“銃乱射 逃げる途中はぐれる”8月21日 19時17分
亡くなった山本さんと一緒に取材していた佐藤和孝さんは、シリアとの国境に近いトルコ南部、キリスのホテルでNHKの電話取材に応じました。
それによりますと、2人は日帰りの予定で、現地時間の20日午前9時頃にトルコ側の国境を越え、激しい戦闘が続くシリア北部の都市アレッポに入ったということです。
午後3時半ごろ、反政府勢力の自由シリア軍に同行して取材していたところ、迷彩服を着た10人から15人の一団が2列に並んで坂を上って来るのが見えたということです。
佐藤さんは当初、自由シリア軍のメンバーだと思ったということですが、20メートルから30メートルほど近くまで来たとき、自由シリア軍が普段、身に着けていないヘルメットをかぶっているのが見え、政府軍の兵士ではないかと気付いたということです。
このため、佐藤さんたち2人は取材を取りやめて、その場から離れようとすると、政府軍とみられる一団が突然、銃を乱射してきたため、佐藤さんは、自由シリア軍のメンバーと共に近くのアパートの最上階まで逃れました。
山本さんは、銃撃が始まる直前まで佐藤さんの3メートルほど後ろにいましたが、逃げる途中で、はぐれてしまったということです。
逃げる途中、山本さんの声などは聞こえなかったということで、佐藤さんは山本さんも銃撃をかわし、避難していると思ったということです。
それからおよそ1時間後の午後4時半ごろになると、銃撃がやんだため、佐藤さんは山本さんと合流するために身を潜めていたアパートから外に出て、銃撃を受けた場所に戻りましたが、山本さんはその場にはおらず、自由シリア軍のメンバーから病院に行くように言われたということです。
佐藤さんが病院に着くと、山本さんの遺体が安置してあり、病院の医師からは「山本さんは出血がひどく病院に運ばれた際にはすでに亡くなっていた」と説明を受けたということです。
山本さんは、取材中は、防弾チョッキを身に着けていたということですが、佐藤さんが確認したところ、防弾チョッキを貫通して腹部に銃撃を受けた痕があったということです。
その後、佐藤さんは山本さんの遺体と共に国境を越えてトルコ側に戻り、深夜に滞在先のキリスのホテルに到着したということです。
佐藤さんは、「現場での判断はすべて自分の責任であり、山本さんを失ったことは、私の責任です。山本さんは、私の及びもつかないほど正義感にあふれたジャーナリストでした。日本でもいろいろな事件があるけれど、世界にはもっといろんなことがあるんだと、それを伝えたい、知ってもらいたいと行動している人でした」と話していました。
山本さんの遺体はキリスの病院に安置されていて、佐藤さんは、「一刻も早く日本に戻してあげたい」と述べ、日本の外務省や現地の大使館と連絡を取りながら、帰国に向けた準備を進めているということです。
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