7世紀にも「3連動」か 磐田で津波堆積物確認
(2012/8/21 08:03) 文献に記された最古の南海地震「白鳳地震」(684年)と同じころ、記録にはない東海地震が発生したことを示す津波堆積物を産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の藤原治主任研究員らが磐田市で確認したことが20日、分かった。同時期の津波堆積物は東南海地震のエリアでも見つかっており、3地震がほぼ同時に起きたことが確実になった。三つの地震が時間差なく発生した3連動地震の可能性もある。
産業技術総合研究所と静岡大などの研究グループは5月の日本地球惑星科学連合大会でも、7世紀後半に東海地震が南海地震と連動して発生した可能性を指摘していた。
西日本全域に甚大な被害を与える南海トラフでの3連動地震は、これまで宝永地震(1707年)が確認されているだけだった。巨大な連動型地震の繰り返し間隔や規模を考える手掛かりになるとともに、国の被害想定や防災対策の見直しに影響を与えそうだ。
「白鳳東海地震」を初めて立証する貴重な発見で、藤原主任研究員は「同時か時間差かは断定できないが、震源域は南海トラフ全域に及んだはず。今後は当時の地形を復元し、津波の遡上(そじょう)高を調べたい」としている。
調査したのは磐田市の太田川河口から約2・5キロの元島遺跡と、さらに500メートル上流の河川改修工事現場。
藤原主任研究員らは、両地点で深さ約5メートルの地層に四つの砂層があるのを確認。海から運ばれた貝の化石や鉱物を含み、堆積構造が海から陸へ流れ込んだ状況を示していることから、洪水ではなく津波と判断した。
四つの砂層の年代は、炭素同位体による年代測定で7世紀後半、9世紀後半、11世紀後半、15世紀後半と判明。南海トラフを震源域とする白鳳南海地震、仁和南海地震(887年)、永長東海・東南海地震(1096年)、明応南海地震(1498年)と一致した。仁和南海地震も、同時期の東海地震を示す文献は見つかっていなかった。
仁和地震の痕跡は白鳳地震より小さく、3連動の可能性は低いとみられる。
文献の空白埋める成果
磐田市で見つかった津波堆積物は、歴史に埋もれていた古代の巨大地震を浮かび上がらせた。「文献の空白を埋める大きな成果。南海地震と東海地震は大半がペアで起きるが、白鳳地震と仁和地震は南海地震の記録しかなく、東海地震の実態は不明だった」。産業技術総合研究所の寒川旭客員研究員(地震考古学)が言う。
日本書紀によると、白鳳地震は、壬申の乱(672年)に勝利して即位した天武天皇が、律令(りつりょう)体制の完成を目指していた684年11月29日午後10時ごろに発生した。
「大きに地震(ないふ)る。山崩れ川湧く。諸国の官舎、寺塔神社が壊れた。伊予の湯泉(愛媛県の道後温泉)が止まり、土左国(高知県)の50余万頃(しろ)(約10平方キロメートル)が海となった」「土左国司が言うには大潮が高く上がり、多くの船が失われた」。日本書紀は、四国の被災状況を克明に伝えている。
巨大地震備え急務
古村孝志東大教授(地震学)の話 静岡県での津波堆積物発見で白鳳地震(684年)は宝永地震(1707年)のように東海・東南海・南海の3地震が同時発生した3連動地震の可能性が高くなったと言える。これまでに四国や九州で確認された白鳳地震の津波堆積物は、宝永地震に匹敵するか、それをしのぐ規模だった。3地震が連動したため震源域が広がり、断層面の滑り量も増大して、四国や九州で津波が高くなったと考えられるからだ。こうした連動型の巨大地震に備え、人口が過度に集まる都市と高齢化が進む現代社会に即した避難、減災計画を整えることが急務だ。
南海トラフの巨大地震 駿河湾から日向灘沖の海底に延びる溝状の地形「南海トラフ」では海側プレートが陸側プレートの下に沈み込んでおり、引きずり込まれた陸側プレートが100〜150年間隔で跳ね上がるため、マグニチュード(M)8クラスの巨大地震が繰り返されてきた。東から東海、東南海、南海地震の震源域が想定され、1707年の宝永地震では同時発生(3連動地震)した。内閣府の有識者検討会は昨年末、南海トラフで起きうる最大級の地震の想定震源域をこれまでの2倍に設定、地震の規模をM9とした。検討会は、こうした最大級の地震が起きた場合には10県で震度7、6都県に20メートル以上の津波が到達する可能性を示している。
磐田市の河川改修工事現場で確認された白鳳東海地震の津波堆積物=2011年10月(藤原治・産業技術総合研究所主任研究員提供)