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(3)集落見守る避難タワー


お年寄り「すぐ行ける」 大紀・錦地区


津波の避難所として建設された錦タワー(三重県大紀町錦で)=尾賀聡撮影

 海と山に囲まれた狭い平地に民家が密集する三重県大紀町錦地区。約22メートルのタワーが周囲の民家の屋根を見下ろすようにそびえる。「錦タワー」は、津波の際の避難所として1998年に完成した。

 東日本大震災以降、全国からの視察が相次いでいる。これまでは年間で20回ほどだったが、震災後はすでに30回を超えている。被災地の岩手県を始め、北海道や青森県などから議員、防災担当職員らが訪れている。

 案内役の大紀町防災安全課の谷口三十二(みとじ)課長(56)は強調する。「避難所のほとんどは山際に設置されており、タワーのある地区からは橋を渡らないと行けません。その橋が落ちた時でも、避難できる場所を確保するためです」


 錦地区は67年前の東南海地震で大きな被害を受けた。「地震が起き、町民一同驚き戸外に飛び出す。十数分にして大津波が押し寄せた。溺れる者もあったが、如何(いかん)ともする(すべ)がなく、避難民はじだんだを踏んで泣き叫んだ」。大紀町役場に残されている「昭和大海嘯(かいしょう)記録」は当時のことをこう記述している。

 犠牲者は錦地区だけで64人に上った。ほとんどは避難が遅れて津波に巻き込まれた人たちだった。当時5歳だった谷口友見町長(71)も惨状を目にした。港に並んだ倉庫は原形をとどめず、船が何隻も陸に打ち上げられた。泥水でぬれた布団を掛けられた遺体が並んだ。悲惨な光景は今も目に焼き付いている。

 谷口町長は県内の建設会社勤務を経て、46歳で合併前の旧紀勢町長に当選。建設会社では防波堤や灯台などの建設にかかわっていたことから、「灯台のような避難所を建てられないか」と考え続けていた。「ダイコンをカッターナイフで切ってタワーの模型を何度も作ってみたりした」

 建設費用は約1億4000万円。議会の一部からは「いつ来るか分からない津波のために、そんなに金をかけるのか」などの反対意見も上がったが、「一人でも多くの命を救うためには必要な施設。東南海地震の悲劇を繰り返してはならない」と訴え続けた。

 錦タワーが完成してから、大きな津波は起きていない。それでも、台風や豪雨などの際には多くの住民が避難所として利用している。

 「一気に町がのみ込まれた恐ろしさは一生忘れられない。津波はとにかく高い所に逃げるしかない」。東南海地震の時、小学校6年生だった浅埜(あさの)佐也子さん(78)は、錦タワーのすぐ近くに住む。

 子供だった当時は、山の中腹にある寺まで一気に駆け上った。「今は足も悪くなって、そんなに走れない。でも、タワーまでならすぐに行ける。いつでも逃げられると思うとありがたい」とかみしめるように話した。

  NEW 錦タワー
 鉄筋コンクリート5階建てで、延べ床面積は約320平方メートル。東南海地震の津波の高さ6・5メートルを基準にしており、住民の避難所となる集会所は24畳で、高さ8・1メートルの2階にある。3階は東南海地震の津波被害の資料などを展示した防災資料館、4、5階も避難所で、救護室や展望所を兼ねる。毛布や飲料水などの備蓄倉庫にもなっている。


2011年8月1日  読売新聞)
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