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ここから本文エリア 煙突伝える戦争の記憶2012年08月18日
「立山醬油味噌」富山大空襲の焼失逃れ 市、れんがの一部を保存 富山市舟橋今町の「立山醤油味噌」(2011年廃業)の赤れんが造りの煙突の一部が、戦火をくぐり抜けた貴重な建造物として保存されることになった。市教委では、戦争を語り継ぐ展示会などへの出展を検討するという。 煙突は高さ約25メートルで、1921年(大正10年)に建築された。45年8月1日夜〜2日未明、米軍のB29が同市に焼夷(しょう・い)弾などを落として多数の市民が犠牲になった「富山大空襲」では、市街地のほとんどが焼け野原になったにもかかわらず、この煙突は焼失を免れた。爆撃の影響からか、所々に黒ずみが見て取れる。 市教委生涯学習課によると、立山醤油味噌は昨年に社長が亡くなったことから廃業し、敷地内の施設を解体する工事が現在行われている。8月末ごろまでに煙突も取り壊される予定だ。 ただ、戦争を後世に伝える建築物として保存を求める声が市民から上がり、7月下旬には、職藝学院(同市)の上野幸夫教授(建築史)や同課職員らが、歴史的な価値を調べるため視察。その後も、県内外から「戦争の記録を残すために保存した方がいい」など保存を求める複数のメールが同課に届いたという。 同課はこうしたことを受けて、戦争の悲惨さを後世に伝える貴重な建造物と評価。収蔵スペースがないため、そのままの保存は見送るが、解体後にれんがの一部を保存することを決めた。戦火で黒ずんだとみられる部分などの保存を検討している。大正時代の古い建築物で、れんが造りであることが珍しいという。 同課の清水孝夫課長は「市としても戦争の記憶を忘れずに保存したい。平和な世界のためにという思いがある」と話している。(下山祐治) ◇戦後も使用したことに 歴史的価値ある 建物視察した上野教授の話 「立山醤油味噌」の煙突の歴史的価値について上野教授に話を聞いた。
マイタウン富山
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