや楽観的にそう考えていた。
そしてその数分後。
『間もなくイルカショーが始まります』
と館内アナウンスが流れると、それまで水槽を眺めては歓声を上げていた子供達が一斉に移動を始めた。
「…………嵐の後、って感じですね」
「民族大移動を見た気分だ」
「ああ、確かに」
顔を見合わせて溜息ひとつ。
「誰もいなくなったな。行くか」
長蛇の列が嘘だったかのようにガランとした館内を見渡し、再び【民族大移動】が起こる前にと宇佐見は彼女の背を押すようにしながら先を促した。
回遊水槽から海中トンネル、と特に感想も感嘆もなく通り過ぎた瑞希はしかし
【クラゲ】と書かれている一隅で足を止めた。
そこは、眩しい光の溢れる館内で一転暗いトンネルのような造りになっており、数多くのクラゲが薄明かりの中幻想的に……見えるように設えてあった。
人間達の思惑はともかく、クラゲ達はただゆらゆらと揺れているだけである。
「幸也さん、これ」
「ん?」
【エチゼンクラゲ】
その水槽にゆらゆらと浮いているのは、過去に何度かニュースで騒がれたことのある海の怪物。
どでかい身体とその圧倒的な数で漁師を困惑させたという、巨大なクラゲだった。
まさかブームが収まったと思ったら水族館に収容されていようとは。
横に書いてある学術的な説明を熱心に読んでいる瑞希を他所に、宇佐見は一歩距離を置いてその姿を見ている。
ぼんやりとクラゲと従妹を見ている彼の脳裏に、ふとどうでもいい情報が蘇った。
「そういえば……こいつを使ったアイスがあったらしいな」
「……は?」
「期間限定で通販されてたようだが、食ったヤツの話では中にごろごろと粗みじん切りされたこいつが入ってたそうだ」
「あ、粗みじん切り……」
完全に溶かしてエキスを混ぜるのではなく、バニラベースのアイスにぶち込むというのが斬新だ。
とはいえ、食べたいかと聞かれると速攻否定するだろうが。
(それ食べた人ってもしかして同じキャリア官僚とか……ありえる)
確かにどうでもいい情報ではあるのだが、目の前で揺れるこの海のお騒がせ生物がちゃっかり商品利用されているという事実と、それを娯楽に飢えているらしいキャリア官僚が食べたかもしれないという仮定に、妙に感心するやら頭痛を覚えるやら。
「コラーゲンがたっぷり入ってるんだろう?もし手に入ったら食ってみるか?」
「……遠慮します。……、でも」
「でも、なんだ?」
「…………日本人って、逞しいですね」
商魂逞しい、とでも言えばいいのか。
とにかく、ピンチをチャンスに変換するそのポジティブさは中々真似できない。
とかく、日本人はネガティブだの卑屈だの島国根性だのと欧米と比較されがちだが、こうした逆境を商売に生かす逞しさがあったからこそここまで生き残ってきたのだろう。
先程とは違い、穏やかな瞳で水槽を見つめる瑞希。
宇佐見は一歩近づき、その髪をくしゃりと撫でてやった。
「お前もそんな日本人だろ?」
「……逞しい、ってことですか?」
「ああ。特にこの二の腕辺りが」
「幸也さん、それはセクハラです」
(なんか……今日の幸也さん、やっぱりおかしい……)
優しくなったり、意地悪を言ったり。
これまでのように一歩踏み込んできたかと思えば、穏やかに一歩引いて『清く正しい交際』の関係性に戻ろうとする。
ただでさえ『結婚を前提とした交際中』なのだと意識したばかりなのだ、この彼のどっちつかずな態度が余計に彼女の心を惑わせていた。
「今日はありがとうございました」
そろそろ自宅マンションに着こうかという頃。
瑞希はいつものようにそう言って軽く頭を下げた。
デートというと立場的に対等だと思えるだろうが、車を出してもらった上に食事までご馳走になっているのだから、そこは礼を言ってしかるべきだろうと彼女は毎回こうして感謝の意を示している。
かわりに今度奢る、などと言い出してしまえば宇佐見は逆にプライドを傷つけられてしまうだろうし、散々嫌味で返されるのはわかっている。
「瑞希」
「はい」
「……少しは癒されたか?」
『偶には癒しが欲しいんですよ』
以前、デート中にそう零した事がある。
彼はそれを覚えていて、今日こうしてわざわざ自分は興味の持てない水族館へと誘った、ということらしい。
種明かしをされてしまえば色々と腑に落ちることも多いが、
それ以上に、彼の見せる気遣いがもやもやと落ち着かない気持ちを増大させていく。
「なんだ?なにか言いたそうだな」
「私は充分癒されたからいいんですけど……そこに幸也さんの癒しはあるんですか?」
「俺か?ご心配いただいたのはありがたいが、俺はそれほど疲れちゃいない。官僚ってのは給料が高いわりには暇な職業でな」
「や、それは全部の官僚に言えることじゃないと思うんですけど」
職種によっては、忙しくて寝る暇もないという官僚もいるだろう。
疲れ果て、もう嫌だと職務を放棄したくなる者だっているはずだ。
だが、それがほんの一部だということを瑞希も知っている。
大体は定時に始まり定時に終わる、休みはきっちりカレンダー通りかそれ以上。
仕事が残れば、それはノンキャリアへと回される
キャリアはノンキャリアの労力によって支えられ、その分【上】との政治的駆け引きで神経を使って行政を良くしていくのが仕事なのだ。
「…………なんか、不公平ですね」
「何言ってる。俺達は国家一種っていう難関を突破して上に立ってるんだ、当然だろう。まぁそういうわけだ、精々あくせく働けよノンキャリア」
「それ、酷いです」
「疲れたら、また連れて行ってやるよ」
囁くように告げられた言葉に、
端正な顔に浮かべられた笑みに、
ドクン、と鼓動が跳ね上がった。
『そこに幸也さんの癒しはあるんですか?』
(お前が隣にいるだけでいいんだ。…………なんて、言えるかよ……馬鹿)
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。