日本の野田佳彦首相が李明博(イ・ミョンバク)大統領に送った「抗議の書簡」(親書)が、両国の対立をさらにあおっている。野田首相が李大統領に書簡を送った表面的な理由は、李大統領による独島(日本名:竹島)訪問だが、本当の理由は李大統領が天皇を批判したことだ。日本について詳しいQ氏は「韓国による日王(天皇)批判に対応しなければ、これ以上首相の座を維持できないからだろう」と述べた。
李大統領は今月10日、韓国の大統領として初めて独島を訪問したが、この時点で日本の対応は比較的落ち着いていた。李大統領による独島訪問を、自分たちが望む「独島の紛争地域化」に利用できると考えていたからだ。
ところが日本の雰囲気が急変するきっかけとなったのは、14日に李大統領が行った天皇批判だ。李大統領はこの日、韓国教員大学で開催された、校内暴力をめぐる教師たちのワークショップで、ある教師が独島訪問の感想を尋ねた際「(日王が)『痛惜の念』などの単語を持ってくるだけなら、来る必要はない」と発言した。
日本の政治家たちはこの発言が報じられると同時に「礼儀知らずだ」「無礼だ」などと先を争って批判した。野田内閣が追加の「報復措置」に着手したのも、この天皇王批判が大きく作用している。しかし韓国の立場からすると、天皇批判に日本の政界がこれほどまでに敏感に反応する理由が理解できない。
韓国史から見ると、今上天皇の父親、昭和天皇は1926年の即位後、日本が朝鮮半島を統治した時代に民族全体を迫害し、弾圧した人物で、太平洋戦争では韓国の若い男性を銃の盾とし、若い女性を日本軍の性的奴隷とした、まさに「特別A級戦犯」だ。今なお韓国民族を苦しめる南北分断も、昭和天皇が統治していた日帝時代の統治が原因になっている。その日本の王室に対し「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と求めたわけだが、これはある意味当然の要求だ。李大統領による発言は、時期的には問題があったかもしれないが、決して言ってはならない言葉というわけではない。
これまで韓国の大統領や政治家は、天皇を神聖視する日本の特殊な状況を意識し、可能な限り天皇に関する発言を公の席では控えてきた。今考えれば、こちらの方がおかしなことだ。
米国も同じだ。天皇が日本で占める立場を考慮し、戦犯の天皇には戦争の責任を問わず、日本の王室の存続を認めたのだ。
このような背景から、昭和-今上天皇は国際社会の要求があるたびに、歴史に対する遺憾の意を少しずつ表明することで、責任を回避することができた。1989年に即位した今上天皇は「平成」を年号として使用している。『史記』の「内平外成」と『書経』の「地平天成」から引用した平成という言葉は「世の中と日本内外の平和を願う」という意味だ。
このように日本の王室が訴える平和を実現するには、まずは心から過ちを認め、これに対する批判を受け入れる勇気から持たなければならない。西ドイツのブラント首相(当時)は1970年12月、ポーランドのワルシャワにあるユダヤ人犠牲者慰霊碑前で膝をついて謝罪した。日本もこの事実を思い起こすべきだ。天皇は決して神聖不可侵ではない。
今上天皇は手遅れになる前に、ブラント首相のように膝をついて謝罪する写真を歴史に残すべきだ。