首都圏反原発連合から大阪教育合同組合への回答メールをみて考えてみました(ちょと大事な追記有り)
http://twitnonukesosaka.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
団体の幟・旗について(大阪教育合同労働組合様への返信)
Date 2012/07/29/Sun 15:15 Category 関電本社前抗議
団体の幟・旗について(大阪教育合同労働組合様への返信)
7月20日の関電本店前で私達が呼びかけた反原発抗議行動において、大阪教育合同労働組合として抗議に参加されていた方々が掲げておられた「教育合同」と記載された幟について、当ブログにて呼びかけていた注意事項に基づくその場の判断で、TNN大阪のボランティアスタッフが掲げないでほしいとお願いしたことを発端として、次のリンク先に掲載のとおり、大阪教育合同労働組合様から、東京の首都圏反原発連合経由で質問状が届きました。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6e7e93070f2f2581a2d2058a224ae295?st=0
(本記事の最下部にそのまま転載させていただいております)
これに対し、私達の見解を整理して回答させていただきましたので、以下に公開致します。
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大阪教育合同労働組合の皆様
大阪教育合同労働組合書記長 竹林様
お返事遅くなりまして誠に申し訳ございません。先週金曜日にはせっかく関電前に来ていただいたのにも関わらず皆様に不快な思いをさせたのではないかと考えています。心からお詫び申し上げます。
竹林様からご意見をいただきましてから、当日現場にて皆様とお話させていただいたスタッフに事情を聞き、当日の様子を整理いたしました。そして、TwitNoNukes大阪のデモや抗議での、のぼりや旗についてのガイドラインを作成致しました。
◆経緯1(のぼり・旗について)
◆経緯2(シングルイシューについて)
◆のぼり等のガイドラインについて
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◆経緯1(のぼり・旗について)
7月20日の関電本店前抗議にて主催スタッフ2名はホームページにも記載されているガイドライン「反原発・脱原発に関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はご遠慮ください」に基づき、大阪教育合同労働組合様の「教育合同」という団体旗を降ろして頂くようにお願いしました。そこには「別の政治的テーマである<教育><労働組合>の団体の旗」と認識がありました。
私達は先週の段階では「反原発・脱原発に関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はご遠慮ください」とホームページに記述していましたが、実際には「原発に関する記述のない団体の名称のみの旗やのぼり」は、等しく下ろしてもらうようにお願いさせていただいておりました。
その際、皆様には「一般的には労働組合は政治的な活動とみなされているので、団体の旗を降ろして、個人として抗議してほしい」と説明させていただきました。しかし、これは2つの点で、大阪教育合同労働組合様に不可解に映ったかと存じます。
1点目は、大阪教育合同労働組合様の「組合旗」は政治団体の徴ではなく「団結の徴」として持ち込まれたのにも関わらず、ご遠慮をお願いした。
2点目は「教育合同」という皆様の組合旗を見て、こちらが勝手に「教育問題」「労働組合活動」という原発問題とは別イシューの「特定の政治的テーマ」を想定し、旗を降ろしていただく説明をした。
私たちのホームページ記載のガイドラインと実際の運用の齟齬がこのような事態を招いたと考えております。
◆経緯2(シングルイシューについて)
「一昨日の主催者の話によると、原発労働の問題だとか、先住民のウラン被曝の問題だとか、核燃料の再処理問題であるとか、原発利権=原子力村の問題だとか、そういったことも持ちこまれたら困る、ただただ<再稼働反対>のコールを上げることだけで集まっている、ということだそうです。」と竹林様の指摘にございましたが、このように受け取られた説明をしたとすればこちらの落ち度であります。
私達が掲げるシングルイシューというのは、原発に関わるあらゆる問題を含み、原発労働、ウラン、再処理、利権等々の問題も含んだ「原発問題一般すべて」を含みます。しかし、私達が主催するデモや抗議にて、団体の皆様が持参する「団体旗」を降ろして欲しいとお願いするのは、そのような原発問題から労働などの、重要なテーマを除外したいからでは決してありません。当日のスタッフの説明にも不備があったかと想像します。申し訳ございません。どうかご理解いただければ幸いです。
◆のぼり等のガイドラインについて
この件を受けて、のぼり・旗・プラカードについてのガイドラインを独自に作成致しました。
以上の経緯、そしてガイドラインをご覧いただき、参加の可否等をご判断していただければと存じます。
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TwitNoNukes大阪のデモおよび抗議における、のぼり・旗・プラカードのガイドライン
(1) のぼり・旗・プラカード等(以下、のぼり等)には、原発に関する文言をお願いします。一般的に原発問題に詳しくない人が見ても原発と直接関連が見いだせるようなのぼり等でのアピールをお願いいたします。のぼり等を降ろしていただいたり、片付けて頂くよう、現場でスタッフがお願いする場合があります。
(2) 団体名ののぼりや旗について
私達は、デモや抗議の場において団体名のみを記したのぼりや旗を歓迎しません。一目見て原発反対という意思表示、もしくは原発問題啓発となるようなのぼりや旗をお願いします。
*なお、市民団体などの団体の名称が、政治的テーマに関するものである場合は、(1)の場合に準じます。
これらはあくまでガイドラインであり、何らかの強制力を持ったものではありません。原発についてのデモや抗議に集まってくださっている人たちの間の、ゆるやかな約束事です。参加者の皆さまのご協力のほどを、どうぞよろしくお願いいたします。
=====
私達は脱原発運動におきましては若輩者です。
皆様には今後共、さまざまな形でサポートしていただければ幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
お返事にお時間いただきまして誠に感謝しております。
TwitNoNukes大阪
これを読んで、まずひとつ安堵したのは、シングルイシューとは「再稼働反対」だけではなく「原発問題一般」を含んでいると明言したことです。私的には旗よりもこちらの方が妥協できなかったので。
残念だったのは、大阪教育合同組合への回答の中に、何故組合名だけの旗をご遠慮いただくかの詳細な説明がなかったことです。
せめてその説明をしっかりすることが大阪教育合同労働組合に対する誠意ではなかったでしょうか。
結局首都圏反原連は旗に関しては折れなかったわけですが、それでもきちんと理由を説明するのとしないのとでは、大阪教育合同労働組合の受け取り方は違っただろうと思います。
私は、個人的にはやはり言い分としては大阪教育合同組合の言い分が正論だと思います。ですから、首都圏反原連の新ガイドラインは残念と言えば残念です。
もちろん、大阪教育合同組合の主張はよろしくないというご意見もあるでしょう。
でもこれは見解の相違であって、この程度の見解の相違で対立する必要は全然無いでしょう。双方とも、国民の草の根レベルでの民主主義を成熟させていかなくてはいけない、これが根本的な問題、という点で一致しているなら見解が異なってても問題ないと思います。
今大事なのは、首都圏反原連、大阪教育合同組合、どちらの言い分が正しいかで相手を「とことん論破」することではないと思います。
現実問題として今一番大事なのは反原発運動を分裂、反目させないで、より確かなものにしていくことです。
ですから、
首都圏反原連の主催するデモに参加するときは妥協して反原発の文言を入れた組合の旗を用意する、その代わり、組合名だけの旗でもokというデモが別途開かれたときは、首都圏反原連も共産党もこないだのように黙殺する形はとらない。
自分たち主催のデモとは別にこういう形のデモも開催されていますとちゃんと紹介する。
そして、うちは組合名だけの旗は遠慮していただいてるが、組合名だけの旗okというデモは別途こちらで開催中ですから、労組の方々は是非こちらのデモにもご参加を、エールを送る。
というように互いに反目しあうのではなく、別個に開催はするけど互いに認め合う、そう言う形が運動を大きくしていくのに今のところ取り得る一番良い方法なのでは、と私は思います。
首都圏反原連自身が組合名だけの旗でokというデモを開催しなくても、そういうデモの存在を応援して欲しいと思います。
もちろん私の提案が正しいと断言するつもりはありません。ひとつの提案に過ぎません。
世の中は数学のように最初から用意されたただ一つの正解が存在していて誰かが採点してくれるわけではありませんから、その時々で正解と思われるものを必死になって選択していくしかないですね。
<追記>
これを書いた後で、下記のエントリ-を見ました。
こういう予想以上の現実を見ると一筋縄ではいかない前途多難なものを感じます。
民主主義の未成熟さは想像以上に深刻。
ツイートはある程度差し引くとしても、もしここに書かれていることが本当ならば、民主主義を育てるはずのデモが逆に、「ルールに従わないヤツ」のバッシングを推奨するという全体主義を育てる前代未聞の皮肉になりかねません。
私にはこれ以上事実がわからないので何とも言えませんが・・・
↓
◆薔薇、または陽だまりの猫
首都圏反原発連合のサイトに 29日の逮捕者救援に関する記事が皆無なのは なぜ(追記7月31日)
◆ペガサス・ミラー
抗議デモの効果を決める二つの要素 — 人数とメッセージの強さ
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「リベサヨ」が「左翼」を排除してるんじゃないでしょうかね。
ごく最近ですが、思想的にはリベラルでありながら経済格差には無関心な人々の集団が、一部の人からリベサヨと称されています。
リベサヨは、労組とかを既得権益保持者と見なして嫌う傾向がありますからね。
そういう点においては、例えば共産党系の人とは対立するかと思います。
僕は、現場の空気を知っていて、えっへん、ごめんね、あなたよりも文章に精通しているから、コピーライターで何十年も飯を食っています、文は人なり、読めばすぐにわかります。
あなたが挙げている、反原発連合批判のブログには、その文章から、反原発に対する想いも、止むに止まれず立ち上がった有志たちへの愛も、まったく感じられない。反原発連合の方の弁明の文章からは、丁寧で、気弱な性格が読み取れる。
とにかく、いっぺん、反原発連合の方が、デモの現場で、どれほど汗をかいてるか、間近にごらんください。きっと、ああ誤解してたんだなあと、思うことでしょう。
ブログは、ヴァーチャルですよ。ツィートは、さらに輪を掛けている。もう流言飛語のオンパレードと思って、さほど間違いない。
葉月さん、愛だよ。言葉の奥にあるものを、嗅ぎ取らなきゃ。
私はのぼり自体 ない方が問題が起きにくいと思う
だってすぐのぼり見て案の定 左だ右だと即断する人ばかりなので
ところがデモ主催者の首都圏反原連は31日に釈放されるまで、逮捕、釈放があった事実をアナウンスするのみ。
釈放された今も抗議や声明は無し。
首都圏反原連のHPでも逮捕には触れられていないようです。
これではデモ主催者は不当逮捕されたデモ参加者を見捨てたに等しいです。
そして心さんはデモの現場で
「皆さん、警察は悪くありません!マナーを守ってください!警察官の誘導指示に従ってマナーを守ってデモをしてください!」
とマイクで叫び続けました。
(心さんにこういわせていたということはこれは主催者側の意思でもあったといえます)
「河野義弘@jossence
国会前。人の波で車道も開放される。主催の「マナーが悪くて残念です。警察が悪いわけではありません。」
のアナウンス。警察の過剰な規制が破られたという事実以上の問題が何かあったか?」
警察の誘導指示に従わなかったことが「マナー違反」「逮捕されても仕方ない」ことなのでしょうか?
これでは非難の矛先が不当逮捕、弾圧した警察に向かうのではなく、被逮捕者にむかいます
これは、逮捕する警察が悪いんじゃなく、逮捕される方が悪いのだ、というメッセージになりかねません(そこでは「警察は常に正義の味方、逮捕される方が悪いのだ」というお花畑なイノセントがバックにあります)
現にこういうツイートが。
「自分でヘタ打ってパクられたのなら楯突いた主催に保護を期待するのは甘え以外の何だと。
それでも弁護士が動いてくれてるんだから外野は静観でいいのでは?」
「アホが勝手なことやって勝手に逮捕されても救援とか一切する必要ないと個人的には思うけど、 ま、淡々と救援するってのもあるんですかね。ようわからん」
これが、権力目線の「統治主体意識」でなくてなんでしょうか。
私はデモの主催者側に民主主義意識、人権意識の未成熟を見る気がします。
これも私がこのエントリ-http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1020.htmlで指摘したこの反原発デモの最大の問題点「国民的な民主主義意識の未成熟」です。
やはり反原発デモの最大の問題点は(「左翼政党の魅力のなさ」などではなく)これだと思うのです。
今からでも遅くないですから首都圏反原連は、どうか不当逮捕に対する抗議と声明を出して欲しいです。
すぐに釈放されるだろうと思ってましたよ。逮捕したのは、デモ側の勝利気分に水を差すための、いわば、嫌がらせですよ。嫌がらせに乗って、どうするんですか。推進側は、デモ側の「暴力性」をフレームアップしようと、躍起になっている。それをあの手この手でかわしながら、抗議行動のボルテージは増長しまくる、首都圏反原発連合の中に、ソートーな智慧者がいるのではなかろうか。
紫陽花デモをはじめた、有志の方は、若く、言葉も貧弱ですよ。いちいちあげつらうのは、感心しないよ。藤波心というアイドルタレントが「言わされた」とは、なんたる言い草ですか。彼女は、その時、本当にそう思ったのだと思いますよ。エラい人の言う通りに動く人形なら、はなっから、デモに参加するわけないじゃないの。それくらいの想像力は働きますでしょ。
首都圏反原発連合は、総勢なら数百人の規模ですし、反体制運動の修羅場をくぐってきた人も交じっていますよ。どうぞ木を見て森を見ずということのないように、お願いいたします。
雨模様ながら夕日が水に映える大阪の街に、「ドッドドードッ ダア」とでも聞こえる大勢の人の歓声が聞こえ、胸騒ぎを覚えつつ(懐かしい!)近づくと、荘厳ささえ漂わせる立派な関電本社の玄関周辺を人々が取り囲むように占めていました。 抗議行動の終わり近くに主催者が発表したところ、参加人数は1500人(僕のカウントだと1000人弱?)。 一番玄関に近い場所に子連れのおかあさん、そして若い人たち、団塊世代、その他年齢層はいろいろながら、女性の割合は2、3割程度かと見ました。 欧米系の外国人も数人(アジア系は区別がつきません)。
「ドッドドードッ ダア」と聞こえていたのは、「サイカドー ハンッタイッ」 というコールの連呼でした。 およそ1時間半、コールは95%以上、「サイカドー ハンッタイッ」 ただ一つの連呼。 時折、呼吸が乱れた折に、別のコールに変えようとする試みをする人もいましたが、成功はせず。 「サイカドー ハンッタイッ」を延々と同じリズムでビルに向かって叫び、時折太鼓や鈴の「鳴り物」が聞こえます。
手には「再稼働反対」を中心とした、反・脱原発を訴えるカードを持つ人が数割と、あとは「原発の危険性を訴える横断幕が3つ4つ(学生集団と反原発団体)見える一方、労働組合を含め、その他の団体の旗、幟は目に入りませんでした。 ほとんどの人は徒手空拳(何ももたず)。
STAFF腕章の数人の男女は、雨に濡れながら、汗もかきながら、「通行する人に歩道を確保ください」「車道に出ないでください」と呼びかけ、「すみません、もうちょっと内側に入っていただけませんか」と、言葉遣いも丁寧に誘導していました。 彼らの使命は、周辺の人々(関電社員も含めて)に迷惑をかけず、また、悪い印象を持たせないこと(おそらくそれが、この抗議行動を継続なさしめる、最も重要なことだと意志統一できている印象でした)。
「なんとまー、お行儀のよい。 まるでUSJ かディズニーランドや。 法然上人と違うんやから、たまには違うことも言っていいやろ。 ここは、「シュプレヒコーーール!」「オー!」が欲しい。 関電に対してキツイことも言おうぜ。」 以上が僕の独り言。
周囲を観察もしてみたのですが、一人でドラムを打つ青年はおれど、「写真とったり手帳にメモしたりしてくれるオッチャンたち」(すなわち公安)の姿が見当たらない。 警官もおらず、予定定時の数分前に、金網の収容ボックス付パトカーがノロノロ威嚇?ドライブをしにきただけ。 終了予定時刻19:30になり、これから主催者らのスピーチや今後の行動提起があるかと思えば、あっけない解散で、小グループで来ている人たちは「流れ」もするのでしょうが、単身来た僕などはひたすら帰り道。 「原発の下の活断層」のビラを受け取りましたが、他はビラなし、誰かに声をかけられることもありませんでした^^; (集会の冒頭には、アピールの場など、設けられたのかも知れません)
現場に着いた時、全体の俯瞰と参加者のカウント^^; のため周囲を歩いていると、気になる集団がありました。 中高年男女の集団ですが、幟にはXX労組 とあり、それこそ、「再稼働反対」とは直接関係のない主張のプラカードも持っていて、その集団は玄関前からコーナーを曲がった、かなり離れた場所で、「独自の集会」をしていました。 結局、最後までその集団は独立していたように思います。 話でも聞けばよかったのですが、その集団こそが、本エントリーに関わる労組と似た存在 -幟の持ち込み、関連?主張の持ち込みで主催者と折り合いがつかなかった集団の一つだったかも知れません。
その時僕が感じたのは、忙しいかも知れないけど、折角関電前に集合したのだから、彼らも「サイカドー ハンッタイ」 に「も」加わってもいいのにな、という思いでした。
この「抗議行動」への初参加をさかのぼること数日、僕は秋原葉月さんに「コピペ」のご足労をかけた発言を「誰と連帯、共闘できるか」というテーマで、別エントリーでしていました。
(再掲恐縮ながら)
(a)6/29のような自由参加型デモのケース(を企画するケース)
誰とでもOK。
基本的に「原発再稼働反対」と、それに直接関連する事項のみを主張する。 例えば、「原発労働者の健康を守れっ」「使用済核燃料の対策とらんかいっ」とか、は含まれて良いでしょう。 しかし、特定の国家、政治団体、政党、企業、労働組合などの旗や個別の主張はご遠慮いただき、個人として参加いただく。 目標は、「原発再稼働反対」で一致する、一人でも多くの人の参加、とする。 一人でも多くの人に、その気持ちを表現する場を提供する、ということです。
(再掲おわり)
振り返ってみると、ほとんど前知識はなかったのですが、実際の大阪関電前抗議集会は、ほぼ上記と似ています。 ただし、日章旗を掲げるおじさんが一人いました。 見た限り、単独行動で、皆と声を合わせているだけの様子でしたが。 また、7/13の時点では、まさに「再稼働反対」のシングルイッシューでした。 現在の首都圏反原発連合は、「反原発」と直接関連するものは「主張」に含めているようですが。
(エントリーコメントより)「私達が掲げるシングルイシューというのは、原発に関わるあらゆる問題を含み、原発労働、ウラン、再処理、利権等々の問題も含んだ「原発問題一般すべて」を含みます。」
一方、翌々7/15 には、ある大阪近郊都市の駅前で開かれた「集会」にも行きました。 その「集会」は、地域のいくつかの団体が、それぞれの旗幟を持ち寄り、それぞれの代表が(に限られていたとは思わないが)アピールしあう、という、不特定多数というのではなく、むしろ「顔なじみ」グループの集まり、という感じでした(主催者には、開かれた集会という意図はあったと思います)。 主催者発表で150名(僕のカウントでは100名弱?)。 これも、行儀のよさではひけをとらず、デモなし、シュプレヒコールなし、歌は一つあり、というものでした。 アピールには、反貧困あり、教育問題あり、もちろん再稼働反対あり。
二つの「行動」に参加して、スタイルの違い歴然ながら、どちらも雨の中、あるいは熱射の中、自らの意思で自分を表現するために労をいとわない、という人々に、まず敬意を表します。 前者は、表面的といえばそうだけど、その胸奥深くまではさぐらない寛容さと広がりへの可能性を見せ、後者は、閉鎖的といえばそうだけど、再稼働反対→反原発→自らの生活と繋がる奥深い問題→ と、原発、再稼働の本質に目を向けます。 う~ん。 どっちも必要なのかな。 (正直、どちらもピタッとは来ない面があるのですが、自分が動かないで、エラソーなことは言えません)
さて、前置きは以上として(←おいおいおい^^;) 本論(短い)を述べます。
秋原さん(たち)が危惧される(と僕が受け取る)、(首都圏反原発連合が主導する)運動自体の発展方向への閉塞感と、運動体の分裂の危険性、さらには根底的な民主主義の未成熟を原因とする、この社会での根本問題の放置(または助長)の可能性について、僕はそれらの危惧を共有するものです。 あの小泉純一郎の「郵政民営化!」に歓声を挙げ、政権交代を特効薬として民主党政権を作り、「なにかやってくれる」橋下大阪市長を圧倒的に支持してきた人々と、いったい何が違うのか(どこまで騙されるねん)。 結局目の前のうっぷん晴らしと無責任な利己主義の前に、反原発運動も一過性のものになってしまうのではないか。 むしろ一歩前進、二歩後退の憂き目にあわないか? そう思ってしまうと、僕は苦しくなります。
しかし、デモに出かける、集会に参加する、たとえ「サイカドー ハンッタイッ」一つでも、自分の声に出すことは、(このプログへ発言すること以上に)勇気がいることだと思います。 「怖い」デモに参加してみた、参加してみたら怖くなかった、そのような体験は、個々の人間に、忘れがたき歴史として残るものではないでしょうか。 仮に首都圏反原発連合主導の運動が、反原発とい実効性に乏しい結果となったとしても、デモという手段に関わる住民が一人でも、一家族でも増えることは、日本の民主主義にとって敗北ではない、と思うのです。 人は変わる。 知識は人を変えるが、実践はもっと変える、のではないでしょうか。 多分、らせん状に。 同じところに戻っても、数ミリ高いところに。
もう一度、コピペいただいた過去の僕自身の発言から。
(再掲)
(自由参加型デモの) 目標は、「原発再稼働反対」で一致する、一人でも多くの人の参加、とする。 一人でも多くの人に、その気持ちを表現する場を提供する、ということです。
そして、それと同時に、なんら互いに矛盾も対立もすることなく、
(再掲)
できるだけ多くの人に、自分たちの訴えたい声を届けることです。 デモや集会に一人でも多く、とは必ずしも思いません(運動の過程で支持されるなら歓迎)。
という 場と機会を自分にできる方法で作るべく工夫する、ということになりませんでしょうか。
….個人的には、「反原発で一致」すら、やや早すぎるように感じます。 このまま、もう少し「再稼働反対」の表現の場をもっと多くの人に提供したい、というのは甘すぎるでしょうかね。 「15% 原発依存がいいが、今の再稼働はどうも、ね」の人たちは、「敵」ではないように思うのですが。 妥協できるものなら妥協を。 組合幟、団体旗に、夾竹桃でもひまわりでも、何か反原発のシンボルを貼ってでかけるテもありましょう(かわいいシンボル、欲しいですね、車にでも貼れるような)
実際に逮捕されるような事をしたかもしれない。
>>これは、逮捕する警察が悪いんじゃなく、逮捕される方が悪いのだ、というメッセージになりかねません(そこでは「警察は常に正義の味方、逮捕される方が悪いのだ」というお花畑なイノセントがバックにあります
これこそ「警察は常に権力者の飼い犬、デモ参加者が逮捕されたならそれは全て不法逮捕」というお花畑左翼ではないでしょうか。
不法逮捕と一方的に断定し、抗議声明を出さない主催者側は「民主義意識・人権意識が低い未成熟な連中だ」と非難する秋葉さんこそが権力目線な気がします
誤解ないように一言くわえますと「これは不当逮捕でない」と言ってるわけではないですよ
私も現場に居たわけでないので。
同意です。わたしも少しですが安心しました。
原発が止まったらあとは知らんふり、という醜悪な結末だけは何とか避けて欲しいと思っていましたので(^_^;)
それにしても
> 皆さん、警察は悪くありません!マナーを守ってください!警察官の誘導指示に従ってマナーを守ってデモをしてください!
いやはや、本邦で最強なのは「マナー」なのだなぁ、とつくづく思い知りました。「マナー違反」と目されたら
> アホが勝手なことやって勝手に逮捕されても救援とか一切する必要ない
と切断処理されても仕方がないと。
「(社会)運動殺すにゃ刃物は要らぬ。『マナー違反』と言えばよい。『迷惑至極』と言えばよい」
マナーよりも自由のほうがずっと大事だと思うんですけどね。
> BLOG BLUESさん
はじめまして。
> 愛だよ。
仮に問題があったとしても、少なくともその日一緒にデモをした人が警察に逮捕されたのに『自分でヘタ打ってパクられたのなら楯突いた主催に保護を期待するのは甘え以外の何だと。 』と切断処理(自分たちを「外野」と称して、完全に他人事ですよね)するのは愛なんですか?
愛してくれと求める前に、愛しますと、自分たちから示さなきゃ。
主催者側が一枚岩ではないのはそのとおりでしょうけど、それでも「主催した者の責任」と言うのがあるのでは?と思ってしまいます。
> 光の帆船さん
はじめまして。
> 自分達自身でデモを主催すれば良いでしょう。それが民主主義だと思いますよ。
それ”だけ”が民主主義ではありませんよね。今ある運動に対して批判をする、改善を求める自由も民主主義の一部です。
> たかさん
> 実際に逮捕されるような事をしたかもしれない。
昨日(7/31)、お二人とも釈放されたそうです。もちろん在宅のまま起訴される事もありえますが、逃亡、証拠隠滅のの恐れなし、公務執行妨害の内容も深刻なものではなかったことがうかがえます(暴行されたとされる機動隊員が重傷ならばこのタイミングで釈放はありえないでしょう)。
つまりそもそも「逮捕する必要があったのか」という疑いは現在も”生き”であると思います。
ところが先日、近所のやはり自営業の家の(例の同じ候補者のポスターを張っています)私より少し年上の奥さんから、放射線測定機を貸してほしいと言われました。最近、一人娘に初孫の女の子が生まれ、おばあちゃんになった人です。たまたま私の母が、彼女の姑に、私が測定機を買ったことを冗談交じりに話したのを聞いていたらしく、貸してほしいと言われました。私の住む町のあたりは放射線量はあまり高くはありません。去年買った測定機でもそれは確かめてあるのですが、彼女は若夫婦と赤ちゃんのために建て増しする部屋の基礎のコンクリートが心配なのだといいました。コンクリートの中に放射能で汚染された汚泥や汚染瓦礫が混じっていないかと気にしていたようです。貸してあげたらさっそく測って返しに来て、周囲の地面と比べても、むしろ低かったと喜んでいました。その時に食品の放射能汚染について、去年から心配して来たことをお互いに話しました。彼女の場合、妊婦であった娘や生まれてきた赤ちゃんのために気を使って来たのですが、夫や舅の前でそれを言うと、気にしすぎだと怒れらるので、あまり言えなかったと言いました。そして「あなたとはいろいろ話せそうだから、そのうちに遊びに来てね」と言われました。
もしかしたら、私は彼女にデモに参加したことを話すかもしれません。そしてもし、それを好意的に受け止められるようなら、一緒にデモに参加しないかと誘ってみようかとも思っています。
私などよりも、しがらみのない土地で、しがらみのない仕事に付いている人なら、もっと自分の理想に近い生き方が出来るのかもしれません。ネットの上だけなら誰もが理想主義者として生きることもできます。私自身もこちらではいろいろ、いかにも物のわかったような、生意気なことばかり言わせてもらってきました。(そのために先月のあるエントリーでは、一部の方たちから、悪い方に“買い被られて”しまったようです)しかし私の身の回りで実際に起こっているのはこの程度のことです。初めてデモに参加したあの日以来、私の中にはなんとなく、こうした落差についての不満な感じがずっと付きまとっていました。
ある人たちは、一部の「差別する心」を持った人たちとまで一緒にやるような脱原発運動では何も変えられないし、意味がないと言われました。でも、私たちのような田舎社会のしがらみの中で生きている女が、ささやかながらも自分の考えで“反体制”の運動に加わることは、それだけで一種の「革命」なのです。(少し前のデモでは、職場で脱原発で意見が一致して、一緒に来たという女性たちもいましたが、人によっては職種や職場の人間関係がしがらみになっている場合もあるでしょう)
秋原さんは、いつか、「原発もまた1パーセントの利益のために99パーセントが犠牲になるシステムだ」とおっしゃいました。私もそれは真実だと思います。しかし、この国ではその99パーセントの中のかなりの部分が、自分たちにとっては、ほんとうの利益にはならないのに、何らかの形で1パーセントの側のネットワークに絡み取られて「共犯者」にならざるおえなくなっている状況があります。
そして、デモに集まってくる人たちの中には、勇気を振り絞って、自身に掛っているこうした幾つかの「網の目」を外してやって来た沢山の人たちがいるのだろうと思います。「右に引きずられるとか、左を切り捨てる」とかいう話よりも、私にはそのこと自体が大切な気がします。一度でもしがらみを外した時、人は変わります。「一時のお祭りに参加して楽しかった」というようなことではおそらく終わらないでしょう。そのことはやがて、何かの形で現れてくると思います。少なくとも、長い間、もの言わぬ大衆の上に胡坐をかいてきた人たちにとっては、恐るべきことが起こっているのではないでしょうか。
不当逮捕ですよ。ですから、拘留がつづくようなら、支援運動を起こしたと思いますよ。首都圏反原発連合の中核は、3.11以前より、反原発・脱原発で闘ってきた人たちですから。
経験豊富だから、あ、これは、単なる嫌がらせだな、不当逮捕だと大騒ぎするのは、推進側の術中に嵌まるなと判断して、クールに捌いたのだと見ております。
野間なんたらいう人は、多分、まったくの有志で、そもそもの事の起こりである、平野とかいう人の、渋谷でデモろうというツィートに応えて参加して来た若者じゃないのかなあ。それが、官邸前という「晴れ舞台」に移りアッと言う間に巨大な国民運動となってしまったので、舞い上がってしまい、事態が把握し切れず、感情垂れ流しのツイートを発信しているだけでしょう。スルーされるのが、賢明だと思いますよ。
冷静に考えてみてください。国会周辺でのデモは申請許可を取るだけでも、すごく大変なんですよ。7.29なら、デモコースを設定して、ファミリーブースとかサウンドブースとか設けて、政治家や著名人のアピールの場を用意してと、んなこと、政治運動のまったく経験のない若者が数人でできるはずもないでしょう。
首都圏反原発連合には、総体として、とてつもない大きな愛がある。でなけりゃ、デモなんてしたことないという「善男善女」を10数万人も集められるわけがないじゃないですか。
1人、2人のツィートの言葉なぞに囚われて、全体像を見誤ることのないよう、くれぐれもお願い申し上げます。
「紫陽花デモをはじめた、有志の方は、若く、言葉も貧弱」ならば間違うことも多いでしょう、それに対する批判は決して「あげつらい」などではないと思います。
ところで、私は逮捕者(まず間違いなく不当逮捕でしょう)が出た場合、デモの主催者が何らかの形で素早く対応するのは当然のことだと思っています。
こちらをお読みください。私も同じ考えです。
●首都圏反原発連合へのメール 7.29逮捕事件について/ブログ・ひまわり活動記から
http://ameblo.jp/yukikoot/entry-11316901651.html
官邸見守り弁護団と首都圏反原連とは別個の存在ですから、主催者は主催者で何らかの形のアクションがあってしかるべきだったのではないでしょうか。それが主催者の責任ではないですか?
>経験豊富だから、あ、これは、単なる嫌がらせだな、不当逮捕だと大騒ぎするのは、推進側の術中に嵌まるなと判断して、クールに捌いたのだと見ております。
すいません、首都賢反原連にもいろいろな方がいると思いますが、批判したら「若く、言葉も貧弱だから責めるな」と仰る一方で「経験豊富だからクールに捌いたのだ」と仰るのはどうなのかな、と思います。
反体制運動の修羅場をくぐってきた方がいるのなら、そういう方が逮捕に対処すれば良かったのではないでしょうか?せめてその経験豊富な方が弁護士と一緒に接見に行くとか、HPでもツイッターでも「現在事実を確認中、確認でき次第おって首都圏反原連からご報告します。」という暫定的な公式声明を発表するとか、カンパの呼びかけを行うとか、イニシアティブをとってくださったらよかったんですけどね。
それもないまま次の予定の告知のみだったとは、残念です(これは野間なんたらいう一人二人のツイートの話ではありません。反原連全体としての対応です)
「経験豊富だから、あ、これは、単なる嫌がらせだな、不当逮捕だと大騒ぎするのは、推進側の術中に嵌まるなと判断して、クールに捌いた」というのがどういうことかいまいち解せないのですが、「推進側は、デモ側の「暴力性」をフレームアップしようと、躍起になっている。それをあの手この手でかわしながら、抗議行動のボルテージを増長」 させようという狙いがあってわざとなんの反応もしなかった、そういう作戦だったかも、とおっしゃるのでしょうか?
だったら私は承伏しかねます。
先ほどご紹介したリンク先にもありますように、逮捕された人にとっては青天の霹靂、大変なショックです。それを単なる嫌がらせだな、不当逮捕だと大騒ぎするのは、推進側の術中に嵌まるなと判断して、クールに捌くなら、そこには逮捕された人に対する思いやり、「愛」が全然見えないです。ショックを受けている被逮捕者を利用しているだけと言うことになりませんか?
>藤波心というアイドルタレントが「言わされた」とは、なんたる言い草ですか。
とのことですが、私の書き方が紛らわしかったですね、
「心さんにこういわせていたということは」
ってのは主催者が「言いなさい」と命令したという意味ではなく
「心さんに好きにいわせるがままにしていたということは」という意味です
そして、紫陽花デモが、どういうきっかけではじまったのか、調べてみてください。僕も、6.15のマスコミの黙殺を知って、6.22から参加しだしただけですが、一応、調べた上で、発言しております。
若くて、言葉が貧弱なのは「有志」の方。ソートーな智慧者は、3.11以前より、反原発・脱原発で闘ってきた方。そのように、僕は、見ております。
「陽だまりの猫」というHPは、この運動を、首都圏反原発連合にはまかせておけない。しかるべき組織・団体がイニシアティブを取るべきだと言う意見が既に現われていますが、そのような狙いに基づいたものでしょう。感心しないなあ。
これも、ネットで調べればわかりますが、もっとガンガンいこうぜという人たち、グループがおりますし、彼らは、逮捕覚悟だと思いますよ。デモの現場に行けば、あなたも目撃されると思いますが、もうウズウズしている人たちがおります。そういう人たちは、もちろん、最前線に躍り込みます。今回、逮捕されたのも、そういう方でしょう。青天の霹靂ではないし、ちょっとハネすぎたシマッタという思いはあるかも知れませんが、そんな目の前が真っ暗になるほどのショックは受けてないと思うがなあ。はなっから、警察に真っ向対峙で臨んでいますから。
で、デモは怖いと思っていた「善男善女」の方は、「サイカドー ハンッタイッ」の声も、おそるおそる出している。最前線に行くこともありませんので、逮捕される心配はありません。逮捕者が出たなんてニュースに怖じ気づかなくても大丈夫ですよ。
推進側の狙いは、まさに、そこにある。あなたが逮捕に拘泥すると、あなたの思いとは裏腹に、「善男善女」を怖じ気づかせるんじゃないかしらん。ソートーな智慧者もそう考えて、すぐに釈放されるのであれば、今回は事を荒立てないとの判断が働いたのではないでしょうか。それは、けしからんと、あなたが思うのは、あなたの正義感です。でも、ごめんなさい、ヴァーチャルっぽいよ。他の運動シーンでは、迅速果敢に抗議、支援した場合もあったんじゃないかなあと想像します。
紫陽花デモがすこぶる面白いのは、主催者側が、とことん従順なんですね。警察と一緒になって、一生懸命注意して廻っているのですが、参加者のほうは、もう物凄い数で勢いがついてますので、主催者側を乗り越えて行ってしまう。6.22も、6.29も、7.29も、すべてそうだった。その瞬間は、ほんと、エクスタシーだ。このエクスタシーを参加者に味あわせるために、敢えて従順にしているのかと思うほどだ。国家権力のメンツを三度にわたって潰した。うわははははは。ソートーどころじゃない、諸葛亮孔明クラスの智慧者かも知れない。
あなたも、エクスタシーを、味わいにおいでよ。ヴァーチャルに留まってないで。いい気持ちですよ。
まず前提条件として
他の国の当局側だと「暴徒化させたら負け」なのですが、この国では「暴徒化させたら(若しくは内ゲバを発生させたら)勝ち」なんです。
起訴がなされたら、社会的死を意味するこの国で、暴徒化なんぞをしようものなら、一般の方の支持なんて符号反転並みの勢いで無くなります。
なので、デモ隊のこの対応は正解といえば正解になります
(他の国では言語道断なのでしょうが…)
後逮捕者に関して何のアクションも起こさなかったというのは、「逮捕した人間はメインメンバーではありません」ということを警察に対してアピールすることになり起訴を避けるのに効果的になっているのではないかと思われます。
で、この対応を見て一番困っているのは実は当局側なのではないかと…挑発しても効かず、粛々とデモをされ、しかもけが人とかが出ないので、デモ隊を悪者にできないという…
従順な団体に解散を命じられるほど警察を縛る建前は腐っていませんので、この対応がベターなのかもしれません。
全ての脱原発派が満足するようなデモを主催するのは100%不可能です。従って、しつこく繰り返しますが、反・反原連の方々は自分達が正しいと思われるデモを自分達自身で主催するのが脱原発運動にとってベストだと思います。
別個に進んで共に撃つ!のが良いと思います。
お返事をいただきありがとうございます。
> クールに捌いたのだと見ております。
それはいいいのですが、逮捕者も一緒にクールに捌いてしまっていますよ。主催からはほとんど言及がなく、見捨てたようにも見えます。それでいいのか、と懸念しているわけです。
> 野間なんたらいう人は、(中略)スルーされるのが、賢明だと思いますよ。
うーん、彼は事故直後からずっとツイッターで反原発運動の情報発信をしていて、今は反原連のスポークスマンのような立ち位置にいるのかな、と思っていたんですが。
こちらでも「大活躍」してましたし。
参考→http://togetter.com/li/337529
「官邸前主催者の国旗認識」
> 政治運動のまったく経験のない若者が数人でできるはずもないでしょう。
うーん、そうでしょうか。むしろよくあるデモや政治集会からは一線を画すような形で、「政治運動の全く経験のない」からこそ出来上がった形態だと見えなくもないのですが。ご指摘のブース設営とか、音楽関係なんかのイベントの企画・運営を参考にすれば不可能ではないと思いますし。
> 首都圏反原発連合には、総体として、とてつもない大きな愛がある。でなけりゃ、デモなんてしたことないという「善男善女」を10数万人も集められるわけがないじゃないですか。
秋原さんの2012.08.02 ( Thu ) 14:21:11のコメントとずいぶん重複してしまうんですが、わたしは立て続けに大規模デモが起きていることを肯定的に見ていますし、なにも首都圏反原発連合を全否定しているわけでもありません。ただその運営のいくつかのに疑問があるだけです。その点最初に明確にしておかなかったのはわたしのミスでした。申し訳ないです。
で、愛があるのはわかりました。でもじゃあなおの事、その愛を逮捕された人たちにも向けてあげてよと思わずにはおれないわけです。
「木を見て森を見ないのは、事の本質を見誤る」とはその通りだと思いますけど、でも個々の「木」にもしっかりと目を向けてほしいだけです。しかもその「木」は人間なのですから。反原発は人間を大事にするところから出発する社会運動だと思っているので、そこを疎かにしたら運動の進む先がおかしなことになりはしないかと心配にもなります。
あと横レスで申し訳ないですけど
> 今回、逮捕されたのも、そういう方でしょう。
推測だけで決めつけるのはどうかなと思います。せめてそこら辺りは本人に確認した方がよくないですか?それもしないまま覚悟の上の自業自得で本人たちも平気だろうから無問題、はさすがにちょっと…。
逮捕で騒ぐと「善男善女」が怖気づくとおっしゃるのも、ちょっと承服しかねます。だってそれ逮捕者に「君が我慢すれば丸く収まる」って言ってるのとそう変わらないような気がします。運動全体の「無臭性」を保つために、逮捕者が出ても対応はしないというのならば、それは運動全体のために個々人を犠牲にすることもやむを得ないという「切断処理」を肯定しているようにも読めますし…。
> こっぱなお役人(北方在住)さん
うーん、救出アクションを起こさない事で、逮捕者を守った、ですか…。
そういう意図があったにしても、秋原さんが言うような「『現在事実を確認中、確認でき次第おって首都圏反原連からご報告します。』という暫定的な公式声明を発表するとか」はできたんじゃないかな、と思うんですが。ほとんど全く言及なしでないと意味がないと判断されたという事ですか?
だとしたら、この国の現状に暗澹とするしかないのですが。警察の横暴や「一般人」の支持を集めるためには過剰なぐらいにお行儀よくしなければいけなくて、もし「不祥事」やちょっとしたつけこまれる隙があれば、それがデモの参加者であろうと「切断」しなければ社会運動が維持できないとしたら、もう民主主義を名乗るのもおこがましいんじゃないかと思います。もちろんその「暗澹たる状況下」で必死に網の目を縫うような運動をされること自体を否定はしませんけども。
あと困ってるんですかね、当局。
「この程度ならガス抜きにしかならんだろうし、適当に囲い込んどけ」とタカをくくってる(むしろそうならありがたいですが)か、「じゃ嫌がらせをもっと激しくやるか」と手ぐすね引いてるか(これはやめてほしい)のどっちかだと思ってるんですけども。
すみません、悲観的な人間で(笑)
> 光の帆船さん
上でもすでに書いていますが、わたしは「反・反原連」という立場ではありません。彼らの運動は肯定的に評価しつつも、危ういところやおかしなところを指摘しているという立ち位置です。いきなり否定から入ったので「全否定している」と思われたのでしたら、それはわたしの至らなさ故で、大変申し訳ありませんでした。
あと、100%の満足を求めているわけではなくて、ここを疎かにすると運動の根幹自体が危うくなるんじゃないの?という思いがあって、今回の逮捕とそれに対する主催側の対応に言及しました。理由は上でも書きましたけど、反原発とは無用の放射線被害を今後誰にも与えない事を目標としている、人間を放射線被曝から守る運動だと思っていますので、根本のところで人間を大事にできないのでは、それこそ反・反原発あたりから「偽善」と揶揄されても仕方がなくなってしまうのではないかと、危惧しているわけです。
でもまぁ、おっしゃる通り、反原発がひとつの運動体によって担われなければならないなんて決まりはどこにもないのですから、個別に運動を展開するのも一つの手段でしょうね。
何らかのリアクションを起こした時点で、主催団体と関連ありと判断され、この手(無関係を装う)は使えなくなりますから、「完全無視(言い方を変えれば切断)」しか手段がないと思われます。
後、困っているかという点においては、金曜日にやられるというのが一番いやらしくて、国会対応中の中央省庁勤務の方々にしてみると、週末でやっとおうちに帰れると思ったら、交通手段がデモで封鎖中は効くと思います。
(おうちに帰れないという意味で)
逆を言うと、水曜デモは全く効いてい無いと思われます。
(どうせ国会対応で帰れ無いので…)
HP等で紫陽花デモが、どういうきっかけではじまったのか、調べて欲しいとのことですが、私は彼らがどういう経緯や思想を持った人々かではなく、反原連として活動を始めてから何を言い何をしたか、即ち、行動そのものを判断の対象にしたいと思います。
今回も「参加者から逮捕者が出たのに他人事のように動こうとしなかった」という客観的事実を批判の対象としています。
逮捕された人が跳ね返りたくてウズウズしてた人ではないかと、ある意味都合良く推測するはいかがかと私も観測霊さん同様思います。
仮にそうだとしても、ほっといていいことにはなりません。
私がご紹介したひまわりさんのエントリ-にも書いてありますが、それは参加者(普通の子連れのお母さんも見えますよね)に対し「もしあなたが逮捕されても主催者は見捨てますよ」とういメッセージになります。
私は逮捕されたのがどんな人であれ、逮捕されたのを放置することで利用するような「戦略」には賛成できません(反原連の人々がほんとうにそんな戦略を持っていたかどうかは知りませんが)
>あなたも、エクスタシーを、味わいにおいでよ。ヴァーチャルに留まってないで。いい気持ちですよ。
私は大規模デモで感じる一体感、高揚感を素晴らしいものだ評価する一方で、それに酔いしれるのは危険だ、自分の中で常に3割は冷めて自分を客観視しなければならないと自分に言い聞かせるタイプです。
エクスタシーを味わうのが目的ではなく、原発を」廃止するのが目的ですしね。
首都圏反原発連合の方は、もう「善男善女」を守ろうと、警察の手先と罵倒されながら、エクスタシーを感じたくてウズウズしている人を一生懸命押しとどめております。これも、現場に立てば、ご自分の目で確認できることです。くり返し、お願い申し上げます。あなたの憶測で以て、首都圏反原発連合の方が、デモ参加者を見捨ててるなんて、事実に相違した、それはデマゴーグというものです、発言をなさらないでください。
首都圏反原発連合側にすれば、逮捕された方を、ある意味デモ破りの方です、なんてバカな真似をしてくれたんだと、愚痴のひとつもこぼしたくなるのは、人情として当たり前ではありませんか。解ってあげられませんか。それでも、彼らは、官邸前弁護団に事後を託し、逮捕者を救出しました。「善男善女」を怖じ気づけさせることなく、推進側の計略を撥ね除け、紫陽花デモを頓挫させることなく、今日もやります、つづけていくのに、他にどのような手段があると、いわれるのでしょうか。ブログ主様も「観測霊」も、あまりに無慈悲であり、無責任だ。僕は、あんなに一生懸命やっている首都圏反原発連合の方が、可哀想でならない。
紫陽花デモに関し、僕は、「スローなデモにしてくれ」の他にも、いくつかエントリをUPしております。そこで言及しておりますが、いちばん大切なことは、原発事故を風化させないということです。推進側は、風化を狙っている。水俣の支援活動で有名な美緒子・スミス氏の「水俣と福島に共通する10の手口」は、お読みになっていますよね。もし読んでなかったら、上述の僕のエントリで紹介してますので、お読みください。
紫陽花デモは、10の手口の中の、就中、7を打ち破るものです。僕も、そして、多くの「善男善女」も、それが、いちばんのモチベーションでしょう。エクスタシーは、それに対する、神様からのご褒美じゃないかなあ。それはもう、素敵な贈り物です。ぜひ、あなたも「観測霊」も紫陽花デモに参加され、ご一緒に、7を打ち破りましょう。
最後に、もう一度だけ、お願いします。福島の方は、心の底から、首都圏反原発連合の方の行動に感謝していますよ。その行動が、合点のいかないものであれば、あなたが合点のいく行動を起こし、福島の方の希望となってください。よろしくお願い申し上げます。
……
社会不安が一部労組の険悪な気配や無節操な挑戦的態度によって挑発されていることは見逃しえないところであり、これは主として共産主義者の煽動によるものである。共産主義者の意図するところがどこにあるかはとりたてて追及するにも及ばぬが、あらゆる機会をとらえて人心の不満と憎悪をあおり大衆をかりたてて、暴力行為に出でしめんとするのが、彼らの常用手段である。彼らは盛んに流言を飛ばし、直接行動だの人民革命などとふれまわって、民衆をおどかしている。……虚為とテロが彼らの運動方法なのである。
……
虚為とテロが≪彼ら≫の運動方法なのである。
≪彼ら≫が誰だったのか!?
よく考えてみよう。
初めてなのに,こんなことは申し上げにくいのですが…↓↓↓
本題と関係ないことで恐縮ですが,相手があなたさまのことを「さん」をつけて丁寧に呼んでいるのに,その相手を何度も「 」付けで,さんなしの呼び捨てになさっているのは,なぜですか?
一回ではないので意図的だと思ってしまうのですが,単なる読者にとっても,読んでいて感じ悪く思えてしまうので,,,フツーに丁寧語で対応して下さいませんか?お願いします。
特に、この記事でのBLOG BLUESさんのコメントを拝見して確信しました。
あの人たちがやりたいのは、本当は「脱原発」なんかではない、その場その時に叩きたい相手を探しだして吊るし上げにして憂さ晴らしをしたいだけなのではないか、今ちょうど「脱・原発」といえば多くの人の賛同を得やすいから、スケープゴートととして「原発」が最適だったからにすぎないのではないか。
ネットウヨクのデモでいう「すごい一体感」と本質的な違いはないのではないか。
要するに、「鬱憤晴らし言論の自由×引き下げ民主主義=破壊的全体主義」。
以上の見方には「言い過ぎだ」というご批判もありましょう。
わたしとしては、特に今回の反原連やその他の脱原発デモに対しておぼえた違和感は2つあります。
一つは「右も左もない脱原発」。
原発にはわたしも否定的です。
それは、原発の立地によって地元の経済的自律権を奪い、地域経済を長い目で見れば停滞させることになるからです。また、原発労働が必然的に非人道性を帯び、労働者の権利と健康を脅かすからです。さらに、原発事故によって周辺住民の財産と生活を破壊するだけでなく、故郷に暮らすという権利すら半永久的に奪うからです。そして、国土を荒廃させ、環境を破壊するからです。
これらは、長年、リベラル派または左派が国家権力に対して守るように要求してきた市民的権利に根ざすものです。こうした市民的権利を一貫して軽視してきたのは保守派です。だから、保守派から脱原発というとき、彼らの主張が何を拠り所にしているのか、わたしには今ひとつしっくり来ません。仮に右派と左派が同じ脱原発で運動を共にしても最後は同床異夢で終わるのではないかと思っております。
これは勿論わたし一人の意見にすぎませんが、脱権発は、市民的権利を寄りどころにしなければならない、そうでなければ運動そのものの方向性を見失う、だから、「右も左もある」のです。
もうひとつは、今回のデモを主催した人々、また参加した人々の大部分の覚悟のほど。
民主国家においては、国策に反対する権利が国民にはありますし、また、デモなどの反対運動をする権利もあります。しかし、それは同時に、国民が選び支持する政府に対して反旗を翻すことでもある、ということを自覚しなければなりません。政府だけでなく、国民の大多数を敵に回すことも覚悟しなければならない、ということです。つまり、こういうデモに主催したり参加した時点で「善良なる無辜の市民」ではいられない、ということです。
外国の例を見ても歴史的に見ても、警察も軍隊もこういう相手には容赦はしません。無辜の市民にあらざる者を逮捕し殴り倒すことに対して、制度的にも心理的にも彼らには何らの障碍もないからです。
今回はたまたま、警察に対して挑発的態度をとった人々が検挙されたようですが、次のときには,警官隊の楯がその他の参加者を押し倒さないという保証はどこにもありません。
今回のデモの主催者は、参加者の一部が拘束されたことについて「警察は悪くありません」と言ったようですが、自分たちのしていることに自覚があるのか、そして覚悟ができているのか、疑問を禁じえません。
結局、今回の反原連その他の団体のデモのようなやり方は、政府や財界の期待するとおりの「ガス抜き」に終わるのではないかと思っております。彼らの真意は測りかねますが、「脱原発」をどう進めるか、また、どうやって次の資源を開発するかという方向性を見出し得ないまま、結果的には、すべてがお祭り騒ぎの中で押しつぶされ、原発推進派を利することになりはしないでしょうか。
勿論、反原連が運動を展開することが禁止されるべきではありません。また、参加しない者が妨害してよい理由はありません。
しかし、労働組合やリベラル派は、彼らの運動とはもはや一線を画するべきときが来たのではないでしょうか。
この記事とコメント欄の皆さまのやりとりを見て、わたしにはそう思えてなりません。
だからこそ、それが、読み手に伝わるように、わざわざ「 」を用いております。これは、決して、あなた様を呼び捨てにしてるのではありませんよ。コードネームとして正当に扱っているのですよという、僕のメッセージです。僕は、5年以上の長きに亘って、ブログをやっております。ずっとこの流儀で通しております。
ただ、よほど親しくなった場合、たとえば「ミクロネシア島より」を「かわいいスーちゃん」と記したりは、します。が、そうでない場合は、HMを用意した方の意思を尊重し、「 」を付けて、相手が自称している通りに、HMを記しております。本名で呼んでくださいと仰られるなら、様づけ、またはさんづけでお呼びします。「秋原葉月」は、HMだと認識しておりますので、「 」づけで記しております。
逮捕されたら・・・ですか。6月22日のデモに参加しようと思った時、私も一応そういうことは考えました。数としてはあまり多くはないようですが、去年の脱(反)原発デモでも時々逮捕者は出ているようだし、官邸前ではまだ聞かないけれど、もしかしたらそういうこともあるのでは?と思いました。もっとも、通常逮捕されるのは左翼の運動家として既に知られている人か、目立つ動きをして警察からマークされている人というようにも聞いていますので、人生初めてのデモに参加する田舎のおばさんが逮捕される確率は極めて低いだろうと思ってはいました。
でも、あの頃は徐々に参加者を増やしていくデモに政府や推進派が苛立ちを募らせているのではと思っておりましたので、ひょっとして何かが起こらないとも限らないという気がして、正直、少しこわいなと思っていました。まさか、いきなりの「警官隊による弾圧」なんてことは、さすがにこの国ではあり得ないとは思いましたが、たとえば、推進派の手先になった「右翼」による暴力事件が起きたり、あるいは参加者に紛れ込んだ扇動者による過激行動と、それに対する警察の弾圧に巻き込まれたりしたらどうしようとか・・・みなさんには笑われるかもしれませんが、マジでそこまで考えていました。(だからあの時、在特会が現れたというだけで、なんだかひどく嫌な気がして、後で同じ「右翼」である「右から考える脱原発ネットワーク」の人たちが彼等と対決して、自分たちの側に逮捕者を出しながらも、結果的に追い払ってくれたような形になったらしい事に喜んでしまったのです。そして、こちらにも「右から考える脱原発」について好意的なコメントを書いたために、一部の方たちから誤解されて、秋原さんにもご迷惑をかけしてしまいました)
だから、何かあったらすぐに逃げ出せるように、履き慣れたスニカーにザックといういでたちで出かけました。もし、何かが起こったら自分で自分の身を守るしかないと思っていたのです。でも行ってみたら、みなさんスタッフの方の注意をよく守り、極めて平和的なデモだったので、ホッとしました。これなら自分のような者でも何度でも参加できるだろうと思いました。
ちなみに、万一、逮捕されたら主催者側が救いの手を差し伸べてくれるだろうという発想はありませんでした。かつてのデモのことは知らないのですが、そういう慣習があったのでしょうか?(私は60年~70年頃のデモはテレビ映像と、話に聞いただけの世代ですので、詳しい事はほとんど知りません。また、その後にも時にはあった様々なデモにも参加したことはありませんので、そういうことが慣例になっていたのかどうかも、わからないのです)
たしかに、参加者が特定の集団に限られているようなデモならば、そういうことも可能かもしれませんし、人情としてもそうするような気もします。しかし、10万人からの自由参加では、主催者側にもどのような人たちが集まって来るかは見当もつかないでしょう。そのすべてをフォローするのは、ちょっと不可能ではないかと思うのですが。結局、主催者側の人たちに出来ることは、参加者が暴走しないようにひたすら呼び掛けるしかないような気がします。
かつての、激しく「闘う」デモに参加した人たちには、このようなデモは物足らない感じがするかもしれませんが、私は現在、行われている脱原発デモはこれでいいのではないかと思っています。
最近、「市民的不服従」という言葉を知りました。これはどこまでも非暴力を貫く抵抗運動ということで、「平和でいいな」と初めは思ったのですが、読んでみると、その実践は逮捕(虐待)も覚悟の上ということで、「闘う」以上に覚悟のいることのようです。
Wikipadia 市民的不服従より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%9A%84%E4%B8%8D%E6%9C%8D%E5%BE%93
(左のカラムを見ると、この言葉は世界の多く言語で解説されています)
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市民的不服従の理論と技法 [編集]
市民的不服従を積極的な仕方で表現するときには、ある種の法律にわざと違犯することにもなる(例えば、スクラムやバリケードによって移動を妨害するとか、軍事基地を不法占拠するなど)。抗議者は自分がその行動によって逮捕されることになるだろうし、場合によっては当局から攻撃を受けたり殴打されることになるとも予期しているが、こうした非暴力的な仕方で市民的不正行為を実行するのである。逮捕や攻撃をされた時どう反応すればよいのか、抗議者があらかじめ訓練を積んでおくことも多い。そうすれば、いざという時取り乱したり思わぬ行動を取ったりして当局に脅威と思われてしまう恐れがないからである。
例えばガンディーは概略次のようなルールを定めていた。
1.不服従者は何があっても怒らないこと。
2.相手の怒りは我慢すること。
3.そのせいで暴行を受けることがあっても抵抗せず、仕返しもしないこと。どれほど殴られたり虐められたりしようが、怒りのもとでおこなわれた命令には決して従わないこと。
4.当局から逮捕されそうになったら、文句を言わず逮捕されること。たとえば当局が自分の財産を押収しようとしても抵抗せず、当局のするにまかせること。
5.他人の財産を預けられているときには、決してそれを当局に引き渡さないこと。そのせいで命を失うことになっても、絶対に反撃しないこと。
6.悪口を言ったり罵ったりしてもいけない。
7.したがって相手を侮辱してはいけない。隠語や新造語のたぐいでもいけない。
8.イギリス国旗には敬礼しない。けれども国旗や英・印の役人に対して侮辱することもしてはいけない。
9.闘争の最中に役人が侮辱されたり暴力を加えられることがあったら、命を賭けてその役人を守ること。
ガンディーは彼の非暴力抵抗運動と、西洋の受動的レジスタンスを区別していた。
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現在の日本の脱原発運動で、一般参加者にここまでの覚悟が必要になるとは、とりあえずは思えませんが、その精神だけでも、少しは頭の隅に置いておこうかと思います。
>あなたの憶測で以て、首都圏反原発連合の方が、デモ参加者を見捨ててるなんて、事実に相違した、それはデマゴーグというものです、発言をなさらないでください
逮捕された状況がどんなだったかの発表が弁護士や反原連からありましたか?(私が見落としているかもしれませんが・・)そうでない限り私も他の人も「事実を正しい目」でどうやってみればよいのでしょう?
デモに参加してたからと言って逮捕の現場に立ち会うとは限りませんし。
繰り返しになりますが、逮捕者が出たら主催者としてなんらかのアクションをとるべきというのは、反原発デモに限らず主催者としての責任だと考えています。もし反貧困デモで逮捕者が出たら主催者は動くでしょう。麻生リアリティツアーで逮捕者が出たときも主催者はちゃんと動きました。
せめて公式発表する程度の主催者の責任は果たすべきという当たり前の批判が、なぜ「無慈悲であり、無責任」なのか、私にはよくわかりません。
それから、これも繰り返しになりますが、私は反・反原連という立場ではありません。大事なところをきちんと押さえていかないと、今後反原発運動がただのガス抜きになって先細りしてしまうのではないかと心配し、是々非々で批判すべきところを批判しているだけです。それは観測霊さんも同じだと思います。
> 何らかのリアクションを起こした時点で、主催団体と関連ありと判断され、この手(無関係を装う)は使えなくなりますから、「完全無視(言い方を変えれば切断)」しか手段がないと思われます。
それはひどい。こっぱなお役人(北方在住)さんがひどい、というのではなくて、その現状がとにかくひどいなと思います。
つまるところ警察の不当な弾圧が既定の前提とされ、誰も異議を唱えられないままそれを「所与の現実」として、主催者さえそれを「内面化」する事でしか「社会運動」が成り立たないのだとしたら、こんなにひどい事はそうはないだろうな、と思います。
BLOG BLUEさんも、この「弾圧の内面化」をしながらデモを運営している反原連の苦労や葛藤を解ってほしいという事なのでしょうけども、その「所与の現実」そのものがおかしいのです。警察はデモに厳しいです。それは確かに現実です。でも警察にデモを弾圧する権限など与えられていません。交通規制などの延長としてなし崩し的に、「慣例」的に行われているにすぎない。これもまた現実です。
現実に即して社会運動を続けていくのは確かに大変でしょう。でも、だからといって法的にも明らかにおかしな現実を「所与の現実」として「弾圧を内面化」するのは、警察側に「これでいいのだ」と言うお墨付きを、市民の側からわざわざ与えてやることに他ならないのではないか。今後同じような大規模な社会運動が起きたとき、それがその「所与の現実」の前で頓挫することはないのか。そして警察が現状を維持してくれる保障がどこにあるのか。弾圧を内面化することで、弾圧の強化にもお墨付きを与えてしまうのではないか(わたしは警察は総体として法と正義に基づく組織だと思っていますし、個々の警察官に悪い感情があるわけでもありません。ですが「国家組織」として警察が振舞うとき、そうした信頼がこれっぽっちも報われないことがあります)そういう不安がわたしにはあるのです。
> BLOG BLUESさん
言いたいことは、もうほとんど秋原さんが言ってくださったので、わたしも付け足し程度に。…結果的に長くなりましたが。
> 首都圏反原発連合側にすれば、逮捕された方を、ある意味デモ破りの方です、なんてバカな真似をしてくれたんだと、愚痴のひとつもこぼしたくなるのは、人情として当たり前ではありませんか。
そりゃあ愚痴のひとつも言いたくなるでしょうけど、「官邸前弁護団に事後を託し」というのも一切根拠なく(反原連も「官邸前弁護団」もそのような事は一切言明していません)おっしゃっておられるので、こちらとしては「なんでそんなことが言いきれるんだろう」と首を傾げるしかないわけです。
もしこっぱなお役人(北方在住)さんのおっしゃるように「警察の追求をかわすために」徹底した秘密主義的運営戦略が反原連にあるのなら、なおの事どうしてそれを知り得るんだろうと、やはり不思議なわけです。もしかしたら反原連の中枢に近いお立場でいらっしゃるのでしょうか?
もちろん反原連がそうした「高度な」意図でもって今回の逮捕事件にノーリアクションを貫いたという可能性はゼロではありません。
ですが、そうなると、まず第一にそうした秘密主義的な運営が多くの「善男善女」が参加する社会運動にふさわしいのか(「開かれている」というのは民主主義の基本です)、という疑問が生じます。そして秘密主義を貫くならば「不作為」「見捨てた」という批判は、筋論として甘受すべきです。もちろんBLOG BLUESさんが彼らを代弁する事自体は自由ですが。
第二に、それは「善男善女」が逸脱者に対して、なんら救済をする必要がないという新しい(あるいは既にある)「所与の現実」を(再)構築してしまうと言う問題が生じます。
特に第二に関しては、たとえば死刑へ賛成する人がこの国では8割に達し、推定無罪の原則は事実上放棄されて久しく、生活保護バッシングのような「倫理を欠いた(と思われる)人」への官民マスコミが一体となった社会的攻撃がたびたび起こる現状があります。世の「善男善女」が逸脱者、「仲間、同胞ではない」とみなした人間に対して、それこそいかに「無慈悲」になれるのか(BLOG BLUESさんや風鈴草さんがそうだと言っているのではありません。集団としての「善男善女」のお話をしています)、わたしたちは散々目にしてきたわけです。これがまぎれもない、わたしたちが住むこの国の現実のひとつです。
そして、反原連の今回の対応が、この現実の顕在ではないのか、という疑いがわたしにはあります。殊に「旗の問題」、すなわち「政治的な無臭性」への反原連のこだわり(一方で日の丸に対しては親和的であるという二重規範も問題ですが、それはここでは置きます)もまた、その疑いを補強しています。つまるところ政治性を忌避し、無色であること、ノンポリであること、無党派層であること、浮動票であることが強いコンセンサスをもつこの社会において、政治性の排除も、逮捕者の排除も、根底は共通しているのではないか、という疑いです。ですから、わたしは今回の反原連の対応が、単なる不作為、切断処理の結果ではないかと考えたのです。それは単なる「政治性の忌避」でしかないのではないかと。
そしてそうした排除(非同胞への無慈悲)は、たとえばモンゴルに使用済み核燃料を保管すると言う計画を阻止できるのか、発展途上国への原発の輸出を止められるのか、福島第一の廃炉作業に在日ブラジル人を大量に投入する事の不正義を糾弾できるのか、という不安があるのです。
素朴な感情は大事です。自分や家族や恋人を放射線被爆から守りたいと言うのは、尊い感情です。ですがそれはともすれば「それ以外の人間なら別に良い」という「無慈悲」に転化します。つまるところ「脱原発とは日本人が被曝しなければいいという問題なのか」という事です。
参考→http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20120703/p1
模型とかキャラ弁とか歴史とか 「この国には徴被曝労働制が必要だ」
反原連がどこまでの見通しを持って運動をしているのか、わたしにはわかりません。ただ忘れられがちな事として、すべての原発を止めたとしても放射性廃棄物が消えてなくなるわけではなく、それどころか廃炉に伴いこの廃棄物は順次増加し、その保管場所が絶対に必要で、なおかつその廃炉と保管の作業のために「誰かが被曝をしなければいけない」という正直考えるだけで眩暈のするような課題が未来に残されます。そんな状態で原発を54基もこの国に作ってきた政治に対する怒り、責任の追及は当然のことですが、同時にわたしたちは恐らく生涯にわたって放射性廃棄物と向き合わなくてはいけないという現実を前にしての切断処理という排除(非同胞への無慈悲)は、脱原発の完遂という目標にとっての致命的な傷になりはしないか、という恐れがあるのです。
BLOG BLUESさんのお話を聞くにつれ、反原連でも葛藤や矛盾があり、それでもなお脱原発へ向けて運動を継続していく努力をしているという事は了解できたつもりです。その事自体は尊いことですし、わたしもその主張には賛成したいです。ですがやはり個々の仲間を救えない、救おうとしない運動が本当に脱原発を完遂できるのか、と言う恐れと疑問は解消できません。ですから運動自体は評価しつつも、批判はします。この点、秋原さんに同意するものです。
最後に、「逮捕者が出たら主催者としてなんらかのアクションをとるべきというのは、反原発デモに限らず主催者としての責任」とわたしも考えます。
この責任を敢えて果たさない、とするならそれも決断と方法のひとつだとは思います(わたしはそれを批判しますが)が、でしたらやはりその旨も公表すべき責任が発生するはずです。それをしないのは二重の不作為ですし、公表されたとしたら、それは「無責任体制の堂々たる宣言」になりはしないかという別の危惧が生じますが。
> 風鈴草さん
直接お話しするのは初めてかと思います。はじめまして。既に上で長広舌をぶってしまっていますし、多分他のコメント欄での暴れっぷりもご存知だと思うので、まるで説得力皆無だと思いますが怖がらないで聞いてください(笑)
> 10万人からの自由参加では、主催者側にもどのような人たちが集まって来るかは見当もつかないでしょう。そのすべてをフォローするのは、ちょっと不可能ではないかと思うのですが。
いえ、そうではなく。
デモ中の10万人すべてに気を配れと言うのではなくて(できることはアナウンスを繰り返すことがせいぜいでしょう。その点で件のデモは何も間違っていません)、今回言いたいのはその10万人の中で「逮捕」という特殊な状況に陥った極めて少数の人(2名)に対して、なぜなんのフォローもしてあげられないのか、と言う事です。
風鈴草さんは「主催者に助けてもらおうとは思っていなかった」との事ですが、この際、風鈴草さんの「覚悟」とデモを主催する側の「責任」は別の問題です。風鈴草さんはある種、逮捕される事も視野に入れて行動されたようで、それ自体はなんの問題もありません。ですが、それはもし風鈴草さんが逮捕されたとき(仮定の話ですよ)、主催者側が何もしなくて良いという事に、自動的にはなりませんよね。
たとえば冬山登山とか、危険であることがあらかじめ解りきっている行為をするとき、事前に誓約書を書こうが、一端事故が起こればやはり社会としては救出をするでしょう。もちろん助けてもらった側としては、「迷惑をかけて申し訳ない」とか「助けてくれなんて頼んでない」とか、言いたいことはあるでしょうけども、これは助けられる者の心情や覚悟とは関係なく作用する社会システムです。では、私的な組織であるデモの主催は、このシステムを組み込まれなくてもいいのか?そうだとするなら、その根拠は何か?そこがわたしの納得いかないところなのです。
市民的不服従やガンジーの非暴力闘争をモデルとするなら、それもアイディアのひとつですね。次回から主催者はデモの最初にそれを広く告知するのが良いと思います。ただそれでも「逮捕されてもノーリアクション」が無条件に正当化されるわけではないのですけど。
とても、丁寧に話してきたつもりです。ブログ主様や「観測霊」の要求を満たさなければ、デモができないとあれば、もう市民の自主的デモはできないでしょう。紫陽花デモの真価は、市民の自主的デモです。ですから、逮捕されて、主催者に迷惑がかからないように、「風鈴草」のように、個人個人が自覚を持って、自主的に参加しなければなりません。それが、連帯ってことでー主催者と参加者が対等なんですーそこに、とても新しい価値がある。お気づきになりませんか。紫陽花革命と称される所以なんですよ。
どうして、そんなに、主催者任せなの。自主性はないの。官邸前デモは、これまでの党派・労組主催のデモとは根本的に違うの。前衛に指導されるのではなく、名もない庶民が、前衛なの。それが、紫陽花革命。どうです。ちょっとこわいけれど、わくわくするでしょ。「おまかせデモ」を越えて行くことであり、それは、「おまかせ民主主義」を越えて行くことに繋がります。
ですから、何度もいいますが。従来の党派・労組主導の、警察と真っ向対峙する、逮捕されても主催者が全部面倒見てくれる「おまかせデモ」がやりたければ、やったらよろしいじゃありませんか。僕らは、それに、全然文句を言う気はありませし、僕自身は、そういうデモも必要だろうと思っております。ただ、紫陽花デモは違うの。それは、けしからんと、どうぞ仰らないで。いろんなスタイルのデモがあった方が、楽しいじゃありませんか。
本日付の、毎日新聞はお読みになりましたでしょうか。ー「反原発」27都道府県に 金曜夕抗議の輪拡大ーという見出しです。首都圏反原発連合の花金官邸前デモに呼応して、全国各地で「有志」たちが、立ち上がっております。ブログ主様も「観測霊」も、立ち上がりましょうよ。別個に進んで共に撃とうではありませんか。すべては、福島の希望のために。
私が『私は逮捕されたのがどんな人であれ、逮捕されたのを放置することで利用するような「戦略」には賛成できません』と書いた趣旨を見事に言語化してくださってありがとうございます!さすがですね^^私は短い時間でぱぱっとまとめることができなかったんですが、言いたいことをあますことなくおっしゃってくださいました。感謝です。
>BLOG BLUESさん
>主催者が逮捕者に対して何もしないというのは間違っています。デマゴーグです。お願いします、やめてください。特に対外的にアナウンスしないというだけで、救出に働いております
やはりBLOG BLUESさんは反原連に関係していらっしゃるからそうおっしゃれるのでしょうか?
でも、それは先ほども申しましたように、関係者ではない一般人にはうかがい知ることはできませんからデマだと言われても、それを確かめるすべがありません。デマだと言うのなら反原連は自分たちが釈放にどのように関わったのか経過を公式発表するのが筋です。この要求のどこがおかしいのでしょうか?
あとは詳しくは観測霊さんが書いてくださったとおりです。
>敵意をむき出しにして警察に突っかかっていかない限り、その(逮捕の)心配はありません。
私はちょっとそこまで楽観的にはなれませんね。そこまで警察を信用できるほどお人好しではないのです。
それは反原発デモでだって、こういう事例があるからです(残念ながら動画は削除されてしまいましたが)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-773.html
>逮捕されて、主催者に迷惑がかからないように
BLOG BLUESさんは少々警察のデモ弾圧の実態を甘く見ておられませんか?
上のURLでご紹介したフランス人は何も悪いことしていないのに逮捕されました。
どんなに気をつけていても転び公妨等の卑劣な手で逮捕してくるのが警察です。
だから「不当」逮捕なんです。
今回逮捕された人だって現に不当逮捕だったじゃないですか。
お断りしておきますが、警察にくってかかっただけじゃ公務執行妨害にはなりませんよ?公務執行妨害でなかったのに逮捕した不当逮捕(違法逮捕)だったから2日で釈放されたのでしょう?
なのにそういう不当逮捕自体に抗議しないというのは、警察のその違法行為を仕方がないとこちらが諦めて、合法のお墨付きを与えることになるのです。
権力の横暴を肯定しちゃっていいんですか?
実際、警察は不当逮捕しようと思えばどんな汚い手だって使いますよ。麻生リアリティツアーでの逮捕はどんなだったかご存じでしょうか?本当にプラカードを掲げていただけで逮捕されたのです。
http://www.youtube.com/watch?v=3Uw701vV15U&feature=player_embedded#!
紫陽花デモではこういう不当逮捕が行われないという保障はどこにありますか?
>どうして、そんなに、主催者任せなの。自主性はないの
既に述べましたが、それはこういうデモに対しては警察の信じられないような不当逮捕があるからです。
主催者任せにするなと仰いますが、それはプラカード掲げていただけなのに警察に体当たりされる転び公妨で不当逮捕されても「自己責任」で対処しろと仰ってるも同然ですよ?
やはり、不当逮捕されたときは主催者が全力でサポートしますという態度をきちんと示してくれないと安心できません。
>ですから、何度もいいますが。従来の党派・労組主導の、警察と真っ向対峙する、逮捕されても主催者が全部面倒見てくれる「おまかせデモ」がやりたければ、やったらよろしいじゃありませんか。僕らは、それに、全然文句を言う気はありませし、僕自身は、そういうデモも必要だろうと思っております。ただ、紫陽花デモは違うの。それは、けしからんと、どうぞ仰らないで。いろんなスタイルのデモがあった方が、楽しいじゃありませんか
それですと、やがて反原連の運動はただのガス抜きになってしまう運命をたどるでしょうね。それでいいのなら構いませんが・・。それに「おまかせデモ」という表現もね・・、まあそれは置いておきましょう。
ただ、紫陽花デモだけではなくいろんなスタイルのデモが並立するのはいいことだと私も思っています。既にそれをエントリ-に書いているのですが、お読みいただけたでしょうか?
本文から引用しましょう。
(引用開始)
「今大事なのは、首都圏反原連、大阪教育合同組合、どちらの言い分が正しいかで相手を「とことん論破」することではないと思います。
現実問題として今一番大事なのは反原発運動を分裂、反目させないで、より確かなものにしていくことです。
ですから、
首都圏反原連の主催するデモに参加するときは妥協して反原発の文言を入れた組合の旗を用意する、その代わり、組合名だけの旗でもokというデモが別途開かれたときは、首都圏反原連も共産党もこないだのように黙殺する形はとらない。
自分たち主催のデモとは別にこういう形のデモも開催されていますとちゃんと紹介する。
そして、うちは組合名だけの旗は遠慮していただいてるが、組合名だけの旗okというデモは別途こちらで開催中ですから、労組の方々は是非こちらのデモにもご参加を、エールを送る。
というように互いに反目しあうのではなく、別個に開催はするけど互いに認め合う、そう言う形が運動を大きくしていくのに今のところ取り得る一番良い方法なのでは、と私は思います。
首都圏反原連自身が組合名だけの旗でokというデモを開催しなくても、そういうデモの存在を応援して欲しいと思います。」
(引用ここまで)
これに異議はございますでしょうか?
私がここでひとつ反原連にお願いしたいのは、別個に開いたデモにもエールを送ると言うことです。
27日の反原連主催ではないデモが開かれてる時間に反原連は記者会見を開き「あの人達はちょっと・・」と言ったらしいです。これが本当なら残念に思います。
>デモ中の10万人すべてに気を配れと言うのではなくて(できることはアナウンスを繰り返すことがせいぜいでしょう。その点で件のデモは何も間違っていません)、今回言いたいのはその10万人の中で「逮捕」という特殊な状況に陥った極めて少数の人(2名)に対して、なぜなんのフォローもしてあげられないのか、と言う事です。
私が言いたかったのは、膨大な人数になればなるほど、様々な考えを持った人が参加して来るし、参加者すべてに目配りするのも難しいので、その人たちの中の誰かがが引き起こすかもしれないあらゆる出来事に対応するのは難しいのではという意味でした。秋原さんや観測例さんが言われるのは、逮捕者が出たら、理由のいかんを問わず、主催者側は直ちに救援活動を開始すべきだということですね?
私はこれまでどんなデモにも参加したことがないので、本当に「助けてもらえる場合もある」らしいことを知らなかったので、この話題を意外に思っていたのです。けして嫌味で言ったわけではありません。でも、大人が自分の考えで参加するのですから、その行動には、まずは本人に責任があるのではないかと私は思ったのです。もちろん、警察がどう考えるか、どう行動するだろうか、わかっているような人ならば、なおさらです。警察の不当逮捕については、そういうことはあるのだろうと私も思います。ただ、それがわかっているなら、なお逮捕されないように気をつけることは必要ではないかと思ったので。もちろん、万一の時に、主催者側にその能力があるならば、助けてもらえれるのはありがたいですが。
私は反原発連合の方々が具体的にはどんな人たちかは知りません。ただ、デモが始まる前に経産省前で荷車に何かの資材を載せて集まってきた数人の若者たちを見ました。経産省前のテントひろばで、ボランティアスタッフ(?)のように、集まって来た人たちの世話をしていた若い女性とも親しげに挨拶を交わしていたので、彼らが主催者側のスタッフの一部ではないかと推測しただけですが、みな、伸びやかな明るい顔をした若者たちでした。私には子供はおりませんが、私の同世代の友人たちの息子や娘たちともあまり変わらない年頃でしょう。彼らのような若者がいてくれるのを知ったのは嬉しいことですが、彼らにあまり過大な負担をかけるのはどうかという気もしたのです。
BLOG BLUES さんの言われるように彼等にはもっと年かさの知恵者が付いているのかもしれません。私はTwitterをやらないし、そうした細かい事情などは全くわかりません。ただ、私としては、私のような者でも参加して意志表示できる場を作ってくれたのですから、そのことだけでも彼等には深く感謝しています。
>「BLOG BLUES」(コードネームということなので、敬称は略します。w)
「反原発」27都道府県に 金曜夕抗議の輪拡大
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/education/20120804ddm002040058000c.html
>それぞれの道府県庁所在地の他、岡山県では倉敷市、鹿児島県では原発が立地する薩摩川内市などでも行われている。
読みました。素晴らしいですね。もっと小さな市や町にも広がるといいのですが。私は一応首都圏内に住んではいますが、東京で働いているわけではないし、土日祝日休みでもないので、正直言って東京までデモに出かけていくのはけっこうハードルが高いのです。ほんとうなら、地元の駅前で、たった一人でもプラカードを掲げてデモをやればいんだろうが・・・と時折、思ったりしていたのですが、とてもじゃないがそんな勇気はありませんでした。もし幾人かでも仲間が出来れば、あるいは・・・
以下は、昔見て感動した、あるブログのエントリーですが、今になってこの男性の偉大さがあらためてわかりました。
暗いニュースリンク 2005/05/20 ニューメキシコ州アルバカーキ:男は独り、今日も路上に立ち続ける
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2005/05/post_b04d.html
>私はこれまでどんなデモにも参加したことがないので、
「(6月22日のデモに参加するまでは)どんなデモにも参加したことはなかったので」という意味です。
http://portirland.blogspot.jp/2012/07/21.html
日本国憲法の保証する表現の自由
が首相官邸前での抗議要請行動の自由を保証しているわけです。
主催が広告代理店みたく人数集めのイベントに徹したいなら、高円寺阿波踊りなり、商店街のフリーマーケットなり参考にして、首相官邸前のスペースを確保すれば済むことです。
ありがとうございます。恐縮です。
> 「逮捕されたのがどんな人であれ、逮捕されたのを放置することで利用するような「戦略」には賛成できません」
この言葉にわたしも同意します。
あと、暗い憂鬱な話題を次々持ち出してしまって、自分でもどうかなと思ったんですけども(^_^;)、今後の脱原発を考えるなら、避けては通れない課題だと思いましたので。
> BLOG BLUESさん
主催者が逮捕者に対して何もしないというのは間違っています。デマゴーグです。
ですからその根拠が分からないと申し上げています。
根拠を具体的にお示しください。その結果、主催者が逮捕者救出のために力を尽くしたとわかれば、いくらでも前言を撤回させていただきます(そうであったならわたしにとっても大変うれしい事です)。謝罪もします。ですが、そうでない限りわたしの中では「BLOG BLUESさんがそう信じている」という領域を出ません。「どこにも言明してないし、証拠はないけどそうなんだよ」と何度おっしゃらっれても、当方としては納得しかねます、
BLOG BLUESさんには何度もわたしや秋原さんをデモに誘っていただいてますよね。その通り、わたしは現場にいなかった人間です。そういう人間に対して、具体的な根拠に基づいて分かるように提示しようというお気持ちがないのはなぜですか?現場に出ていかない人間には教えられないという事でしょうか?それとも現場に出ていかないと絶対にわからない、言葉では伝えられないような事なのでしょうか?
嫌味や皮肉ではなく、本当にわからないのです。BLOG BLUEさんにとっては自明の事でも、ほかの人間にとってはそうではありません。そこを考慮してください。お願いします。
> ブログ主様や「観測霊」の要求を満たさなければ、デモができないとあれば、もう市民の自主的デモはできないでしょう。
わたしも秋原さんもデモができないとは一言も言っていません。するなとも言っていません。デモを主宰するなら、逮捕者が出たのに何もアクションを越さないのは無責任ではないのか、そんな運動の先細りや頓挫を心配はしましたが、それだけです。責任を取らないならデモなんかするな、とさえ言っていません。
どこがそのように読めましたでしょうか。具体的にご提示いただけませんか。
> どうして、そんなに、主催者任せなの。自主性はないの。
風鈴草さんのへのコメントにも書きましたが、これは参加者の自主性や覚悟などとは全く別の問題です。わたしが問うているのは主催者としての責任であって、それは個々の参加者に自主性があろうがなかろうが、覚悟があろうがなかろうが、変わることはありません。これは主催者の問題です。
そして、秋原さんもおっしゃってますけど逮捕されてなお、自主性を問われるのは、典型的な「自己責任論」ですよ。イラクで人質になった人たちを非難した論理とどこが違うのか、と思ってしまいます。
敢えて何も言明しない事を主催者が選んだのなら、そのために批判を受けるのも責任のうちです。その批判が許せないというお気持ちは十分伝わりましたけど、「批判をするな、なぜならそれはデマだからだ」と仰るのなら、デマだとする根拠を示してください。本当にデマであったなら、わたしの主張はすべてデマに基づいたもので、間違いとなります。BLOG BLUESさんの主張が正しいと認められ、反原連の名誉は守られます。それは脱原発にとってもプラスとなるでしょう。ぜひ、そうなさってください。これはわたしからのお願いです。
もう、わたしがBLOG BLUESさんに言いたい、聞きたいことはこれだけです。
「主催者が逮捕者の救援に尽力したとおっしゃるのなら、どうしてそう言えるのか、具体的な根拠を示してください」。
前のコメントで書いたことをもう一度書きます。
「官邸前弁護団に事後を託し」というのも一切根拠なく(反原連も「官邸前弁護団」もそのような事は一切言明していません)おっしゃっておられるので、こちらとしては「なんでそんなことが言いきれるんだろう」と首を傾げるしかないわけです。
もしこっぱなお役人(北方在住)さんのおっしゃるように「警察の追求をかわすために」徹底した秘密主義的運営戦略が反原連にあるのなら、なおの事どうしてそれを知り得るんだろうと、やはり不思議なわけです。もしかしたら反原連の中枢に近いお立場でいらっしゃるのでしょうか?
お答えをいただきたく思います。お願いします。
> 風鈴草さん
お返事をいただきありがとうございます。
> 膨大な人数になればなるほど、様々な考えを持った人が参加して来るし、参加者すべてに目配りするのも難しいので、その人たちの中の誰かがが引き起こすかもしれないあらゆる出来事に対応するのは難しいのではという意味でした。
今回のような自由参加、パフォーマンスもある程度自由なデモでは、それこそ突飛な行動に出る人がいるのは避けられません。その中で何が起きても対応しろ、と言いたいのではありません。主催者だって人間なのですから当然限界はあります。逮捕されないように対応しておけ、と言いたいのでもありません。
今回の逮捕と、それに対するリアクションを問題にしています。たとえば「麻生邸見学ツアー」のように、私服警官が不意に抱きつくように体をぶつけてきて、それに触れたら「確保」されてしまうような不当逮捕になど、どんなに気をつけても対応しようがありません。
そうではなく、“起きてしまった”参加者の不当逮捕という出来事に対して、何らかのアクションをすべきだったという事です。実務は弁護士に一任するにしても、何が起きたのかの把握、そして逮捕に対する反原連としての見解を示すことぐらいはできたしすべきだったというのが、わたしの意見です。
> 逮捕者が出たら、理由のいかんを問わず、主催者側は直ちに救援活動を開始すべきだということですね?
理由のいかんを問わず、というとまた違います。
たとえばデモ参加者がデモ中に政治的主張から明らかな違法行為(器物破損、暴行傷害、あるいは殺人等)を行った場合、それはもはやデモではなくテロです。ですからその際の逮捕は当然と思いますし、救援活動をするかどうかは微妙なところです(事案によります、としか申し上げようがありません)。
ですが、今回のような不当逮捕に対してはやはり迅速な対応(救援活動をするにしろしないにしろ)が必要だと考えます。2012.08.02 ( Thu ) 23:31:01のコメントでも申し上げましたけども、このデモの目的は何かと考えればそれは「人間を守ること、人間を大切にすること」に集約できるんではないかと。そのデモで一緒にデモをした人さえも救えない、救おうとしないのはどうなのか?という疑問があります。そして多くの人を動員するデモを主催する上で、デモ中に不当に逮捕された人がいるにもかかわらず、その事実に対してなんらアクションを起こさないというのは、それこそデモを企画し、運営するという「大人」として無責任ではないのか、という事です。参加者には相応の責任があるでしょう。でも主催者にも、参加者とは違う場面と重さの責任はあります。それを疎かにして、脱原発が本当に達成できるのか、という疑問については、先のコメントで書きました。
わたしは立て続けに大規模デモを起こしてきた人たちを基本的には尊敬しますし、応援もしています。彼ら必死にデモを企画し、運営していることを、わたしは疑っていません。風鈴草さんが感じた、感謝や驚きを否定したいわけではないんです。
でもだからこそ、その運営や理念におかしいところがあれば、それはおかしいと言わなければならないと思っています。もちろんこれはデモの主催者はもちろん、参加者である風鈴草さんやBLOG BLUESさんにとっては不快なことかもしれません。「何も知らないくせに勝手な事を言うな」「そんなに言うならお前がやってみろ」と思われるのは、ある種当然です。
ですがこれで逮捕に何の対応もしない事が正しい事なのだという認識を、それこそ大規模なデモの主催者や参加者に持たれては困るのです(念のために申しあげますが、風鈴草さんやBLOG BLUESさんがそういう認識を持っていると言ってるのではありません)。これはその影響力が大きいからこそ、余計に困るのです。秋原さんもおっしゃっていますが、それは警察の不法な弾圧を是認し、お墨付きを与える事になりかねないからです。「デモで警察に何をされても仕方がない、歯向かうのが悪い」というのが一般的な認識となるのは怖い事です。それは「逮捕されるのはその人たちが悪い事をしたからに違いない。自分たちとは違う」という切断処理を補強し、正当化するでしょう。
「犯罪者は自分たちとは異質な、異常な人間」という昨今の厳罰傾向の下地が今回も顔を出したに過ぎないのではないか。そうした傾向は誤っているし、危険であると考えるわたしは、たとえデモの趣旨には賛同しても、異議を唱えざるを得ません。
さらに言えば、デモは脱原発のためだけにあるのではありません。これを機会に、反貧困、反格差、反戦、福祉の拡充、権利の拡大といった様々な分野で「自分たちもやってみよう」というデモが起きてくるかもしれません。その今後起きてくるデモに対し、今回の反原連基準ともいうべきスタンダードが、一種のデモ・マニュアル化されれば、デモで逮捕されても自己責任が当たり前という非常に厳しい基準が、今後長きにわたって後に続くすべてのデモを縛る事になるでしょう。そして今や国民の大多数が支持する脱原発と言うイシューならともかく、議論が分かれるイシュー(たとえば反戦デモ)でも警察が「優しく」振る舞ってくれるとは限らないのです。
「逮捕されるのは悪い人」「逮捕される人間に救援は必要ない」という認識を、この国の大多数が持ち続ける限り、国が自分たちの気に入らない政治的要求、政治的主張を潰すのは実に簡単な事です。冤罪でも誤認でも不起訴でも、とにかく一度手錠をかけてしまえばいい。そうすればあとは多くの人たちが、勝手にその政治的要求、政治的主張までもを「悪い」と認識してくれるでしょう。
こういう言い方はよくないので本当はしたくないんですが、脱原発と言う主張は、この国の大きな潮流になっており(電力各社の抵抗は続いていますが)、その点でまだ“恵まれて”います。マジョリティの主張だから、政府も警察も簡単にむげにはできないというのは大きなアドバンテージです。
ですが、デモとはマジョリティだけが行うものではありません。マイノリティが自分たちの存在や主張を知らしめるためにも使われる手法です。ですがマイノリティは少数であるからこそマイノリティなのです。そして少数派の意見を圧殺するのに、政府も警察も躊躇いは小さいです。理由は簡単、票にならないから。
かくしてマイノリティがデモを起こし、不当逮捕されたとき、脱原発デモを引き合いに、「マイノリティはデモの“作法”も知らない。だから逮捕されるのだ」とマジョリティが彼らを嘲笑する事さえ起り得ます(実際に今回の逮捕者を揶揄する人が反原連の支持者の中にもいます)。これはマジョリティとマイノリティの構造的問題を再生産しているだけです。
たとえば反原連を批判して、脱原発の足を引っ張るなというご意見がありますね。高揚感や一体感に水を差されたくないのは誰しも同じです。ですが反原連の批判を怠ったばかりに、今後続くあらゆる社会運動の「足が引っ張られる」としたら、それはやはり問題だと思うのです。
これは政治的に人畜無害な趣味の集まりではないし、音楽ライブのような商業イベントでもありません。高揚感と一体感を阻害するなと言われても、批判すべきところに批判が起きないのはやはり不健全な事ですし、弊害が大きいと思います。
論より証拠。逮捕者は、すぐに釈放されました。「官邸前デモ見守り弁護団」が、尽力したからでしょう。そして、見守ってくれる弁護団を味方に付けていたのは、首都圏反原発連合のなせるわざ。これも一つの尽力であり、彼らは味方をつけるのが、とても上手だ。首都圏反原発連合にも弁護士はおりますが、表面に出ないのは「こっぱ役人」が述べている通りでしょう。また「官邸前デモ見守り弁護団」からのアナウンスがないのも、同様な理由によるものでしょう。それは、推測にすぎないというのは、もう無理難題です。アナウンスした途端、法廷闘争に発展する恐れがおり、それは紫陽花デモを頓挫させるからです。ご両名は、それをお望みですか?
「dmpx」が調べられた通り、紫陽花デモは、正確にはデモではなく、抗議行動です。車道を占拠すれば、公務執行妨害でなく、道路交通法違反の対象になります。そうならないのは、圧倒的な数によるものです。これからも過剰規制に憶すことなく、デモの輪を広げてまいりましょう。過剰規制と戦う、これも一つの戦い方です。もちろん過剰規制だ、官憲横暴だと真っ向対峙する戦い方もある。それが正義と信じる人は、それをやられるべきだ。そんな過激な戦いを紫陽花デモに求めるのは、おかしい。みんなちがって、みんないい。紫陽花デモは、弱い。その弱さが、紫陽花デモの強さだ。
僕は、ブログ主様も「観測霊」も、反原発・脱原発に立つ人だと認識している。そして、紫陽花デモの一層の発展を願って、建設的批判を加えていると認識している。で、その建設的批判の中身ですが。
1:首都圏反原発連合は、反原発・脱原発の主張を掲げず団体名だけを大書した団体旗を、降ろしてくださいとお願いするのを止めろ。
2:首都圏反原発連合は、日の丸を容認するな。
3:首都圏反原発連合は、逮捕者が出た場合、たとえ逮捕者が不利となり法廷闘争を余儀なくされる恐れがあろうとも、事の経緯を対外的にアナウンスせよ。
ということでしょう。誠に言いづらいことなのですが、これらは、まったく建設的批判になっておりません。これらは、従来の党派・労組主導のデモで行われてきたことであります。紫陽花デモは、まさに、これら従来の党派・労組主導のデモの建設的批判として行われ、歴史的快挙を成し遂げました。
さらに、紫陽花デモがすばらしいのは、身を以て建設的批判を行いましたが、従来の党派・労組主導のデモを否定してはおりません。別個に進んで共に撃とうではありませんかという姿勢です。ワンダホー!みんなちがって、みんないい。
毎日新聞が伝える通り、紫陽花デモの在り様が、全国の多くの「善男善女」に大きなヒントと刺激を与え、反原発・脱原発の動きは、野火のように広がっております。福島の方にどれほど勇気と希望を与えていることでしょう。歴史的快挙という所以です。ブログ主様も「観測霊」も、その野火の一つを燃やしてください。自分たちのやり方で。それが、本当の、建設的批判です。
このエントリーを読んで、私などは
「秋原さん、こんな細けーことまでフォローして批判して、相変わらず愛があるなあ」
なあんて思ったんですが、これがBLOG BLUESさんという方に言わせると、
「反原発に対する想いも、止むに止まれず立ち上がった有志たちへの愛も、まったく感じられない。」
んだそうで・・・
人によっていろんな感じ方があるもんだなあ、と。
愛は「批判」か「寛容」か?
もし自分が間違えてる(って気づいている)のに「寛容」な態度を示されたら・・・よほど親しい間柄でなければ“バカにされた”とか“下に見られた”とか、心の狭い私なんかは思ってしまうんですが・・・これはきっと受け取る私の側に問題があるんでしょうねぇ。
そして文章の解釈については、これもきっとBLOG BLUESさんの方が正しんでしょう、なんせ「コピーライターで何十年も飯を食っている」っていうんですから。
毎日仕事中に5Lも水を飲んでるような肉体労働者が敵うはずもありません。
それから、
>あなたが逮捕に拘泥すると、あなたの思いとは裏腹に、「善男善女」を怖じ気づかせるんじゃないかしらん。
と先に書いている人が、後で
>ですから、逮捕されて、主催者に迷惑がかからないように、「風鈴草」のように、個人個人が自覚を持って、自主的に参加しなければなりません。
なんていう、いかにも“怖じ気づかせ”そうなことを書いちゃってもいいのかな?
なんて余計な心配したりとか、
だいたい「市民の自主的デモ」っていうんなら、なんで「主催者に迷惑がかからないように」なんて方向で気を使わなきゃならねーんだよ?
(「福島に」ならわかるよ、なんで「主催者に」なのよ!)
ってちょっとムッとしたりとか、
「主催者と参加者が対等」なんだったら、主催者はもはや「主催者」を名乗らない方がイイネ!
(それは別に“悪いこと”ではないし、その方が「真の」市民の自主的デモだし、そしてそれが不可能だとは私は全く思わないし、っていうか、主催者自身はそもそも“対等”だとは思ってないんじゃないかな、だから「主催者」を名乗ってるんじゃないのかな・・・)
とか、そんなことをつらつら思ったり。
1つビックリしたのは、
> 首都圏反原発連合側にすれば、逮捕された方を、ある意味デモ破りの方です、なんてバカな真似をしてくれたんだと、愚痴のひとつもこぼしたくなるのは、人情として当たり前ではありませんか。
私なんかからすると、こういう精神の持ち主は「それだけで主催者失格」なので、なんだ、想像で主催者disってんのはむしろBLOG BLUESさんの方じゃん、なんてついつい思ってしまいました。
・・・あ、もしかして想像じゃなくて、これも実際現場に行って、彼らがこう言っているのを実際聞いたんだよ、っていうんであればすみません謝ります。
ただ、私みたいに思う「イノセント」な人も世の中には少なくないと思うので、「愛=寛容であるならば」黙っていてあげた方が「彼らのため」だと思いますよ。
そしてそれは、「受け入れられる左翼」にとっても大事なことだと思うのです。
(おっと、これは今回の件とは直接関係ありませんでしたね。)
もっとも私は、それがいいとは考えてはいませんので、対象が「心」であってももちろん批判しますよ。
それが私の「愛」だから。
最後に、スレ違いではありますが「連帯」「共闘」で盛り上がっていたコメンテイターのみなさまに(“受け入れられる~”は↑で既にチクリと触れましたw)。
>リクツが通ってりゃ正当って考えでは、連帯をなし得ないと思うけどなあ。
このBLOG BLUESさんの一言をどう考えるかが、「連帯」や「共闘」を考える際の一つのヒントになると思います。
BLOG BLUESさん、良いフレーズをありがとうございました。
私のこたえは・・・まあ聞かなくてもわかるでしょw。
「『リクツが通ってりゃ正当って考えでは、連帯をなし得ないと思うけどなあ。』なんていうメンタリティじゃあ、けっきょく連帯なんかなし得ないと思うけどなあ。」
一応…あのデモ道路法第43条第2項及び道路法第99条の違反も「とれ」ますので念のため。
(3年以下の懲役または100万円以下の罰金)
管理人様他皆様
BLOG BLUES さまが書き込んでいました3要件について、ちょっと分析をば…
>1:首都圏反原発連合は、反原発・脱原発の主張を掲げず団体名だけを大書した団体旗を、降ろしてくださいとお願いするのを止めろ。
まあ、これは、「労働組合」がこの国では忌避される団体である以上止む無しかなと…「一般の人たち」に恐怖感なく参加してもらうためにはやむを得ない処置だと思われます。(他の国ではありえ無いのかもしれませんが…)
>2:首都圏反原発連合は、日の丸を容認するな。
これも容認やむなしでしょう…五七桐紋や一六八重表菊紋が翻らないだけましかと(うんちく:五七桐は政府の紋、一六八重菊は言わずと知れた皇室紋)、あと「一般の人たち」への日章旗の認識と影響を考えると…やむを得ないと思います。
>3:首都圏反原発連合は、逮捕者が出た場合、たとえ逮捕者が不利となり法廷闘争を余儀なくされる恐れがあろうとも、事の経緯を対外的にアナウンスせよ。
これは、私も前に書き込みましたが、当局が狙っていると思われるシナリオとしては、「コアメンバー逮捕(当然拘留は限度いっぱい)」→「仲間割れを誘う」→「内ゲバ発生」→「これを大々的にマスコミ報道」→「デモ自然鎮火及び世論反転」だと思われますからデモ運動自体を守るか、逮捕メンバーを守るかの2択を迫られる状態では、切るのはやむ無しかなと…リアクションあり=拘留延長でしょうからリアクションすら取れないというのが正解なのかも…
然るに、そのそばから、揶揄中傷のコメントを受けた。宣言を撤回し、反論する。「funaborista」へ。
『そして文章の解釈については、これもきっとBLOG BLUESさんの方が正しんでしょう、なんせ「コピーライターで何十年も飯を食っている」っていうんですから。 毎日仕事中に5Lも水を飲んでるような肉体労働者が敵うはずもありません。 』
卑怯な物言いはよせ。肉体労働者がコピーライターより偉いわけでも、その逆でもない。僕は、大阪の労組幹部の文章と、それを首都圏反原発連合に糾問書として送り付けたという行為に、傲慢で不遜なものを感じた。その文章に対する感受性は僕の職業経験に根差すものでもあり、自信を持っている。
この労組幹部は、自分の思い通りにならなかったことが第一義に不快であり、福島のことは二の次、三の次だ、読めばすぐわかる。福島のことなど、ほとんどまったく言及していない。労組旗を翻すことが、なぜ、反原発・脱原発運動を推進することになるのか?全然説明していない(首都圏反原発連合は、反原発・脱原発の主張を掲げないで団体名だけを大書した旗は遠慮してくれとお願いしておりーより多くの「善男善女」を結集させるためだーそれは未曾有の大成功を収めている)。随分自分勝手な人だなあという感想は、別に文章を生業としていなくとも、多くの人が、感じることだろう。
『なんて余計な心配したりとか、』
その通り、余計な心配だ。僕は、安心してデモに参加しようと呼びかけ続けてる。「秋原葉月」も「観測霊」も、なぜデモに参加しようとしないのか。デモに参加することは、原発被害者をあきらめさせないことだ。美緒子・スミス氏の「水俣と福島に共通する10の手口」は、読んでいないのか。僕は、水俣まで視野に入れて、デモに参加している。
ブログで好き勝手なことばかり言挙げして、法廷闘争を戦ったことがあるのか?デモの現場に出てみろ、過剰規制の警官に文句の一つを垂れるのにも、勇気をふりしぼらなきゃならないんだ!「秋原葉月」や「観測霊」の言葉には、自らの正義を信じて疑わない鈍感さに満ちており、他者に対する愛などまったく感じられない。
戦後左翼が、代々木・反代々木に関わらず、「善男善女」からそっぽを向かれ、全滅状態になっている、その愚と同じ誤りを犯している。僕は、左翼勢力の再構築なくして、国策である原発推進を止めることは難しいだろうと考えている。その初めの一歩が、官邸前デモだ。だから、これを大事にしたいと思っている。
「秋原葉月」は、まるっきり勉強不足で話にならない。官邸前デモは、はなっから、反原発・脱原発のシングルイシューではあるが、その主張の中核は「いのちを守れ」「未来を守れ」である。デモに出ていれば、すぐに解ることである。
このコメント欄の遣り取りをみて、明らかな傾向が伺える。デモに参加している者は、概ね首都圏反原発連合擁護であり、参加していない者は、概ね首都圏反原発連合批判だ。
『主催者自身はそもそも“対等”だとは思ってないんじゃないかな、だから「主催者」を名乗ってるんじゃないのな 』
よくもまあ、これほど、酷いことがいえるもんだ。首都圏反原発連合のHPをみよ。メンバー一覧の一番最後に「個人有志」としっかり記されている。望めば、いつでも、だれでも、主催者になれる。僕は、いちいち報告はしていないが、この表記に基づいて、主催者の一人のつもりで参加している。これほど、オープンマインドのデモ組織を未だかつて見聞したことがない。日本国の主権者が、僕であり、あなたであるように、官邸前デモの主催者は、僕であり、あなたである。
『私なんかからすると、こういう精神の持ち主は「それだけで主催者失格」』
今述べた通りである。主催者がいて、参加者がいるという上下関係を越えて行こうとする、従来の「おまかせデモ」を越えて行く試みである。それは、「おまかせ民主主義」を越えて行くことに繋がるであろう。
『そしてそれは、「受け入れられる左翼」にとっても大事なことだと思うのです。』
論より証拠。首都圏反原発連合は、圧倒的に受け入れられている。従来の党派・労組は、ほとんどまったく受け入れられていない。
『「『リクツが通ってりゃ正当って考えでは、連帯をなし得ないと思うけどなあ。』なんていうメンタリティじゃあ、けっきょく連帯なんかなし得ないと思うけどなあ。」 』
「funaborista」が、勝手にそう思っているだけである。福島の方は、心の底から首都圏反原発連合に感謝しており、その連帯は、圧倒的に美しい。
一体、一度でも、経産省前のテント村に足を運んだことがあるのか?首都圏反原発連合は、テント村にもコミットしている。首都圏反原発連合批判の方々は、もうほとんどが、ヴァーチャルばっか。そこで流布している吹けば飛ぶよな薄っぺらな言葉に依拠し、云々している。
なんで、そんな実態のないことで、偉そうなことが言えるのか。そんな姿勢では、とてもじゃないが、マイノリティとの連帯など覚束ないであろう。
「日本ではかってのデモは、一般市民が参加できない雰囲気があった。ヨーロッパなどでは市民がごく自然にデモをしているのに。今、やっと日本でもふつうの市民が参加するデモが現れた」これ、官邸前デモについてよく言われることですよね。
そして、「一般市民が参加できない雰囲気」の理由としてあげられるのが、労組や政党色そしてデモ参加者の闘争的なやり方。だから、警察ともいざこざを起こし、逮捕者も出たりする、とにかく怖いから近づきたくないと。要するに、一般市民の参加を阻んでいたのはデモ側の責任ということ。
でも、本当はどうでしょう。日本のデモを異常なものにしていた主な原因は、民主主義国とは思えない警察の過剰警備にほかならないのです。秋原さんも何度もこの問題は取り上げているからここで具体的な例はあげないけど、些細なことでも公務執行妨害で不当逮捕というのが日常茶飯事なのが日本のデモなのです。それがあたかもデモ参加者が暴力的だから、デモ参加は反社会的行為みたいな印象を一般に与えてしまうのです。
一昨日3日の官邸前デモ、初めて登壇者に近い場所でスピーチを聞いたけど、制服警官だけでなく、警視庁の腕章をつけていた私服刑事らしき人が数人メモや写真を撮ったりしてました。私も撮られたかもしれません。こんなのやっぱり異常です。(ちなみに、3日以前は、6月22日・29日・7月6日・7月29日の国会大包囲に参加しました。経産省前のテント村にも何度か立ち寄っています。大江健三郎さんたちが呼び掛け人になっている「さよなら原発集会」にも昨年9月・今年7月に参加しました。)
ところで、今の官邸デモが先月29日までは逮捕者も出すことなく、きわめて「平和的なデモ」でいられたのは、警察が理解を示したとか軟化したからではないのです。主催者側が警察に対し、相手の要求をすべて受け入れ、あくまで低姿勢で臨んだからでしょう。
例えば「首都圏反原発連合」参加グループの一つである「TwitNoNukes」編著による「デモいこ!声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える」(河出書房新社、2011)という本。決して悪い本ではありません。今までデモなど縁遠かった初心者にもわかりやすく基本的な知識を伝え、決してデモに参加することは後ろめたいことなどではない、普通の市民として当たり前のことだとわかりやすく解説している本です。デザインもおしゃれで従来イメージの「サヨク本」とは全く違います。でも、気になる点もいくつかあるのです。そのひとつがまるで警察がデモの円滑な実行のために協力しているような「おまわりさんは何をやっているの?」というコラム。このコラムが後に出てくるコラム「公安条例と許可条件」を正当化するようになるというなかなか巧みな構成になっています。警察がデモがスムーズに進行するように協力しているなんてことはないのは、デモに参加してみればすぐわかることですよね。最近の参加人数がふくれあがった脱原発デモでは出発までの時間がやたら長くてさんざん待たされます。警察がデモをできるだけ小規模に見せようと細かく分断するからです。ちなみに、この本、奥付を見ると編集スタッフとして噂の(?)野間易通氏がクレジットされています。
もちろん、人数を集め、とにかくデモを成功させたいという気持ちは理解できるし、ここまで継続させてきた労力には敬意を感じます。ある程度の妥協も必要というのもわかります。
しかし、異常な現状を批判することなく、受け入れることに抵抗がないかのような主催者の言動はやっぱり疑問です。日本では現状がどれほど悪くても、それを変えようとはせず、その中でいかにうまく立ち回るかばかりが問題とされると言われるけど、この主催者たちの姿勢にはそれに通じるものがないでしょうか。そして、初めて逮捕者が出れば、逮捕されたほうが悪い、さらにはこの人達はデモをぶちこわそうとしている敵だと排除とバッシングの対象にしかねない怖さを熱心な支持者の言葉に感じてしまうのです。つまり、今の日本をここまで生きにくい社会にしている精神的な土壌をこの「新しい市民運動」はひきずったままでいるということなのです。
それから観測霊さんもちょっと触れられていることですが、3.11以前と違って脱原発運動は今では一定の国民的コンセンサスを得られています。どうしようもなく頑迷で目先の利益にしがみつく経団連や保守政治家はともかく、政財界人のようなエスタブリッシュメント層にも反・脱原発派に転じている人は増えているのです。原発ほど不経済なものはないですからシビュアに利益を求める企業人ならこんなものに反対するのはむしろ当然でしょう。マスメディアにしても、産経・読売・経団連御用新聞の日経は相変わらず原発維持ですが、東京はもちろん、朝日・毎日も3.11以後は基本的に脱原発の論陣を張っています。しかし、その一方でこれらの新聞(特に朝日・毎日)が消費税増税・税と社会福祉の一体化・TPP、さらには橋下大阪市長についてどのような姿勢をみせているかを考える必要があります。
もちろん、今なお脱原発に立ちふさがる壁は非常に厚いものがあり、脱原発運動を「体制内反権力ごっこ」などと揶揄するつもりは毛頭ありません。また、市民が主導するデモというスタイルを広めた功績は非常に大きなものがあります。それだけに、今後、これに触発されて立ち上がるかもしれない反貧困、反格差、反戦、反ハシズムなどの市民デモのためにも悪しき前例(デモで逮捕されるのは自己責任)という認識は作ってもらいたくないのです。しかも、これらのデモは観測霊さんもご指摘の通り、脱原発と比べて一般の共感をよびにくいという厳しい条件下でおこなわれるのですから。
私は参加したともしていないとも言ってませんけどそれ以前に、みんながみんな官邸前デモに参加可能な状況にある(東京近郊に住んでいるとか長時間外出できるとか)という思い込みはやめていただけませんか。
>この労組幹部は、自分の思い通りにならなかったことが第一義に不快であり、福島のことは二の次、三の次だ、読めばすぐわかる。
そのように解釈していないのは私や観測霊さんだけではないですよ。
たとえばこちら。優れたリベラル系のブログを書かれている広原先生の記事です。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2065.html
労組の旗を認めないデモの何が問題なのかを「反原発デモに思うこと」のエントリ-で指摘したつもりですが、それに賛成反対以前の問題として、私の言い分がひとつも理解されていなかったようで残念です。
>「秋原葉月」や「観測霊」の言葉には、自らの正義を信じて疑わない鈍感さに満ちており、他者に対する愛などまったく感じられない。
「善意のブログだと信じている」割にはエライ言いようですね(^^;
主催者は「被逮捕者に対する愛」をきちんと示すべきとこれまた私も観測霊さんも何度も繰り返してるのですが、それが「他者に対する愛などまったく感じられない」と評価されようとは残念です。
それに、主催者が逮捕に関して公式に発表したり対応したりすると、起訴されて「法廷闘争」になるかのように仰っていますけど、どうしてそんなことになるとお思いになるのか、これもさっぱり理由がわかりません。
麻生リアリティツアーでは主催者がありとあらゆる手で対応したから起訴されず釈放に繋がったと思われますが。
私はこの大きな反原発運動を成功させ、確実に脱原発を成し遂げることが「福島への愛」だと思っています。ですから、このデモがやがてただのガス抜きに終わってしまうような事態を避けるべく批判すべき所は批判するのが私の「福島への愛」ですね。
>「秋原葉月」は、まるっきり勉強不足で話にならない。官邸前デモは、はなっから、反原発・脱原発のシングルイシューではあるが、その主張の中核は「いのちを守れ」「未来を守れ」である。デモに出ていれば、すぐに解ることである。
シングルイシューは「再稼働反対」だけであるような発言をしたのは私ではなく大阪のスタッフです(反原連もそれを謝罪してますね)ですから勉強不足の言葉は私ではなく大阪のスタッフにお送りください。
それから
>反原発・脱原発のシングルイシューではあるが、その主張の中核は「いのちを守れ」「未来を守れ」である。
↑
観測霊さんが風鈴草さんへのお返事で書いてる次の部分をお読みください。
『このデモの目的は何かと考えればそれは「人間を守ること、人間を大切にすること」に集約できるんではないかと。そのデモで一緒にデモをした人さえも救えない、救おうとしないのはどうなのか?という疑問があります。そして多くの人を動員するデモを主催する上で、デモ中に不当に逮捕された人がいるにもかかわらず、その事実に対してなんらアクションを起こさないというのは、それこそデモを企画し、運営するという「大人」として無責任ではないのか、という事です。参加者には相応の責任があるでしょう。でも主催者にも、参加者とは違う場面と重さの責任はあります。それを疎かにして、脱原発が本当に達成できるのか、という疑問については、先のコメントで書きました。』
最後に2点
>前のコメントで書いたことをもう一度書きます。
「官邸前弁護団に事後を託し」というのも一切根拠なく(反原連も「官邸前弁護団」もそのような事は一切言明していません)おっしゃっておられるので、こちらとしては「なんでそんなことが言いきれるんだろう」と首を傾げるしかないわけです。
もしこっぱなお役人(北方在住)さんのおっしゃるように「警察の追求をかわすために」徹底した秘密主義的運営戦略が反原連にあるのなら、なおの事どうしてそれを知り得るんだろうと、やはり不思議なわけです。もしかしたら反原連の中枢に近いお立場でいらっしゃるのでしょうか?
お答えをいただきたく思います。お願いします。
>> ブログ主様や「観測霊」の要求を満たさなければ、デモができないとあれば、もう市民の自主的デモはできないでしょう。
わたしも秋原さんもデモができないとは一言も言っていません。するなとも言っていません。デモを主宰するなら、逮捕者が出たのに何もアクションを越さないのは無責任ではないのか、そんな運動の先細りや頓挫を心配はしましたが、それだけです。責任を取らないならデモなんかするな、とさえ言っていません。
どこがそのように読めましたでしょうか。具体的にご提示いただけませんか。
↑
観測霊さんのこの二つの質問(私も同じ疑問を持ってます)のお答えを私も聞きたく思います。
・・・・・・・・・・
>卑怯な物言いはよせ。肉体労働者がコピーライターより偉いわけでも、その逆でもない。
私は「偉い」などとは一言も書いていませんし、思ってもいません。
問題にしているのは「どちらが正しいか」だけです。
そしてもちろん「正しい方が偉い」わけではありません。
(秋原さんには、私がこういう感覚の持ち主だってことをおそらく
知っていただけていると思います。文章のプロであるBLOG BLUESさんに伝わらなかったことは至極残念です。きっとこれも私の文章力のせいなのでしょう。)
いったいどこから「偉い」などという単語が出てきたのですか?
それに、それならなんでそもそも「コピーライターで何十年も飯を食っている」なんて書いたのですか?
私の物言いが卑怯だとして、BLOG BLUESさんのそれは卑怯ではないんですか?
それから、私はコメントで「秋原葉月さんに対する評価」についてしか書いていないのに、なんでわざわざ「労組幹部に対する評価」の話をされたのですか?
もしかして、私もその話題に触れた方がいいですか?
>「秋原葉月」も「観測霊」も、なぜデモに参加しようとしないのか。
本人じゃないのでわかりませんが、仕事も生活もあるでしょうし、海外生活、もしかしたら「寝たきり闘病生活中」なのかもしれませんよ。
そしてその情報は、まったく出す必要がありませんね。
(それ以前に「参加していない」って書いてたの自体、私は見ていないんですが)
>「秋原葉月」や「観測霊」の言葉には、自らの正義を信じて疑わない鈍感さに満ちており、
少し上の方に、
>その文章に対する感受性は僕の職業経験に根差すものでもあり、自信を持っている。
ほら、BLOG BLUESさんだって、「自らの感受性を信じて疑わない鈍感さに満ちて」いるじゃないですかw
・・・よーするに、こういう批判の仕方はダメってことです。
人がある主張をするときに「もしかしたら間違ってるかもしれませんが~」なんて普通書かないでしょう?
それとも、行間にそれが滲み出るような書き方をしなければならないんですか?
でもそれは、「相手」対しても「議論」に対しても「失礼」というものです。
「議論は100%の力を以って」
「議論」と「感情」を峻別できない人は、「左派」には向いてないと思いますよ。
>官邸前デモは、はなっから、反原発・脱原発のシングルイシューではあるが、その主張の中核は「いのちを守れ」「未来を守れ」である。デモに出ていれば、すぐに解ることである。
私もデモに行きました。
で、日の丸を掲げて歩いていた人に会いましたよ。
「日本の美しい国土を守る、保守としてあたりまえ」という考えは一応筋が通っていると思いました。
だからといって、日の丸批判を取り下げる私じゃありませんけどね。
“その主張の中核は「いのちを守れ」「未来を守れ」”が、「実は多様なあり方をしている」「全然一枚岩じゃない」のが現状でした。
デモに出て行ったので、すぐに解りました。
>このコメント欄の遣り取りをみて、明らかな傾向が伺える。デモに参加している者は、概ね首都圏反原発連合擁護であり、参加していない者は、概ね首都圏反原発連合批判だ。
その通り。
そして私はそれを危惧しています、BLOG BLUESさんとは違う意味で。
「なぜデモに参加している者は、首都圏反原発連合を批判できないのだろう」と。
内部から批判できない組織は、内部から崩れます。
私はそのことが心配です。
>『主催者自身はそもそも“対等”だとは思ってないんじゃないかな、だから「主催者」を名乗ってるんじゃないのかな 』(←私が勝手に直しました。引用部分はちゃんとコピペしてくださいw)
>よくもまあ、これほど、酷いことがいえるもんだ。
これ、酷いですか?「主催者」は主催者たる自負を持って主催者になっているはず、って、むしろ“評価”しているんですが。
>望めば、いつでも、だれでも、主催者になれる。
話をすり替えないでください。
「主催者になれる」と「主催者が全ての一参加者と対等」とは別の話です。
「他個人有志」とは書いてあるけど「他参加者全員」とは書いてないでしょ。
>官邸前デモの主催者は、僕であり、あなたである。
>主催者がいて、参加者がいるという上下関係を越えて行こうとする、従来の「おまかせデモ」を越えて行く試みである。
っていうのは、BLOG BLUESさんの個人的な考え方ですよね。
それとも「首都圏反原発連合」の考え方なんですか?
もし「首都圏反原発連合」の考え方っていうんであれば、しっかりアナウンスした方がいいと思うんですよね。
「あなたも、参加したら主催者です」って。
そんなつもりでデモに参加してる人ばっかりだとはとても思えませんから。
それでも、私の考え方は変わりませんよ。
「主催者には主催者たる責任がある」って。
・・・あっ、だから必死に主催者を擁護するんですか?
「あなたも参加したら主催者です、でも、主催者には「秋原葉月」の言うような責任なんかありませんよ、だから安心して参加してね。」って。
>『そしてそれは、「受け入れられる左翼」にとっても大事なことだと思うのです。』
>論より証拠。首都圏反原発連合は、圧倒的に受け入れられている。従来の党派・労組は、ほとんどまったく受け入れられていない。
ごめんなさい、これはBLOG BLUESさんとは直接関係のない一文なんです(まあ、問題の根っことしては無関係ってわけでもないですが)。
「圧倒的に受け入れられているってこと自体が問題」、つまり「党派性を排除したから受け入れられた」では「原発は止まっても別のものが原発にとって代わるだけだよね」ってことを言いたかったんですが・・・ort
>『「『リクツが(中略)
>「funaborista」が(中略)
>一体、(中略)
>なんで、(中略)
結構なことじゃないですか。
それなら私(や秋原葉月さんや観測霊さん)が何を書いても、影響力なんか皆無じゃないですか。すばらしいことです。
福島の方は、心の底から感謝していて、だから首都圏反原発連合には何の問題もないんでしょう。
だって「連帯」があるから!
・・・・・・・・・・
最後に。
>揶揄中傷のコメントを受けた。
とありますが、それに該当するのはせいぜい
>「コピーライターで何十年も飯を食っている」
の部分だけ。
それ以外は「批判」にすらなっていない。
「世の中にはいろんな人がいるなあ」「BLOG BLUESさんはこう書いてるけど、私はこう思うなあ」ってだけのもの。
私は「理」でなく「感」と、わざわざ初めに書きました。
で、あのコメントのどこらへんが「揶揄中傷」なんですか?
一つ前のコメントで、自ら
>「みんなちがって、みんないい」反原発・脱原発運動も、そうでありたい
って書いているじゃありませんか。
それに倣えば
「私とBLOG BLUESさんの感じ方、みんなちがって、みんないい」
と言えるかもしれませんし、
「主催者の責任の範囲の考え方、みんなちがって、みんないい」
とだって言えるかもしれません。
意外とこういう「沸点の低さ」が、左翼が力を持ちえない一因なのかもしれませんよ。
(自戒を込めてw、そして少し前のコメント沸騰の諸氏に向けて)
私の質問には・・・答えてくれたら嬉しいけれど、別にいいです。
それに対して何か反応する時間はとてもなさそうなので。
あくまでもボランティア首都圏反原発連合から指示されたり依頼されたりする関係にはないようです。
なお、不起訴勝ち取る迄はボランティアで無料、不幸にも起訴されたらそこからは弁護士稼業モードで有料となります(あたりまえ)。
官邸前見守り弁護団
色見にくい
http://mimamori-ben.jugem.jp/?guid=ON&month=201208
tw
川崎弁護士
http://twtr.jp/user/kappamark/status?guid=ON&max_id=230262497523937279
小松弁護士
http://twtr.jp/user/keisukekomatsu/status?guid=ON
過剰警備をしないよう求める
http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=cyoosan1218&id=54900534&ySiD=K2AeUMRVCSqYTivgSzk3&guid=ON
寄生委員会人事
http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=cyoosan1218&id=54905530&ySiD=K2AeUMRVCSqYTivgSzk3&guid=ON
……
まだ続いてたん(笑い)
反原発首都圏連合 技術的な面に限っても、
警察対応
広報
に大きな欠陥がある
とあたしは思いますが
少なくとも足らずを改善しよう とか ないんですかね!?
≪今が最高≫≪今後の過剰警備≫……
売上げ第一 企業社会ニッポン特攻精神で自爆まで爆進してくだされ
回りに迷惑かけないで下さいね。
私も日本の警察のやり方が常に公正だなどとは、けして思っていません。たとえば、在特会はしばしば公衆の面前でも暴力行為を行っているようですが、なぜか彼等はめったに逮捕されません。逆に彼等の聞くに耐えないような罵詈雑言や誹謗中傷に怒って抗議した人たちが、些細なことで逮捕されたりしてきたのは知ってます。
6月22日の事件の時も「右から考える脱原発」のメンバーが逮捕されて、代表の針谷氏は「不当逮捕」だと言ってブログで支援を呼び掛けていました。(逮捕された方は7月13日に処分保留で釈放されたそうです)あの日の午後4時半ごろ、官邸前で、デモの前に短い集会を開くつもりだった針谷氏に対して、先行して始めていた在特会側は自分たちは8時まで同じ場所で続ける予定だと言ったそうです。そして脱原発側を中傷するような言葉をずっと言い続けていました。たまたまその挑発に乗ってしまったのが、針谷氏のお仲間の一人だったわけですが、一般のデモ参加者がそうなった可能性もあったと思います。(私は在特会が、あの日あそこに現れたのはそれを狙ってのことかもしれないと思っていました)
あの時の事件については、マスコミも翌日に「デモの前に、官邸前で原発推進派と反対派の双方の市民団体の間で小競り合いがあった」というようなことは書いたようですが、逮捕者が出たことは書かなかったようです。(双方の“市民団体”の正体が実は「右翼」であることも、おそらくマスコミは知っていたと思いますが、そうしたことも書きませんでした。)でももし、あれがデモが始まった後のことで、逮捕されたのが一般の参加者か、脱原発を掲げる左派的なグループのメンバーだっら、デモへのダメージは大きかったような気がします。
「これは脱原発一つだけの問題ではない、それだけで終わったら意味がない。世の中かからすべての搾取、すべての差別をなくし、本当の民主主義を実現するきっかけにしたい」というお気持ちはよくわかります。私だって脱原発だけで終わってほしくないとは思っています。でも、初めから、考えられる限りの高い理想を掲げて、それをしっかり把握している人たちだけで進もうとするのは無理があるような気がするのです。
私は自分が参加する前に、脱原発デモのことをそれとなくある友人に話してみました。しかし、彼女は白けた顔で首を振り、「そんなことをやったって、結局は力のある人たちにやられてしまうのよ。いつだってそうなんだもの」と言いました。何であれ、政府や財界の意向に逆らっても無駄だということです。そんな、「力のない庶民が何を言っても、やっても無駄」というあきらめの気持ちが、正直、私にもありました。今もそう思っている人も多いと思います。でもそのあと、しばらく考えてみて、結局、彼女が言った「力のある人たち」が望んでいるのは、私たちにずっとそう思わせておくことではないだろうかと思いました。何があってもお上の言うことには楯つかず、下見て諦めて暮せと。
でも、もし、脱原発一つでも成功させることが出来たら、希望が湧いてくるのではないかと思いました。その先が開けるかもしれないと思いました。いつも期待外れになってしまう選挙に頼らなくても、自分たちの思いを政治に反映させることが出来るのだという自信と、政治家や官僚ではなく、自分たちが政治の主人公なのだという気持ちをみなが持つことが出来るようになれば、世の中は変わって行くのではないかと。その時になって、誰かを泣かすことで回っていく世の中など誰が作りたいと考えるのでしょう?「あるべき理想をあらかじめ理解していないような人間が、いくら参加しても脱原発はうまくいくはずがない」とか「うまくいったとしても、後はそれぞれが利己的に戻るだけで、ろくな世の中にならない」というような考え方は、なんだかこちらが見下されているような気がして私は嫌いです。
http://monsoon.doorblog.jp/archives/53756367.html#
なるほど、この被逮捕者の証言を読む限り、この日逮捕者は「警察にくってかかった跳ねっ返り者」でもなんでもなく、まったく何もしてないのに、突然「公妨!」と言われ、不当逮捕されたようです。
一体BLOGBLUSさんは何を根拠に、逮捕された者は警察にくってかかっていた跳ね返り者だと断言してらしたのでしょうか?先ほどのコメントで再度質問したのですが、その根拠を教えていただきたいと思います。
この証言が真実なら、どんなに注意深くしていようが、いつだれが逮捕されてもおかしくないですね。
(引用開始)
虹とモンスーン
2012年08月06日13:59
【投稿】不当逮捕に抗議すると共に、勾留を断念させた関係者の尽力に感謝する ~ 抑圧を許さず、脱原発に向けた非暴力の行動をさらに強化しよう
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=D5V7eNABzSY
投稿
不当逮捕に抗議すると共に、勾留を断念させた関係者の尽力に感謝する
抑圧を許さず、脱原発に向けた非暴力の行動をさらに強化しよう
7・29被逮捕者
私は、7月29日の脱原発・再稼働中止を求める国会大包囲行動に参加し、公務執行妨害容疑で不当逮捕され3日後に釈放された2人の内の1人です。本紙の紙面を借りて、当日の行動に対する警察の過剰かつ不適切な規制と私たち二人の不当逮捕に対する抗議、並びに見守り弁護団を始めとする連日の心のこもったバックアップに感謝を明らかにします。
また、最終的に検事に勾留請求を断念させた力が、本質的には高まる一方の広範な脱原発の声と、その自立的で自制された非暴力の巨万の行動がある種の道義的な力も含めて無言の内に権力に加えている圧力であることを考えた時、昨年以来全国津々浦々で自らの意志で運動に立ち上がり共同のネットワークを発展させ共同の行動へと発展させてきたすべての人々に敬意を表すと共に、今回の弾圧を超えて私も、脱原発を確かなものとするための共同の闘いを率先して引き受けてゆくことを明らかにします。
その立場からここでは、現在の脱原発運動が体現している民衆的正統性の具体的な姿を示す一助としても、当日私が経験したことの一端を伝えたいと思います。
私はかなり以前から仲間と共に原発の問題を地域に訴える活動を行ってきた者ですが、その立場から当然にも昨年以来の脱原発の運動に積極的に参加してきました。当日も地域の仲間と共に参加しましたが、漠然と国会を囲むヒューマンチェーンのどこかに参加しようというものでした。しかし日比谷公園から国会に向かう途上からすでに混雑がひどく、参加地点を選ぶ余裕などなく、私たちも警察の誘導にしたがって進む以外にありませんでした。その結果たどり着いた先が国会正門に向かい合う歩道上でした。つまり、私の逮捕現場となった国会正門付近に私がいたのはたまたまということです。
しかしそこは到着した時から大変な混雑になっていました。実はそこがメインの会場だったのであり、私たちが到着してまもなく、国会議員を始めさまざまな人が発言を始めました。もっともあまりの混雑で、発言はまったくと言ってよいほど聞こえませんでした。それもあって、あまりに混雑がひどいので私たちは、横断歩道を超えてさらに先の歩道に出たいと思っていました。それは周辺の人も同じだったようです。が、どういうわけか警察は移動を阻止し、そのためあちこちから警察への抗議の声が上がっていました。
しかしその間にも後ろから人波がどんどん押し寄せ、現場の混雑は輪をかけてひどくなっていきました。後ろから押し寄せてくる人波も警察の誘導を受けているはずです。ところがその先では同じ警察が移動を阻止するという、実に理不尽なことが起きていたのです。
いずれにしろ状況は次第に危険を感じさせるものとなり、周辺でも明石の事故のようになってはまずいとの声が出始めていました。それもあって、既に点火されたキャンドルも多くなっていたのですが、火を消せと声を掛け合ってキャンドルも消されました。何かの拍子に衣服に火が着けば大変な事故になると予想されたからです。
ここに居合わせた人々は、私たちのような小グループだとしても、互いにはほとんどが見ず知らずの人たちです。しかしその人たちが、原発ヤメロの思いの共有だけを信頼して、誰の指示を待つこともなく互いを気づかい自制心と忍耐をもって秩序を保っていました。いわば闘いの中で生まれる民衆の自治であり、その点で一連の脱原発運動は大切にすべき貴重なものを生み出しつつあるように思います。
それと対比して警察の対応はひどいものであり厳しく非難されるべきです。人の移動を説得力ある理由もなく阻止する措置の不当性に加えて、前述のように混乱しているばかりか、人々の安全に配慮するという観点をまるで欠いたものでした。要するにそれは、もっぱら主権者である市民の抗議の行動を封じ込めることに特化したものと言わなければならず、まさに正当性を欠いた対応です。
この状況の中で人々はやむなく、国会正門に突き当たる車道側にあふれ出したようです。「ようです」と書くのは、後ろの方にいた私にはその始まりがまったく見えなかったからです。いずれにしろ日曜日の夜であり通行する車両も少ない中、それは合理的な選択だったと思います。
ともかく私は横断歩道を渡る人の動きが見えたので、少しは混雑が緩和できるとほっとした思いで横断歩道上に出て先に向かおうとしました。その時国会正門方向から一団の警官がものすごい勢いで殺到してきました。警察マイクでの通告などはなかったので、彼らが何をしたかったのかは分かりません。いずれにしろ激しく押される中、そこにいた人たちも勢い押されまいと踏ん張りました。その時に私の前にいたひとりの若い警官が突然「公妨」と叫び私につかみかかりました。周囲の警官たちも条件反射のように私をつかみ結局私はそこで逮捕となったわけです。
検事に見せられた送検書類には、「オウと声を上げ棒状のものを握った拳で前頭部を殴打」との、件の警官の「証言」が印されていました。もちろん私には「殴打」の記憶はないし、その必然性もありません。ただ私はのぼり旗をもっていたので棒状のものを握っていたことは確かです。件の警官は顔の間近に旗のポールが近づいたので「襲われる」と錯覚したのかもしれません。あるいは「国会突入」などという先入観があったのかもしれません。しかし結果を見れば明らかですが、当日そこにいた人々は、そのような無意味なことは誰も考えていなかったと思います。いずれにしろ明らかな不当逮捕です。
結果として私は警察署で二日間取り調べを受けることになりましたが、先のような逮捕状況ですから調べる内容も大してないまま過ぎ、最終的に釈放されました。ただ逮捕当夜は、翌日午前3時まで取調べ室に置かれました。後でこれは大変不当なことだと教えられました。
ここに印した今回の経験を通して私は、現在の脱原発運動に主張と行動双方を貫いた高い正統性が刻み込まれていることを改めて実感しました。その対極に政府や財界を含む既成エリートの正統性喪失があります。私たち2人のお粗末な不当逮捕を含む今回見られた警察の対応の混乱と自信のなさはその結果と言えます。原発温存勢力を包囲し打ち砕くために、そのことをはっきり確認し、人々の自律性を尊重した非暴力の共同をさらに発展させるために力を合わせたいと思います。
(引用ここまで・強調は私)
「敵意をむき出しにして警察に突っかかっていかない限り、その心配(逮捕の心配)はありません。」というBLOGBLUSさんの見通しはやはり甘いのではないでしょうか。
これで主催者に「首都圏反原発連合側にすれば、逮捕された方を、ある意味デモ破りの方です、なんてバカな真似をしてくれたんだと、愚痴のひとつもこぼしたくなるのは、人情として当たり前ではありませんか。」などとと文句言われたら、被逮捕者は立つ瀬がないように思います。
「官邸前デモ見守り弁護団」は、首都圏反原発連合と連絡を取り合っている。「官邸前デモ見守り弁護団」が、はっきりと明言している。これを『事後を託した』と表現しても、文章表現及び実態として間違ってはいないはずだ。首都圏反原発連合が、逮捕者救援になにもしていないというのは、デマゴーグだ。撤回されたい。
さらに、過剰警備にも、きっちり申し入れをしており、デモの現場で参加者が警察の暴力にさらされないように、しっかり見守っていてくれている。これほど頼もしい味方を付けた、首都圏反原発連合、やるじゃないか!というのが、僕の評価だ。
対外的アナウンスがないのは、もう憶測するしかない。その内容は、僕も「こっぱなお役人」(ごめんなさい、先のコメントで「こっぱ役人」と記してしまいました)も、披露している。それほど興味をお持ちなら、直にお訊ねになるがよかろう。
今日本で、最も組織力のある反体制勢力は、日本共産党だろうが、その共産党でさえ、ビラまき不当逮捕者を無罪にできなかった。それほど法廷闘争とは、困難なものである。法廷闘争を極力避けている(ようにみえる)首都圏反原発連合の方針を、僕は諒とする。
もちろん、それを諒としない戦い方もあろう。それが正義の戦いと信じる向きは、ぜひ戦ってほしい。ご両名は、それが正義の戦いと信じているのでしょ、なぜ戦わないのですか?官邸前デモは、平野太一という一人の若者のツィートから始まったのですよ。
デモは官邸前だけじゃない。毎日新聞が伝える通り、首都圏反原発連合に大きなヒントと刺激を受けて、全国各地の有志が立ち上がり、野火のように燃え広がりつつある。それが、どれほど福島の方々に勇気と希望を与えているだろうか。
美緒子・スミス氏が喝破した「水俣と福島に共通する10の手口」の、就中、7「被害者を疲弊させ、あきらめさせる」を打ち砕いたのである。官邸前デモは、ガス抜きには終わらなかったのである。僕もその10万分の1の力になれた。とても、うれしい。
ブログで「なぜ反原発・脱原発の国民運動をマスコミは黙殺するのか」と論評しているだけでは、世の中動かない。他のテーマでも同じことだろう。自分とわずかな読者の、それこそガス抜きだ。そういうことも、首都圏反原発連合は、僕らに教えてくれた。彼らから学ぶべき点は大いにある。もちろん、批判すべき点もあろうが、所詮世の中の人為し事、百点満点などあろうはずもない。僕は、彼らの欠点よりも、美点に目がいく。
自エントリ「スローなデモにしてくれ」で述べているが、僕は、デモで国策が変更される可能性はきわめて低いと思っている。万が一、その可能性があるとしたら、広がりつつある野火が燃え盛ったときだ。そのためには、党派・労組の力も必要だろう。党派・労組は、首都圏反原発連合に呼応して、ぜひ立ち上がってほしい。しかし、それは、首都圏反原発連合にガイドラインの変更を求めることでは全然ないはずだ。「みんなちがって、みんないい」で、いこうじゃないか。
こうした多様性を尊重する姿勢は、代々木系・反代々木系を問わず、戦後左翼からはおよそ感じ取れなかった姿勢であり、それが、今日の左翼ほぼ全滅状況を招いたと僕は考えている。大阪の労組幹部の言動・行動にも、旧態依然のその匂いが立ち籠めてはいなかったか。
党派性を排除する気は、官邸前デモに集まった「善男善女」には、相対的に少ないはずだ。ちっぽけかもしれないが「お上」に楯突く行為ですぞ。総体としては、左翼運動といえるはずだ。あらためて、こうした時空間を形成し得た首都圏反原発連合を称えたい。この左翼ほぼ全滅状況の中で、とてつもない快挙だ。
それもこれも、首都圏反原発連合のほうが、既成の左翼党派より、断然魅力的だったということだ。それだけのことだ。「党派性を排除することによって、人集めに成功した。そんなのまやかしだ」という主張には、顔洗って出直してこい、というほかない。少なくない国民が、魅力的な左翼党派の登場を心待ちにしている。
首都圏反原発連合が先鞭をつけた草の根反原発・脱原発運動が、さらなる成果を上げ、脱原発を達成し得るかどうかは、フォロワーの努力に掛かっていると思う。官邸前デモは、厳重警戒にあって、これ以上の進展は望みにくくなっている。首都圏以外の方々の奮闘努力を期待したい。まさに、ご両名だ。
『私の質問には・・・答えてくれたら嬉しいけれど、別にいいです。 それに対して何か反応する時間はとてもなさそうなので。』
僕も再反応する時間が惜しい。よって、答えない。ただ一つだけ感想を述べておく。あなた、相当な日本語の遣い手ですね。前回のコメントは嫌味たっぷりの揶揄に彩られた文章トーンだったが、今回は、がらっと変えて、折り目正しい文章トーンできた。前回の文章トーンを自覚していたからだ。大したものだ。
『まだ続いてたん(笑い)』
傍目には、僕は「荒らし」と映るだろう。まったく、不本意である。当コメント欄への投稿は、これにて本当に打ち止めにする。論戦を避ける気はない、望まれる方は「BLOG BLUES」まで、ご足労願います。
>
> 「官邸前デモ見守り弁護団」は、首都圏反原発連合と連絡を取り合っている。「官邸前デモ見守り弁護団」が、はっきりと明言している。これを『事後を託した』と表現しても、文章表現及び実態として間違ってはいないはずだ。首都圏反原発連合が、逮捕者救援になにもしていないというのは、デマゴーグだ。撤回されたい。
ですから、私や観測霊さんの言ってることは、両者は別個の団体だから(見守り弁護団がはっきりそう断言しています)、主催者は主催者で公式発表するのが筋だ、筋を通せ、ということなのですが、このこと自体の意味が全く理解してもらえないようです。もう理解していただくことは諦めました。
> さらに、過剰警備にも、きっちり申し入れをしており、デモの現場で参加者が警察の暴力にさらされないように、しっかり見守っていてくれている。これほど頼もしい味方を付けた、首都圏反原発連合、やるじゃないか!というのが、僕の評価だ。
経過を見る限り、他人の褌、他人任せ、という気がしないでもないのですが。
それにぽむさんのコメントをお読みになったのでしょうか?
抜粋します。
(引用開始)
「首都圏反原発連合」参加グループの一つである「TwitNoNukes」編著による「デモいこ!声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える」(河出書房新社、2011)という本。(略)
でも、気になる点もいくつかあるのです。そのひとつがまるで警察がデモの円滑な実行のために協力しているような「おまわりさんは何をやっているの?」というコラム。このコラムが後に出てくるコラム「公安条例と許可条件」を正当化するようになるというなかなか巧みな構成になっています。警察がデモがスムーズに進行するように協力しているなんてことはないのは、デモに参加してみればすぐわかることですよね。最近の参加人数がふくれあがった脱原発デモでは出発までの時間がやたら長くてさんざん待たされます。警察がデモをできるだけ小規模に見せようと細かく分断するからです。ちなみに、この本、奥付を見ると編集スタッフとして噂の(?)野間易通氏がクレジットされています。
(引用ここまで)
主催者の基本的な考えはこのようなものです。
「今の官邸デモが先月29日までは逮捕者も出すことなく、きわめて「平和的なデモ」でいられたのは、警察が理解を示したとか軟化したからではないのです。主催者側が警察に対し、相手の要求をすべて受け入れ、あくまで低姿勢で臨んだからでしょう」とぽむさんが指摘されてるとおりです。
主催者は「皆さん、警察は悪くありません!マナーを守ってください!警察官の誘導指示に従ってマナーを守ってデモをしてください!」 「マナーが悪くて残念です。警察が悪いわけではありません。」と心さんがアナウンスするままにしていました。
それでいて、「警察の暴力にさらされないように、しっかり見守っていてくれている」弁護団を味方につけたとは、反原連は頼もしい、とは実に都合の良い丸投げというかいいとこ取りだと感じます。
ところでBLOGBLUSさんは、逮捕された者は警察にくってかかった跳ね返り者だと仰ってましたよね?非難の意思さえ感じました。
ところが本人の話では全然違います。濡れ衣じゃないですか。
私は先のコメントでそれを指摘したのですがそれもスルーされたようですし、BLOGBLUSさんの解釈はご都合主義としか思えません。
> 今日本で、最も組織力のある反体制勢力は、日本共産党だろうが、その共産党でさえ、ビラまき不当逮捕者を無罪にできなかった。それほど法廷闘争とは、困難なものである。法廷闘争を極力避けている(ようにみえる)首都圏反原発連合の方針を、僕は諒とする。
これも、私が前のコメントで
「それに、主催者が逮捕に関して公式に発表したり対応したりすると、起訴されて「法廷闘争」になるかのように仰っていますけど、どうしてそんなことになるとお思いになるのか、これもさっぱり理由がわかりません。
麻生リアリティツアーでは主催者がありとあらゆる手で対応したから起訴されず釈放に繋がったと思われますが。 」
と尋ねたことを、完全にスルーされてますよね?
でも、もうお答えは期待しません。
> もちろん、それを諒としない戦い方もあろう。それが正義の戦いと信じる向きは、ぜひ戦ってほしい。ご両名は、それが正義の戦いと信じているのでしょ、なぜ戦わないのですか?
この一文でBLOGBLUSさんは私やぽむさんのコメントをきちんとよんでいないことを確信しました。
ぽむさんのコメントから
「BLOG BLUESさん。地理的に官邸前デモに参加できない人はたくさんいます。当たり前ですが、日本人全員が東京近郊や首都圏に住んでいるわけではありません。現場を知らないから言うなってどこかの危ないコスプレイ機長みたいじゃないですか。離れて見ているから冷静な判断ができるということもあります。」
私のコメントから
「私は参加したともしていないとも言ってませんけどそれ以前に、みんながみんな官邸前デモに参加可能な状況にある(東京近郊に住んでいるとか長時間外出できるとか)という思い込みはやめていただけませんか。」
これをスルーしてまだ「なぜ戦わないのですか?」と繰り返すのですから、いやはや・・。
> デモは官邸前だけじゃない。毎日新聞が伝える通り、首都圏反原発連合に大きなヒントと刺激を受けて、全国各地の有志が立ち上がり、野火のように燃え広がりつつある。それが、どれほど福島の方々に勇気と希望を与えているだろうか。
>「みんなちがって、みんないい」で、いこうじゃないか。
だったら何故反原連は「27日はデモは行われないからこないように」などというアナウンスをしたのですか。そして27日のデモの時間帯に会わせて記者会見を開き、そこで「あのひとたちはちょっと・・」というように27日のデモを否定するような発言をどうしてしたのですか?これでは27日のデモに出席した人達はまるで妨害だ、反原連に排除されたと感じるでしょう。
これのどこが「みんなちがって、みんないい」で、いこうじゃないか。」になるのでしょう?
実は私はこのことをBLOGBLUSさんあてのコメントで既に指摘したのに、またまたスルーされたみたいです。http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1039.html#comment9299
やはり私や観測霊さんやぽむさんのコメントをきちんとお読みになっていないとしか思えません。
残念です。
最後に、私が繰り返した観測霊さんの二つの質問
最後に2点
>前のコメントで書いたことをもう一度書きます。
「官邸前弁護団に事後を託し」というのも一切根拠なく(反原連も「官邸前弁護団」もそのような事は一切言明していません)おっしゃっておられるので、こちらとしては「なんでそんなことが言いきれるんだろう」と首を傾げるしかないわけです。
もしこっぱなお役人(北方在住)さんのおっしゃるように「警察の追求をかわすために」徹底した秘密主義的運営戦略が反原連にあるのなら、なおの事どうしてそれを知り得るんだろうと、やはり不思議なわけです。もしかしたら反原連の中枢に近いお立場でいらっしゃるのでしょうか?
お答えをいただきたく思います。お願いします。
>> ブログ主様や「観測霊」の要求を満たさなければ、デモができないとあれば、もう市民の自主的デモはできないでしょう。
わたしも秋原さんもデモができないとは一言も言っていません。するなとも言っていません。デモを主宰するなら、逮捕者が出たのに何もアクションを越さないのは無責任ではないのか、そんな運動の先細りや頓挫を心配はしましたが、それだけです。責任を取らないならデモなんかするな、とさえ言っていません。
どこがそのように読めましたでしょうか。具体的にご提示いただけませんか。
↑
観測霊さんのこの二つの質問(私も同じ疑問を持ってます)のお答えを私も聞きたく思います。
BLOGBLUSさんは様々な事柄をスルーされた上に、最後にこの2点をまたしても見事にスルーされた、と言わざるを得ません
当日、最前線にいました。気づいたら「東京ユニオン」の旗の真下です。警察が押して来ましたので、力の限り「警察、押すんじゃない」と叫んでおりました。じきに「警察押すな」のシュプレヒコールが上がり、警察も力をゆるめ、小康状態が保たれました。逮捕の瞬間は見ておりませんが、僕も逮捕された可能性はあります。最前線にデバるのは、僕のような血の気の多い者に限りますので、「風鈴草」のような方が逮捕される危険はまずないと見て、安心ですとアナウンスしました。たまたま巻き込まれて最前線に「善男善女」が来てしまったのですね。僕の憶測が外れました。訂正して、お詫び申し上げます。
僕は、首都圏反原発連合と、その中の「有志」を、区別して考えています。ブログ主様にも、区別してお考えくださいと、初めの方でお願いしております。僕が評価しているのは、首都圏反原発連合です。この方たちは「たんぽぽ舎」とか「緑の党」とか「素人の乱」とか、信頼の置ける方たちです。武藤頼子さんとか福島の方たちとも信頼の絆で結ばれております。その面を一顧だにしない、ブログ主様に、愛がないと申し上げました。
「官邸前デモ見守り弁護団」が結成されたのも、この方たちの人徳によるものでしょう。ですから、僕の評価は「首都圏反原発連合、やるじゃん!」となります。
主催者が公式発表しないのは、僕に訊かれても困ります。直にお訊きください。憶測はすでに僕も「こっぱなお役人」も述べております。憶測が外れておりましたら、訂正しお詫び申し上げます。
デモは全国に広がっております。きちんと書いております。官邸前でやれとは言っておりません。なぜ、ブログ主様の信じる正義の戦いを、なぜブログ主様の持ち場から始められないのですか?時間がないなんて、いわないでね。市民のデモなんだから、みんな生活を持ちながら、やりくりして、やっているのです。なぜやらないのですか?ご回答ください。
7.27は首都圏反原発連合の主催です。「有志」が勝手にぶんむくれて、主催が違うなどと管を巻いてるだけと、僕は、スルーしました。ブログ主様にも、「有志」はスルーしていただくよう、初めの方でお願い申してあるはずです。実際、7.27に参加された「善男善女」にとっては、いつもと同じ官邸前デモだったはずですよ。僕も、いつもと同じ気持ちで出かけ、いつもと同じ体験をしました。
では、なぜ「有志」を批判しないのか、という疑問が起こるでしょう。尤もです。彼らは、若く(この場合は、未熟と同じ意味)言葉も貧弱です。しかし、始めたのは彼らだからなあ。もうその功績は讃えざるを得ない。引きずり降ろすこともできないでしょう。そして、ここが、官邸前デモの奇跡の秘密だと、僕は考えているのですが。
ひょうたんから駒です。彼らの政治意識の低さが、警察の油断を招き、解放区を三たび現出させるという離れ業を演じさせた。これはもう、彼らがひょうたんであろうと、であるからして駒を出しちゃった以上、結果責任という考えがありますが、結果功績として讃えざる得ないだろうというのが、僕の考えです。ですから、彼らのしょうもないメッセージは、完全スルー。首都圏反原発連合の信頼できるスタッフについて行く、というスタンスを取っております。
僕の立場は、すでに述べております。ま、僕も丁寧に読み込んではいないが、ブログ主様も相当杜撰だ。個人有志という表記に基づいて、首都圏反原発連合の一員になったつもりで(連合には報告していません。僕の個人的な心掛けです)、自主的に参加しております。あっ、それから、僕はちゃんと会費を払って登録された「緑の党」のサポーターでもあります。
文章全体から、そのように判断しました。えっ、要求を満たさなくてもいいのですか。だったら、警察と妥協するデモもありってことですよね。ああ、よかった。それでなくちゃ、とてもおいそれとは、市民デモなどできません。
でも、ブログ主様の信じるデモは、違うよね。官憲横暴に対して真っ向対峙するデモをやるべきだ。そうしたデモでなければ、市民の権利は担保されない。脱原発は達成されない。ガス抜きに終わってしまうだろうと、はっきり主張されています。そこまで、官邸前デモをおとしめす以上は、強い意志がおありなのでしょう。臆せず実行してください。
一言でいうと「現実みろや」
この国のいろいろな現実に合わせるとこの方法が「モアベター(よりまし)」だという主張(ベストとは主張していませんよね?)
管理人さん他の主張
一言でいうと「世界標準に合わせましょう」
警察(公安)のデモに対する対応はまあ、欧州勢とは全く違うというのは解っているので、それを正しましょうという主張
私が読んだ範囲での認識としてはこのような主張だと思われます。私はどちらの主張も正解だとは思いますが、「今のこの国」で、「継続的に」且つ「一般の人も巻き込んで」デモを行うならBLOGBLUSさんの主張である現状のままで行かざるを得ないというのは痛いほど理解できます。ただ、これからこの運動を欧州並みにほかの話題に発展させるには、管理人さん他の主張にも首肯できますが、その場合、「一般の人の支持(参加)はあきらめる」必要があるやに思えます。なぜなら、「一般の人」にしてみれば、今のデモですらおっかなびっくり参加している状況で、それを急に発展させればついていけない方が続出するのは火を見るより明らかで、また、警察サイドにしてみても「60年安保」時のマニュアルで警備監視をやっていると思われますので、抵抗→公妨で逮捕という作業に躊躇を持ちえない状態であることが推測されます。またこの場合、刑法第106条及び第107条の適用すらあり得ます。
警察と対峙をしないという選択をデモ隊がとるというのであれば(逮捕者に関するリアクションをしないことを含めて)、現状は「よりまし」な状態であるように私には思えますが、皆様はどうお考えでしょうか?
追伸:
BLOGBLUSさん
まあ、私は試される大地勤務のしがない土木系事務の下っ端国家公務員(こっぱ役人)なので、気にしてませんよ~
dmpxさん
確か不起訴処分には3か月くらい掛かったような…まあ、釈放後2~3週で結論は出ないと思われます。
まず、一応断っておきますけど、わたしは反原連のデモを全否定しているわけではありませんし、反原連を潰したいわけでもありません。
> まずは「逮捕者が出ない(出さない)」ことの方が何より大切のような気がします。主催者側はそちらを優先したかったのではないでしょうか
そうかもしれません。
ですが、その意図が実現できなかったからと言って「出てしまった逮捕者」に対してなんら救済的なアクションをしなくていい事にはなりませんよね。
> 初めから、考えられる限りの高い理想を掲げて、それをしっかり把握している人たちだけで進もうとするのは無理があるような気がするのです。
「だけ」などとは一言も言っていないと思います。わたしの言う事に同意できないならデモから出ていくべき、なんてことも言っていません。どうして「高い理想を持つ者だけで脱原発を目指すべき」とわたしが言ってると思われたのかよく解りません。
わたしはこの議論で誰かを脱原発運動から排除したいわけではありません。わたしからすれば反原連の方こそ「逮捕されたものは仲間に非ず」と、逮捕者を切り捨て排除しているように見えるのです。それをやめるべきだと申し上げています。
さらに言えば、最初からみんなが「考えられる限りの高い理想を掲げて、それをしっかり把握している」必要はないとわたしは考えます。わたしだってそんな大層な立ち位置にはいません。ただ、デモはいろんな人に出会うでしょう。いろんな人と話をするでしょう。たくさんの意見を聞くでしょう。その中で、学んで、考えて、変わっていけばいいとわたしは思います。
反原連のデモも時間を経ればやがて変わっていくでしょう。その変化がより深い、脱原発の達成を導くよなものであることを祈っています。これは皮肉ではありません。真剣にそうあってほしいと願っています。
> 彼女が言った「力のある人たち」が望んでいるのは、私たちにずっとそう思わせておくことではないだろうか
森元総理の「無党派層は寝ててくれればいい」発言(2000年6月)などはわかりやすい一例ですね。その意味で数万人の国民が度重なるデモを行っている現状は、相当プレッシャーでしょうね。そういう意味でわたしは反原連の一連のデモを一定評価しています。
> 「あるべき理想をあらかじめ理解していないような人間が、いくら参加しても脱原発はうまくいくはずがない」
> 「うまくいったとしても、後はそれぞれが利己的に戻るだけで、ろくな世の中にならない」
悲観的ではありますが見下しているつもりはありません。そのように読めましたのなら、その点はお詫びします。
わたしだって主催者と同じ立場にいたら、より上手くふるまえるような自信や確証はありません。つまり「主催者がそうふるまっている事」と同時に「そうふるまわざるを得ない社会状況」が問題なのです。これはこっぱなお役人(北方在住)さんへのコメントでも書きましたが、実にひどい状況です。
言い換えれば、わたしが主に問題視しているのは、主催者の今回の「不当逮捕」に対する徹底した不作為ですが、十万人からいるほかの参加者も、逮捕を報じたマスコミも、この「不当逮捕」にどれだけ声を上げているかを考えると、やはり悲観的にならざるを得ません。
先のコメントの繰り返しになりますが、今回の逮捕者に対する切断処理は「犯罪者は自分たちとは異質な、異常な人間」というステレオタイプに基づいた不作為の結果であるようにわたしには思えるのです。期せずしてBLOG BLUSさんが逮捕されたのは「警察にくってかかった跳ねっ返り者」で、「首都圏反原発連合側にすれば、逮捕された方を、ある意味デモ破りの方です、なんてバカな真似をしてくれたんだと、愚痴のひとつもこぼしたくなるのは、人情として当たり前ではありませんか」と仰った(訂正はされましたが)事がそれを裏打ちしてくださっています。
つまり「逮捕された人間はされるべくしてされたのであって、そうでない、一般の参加者とは一線を画した異質な人たち(だから他の人は逮捕されず安心)」という認識で逮捕者を見ていたのではないか、だから救済の必要を認めず、徹底して不作為を貫いた(ここはBLOG BLUSさんと見解が異なりますが)だけではないのか。
でも実際はどうでしょうか?今回逮捕されたのは、わたしや風鈴草さんやBLOG BLUSさんやとは全く異質の、特殊な人間だったからでしょうか?そうではありませんよね。
であるならば、反原連は逮捕されたのが「特殊な人だから」見捨てた、のではなく「普通の人であっても」逮捕されたら「特殊な人」とみなして(結果的に)見捨てるという事になります。
あるいは逆に反原連の中核メンバーが逮捕されても、反原連は同じ対応が取れるでしょうか?
反原連の今回の対応に批判の声を上げないということは「逮捕されたのがどんな人であれ、逮捕されたのを放置することで利用するような『戦略』」を是とすることを意味します。それは運動全体のために個々人を省みない戦略です。
この「自分たち」と「逮捕される異質な誰か」を分離する論理(つまるところ「異質な誰か」を救済する必要はないという論理)で原発をすべて廃止したとして、たとえば核のゴミの最終処分場がことごとく地方(あるいは海外)に補助金とともに押し付けられる(つまり現在の原発と全く同じ状況が現出するわけです)事が本当に避けられるのでしょうか。廃炉のための被曝作業を途上国や地方の労働者、貧困層にある若者たちにのみ押し付ける(これは現在進行中の問題です)事が避けられるのでしょうか。あるいはおそらく構想は既に誰かが挙げているでしょうが、受刑者(死刑囚)を被曝労働に従事させようという、反吐が出そうな政策が現実に現れた時、それを止めうる力になるでしょうか。
「被曝したくない」はミーイズムでもあります。「被曝させたくない」をどこまで徹底できるのか、脱原発に問われているのはそこだと思うのです。それはなぜかと問われれば、(本来不要な)被曝してはいけない(しなくていい)人と(本来不要な)被曝してもいい(せざるをえない)人との間に線を引く限り、被曝労働を誰かに押し付けて成り立ってきたこれまでの原発依存社会を批判できなくなるからです。
それは誰かを「見捨てる」「泣かせる」事でしか回らない世界です。脱原発がそういう世界を否定するなら、デモに参加したあらゆる人を、デモに参加しないあらゆる人を見捨てるべきではありません。ですから反原連はその主催者の責任を果たすように、個々の参加者を見捨てない運営をするようになってもらいたいのです。
もっと即物的に言えば何かの間違いで逮捕されたとき、救援に動いてくれる主催と、知らん顔して次の予定を発表しちゃう主催と、同じデモでも参加するならどちらがより安心ですか?どちらのデモがより長く継続できますか?という話でもあります。今後脱原発デモで大規模な、数十人から百人単位の逮捕があれば、参加者の多くは確実に「ドン引き」です(そして警察は常にこの選択肢を考慮しているでしょう)。これは主催者の咎ではありません(そしてかつて左翼がたどったのと同じ道です)、それこそ「警察と真っ向から対立するみたいなことは、理屈抜きでしたくない」「『反体制運動』に慣れていない人たち」にとってどっちがありがたいかと言う話です。
ちなみに「逮捕されたら対応してくれる」=「逮捕上等で過激にやる」ではありませんからね。念のため。
〉BLOG BLUSさん
> 回答済みです
せっかくのお答えですけど、「答えになっていません」としか申し上げられません。「憶測するしかない」ものを普通は「具体的な根拠」とは言いませんよ。
> ご両名は、それが正義の戦いと信じているのでしょ、なぜ戦わないのですか?
既に秋原さんがお答えになってますけど、デモをするもしないも個人の自由ですし、参加しない人間には参加しない人間の事情や主張があります。そしてそれを公表する義務はありません。
デモを批判する人間にはデモに行かない自由がないのですか?だったらもう、反原連で「徴デモ制」でも整備なさって、反原連に批判的な人を片っ端からしょっ引いてデモの現場に連れて行ってはどうですか(笑)
わたしが付け加えるとしたら「話を逸らさないでください」。ここで問題になっていたのは主催者の不作為をどう考えるかです。わたしや秋原さんがデモに行くか行かないかなどではありません。不作為ではない、と仰るから根拠を求めたら「あいつらはすごいんだよ」と言われても、こちらとしては、「はぁそれで?」としか思えないと、何度も申し上げています。彼らが「すごい」事と「不作為」をすることは何ら矛盾しません。「すごい」から「不作為」をするはずがないというのは、ただの思い込みですよ。
あと、あまり言うべきことではないのかもしれませんが、秋原さんはどうかわかりませんけれども、少なくともわたしは「正義の戦い」なんて信じていません。自身の行動が「正義」であると自称するほど、羞恥心は失っていないつもりです。
脱原発だって、原発労働者、技術者から仕事を奪うという「悪」を内包しています。ウラン採掘に携わる労働者も仕事を失い、生活に困窮をきたすかもしれません。それでもこれ以上原発を推進するよりははるかにマシだと考えるから、わたしは脱原発を主張しているにすぎません。
ご自身の想像だけでこちらの行動や考え方や生き方を勝手に規定して批難されても正直困ってしまいます。
> 百点満点などあろうはずもない。
百点満点を求めているわけではありません。光の帆船さんにも申し上げましたが。
> 党派性を排除する気は、官邸前デモに集まった「善男善女」には、相対的に少ないはずだ。
つまり官邸前では「労組の旗」を掲げても排除されないのですか?
> 党派性を排除することによって、人集めに成功した。そんなのまやかしだ
そんな主張誰もしていません。
> 主催者が公式発表しないのは、僕に訊かれても困ります。直にお訊きください。
最初にそうおっしゃるべきでしたね。
そして何人もの人がこの件で反原連を批判していますが、いまだに反原連は何の見解も示していません。
…総じて、やはりスルー力とご都合主義が半端ないなという印象を抱きました。おそらくこの件でそちらにお邪魔する事はないかと思われます(もう堂々巡りが目に見えているので)。
> こっぱなお役人(北方在住)さん
> 警察と対峙をしないという選択をデモ隊がとるというのであれば(逮捕者に関するリアクションをしないことを含めて)、現状は「よりまし」な状態である
”主催者にとっては”そうでしょうね。
”逮捕された人にとっては”また違う「よりまし」な状態があったと思いますよ。
少し異議を唱えるならわたしの(あと多分、秋原さんも)主張は「世界基準に合わせましょう」ではなく、「困っている人がいたら助けましょう。それがデモの仲間で、不当逮捕ならなおさらです」。
それが警察の常態化した過剰警備に異議を唱え、結果的に「世界基準」に近づくことになるのだと思います。
【7/29 22:37:55】≪麹町警察なう。逮捕者二名。これより小松弁護士と山川弁護士が接見≫
【7/30 00:43:40】≪諸々ありまして、官邸前見守り弁護団として、本格的に逮捕者の救援弁護に取り組むことになりました……≫
【7/30 12:10:49】≪公務執行妨害、と報道されています……≫
【7/30 15:48:57】≪……デモに参加されるみなさんはどうか必要のない逮捕はされないでください。野宿者、困窮者、被災者、避難者支援活動に支障をきたします。ほんとうです(笑)≫
【7/31 20:23:52】≪【報告1】すでに色々と流れていますが、日曜に国会正門前で逮捕された二人は、本日無事に釈放されました。救援連絡センターと見守り弁護団の共同で弁護にあたる形になりました≫
【7/31 20:27:27】≪【報告2】カンパですが、昼間に記帳した段階で……≫
【7/31 22:41:29】≪「官邸前見守り弁護団」のウェブサイト作りました。……木曜日に正式発表予定の過剰警備に対する声明(官邸前と国会正門前道路をあらかじめ解放したらええやん)も載っています。賛同いただける弁護士の方はご連絡ください。お名前追加します……≫
【8/01 19:20:51】≪「見守り弁護団」と首都圏反原発連合の関係について。「見守り弁護団」は勝手連的な弁護士の動きで直接的な関係はありません。主催会議に出ているわけでも、方針決定に関わっているわけでもありません。ただ、緩やかに連絡を取り、情報交換しています≫
【8/01 19:26:02】≪「見守り弁護団」は官邸前での抗議運動の高まり自体に関心を共有する弁護士の集まりなので、必ずしも「再稼働反対」一色というわけではありません。「表現の自由」「市民の政治参加」「監視弁護」などへの関心から参加している弁護士も含まれています≫
【8/01 19:29:09】≪例えば官邸前で、あるいは国会正門前で、急病人が出たとしたら、医師の資格を持つ人が駆け寄るでしょう。同じように、それぞれの参加者が、それぞれのスキルに応じて、なすべきことをするのだと思います。弁護士がそこにいれば、弁護士としてなすべきことをするでしょう≫
【8/01 19:30:55】≪私たちは、主催の方々の運営方針に対して、(個々の弁護士からはいろいろあるかもしれませんが)「見守り弁護団」として直接的に意見はありません……≫
【8/01 19:38:22】≪私たちとして言うべきだと考えることは、私たち個々の弁護士の名前で、警視庁や政府に対して、直接的に発信していきます。……≫
【8/01 22:17:58】(引用者注:あの交通規制はどうにかしてほしい…のツィートに対して)≪声明出しましたよ……≫
【8/02 11:30から】IWJ.UST/首相官邸前抗議行動の過剰警備に抗議する弁護士100名の記者会見
【8/02 11:43:】BLOG BLUES氏(以下「BB氏」と略)「木を見て森を見ないのは、事の本質を見誤る」を投稿
【8/02 17:43:】「BB氏」「晴天の霹靂ではない」を投稿
【8/02 21:28:47】≪官邸前の反原発活動警備に弁護士が申し入れ/日テレNEWS24≫
【8/02 21:31:25】≪脱原発の官邸前活動「警備が過剰」と弁護士145人抗議/中国新聞≫
(以下、記者会見に関する報道紹介 多数 省略)
これは観測霊さんも書いてくださったことですが、
> ご両名は、それが正義の戦いと信じているのでしょ、なぜ戦わないのですか?
まさかBLOGBLUSさんからこんな言葉が出ようとは。
観測霊さんも仰るように
『わたしが付け加えるとしたら「話を逸らさないでください」。ここで問題になっていたのは主催者の不作為をどう考えるかです。わたしや秋原さんがデモに行くか行かないかなどではありません』
言葉を扱う職業の方がこういう典型的なすり替えをしてはいけませんよ。
付け足すなら、これ、橋下氏がよく使うすり替え詭弁術の「対案を出せ」のデジャヴです。
それに、デモを強要するというのは、それこそ典型的な「旧態依然たるサヨクの匂い」ですね。
>大阪の労組幹部の言動・行動にも、旧態依然のその匂いが立ち籠めてはいなかったか。
BLOGBLUSさんに習えば、それこそなんと「愛」のない言葉か。
余談ですが、BLOGBLUSさんが「愛」という言葉を乱発されるのが最初からずっと気になっていました。ここで問題になるのは人権や民主主義の基本的センスであり、筋を通さなければならないところです。なのに「愛」などという情緒的な漠然とした言葉を使っては、本質がなんなのかを思いっきり煙に巻く作用しかないですよ。
話を戻しますが、
『いま、私たちは大阪の地で、必死に、本当に文字通り必死に、橋下による労働組合潰しと闘っています。橋下はさかんに、あの手この手で労働組合というものは無用なものだ、むしろ危険なものだ、と市民に刷り込もうとしています。それに対し、私たちは必死で、労働運動は社会的運動の重要な一つであり、この貧困・格差社会の中での欠かせないセイフティ・ネットの一つだと自負しています。そんな橋下と闘っている私たちに対して、反原発の行動の中で、主催者側から、「組合は<安全>で<安心>なものではない」という偏見に基づく説明をされたことに抗議します。』
この切実な訴えを単に「旧態依然のその(サヨクの)匂い」で片付けるなら、はっきりいって、BLOGBLUSさんの民主主義のセンスを疑わざるを得ません。
今、大阪で何が起こっているかご存じですか。大阪では、阿久根市の竹原元市長真っ青の憲法無視の暴政で民主主義が本当に危機に瀕しています。維新の怪は国政に出ようとしているのですから、これは日本全体の民主主義の危機なのです。それと最前線で闘っているのが大阪教育合同組合であり、原発問題も民主主義問題の延長なのです。
そう言うとらえ方がおできにならないのですね。
絶句でした。
何度も、お答えしております。話を逸らしてはおりません。見苦しい真似はお止めなさい。では、もう一度だけ、お答えします。
首都圏反原発連合にも弁護士はおりますが、多分、逮捕者の不利にならないようにとの考えから(なぜ不利になる・ならないかは専門家でないのでわかりませんので、直接お訊きください)自分たちの味方である「官邸前デモ見守り弁護団」に任せた。弁護団は奮闘し、早期釈放を勝ち取った。首都圏反原発連合が、逮捕者救援に対してなにもしていないと言うのはデマゴーグである。撤回されよ。
首都圏反原発連合は、逮捕者救援に対して不作為ではないので(「官邸前デモ弁護団」を味方につけ、彼らに任せたのは、実態として首都圏反原発連合の作為だ)。不作為に対してどう考えるかとのお訊ねに対しては、そのような事実はないので、考えようもない。ちゃんと目を見開いて、想像力も働かせて、事に正対してください。
多分というような憶測では答えにならないというのであれば、直接訊けばいいではないですか。ご両名は、真実が知りたいのではないのですか?何が知りたいのですか?
『ここで問題になっていたのは主催者の不作為をどう考えるかです。』
それは、枝葉でしょう。で、その枝葉については、今、お答えしました。ここで問題になっているのは「官邸前デモをどう考えるか」ではないのですか。橋下云々こそ、話を逸らさないでください。問題点は僕が整理して、って、整理もなにも、そのまんま。3点上げております。
僕は、ブログ主様も「観測霊」も、反原発・脱原発に立つ人だと認識している。そして、紫陽花デモの一層の発展を願って、建設的批判を加えていると認識している。で、その建設的批判の中身ですが。
1:首都圏反原発連合は、反原発・脱原発の主張を掲げず団体名だけを大書した団体旗を、降ろしてくださいとお願いするのを止めろ。
2:首都圏反原発連合は、日の丸を容認するな。
3:首都圏反原発連合は、逮捕者が出た場合、たとえ逮捕者が不利となり法廷闘争を余儀なくされる恐れがあろうとも、事の経緯を対外的にアナウンスせよ。
ということでしょう。誠に言いづらいことなのですが、これらは、まったく建設的批判になっておりません。これらは、従来の党派・労組主導のデモで行われてきたことであります。紫陽花デモは、まさに、これら従来の党派・労組主導のデモの建設的批判として行われ、歴史的快挙を成し遂げました。
さらに、紫陽花デモがすばらしいのは、身を以て建設的批判を行いましたが、従来の党派・労組主導のデモを否定してはおりません。別個に進んで共に撃とうではありませんかという姿勢です。ワンダホー!みんなちがって、みんないい。
毎日新聞が伝える通り、紫陽花デモの在り様が、全国の多くの「善男善女」に大きなヒントと刺激を与え、反原発・脱原発の動きは、野火のように広がっております。福島の方にどれほど勇気と希望を与えていることでしょう。歴史的快挙という所以です。ブログ主様も「観測霊」も、その野火の一つを燃やしてください。自分たちのやり方で。それが、本当の、建設的批判です。
『わたしや秋原さんがデモに行くか行かないかなどではありません』
はあ?デモを問題にしている以上、行くか行かないかは、問題の核心だと思いますよ。もちろん、デモは強制されるものではありませんよ。殊に官邸前デモは、従来の党派・労組主導デモのように動員という半ば強制的なこともない。
僕は、もうご両名が、何を求めておいでなのか、わからなくなりました。感じることは、ご両名は、ヴァーチャル空間でお互いが、立派なことを言い合って、いい気分に浸っていたいのだなあということです。それはもう、ご両名の自由だが、僕には不毛だ。失礼する。
8月3日金曜日の夕方、つまり前回参加してから3週間目に、再度、大阪中之島の関西電力本社前の「抗議行動」に出かけました。
ギンギンぎらぎら西日が照らす関西電力本社ビルには、「節電をお願いします」という、でっかい垂れ幕がビルの高さ方向にあり、遠目からでも抗議行動の集合場所を案内してくれているかのようです^^;
さて、主催者発表2千名(僕のカウントでも、そう違っていないと思った)、この日の大阪での集まりで、本エントリーに関わるいくつかの「できごと」が見られたので、「僕にはこのように見えた」という報告です。
一つ目。
「大阪教員合同労組」の腕章をつけた方が、他の人々に交じって、声を上げていた。
この中年男性は、カードを手に高く掲げ、集団ではなく、一人の参加者の趣でコールに合わせてられましたが、手作りカードには、「原発はいらんねん」とあり、その下に「大阪教員合同労組」の文字がありました。 首都圏反原発連合との、組合旗をめぐるやりとりを経て、旗をこのカードと腕章に変えた、「代表参加」なのか、「個人参加」なのか、また、「やりとり」について、どのような話し合いが内部でされていたのか、それらについては、申し訳ない、わかりません。 (少なくとも)彼一人はこのように参加していました。 なお、日の丸は一本も僕の目には入らなかったです。 「大阪教員合同労組」が「妥協」する上での条件提示のせいだったのかどうかも、、、わかりません。
二つ目。
ビルの前に近づくと、3週間前と異なり、数人の「一目でわかる」警察関係者が数人、車道を挟んで抗議行動を眺めていました。 半袖白シャツに揃いのナップサック、まるでテレビドラマのような、わかりやすいスタイルで、耳にはイヤホンをし、「遠巻きに眺める風」でスタンバイ。 もう一つ、やはり数人の集団が、これも率直な「公安スタイル」で別のコーナーに位置取りしていました。 本部?との無線のやりとりの他は、メモも写真撮影も特に見られず、抗議行動に参加する人ともノータッチ。 何しに来たはるんでしょうな。
三つ目。
コールが(3週間前から)変わっていた。 「サイカドウ ハンッタイッ」の延々たる連呼ではなく、「原発 ヤメロ」 「放射能イラナイ」 「廃炉 ハイロ」 「未来ヲ マモレ」 「子どもヲ マモレ」 「大飯の原発 ヤ・メ・ロ」 「高浜原発 ヤ・メ・ロ」 と、より多彩、具体的になり、「反原発」が明らかに加わった上、「関西電力 再稼働ハンッタイッ」 「関西電力 子どもをマモレッ」 と、抗議の対象を明瞭に示すようになっていました。
ちなみに、この 「カンサイデンリョク コドモヲマモレッ」 というメロディーライン、そしてリズムは、聞き覚えのあるものでした。 「ショウバイハンジョウ サッサモッテコイッ」 と言う、商都大阪の庶民が最も親しみを持つ「掛け声」に、よく似ているんです、これが^^。
ハンドマイクを持ち、コールをリードするにいちゃんは、集団コール慣れしており、(現場から「飛んだ」コールを避けつつ)、なかなか盛り上げ上手。 様々な言葉の合唱を経て、ここ、と言うタイミングや、抗議行動の締めくくりでは、おなじみの「サイカドウ ハンッタイッ」を連呼。 抗議行動の参加者の多くが、「子どもをマモレッ」に情感をこめ、「サイカドウ ハンッタイッ」の(たまの)繰り返しに高揚していく様子を見せ、こりゃ3週間前と「質がいくらか違う」と感じたものです。
四つ目。
抗議行動の最中に静かにビラを配る女性がいました。 受け取ったビラの文面は次の通り。
***************************************************
「路上の権利を守れ!」 ← 大文字タイトル
私たちは、この社会の主人公! 「権利を主張すること」は「権利を守ること」!
簡単に権利を手放しちゃダメ! ← イラストの女児が言っている
(本文) 路上での抗議は憲法に保障された表現の自由。 本来、許可を取る必要もないんです。 警察が邪魔するのがおかしいんです。 もし、たくさんの人たちが同時に権利を行使して、路上が抗議する人であふれかえって危険な状態になったとしたら。 車両の通行を規制して安全を確保することが警察の職務なのです。
関西電力周りの空き地は公開空地と言って、誰でもが自由に使用できます。 「公開空地として提供する代わりに、ビル建てるときの規制を緩めてな」という約束で開放された土地。 関電も好き勝手に使用制限できません。
関電や警察の不当な要求に従う必要はありません。 なにか命令されたら、「その命令の根拠は?」と問い返しましょう。 路上で抗議してきた先輩たちも、そうやって路上の権利を守ってきました。
根拠なく命令する「おい・こら警察」、「ワガママ警察」は厳しくチェック!
警察を教育するのも市民の責任! ← イラストの男児が言っている
(サイドに、日本国憲法第二十一条(表現の自由)、警察法第二条(憲法が保障する個人の権利、自由の干渉など権限乱用の禁止) が示されている)
(一番下太字で)
私たちも路上の権利を守り、ひろげましょう。 これからも増える仲間たちを迎え入れるために。
(チラシ製作)
STOP原子力★関電包囲行動 http://antinuclear-k.com/kandenhoui
******************************************************************
裏面には、「官邸前見守り弁護団」の見解が印刷されており、なんでも、「今朝、急いで印刷してきたんよ、みんな法律知らんからねー」と、その一人ビラを配る女性は語っていました。
五つ目(というより二つ目の後半)。
抗議行動終了の19:30を待つように、それまで「遠巻きに」眺めていた警察関係者数人が、大勢の老若男女が陣取る歩道から90度角を曲がったエリアの(集会したり、座り込んだり、反原発タオル売ったりしている)いくつかの小集団が集う場所目がけて、駆け足で集まります。 駆けながら、ポケットに入れていた帽子を各自かぶり、いくつものカメラのフラッシュが、そのエリアで瞬くもんだから、おいおい、ほんまかいな、と呆れるほどの、ほんとにテレビドラマまがいの張り切り様でしたぞ。 警察官の数は十人を超える一方、彼らがダッシュする先には、立ったり座ったりばらけている、ほんの数十人の非武装(当たり前ですが)老若男女(複数グループ)しかいないのには、ちょっとした驚きでした。 大多数の帰路につく集会参加者から、このエリアは見えません(地下鉄駅が逆方向でもあり)。
ハンドスピーカーを持つにいちゃんが、警察との対話を拡声するところによると、どうやら「軽犯罪法33条に触れる」と取締を受けている模様。 お恥ずかしながら、僕はそれが何かを知らず、後日ネットで調べたところ、それは「軽犯罪法第一条33号」:
みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし、若しくは他人の看板、禁札その他の標示物を取り除き、又はこれらの工作物若しくは標示物を汚した者
にあたるようです。 そのエリアの小集団の一つ(以上?)は、関西電力の正面玄関から90度違う、裏門のようなスペースの金柵に、そういえば彼らの主張の看板をワイヤか紐で取り付けていたように思います。 はー、あれですかー。
冷静な対応で、警察に食ってかかる様子でもなく、「いなしている」小集団で安心しましたが、このような「軽犯罪法違反の疑い」で取締を受け、うっかり抵抗しようものなら、「公務執行妨害」なんてのが出てくる流れでしょう。 紐を切るためのカッターナイフなんかがあれば、「即、署に連行」だって、ありうることを僕でも知っています。 多分大事はなかったと思いますが、3週間前にもそこで「独自の集会」をしていた集団の一つは、「平和と民主主義をめざす全国交歓会」(←すみません、よく知りません)
http://www.zenko-peace.com/ であり、彼らは一貫して「反橋下」「オスプレイ配備反対」など、「反原発」に繋がるものに繋がる諸課題を全面に打ち立てています。 「独自の集会」は、おそらく「再稼働反対」→「原発反対」に収まらぬ「他の主張」をするためなのでしょう(首都圏反原発連合との折り合い?)。 もちろん、彼らは彼らの旗を掲げています。
「警察の狙い」や、「関西電力の要請の有無」などは、事実関係を知らないので、述べることはできません。 が、次の軽犯罪法の条文を確認はしておきたいですね。
*****************************************************
第四条 この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
*****************************************************
いくつか見てきた「できごと」からは、「質の変化」を感じました。 拭えない「心もとなさ」も残るのですが、僕自身が望む、「一致点で大勢の個人に表現の場を」「それぞれの考えの集団がそれぞれの主張を」 一つの場所で2,000人規模で実現しつつあることは、大阪にとって、かけがえのない(小さな)歴史だと思えました。 科学技術に詳しいものはその点から、医療看護はその面から、法律に携わるものはそっちから、絵が上手な人、声がでかい人は、その特徴を生かして欲しい。
関電本社から西には、科学館や国際美術館の広場があり、東へは河岸沿いに公園があり、南には橋が何本もかかり、この地は、まだまだ包容力があります。 よくぞここに関電本社が^^
……同じ日、「京セラドーム」の オリックス対ロッテには、2万人近い観衆があったそうですが^^;
>> 初めから、考えられる限りの高い理想を掲げて、それをしっかり把握している人たちだけで進もうとするのは無理があるような気がするのです。
>「だけ」などとは一言も言っていないと思います。わたしの言う事に同意できないならデモから出ていくべき、なんてことも言っていません。どうして「高い理想を持つ者だけで脱原発を目指すべき」とわたしが言ってると思われたのかよく解りません。
お答えくださってありがとうございます。>で宛名をを書かなかった私がいけないのですが、実はあのコメントは特に観測霊さん個人に宛てたつもりではなく、むしろ秋原さんにだったのです。というより、いつかの「炎上」(すいません、元は私の至らなさが原因ですが)以来、脱原発運動についての幾人かのコメンターさんのご意見を読んでいて、私なりに感じていたことをまとめてぶつけてしまいました。それから、私はけして、「わかっていない人間はデモから排除すべきだ」などとと、どなたかが言ったという意味で書いたのではありません。要は本当に脱原発を実現させるためには、まずはそのような理想を持たなければならないと言われているようで、私自身、「脱原発運動に参加する資格を厳しく問われているように感じてしまった」ということでした。
秋原さんはじめ、みなさんのおっしゃることはきっと、根源的には正しいのだろうと、私も思うのです。でも、一方で、様々なしがらみに捉われながらも、勇気をふり絞って脱原運動(デモ)に参加している、これまで政治運動にも市民運動にもほぼ無縁であった、平凡な一人一人の思いもわかってほしいと思いました。(私の場合、自営業なので労働運動にも縁がありませんでした)
反原連の方のツィートを見てみましたが、反原連が逮捕者を見捨てたというのはデマだと言っておられました。私には事実はわかりませんが、どこかで誤解があったのではないでしょうか?この件については、これ以上のことは私にはなんとも言えません。
>秋原さん
この前、私と青い鳥さんが、そのコメント欄で批判の的になってしまったブログですが、実はもう何年も前に、私も少しの間覗かせて頂いていた時期もありました。左派のブログの中では「老舗」みたいなところのようですね。そして初めは、このブログ主さんって、凄い方だなあと思っていて読んでいたのです。しかし、(特にコメント欄での議論では)私のような素人にはわかりにくい言葉や知らない事柄も多いし、かと言って、うっかり何か聞けば、嘲笑されてしまうような気がして、次第に足が遠のき、いつの間にか読まなくなってしまいました。(コメントを付けたことはありませんでした)そんな私が、あの時は自分でも知らないうちに、あちらのコメント欄で話題にして頂いていたなんて、思えば光栄なことだったかもしれません。
そんな私でも、秋原さんや村野瀬玲奈さんのところには、しばしばお邪魔出来たのは、お二人のところには、そうした「ここを見るからには当然、わかっているはずのお約束」というものがほとんど感じられなくて、多くのエントリーの内容が、初めて見る人でもわかるように書いておられるから、コメントし易かったということがあります。政治(市民)運動などに参加したこともなく、あまり知識もない初心者でも、思ったことを思ったようにのびのびと書かせて頂けて、ありがたかったと思っております。
しかし、最近の脱原発に関するこちらのエントリーでは、やっぱり私のような素人には場違いな所だったような気がしてきました。コメンターさんも含めて過去に何らかの実践をされてきた方が多いように思いました。それでも「素人には素人の言い分がある」と、勝手に「素人代表」を買って出て、ささやかな「素人の乱」のつもりで書かせていただきました。でも、これで本当に最後にします。
反原連の若い人たちですが、おそらく政治(市民)運動の「戦略的な知恵」というようなものはまだあまりないのでしょう。経験のあるみなさんから見れば歯がゆくて仕方ないこともあるかもしれません。でも私は彼らを信じたいと思います。かつてみなさんがそうだったように、彼らもまた失敗を繰り返しながら彼らなりのスタイルを作り上げていくだろうと思うからです。そして私は・・・ささやかでも自分の出来るやり方で、彼らと同じ方角を目指して歩いて行きたいと思います。
>首都圏反原発連合にも弁護士はおりますが、多分、逮捕者の不利にならないようにとの考えから(なぜ不利になる・ならないかは専門家でないのでわかりませんので、直接お訊きください)自分たちの味方である「官邸前デモ見守り弁護団」に任せた。弁護団は奮闘し、早期釈放を勝ち取った。首都圏反原発連合が、逮捕者救援に対してなにもしていないと言うのはデマゴーグである。撤回されよ
この論理破綻、ちょっと酷すぎます。
多分、逮捕者の不利にならないようにとの考えから反原連は見守り弁護団にお任せした、と仰ってるわけですが、これ完全にBLOGBLUSさんの希望的憶測じゃないですか。
BLOGBLUSさんは憶測の愚を繰り返されるおつもりですか?
しかも、「そう憶測するとしても、じゃ、なぜ反原連が動くと法廷闘争にまで発展すると思うの?」と聞いたら
「僕に訊かれても困ります。(反原連に)直にお訊きください」
って、どこまでご都合主義なんですか・・・。
ご自分の憶測だけに基づいて(しかも、どうしてそういう推論が成り立つの?聞くと、知らない、反原連に聞いて、と仰る)反原連が逮捕者を見捨てたなんてデマだと言い張られても、それは「反原連がまちがったことするはずない!」というBLOGBLUSさんの信仰を告白してるにすぎませんよ?
これが論理破綻だとおわかりいただけないことにはちょっとお話にならないというのが正直な感想です。
あと、全部あげるときりがないのでひとつだけ。
既にBLOGBLUSさんは以前にも
>「みんなちがって、みんないい」で、いこうじゃないか。
というコメントをここでいれていますね。http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1039.html#comment9358
私はそれに対し、既にこちらで次のように反論していました。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1039.html#comment9359
(引用開始)
だったら何故反原連は「27日はデモは行われないからこないように」などというアナウンスをしたのですか。そして27日のデモの時間帯に会わせて記者会見を開き、そこで「あのひとたちはちょっと・・」というように27日のデモを否定するような発言をどうしてしたのですか?これでは27日のデモに出席した人達はまるで妨害だ、反原連に排除されたと感じるでしょう。
これのどこが「みんなちがって、みんないい」で、いこうじゃないか。」になるのでしょう?
(引用ここまで)
ちなみに同趣旨のことはこれより以前にも述べています。
でもやっぱり私のこの反論をスルーして最後にまたしても同じ事を繰り返し書き込まれましたね。http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1039.html#comment9377
>さらに、紫陽花デモがすばらしいのは、身を以て建設的批判を行いましたが、従来の党派・労組主導のデモを否定してはおりません。別個に進んで共に撃とうではありませんかという姿勢です。ワンダホー!みんなちがって、みんないい。
と。
これでは私のコメントを読んでいないと判断せざるをえません。
それではすみませんが会話になりません。
> 秋原さんはじめ、みなさんのおっしゃることはきっと、根源的には正しいのだろうと、私も思うのです。でも、一方で、様々なしがらみに捉われながらも、勇気をふり絞って脱原運動(デモ)に参加している、これまで政治運動にも市民運動にもほぼ無縁であった、平凡な一人一人の思いもわかってほしいと思いました。(私の場合、自営業なので労働運動にも縁がありませんでした)
> しかし、最近の脱原発に関するこちらのエントリーでは、やっぱり私のような素人には場違いな所だったような気がしてきました。コメンターさんも含めて過去に何らかの実践をされてきた方が多いように思いました。それでも「素人には素人の言い分がある」と、勝手に「素人代表」を買って出て、ささやかな「素人の乱」のつもりで書かせていただきました。でも、これで本当に最後にします。
いただいたこちらのコメントhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1039.html#comment9240はとても良いコメントだと思いました。お返事できずじまいで申し訳ないのですけれど、しっかり読ませていただきました。
私は今ファシズムへの危機をひしひしと感じています。
で、このファシズムですが、
「ファシズムは、権力の在り方ではなく、社会の在り方の問題。したがって、権力を批判するだけではファシズムは止められない」「権力批判だけでなく、同時に国民批判もしなければファシズムは止められない」のです。
だから私はかなり日本の国民性、メンタリティについての批判をいろんな場面で書いています。反原発デモについても国民レベルの民主主義の未成熟(反原連のメンバーも含めて)が問題だと書きました。これは「反原発デモに思うこと」の記事のコメント欄にも書きましたが、現在の反原発デモに関する「現状分析」であって、「なんであんた達はそんなこともわからないの!そんな人はデモに来ないで!」と言ってるわけではないのです。
(だから「反原発デモに思うこと」のコメント欄で、国民の民主主義を成熟させるにはどうすればいいか、自分の考えを長々述べています)
しかし一方でこういう「国民批判」を「上から目線」と感じる人がいたり、
風鈴草さんのように、デモに参加すること自体が高いハードルでそれを初めて乗り越えたというのに、さらにそれ以上のハードルを越えられなければデモに参加するなというのかと「脱原発運動に参加する資格を厳しく問われている」ように感じた人もいるでしょう。
私も観測霊さんと同様、初めから考えられる限りの高い理想を掲げ、それをしっかり把握できない人間は参加するな、などとは思っていませんが、そう感じさせてしまったとすれば私の文章が拙いせいしょう。その点は申し訳なく思います。
> 反原連の方のツィートを見てみましたが、反原連が逮捕者を見捨てたというのはデマだと言っておられました。私には事実はわかりませんが、どこかで誤解があったのではないでしょうか?この件については、これ以上のことは私にはなんとも言えません。
首都圏反原連はHPではこの逮捕について触れていません。
ツイートでは次のように触れただけです。
首都圏反原発連合@MCANjp
2人ほど逮捕された人がいたようですが、反原連の弁護士が接見に出向いております。
また、PAシステムの不備等、いたらぬ点があったこと、お詫び申し上げます。
みなさん、本当にありがとう。
首都圏反原発連合@MCANjp
29日の逮捕者、本日お2人とも釈放されたとのことです。
そして首都圏反原連のメンバー二名は次のようなツイートをしています。
野間易通@kdxn
@stree1957 (※逮捕について)詳細がわからないので感想なし。在特会の逮捕人数よりよっぽど少ないね。
bcxxx@bcxxx
@kdxn もうアホは完全無視でいいんじゃないでしょうか。警察も勝手に対応してくれ、と。
歌舞伎町で酔っ払いが暴れてても関係ないじゃないですか。クズだなと思うだけで。それと一緒ですよ。
@bcxxx
アホが勝手なことやって勝手に逮捕されても救援とか一切する必要ないと個人的には思うけど、
ま、淡々と救援するってのもあるんですかね。ようわからん。
首都圏反原連やそのメンバー(野間易通さんは有名です)の逮捕に関してのコメントは、私が知る限りこれだけでした。
これを見て私はとてもではないけどBLOGBLUSさんのように手放しで反原連を賛美する気にはなれませんでした。
反原連が逮捕者を見捨てたのがデマならそれに越したことはありません。でもそう主張したいのならHP等できちんと発表するのが筋だろう、という私や観測霊さんの意見は決して特殊な専門的な話ではなく、ごくごく常識的な話だと思います。
> そんな私でも、秋原さんや村野瀬玲奈さんのところには、しばしばお邪魔出来たのは、お二人のところには、そうした「ここを見るからには当然、わかっているはずのお約束」というものがほとんど感じられなくて、多くのエントリーの内容が、初めて見る人でもわかるように書いておられるから、コメントし易かったということがあります。政治(市民)運動などに参加したこともなく、あまり知識もない初心者でも、思ったことを思ったようにのびのびと書かせて頂けて、ありがたかったと思っております。
そう仰っていただけると光栄です。
私は普段から政治や市民運動の「戦略的な知恵」みたいなことはほとんど書きません。この記事本文では少しだけ書いてみましたが、そういうのは得意でもないしあまり興味もないのです。そういうことに関しては私はド素人といっていいです。
主に政局を扱うサイトではそういう「戦略」や「政局予想」みたいなことについて書いている方が多いですが、私のブログはそうではありません。
私はどちらかと言えば、様々な社会問題について、それは本来どうあるべきなのか、何が正しいのか、そして通すべき筋がなんなのか、という点から発信していきたいタイプです。
だから「ここを見るからには当然、わかっているはずのお約束」というものがほとんど感じられないブログなのだと思います。(どちらのタイプがいいか、と言う話ではありません、念のため)
ですが、コメントにいらっしゃる方は必ずしも私のようなタイプの方とは限りません。
> 反原連の若い人たちですが、おそらく政治(市民)運動の「戦略的な知恵」というようなものはまだあまりないのでしょう。経験のあるみなさんから見れば歯がゆくて仕方ないこともあるかもしれません。でも私は彼らを信じたいと思います。かつてみなさんがそうだったように、彼らもまた失敗を繰り返しながら彼らなりのスタイルを作り上げていくだろうと思うからです。
私もそう期待しているから批判しています。
>「これは脱原発一つだけの問題ではない、それだけで終わったら意味がない。世の中かからすべての搾取、すべての差別をなくし、本当の民主主義を実現するきっかけにしたい」というお気持ちはよくわかります。私だって脱原発だけで終わってほしくないとは思っています
もちろん民主主義を実現するきっかけにしたいという気持ちもありますが、それ以前に、ここで道を間違えたら脱原発自体が失敗に終わってしまうと私は考えているのです。ですから私の批判は脱原発を失敗させないための批判だとご理解いただければうれしいです。
釈放だけで、社会運動史上、壮大な快挙を成し遂げたかに舞い上がって自慢出来ちゃうところが素晴らしい…
無知は偉大であり、
無恥は力である。
善男善女の首都圏反原発連合
Copyleft by dmpx
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/4d42ef14c2a1feb3a67d3650b892be77
【開沼博】「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、日本が何故原子力発電を選び続けるのか、学ぶべきです。
官邸前 首都圏反原発連合抗議行動の過剰警備について http://m.togetter.com/li/349286
誰でも参加出来ると呼び掛けている以上、抗議行動を呼び掛ける主催が安全な空間を確保するのは、義務のはず。「BB氏」の投稿に「これからも続く過剰警備」のような記述があるが、無責任きわまりない。(特に国会正門近くは混乱起きやすいので近付きたくないが、身動き出来ない、では、どうすりゃいいのよ)
神社が御神輿を出すときに、あらかじめ警備を準備する、またはフリーマーケットで車道を使う時の準備同様、何もサヨク的なことではなく、市民の常識。これが出来ない主催を無責任と批判するのは、参加者の義務でもあろう。
もちろん、国会周辺という「聖地」であるから、簡単にはいかないだろうが………主催がその方向で努力すること、および対する警察の対応を広報することが必要だろう。
↓の投稿もあたしです。ペンネームいれ忘れました。
私が見たのはMisao Redwolf さんという方のツィートです。反原連には特定のリーダーというのはいないようで、様々な方が関与しているようですが、彼女はたしかこの前、朝日新聞に主要メンバーの一人として、そのプロフィールとともに紹介されていました。わたしはTwitterのアカウントを持っていないので、詳しく見ることは出来ないのですが。
http://twitter.com/MisaoRedwolf/statuses/232179617270743040
それからこちらの質問箱には、あの日参加していた自営業の方のお話がありました。質問の内容は逮捕とは直接関係はなく、この時点では近くで逮捕者が出たことすら御存知なかったようですが、この方自身も危ないところだったようです。
7.29国会議事堂包囲デモについて
http://qanda.rakuten.ne.jp/qa7621766.html
(ベストアンサーへのお礼より)
>そう言えば私は行く前は絶対公務執行妨害等の冤罪で逮捕されないよう警官に近寄らないとこにいようと出かけたのです。私は自営業なんで逮捕されたらたちまちお客は離れ子が路頭に迷います。
>根がムダに熱い精神を持ってるとこがあり、気づいたら先頭でしばらく警官ともみ合っていたのです。
あらためて自分のことを振り返りますと、逮捕されたら、似たようなことにならないとも言い切れません。そしてもし、あの時、逮捕されたのが自分だったら、どうしたろうかと考えてみました。私の場合、遠縁の司法書士の人に頼んで、その人の知り合いの弁護士さんを頼むことになったと思います。もし、反原連側が弁護士さんを差し向けてくれたとしても、断ることになったかもしれません。少なくとも私の家族はそのように計らうでしょう。(逮捕されて、まず知らせが行くのは家族でしょうから、家族の意向が優先されると思いますので)なぜだと思いますか?どこまでも事を穏便に済ませたいのです。商売に疵が付くのが怖いからです。こうした場合は、名前その他の個人情報はマスコミでも伏せられるようですが、少しでも世間で取り沙汰されないようにしたいので、むしろ、あまり表立って書いたりしないでくれと反原連側に言うかもしれません。
今回のお二人の個人的な事情がどうだったかはわかりませんので(もちろん、わからなくて良いと思います)以下はあくまで仮の話です。この一連のデモには様々な年齢、職業の人たちが参加しています。かつてのデモの参加者によくあった「学生、若者、労働者」のカテゴリーに入らない人たちもたくさんいるでしょう。もし、私のような中小零細事業者が逮捕された場合、私と同じようにする場合が多いような気がするのです。今時、中小零細事業者といっても経済弱者が多いです。(消費税を実質的に負担してきたのに、なかなかそれを世間には気づいてもらえない「マイノリティ」でもあります)それでも安くはない弁護士費用を自ら負担しても、自分で決着をつけようとする可能性が高いのは商売上の信用を失うのが怖いからです。(私の経験から言っても、顧客や取引先に反原発に反感を持っている人たちもいる可能性も少なくはない気がします)また、そうした人たちの場合、反原連の人たちの善意は信じるとしても、その若さを信用できずに支援を断る場合もあるかもしれません。(会社役員だったらどうするのか、公務員だったら、主婦だったら・・・其々の身になってみないとわかりませんが、私とはまた違う立場もあるでしょう)
秋原さんや観測霊さんの感覚とはおそらく違うと思いますが、参加者の中にはこのような感覚の人たちもいるかもしれないということだけは知っておいてください。もちろん、逮捕されたのが、親にも頼れないフリーターの若者という場合もあります。だから支援体制を整えておくことは大切だと思います。反原連の方たちには、これからその辺の支援体制についてもしっかり準備して、アナウンスしておいてほしいと思っています。(そういえば・・・私は「テントひろば」には少しカンパしてきたのですが、反原連にはまだでした)
不当に逮捕されても、それを声高く叫ぶこともできないなんて、そんな臆病者のへっぴり連中がいくら集まって騒いでも何の足しにもならないと軽蔑されるかもしれませんが・・・私はそんな連中でもやむにやまれずデモに出て来るというところに意味があると思っています。
首都圏反原発連合有志の駄文が紹介されています。ご参考まで。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ecff21f1ba86debd21e97dcbe0c5e8d6
しかし、他人様のブログコメント欄にダラダラ長いコメントを繰り返し制圧しようとしたり、こいつらの 公安警察代行ぶりは、ホントに救いようがない。
もうご覧になっていないかもしれませんが。
> 何度も、お答えしております。話を逸らしてはおりません。
> 弁護団は奮闘し、早期釈放を勝ち取った。首都圏反原発連合が、逮捕者救援に対してなにもしていないと言うのはデマゴーグである。撤回されよ。
> 首都圏反原発連合は、逮捕者救援に対して不作為ではないので(「官邸前デモ弁護団」を味方につけ、彼らに任せたのは、実態として首都圏反原発連合の作為だ)。
はい、その何度もいただいた「お答え」が答えになっていないと申し上げています。
まず「『官邸前デモ見守り弁護団』に任せた」事でもって「反原連は逮捕者解放に尽力した」と認定されているわけですが、それで「なんかした」気になられてもちょっと…。専門家に相談する事を、一般的にはあまり「尽力」とは言わないのではないかなと思います。事件が起きた現場に居て警察に通報しただけの人が「俺があの事件解決したんだぜ」と言ってるようなものではないでしょうか。
秋原さんも「いいとこ取り」と評しておられましたが、運動全体に累が及ばないよう(こっぱなお役人さんの見解はこうです)ノーアクションを貫いておいて、一方で「これが逮捕者のため」と言い、なおかつ「その解放に尽力した」と「見守り弁護団」の功績までも半分いただいてしまっている。仮にこれが反原連の本当の狙いだとしたら、確かにとんでもない知恵者です。しかし最悪です。参加者の逮捕をその様な形で、結果的にであれ、利用するのはデモの主催者以前に人としてどうなのと思ってしまいます。
で、ここが肝心なんですが、そもそもわたしや秋原さんほか、この件で反原連を批判している人が求めていた事は、逮捕者が出たことに対して主催者として公式に逮捕に対して抗議の声明を発し、何が起きたかを調査し、それをツイッターなりブログなりで広く広報し、カンパや署名などを募ってより積極的に、かつ具体的に解放の道筋をつけるための努力をする事です。主催者として「逮捕者を見捨てていない、これからも見捨てない」という宣言と行動をしてほしい、というのがわたしの願いです(今からでもそうして欲しいと思っていす)。これがなされない事を「不作為」と表現しました。それは繰り返し言及してきたはずで「いや逮捕者が出たことを弁護士に相談したから『何もしてない』わけじゃない」などと、「不作為」の内容をそちらの定義にすりかえて、その上で「不作為」を否定されても、こちらとしては、あれ、そんな話だったっけ?と首を傾げるしかありません。
わたしが逮捕者救済のためにすべき事と主張していた事を、「それは必要ない。あるいは逮捕者のために有害。ただしその根拠は自分は解らないから専門家に聞いて。古いデモとは違うからこれでいい。いやむしろ弁護士に相談しているんだから”解放のために尽力した”と言える」と来て、その後「なぜデモに出てこないのか」ですよ。つまり根拠不明と自分でも認めながら、こちらの主張をご自分のそれとすりかえ、その後関係ない、そして答える必要もない質問をこちらに投げかけられています。
これに対して「話を逸らさないでください」以外のどんなリアクションが適当だったのか、正直よくわかりません。
まぁ、「”何もしてない”わけじゃないから『不作為』じゃない。撤回しろ」とおっしゃるなら、別にいいですよ、撤回しても。ここでの「不作為」というのは、わたしが勝手に便利使いしていた言葉ですから。ただ、今後はより具体的に「参加者の不当な逮捕に対して弁護士に連絡だけして済ませて、抗議の声明も、事件の調査も、カンパや署名の呼びかけもしないのは、責任ある主催者としておかしい」と、今までどおりの批判は続けますけど。これは「弁護士に連絡した」という作為を認める事と何ら矛盾しません。こちらの批判の要諦は「するべきことをしてない」という一点で変わりません。
> ちゃんと目を見開いて、想像力も働かせて、事に正対してください。
BLOG BLUES さんとの一連のお話で「憶測」や「想像力」がいかに危険な側面を持つのかということも勉強させていただいたつもりです。じっくり慎重に事態に相対させていただきます。
> 直接訊けばいいではないですか。ご両名は、真実が知りたいのではないのですか?
それについては申し上げましたよね。「何人もの人がこの件で反原連を批判していますが、いまだに反原連は何の見解も示していません」と。そしてそれは「主催者が逮捕者の救援に尽力した」と断言されているBLOG BLUES さんご自身の言葉に対しても無責任である、とわたしも思います。ご自身が断言されたのでしたら、ご自身で証明されるのが筋です。
> はあ?デモを問題にしている以上、行くか行かないかは、問題の核心だと思いますよ。もちろん、デモは強制されるものではありませんよ。殊に官邸前デモは、従来の党派・労組主導デモのように動員という半ば強制的なこともない。
わたしが一番引っかかったのはこの点なんですが…。
つまり、デモを批判するならデモをしなければいけない、デモをしない者にデモを批判する資格はない、しかしデモに参加するか否かは強制ではない、とそういう風に解釈してよろしいのでしょうか?わたしの「デモを批判する人間にはデモに行かない自由がないのですか?」という問いかけは、反語的問いかけというか、否定して欲しくて発したものだったのですが、まさかスルーされて否定もされないとは…。
なるほど、自由というのはこのようにして失われていくものなのですね。貴重な実体験をありがとうございます。
参加しないことで批判する権利が失われるようなデモならば、わたしはそんなデモには絶対に参加したくはありません。参加しない上で批判します。権利の制限を前提にした不参加の自由など、自由ではありません。その時点でデモの本義=民主主義社会における意見表明の権利と自由にもとるのではありませんか?
funaboristaさんが既にご指摘ですが、もしわたしが「寝たきり闘病生活中」の人間だったらどうします?あなたがおっしゃったことは「デモに参加しない人」「デモに参加できない人」に対するまぎれもない排除です。それも「選択の自由」を装った、悪質な。
「みんなちがって、みんないい。」とおっしゃりながら、他者に対しては方法論が「ちがってもいい」を許容できないのですか?ご自分やご自分が支持する反原連の行動に対しては「みんなちがって、みんないい。」と周囲の「寛容」を求め、周囲に対しては「デモを批判するならデモに出ろ。出ないのなら批判する資格はない」と強いるのは、やはりご都合主義的だと言わざるを得ません。
金子みすヾさんが聞いたら泣きますよ。いや、怒るかな。
> 風鈴草さん
> あのコメントは特に観測霊さん個人に宛てたつもりではなく、むしろ秋原さんにだったのです。
そうでしたか。とっさに自分宛だと思ってしまいました。自意識過剰でしたね(^_^;)大変失礼しました。
> 私自身、「脱原発運動に参加する資格を厳しく問われているように感じてしまった」ということでした。
了解しました。
改めて申し上げますが、わたしはデモに参加するのになんら資格は必要ないと思っていますし、最初から「高い理想」も必要ないと思っています。ただ、「いつまでもそのままでいい」というのではなくて、デモの中で感じ学ぶことを大事にして、少しずつでも「高い理想(誰を泣かせることなく回る世界)」に近づければいいのではないでしょうか。反原連にも、近づこうとして欲しい、と思っています。
反原連の件については、彼らは「心情的には”見捨てた”つもりはなかった」のかもしれません。ですが、主催者として逮捕に対して弁護士に話を通すだけで済ませてしまったことが、「逮捕者を見捨てるのか」という不信を生んでしまいました。
実際の「彼らの意図」は知りようがありません(そもそも統一した見解がないのかもしれません)が、本当にデマであれば良いとはわたしも思っています。
彼らを批判することで、風鈴草さんに「ハードル」じみた疎外感や、あるいはやはり恐怖感を与えてしまっていたのでしたら、申し訳なく思います。
>どこまでも事を穏便に済ませたいのです。商売に疵が付くのが怖いからです。
風鈴草さんのそのご希望と、私や観測霊さんが反原連に要求している主催者として取るべき行動とは矛盾しないと思いますよ。
主催者は逮捕されたときの状況、不当逮捕だったかどうか、等の報告はしても、逮捕者の意向に反して逮捕者の素性を明かしたりしたらそれこそ主催者失格です。
弁護士が逮捕者の素性をあかすこともありません。守秘義務に違反しますので。発表する内容も逮捕者と相談し、逮捕者が「これは言わないで欲しい」ということは公表しないはずです。
ひょっとして、
「逮捕者が出たことに対して主催者として公式に逮捕に対して抗議の声明を発し、何が起きたかを調査し、それをツイッターなりブログなりで広く広報し、カンパや署名などを募ってより積極的に、かつ具体的に解放の道筋をつけるための努力をする事。主催者として「逮捕者を見捨てていない、これからも見捨てない」という宣言と行動をすること」(←観測霊さんお借りしました)って、逮捕者の素性を明かして全面戦争すること、みたいに思われてました・・?
本人の意向に反してそんなことしません。
ちなみに、主催者としての仕事としてあと考えられることは、逮捕拘留されている人を元気づけることですね。
カンパして入り用なものを差し入れしたり、激励の寄せ書き集めて持ってたりとか、色々やれることはあると思います。
>不当に逮捕されても、それを声高く叫ぶこともできないなんて、そんな臆病者のへっぴり連中がいくら集まって騒いでも何の足しにもならないと軽蔑されるかもしれませんが・
別に逮捕された人に声高に叫ぶことなど要求していませんよ(^^;
http://mukofungoj.sanpal.co.jp/memorigilo/4780
TB代わりに(アメブロではTB機能をやめてしまいました)コメントでご挨拶。
URLのところに貼りましたが、言及したエントリーを書きました。
運動系MLに入っているので、団体・組織ののぼり禁止みたいな方針への批判は見かけます。
そうでなくても、労組は若者受けしないなんて観念がふりまかれている時代に、「労組の旗だと、でみんな引くよ」みたいな言い方を盛大にすんなよ、とは思いますが、自分都合だけで騒然としたアピールをてんでんばらばらにやっているのでは、参加者が次も来ようと思うかどうか、省みることはあり得る話。
次は、社会実験として、従来の主催者の仕切りは隔週にして、間に週は勝手にみんなが集まるという社会実験をするといいのでは? というエントリーを書く予定です。
官邸前に三々五五、集まって抗議する運動って、行進型のデモのようにデモ申請をする必要があるのかしらん。なくてもいいのなら、主催者なしでもいいのではないかなあ。勝手に集まればいいので。
裁判員裁判が国民に統治主体意識を浸透させる場であるように、民主主義の行動であるデモですら統治主体意識の浸透の場になるのが日本なのでしょうか・・
公安警察に指導される ≪普通の市民≫ の脱原発運動 って、いったい、なんじゃらほい!?
どうせ、読めるなら 400円も出して、買うんじゃなかった(笑)。
・デモは市民権を得ていない
・中核派等新左翼は犯罪者(予備軍)
・左翼は忌避される(これは現与党の罪が大)
・労働組合は忌避すべき団体(これも現与党の(ry))
・運動がメジャーになれば弾圧させづらい(逆を言うとマイナーな運動だと警察と仲良くしてないと即引っこ抜き)
で、いかに運動を進めるかという方程式の解の1つがこの状態なんでしょう。良い悪いの論評は別として…
欧州標準からは1000年位遅れているのかもしれませんが、まずはここから始めて、デモが市民権を得るまでやらないと…
四則計算ができないのにフェルマーの最終定理の証明は無理です。
(追加コメント) 赤狼が≪首都圏反原発連合が批判するサヨクは内ゲバセクト≫のツィートを流したが 労働組合他の団体旗がサヨク=内ゲバセクト=として排除されているのが現実、80年代以降の 反共意識の身体化/徹底化。
原子力発電所を問う民衆法廷 決定第1号『民衆法廷とは何であり、なぜ、何を裁くのか/本法廷の性格と任務』【2012/02/25】より抜粋
6: 民衆法廷の思想的根拠について、裁判長サルトルは次のように述べている。
……
『ラッセル法廷』は、この二重の矛盾した確認から生まれました。ニュルンベルクの判決は、戦争犯罪について調査するための、また必要ならそれを裁くための、制度機構の存在を不可欠のものとした。にもかかわらず、どの国の政府も人民もそれを創りだす力を持っていないという現状、この二重の確認からです。われわれは、誰からも委任されはしなかったのだということをはっきりと自覚しています。それなのに集まろうと提唱したのは、誰もわれわれに委任することなど出来ないのだということも知っていたからです。なるほど、われわれの『法廷』は制度機構ではない。が、だからといって、制度化されたどのような権限にもとってかわるものではない。それどころか、それは、ある空白とある請求に由来するものなのです。われわれは、諸政府によって集められた現実の権限を付与されたわけではない。しかし、さきほど見たように、ニュルンベルクでのこの権限付与は、異論の余地ない正当性を司法官にあたえるに十分ではなかったのです。『ラッセル法廷』は、これに反して、みずからの正当性は、その完全な無力に、と同時に、その普遍性に起因するのだ、と考えています。
……
7: 民衆法廷にはいかなる実力もない。民衆法廷にはいかなる権威もない。誰からも授権されていない。しかし、この無力と無権威こそ民衆法廷の真義であることを、サルトルは最初から見抜いて、宣言していた。
……
われわれは、無力です。これがわれわれの独立の保証なのです。われわれをたすけてくれるものはなにもありません、われわれ自身と同じように私人の集まりである支援諸組織の協力をのぞいては。われわれは、政府代表でも党代表でもないので、命令を受けることなどできない。われわれは、いわゆる≪良心にしたがって≫、あるいは、そう言ったほうがよければ、精神のまったき自由において、事実を検討するでしょう。
しかしながら、公正で普遍的であろうとするわれわれの意志がどれほどのものであろうと、それがわれわれの企てを正当化するに十分でないことを、われわれはよく自覚しています。われわれがまさしく望んでいるのは、その正当化が、あとからふりかえって、あるいは、そう言ったほうがよければ、ア ポステリオリに、得られることなのです。事実、われわれが仕事をしているのは、われわれ自身のためにでもなければ単に真相を知るためでもないので、われわれは、われわれの結論を青天の霹靂のように押し付けようなどとは、もうとう、思っていない。まさしく、われわれは願っているのです。世界のあらゆるところでベトナムの悲劇を苦痛をもって生きている大衆とわれわれとのあいだに、報道陣の協力を得て、恒常的な接触を保てればよいが、と。
……
【出典】 『原発を問う民衆法廷実行委員会編/原発民衆法廷(1)/福島事故は犯罪だ! 東電、政府の刑事責任を問う』(さんいちブックレット001 三一書房 2012/04/23)
【余計なコメント】≪青天の霹靂≫などと舞い上がっている無知で無恥たるものたちの思い上がりへの批判とも読めます。
http://portable.blog.ocn.ne.jp/t/typecast/500140/226392/40857138
……
太陽は核エネルギー、それを国旗としているのが日本。
……
それを官邸前で悦んで振り回しているのが……
Author:秋原葉月
普通の生活 普通の幸せ
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当たり前の言葉で伝えたい
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なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。
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