昭和十三年二月
二月六日
「支那人民の我軍に対する恐怖心、加へて寒気と家なきことが、帰来の遅るる主因となりをるものと思惟せらる。」
↓
「支那人民の我軍に対する恐怖心去らす寒気と家なき為め帰来の遅るる事固とより其主因となるも我軍に対する反抗と云ふよりも恐怖不安の念の去らるる事其重要なる原因なるへしと察せらる 即各地守備隊に付其心持を聞くに到底予の精神は軍隊に徹底しあらさるは勿論本事件に付根本の理解と覚悟なきに因るもの多く一面軍紀風紀の弛緩か完全に恢復せす各幹部亦兎角に情実に流れ又は姑息に陥り軍自らをして地方宣撫に当らしむることの寧ろ有害無益なるを感し浩歎の至なり」
「慎むべき旨申入れたり」
↓
「可慎も現状を保持する丈は異存なき旨申入れたり」
ここは日記原本一頁に相当する大幅な脱落である。しかもその脱落部を「をるものと思惟せらる」と置き換えて文章をまとめているところから見て、編者は十分承知の上で脱落させたものと思う。
日記原本で松井大将が言おうとしているのは、戦争目的を理解していない日本軍の中国民衆に接する態度が悪く、幹部をも含めた軍紀、風紀が弛緩していることに対する歎きである。しかも松井は軍直接の宣撫工作に絶望の声をあげているのだ。松井の苦い実感がよく出ている。それは主として中国畑を歩き、日記でも明らかなように戦略より政略、謀略を得意とした松井大将にとっては、深刻な「挫折」ではなかったろうか。
このような松井大将の心境を正直に記した重要部分を意識的にカットした田中氏の心理が私には理解出来ない。
|