黄禍論


日露戦争で黄色人種が白色人種に勝ってしまうと、 世界中で「アジア人怖い→差別」という 現象が露になってきます。 これを黄禍論と言います。

もともと黄禍論は19世紀半ばから存在していました。 この頃から中国人を初めとするアジア人の世界移住が始まります。 彼らは低賃金でも勤勉によく働き、 白人の雇用を奪ってしまいます。 それが労働運動と結びつき、世界中でアジア人排斥、さらには 虐殺事件 までが起こったのです。未知の貧弱な民族に対する、嫉妬・不安・憎悪。

日清戦争が日本勝利で終わると、中国人がメインだった黄禍論は その矛先を日本人にシフトします。 ドイツの皇帝ウィルヘルム2世は日本人の脅威を、 かつてのオスマントルコや蒙古遠征に例えて脅威論を煽ります。

さらに日露戦争でも日本が勝利すると、 黄禍論はアメリカに飛び火します。 日本勝利をある意味導いた国であるだけに、変な話ですが。

日本人学童を公立小学校から締め出し、隔離教育。
日本人移民の就職妨害。
町にはジャップを罵る落書き。
映画や小説、漫画、新聞は連日何の根拠もない 黄色脅威論をどぎついイメージで描き、広めまわる。
そして遂に1924年、排日移民法が成立。 日本人移民は土地所有も帰化も新たな移民も認められなくなりました。

オレンジ計画(対日戦争計画)が始まったのも、日露戦争直後の1907年。 以後毎年更新されました。

黄禍論の衰退は第2次世界大戦後になります。
日本の敗北。
人種主義の煮凝り「ナチズム」の崩壊と、それに対する批判。
共産主義という新たな敵。

しかし戦後も事あるごとにジャップ、イエローと罵る彼ら。 以下は黄禍論の象徴・ゴビノーの「人種不平等論」から引用。

「黒人は最底辺で獣に等しい。
知能は低いが、五感が鋭い。
しかしそれこそが、彼らの劣等性の証拠である。
彼らは、理由もなしに喜んで人を殺す。
自ら開化する力は無い。

黄色人種は万事が中等。
知能は高くもなく低くもない。
彼らは、生命や自由を少しは重んじる。
開化する力はあるが、他を開化させる力は無い。

白人は美を知り、智力に優れている。
自由を専び、栄誉を知る。
他を開化することができるが、これは白人の専有能力だ。」

馬鹿だねー

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