【萬物相】旭日昇天旗

 予定通りならば、今年7月にドイツ・バイロイトで行われた世界的に有名な「リヒャルト・ワーグナー音楽祭(バイロイト音楽祭)」の主人公は、ロシア出身の声楽家エフゲニー・ニキティンのはずだった。ニキティンは2年前、同音楽祭の開幕オペラ『さまよえるオランダ人』の主役に抜てきされ、すでにリハーサルも済んでいた。しかし、公演直前になって、ニキティンが16歳のときにヘビーメタルバンドで上着を脱ぎ、ドラムをたたく姿がドイツのテレビで放送されると、状況が一変した。彼の右胸には、ナチスのシンボルマークであるハーケンクロイツ(逆かぎ十字)の入れ墨が刻まれていたのだ。

 第2次大戦後のドイツでは、ヒトラーの亡霊を思わせるナチの模様や制服、ナチ式の敬礼が法律で禁止されている。ニキティンは「入れ墨は若いころに彫ったものだが、私の人生で犯してはならない大きな間違いだった」と謝罪した。公演は服を着て行うため、公演中に入れ墨が見えることはない。だが、ニキティンはすぐにバイロイトを離れなければならなかった。代わりに、韓国人声楽家のサミュエル・ユン(韓国名:ユン・テヒョン)が代役で『さまようオランダ人』の主役を見事にこなし、同音楽祭の新たなスターになった。

 1854年、薩摩藩主・島津斉彬は日本船と外国船と区別するため、白い布に赤い太陽を描いた旗を掲げることを徳川幕府に提案した。日本の国旗「日の丸」の起源だ。日本は日清戦争、日露戦争で、日の丸の太陽の周りに赤い太陽光が広がっていく模様を描き、軍旗として使用した。日の出のような日本の気勢が込められているとして「旭日昇天旗」と呼ばれた。

 その後1945年に太平洋戦争が終わるまで、旭日昇天旗は軍国主義の日本のシンボルだった。生きた人間を人体実験の対象にした731部隊、旧日本軍が罪のない中国人100人に対し、誰が早く首を切れるかを競い合った南京大虐殺の現場にも旭日昇天旗がはためいていた。旧日本軍の性奴隷(従軍慰安婦)たちのやるせない思いが詰まり、私たちの父や祖父が強制的に連れて行かれ徴兵された現場にも旭日昇天旗は翻っていた。日本が敗戦後に心から過去を反省し、許しを請うなら、まず旭日昇天旗を永遠に地中に葬ることから始めるべきだった。

 日本サッカー協会は19日から日本で開幕した国際サッカー連盟(FIFA)U20(20歳以下)女子ワールドカップを前に、ホームページで旭日昇天旗をスタジアムへの持ち込み禁止品目として告知したが、1週間後に削除した。日本が独島(日本名:竹島)問題、釣魚島(日本名:尖閣諸島)問題で韓国・中国と対立している時期だけに、こうした翻意の背景が気になる。ロンドン五輪でも日本の体操選手団が旭日昇天旗を連想させるユニホームを着て出場し、物議を醸した。早々にナチスのシンボルマークを禁止したドイツと、旭日昇天旗を今でもあがめる日本を見ると、両国の国の品格には大きな違いが感じられる。

金泰翼(キム・テイク)論説委員
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