今日のご紹介は、長きにわたり両羅漢を支えてきてくれた方々を。まずなんといっても殊勲はお二人の奥方ー浦野夫人田鶴子さんと分島夫人せい子さん。このお二人の支えなくしては、羅漢といえども今展を迎える事はできなかったであろう。両夫人とも学生時代からのお付き合い。田鶴子さんは浦野氏の学部の先輩にして、泣く子も黙る才媛。民俗学の教科書などもかるーく執筆しちゃう学者さま。また、せい子夫人は、な~んと分島氏予備校時代から彼を食べさせていたという。彼女が弾くチェンバロを作ろうと学生時代頑張っていた分島氏を思い出す。(ちなみに彼は悦子の多摩美ーズ同級生)。しかもそのチェンバロに絵を描いていたというのが、また今回の漆の仕事に繋がってくるのが凄い。多分貧乏だったその頃、奨学金を注ぎ込んでの製作だったというから、愛情のいかばかりだったかいわずもがな。
また、岡山から分島氏妹さん・お父様のご来廊。お祖父さまの代には瀬戸内に島も持っていたという家系だけあって、美男美女の一族だ。
むし関係では、伊藤弥寿彦氏が伊藤博文氏のひ孫、大久保氏は大久保彦三衛門の直系とか。なんだかすごい方たちに応援してもらってお幸せなお二人を。
Posts Related to 羅漢を支えた人たち
松谷画伯最終日
故・加山又造先生のご子息、哲也氏令夫人・英利子さんがお嬢さんの万葵さんとご一緒のご来廊。ご多忙のなかご自身の個展もしていらしたのだという。今日は加山先生が選ばれた桜の刺繍の帯で、艶やかながらきりっと装いを。万葵さんは多摩美の芸術学科四年生。この前お目にかかったのは二年前か、すっかりエレガントになって登場し驚く。 また北海道からは、ギャラリーどらーるの坂本公雄氏のご来廊。10月にデビュー戦の羅漢工房・浦野氏の義理のお兄様とか。ホテルの経営もなさっているので札幌にお出かけの方は是非お訪ねを。彼のサイトhttp://www.doral.co.jp/gallery/index.htmlからたどって悦部屋に遊びに来てくれたのは、やはり北海道の蟹谷さんとそのお友達。うーん、感激!遠くの方がチェックしてくれていると思うと、さらに励まねば、、。 久々の加藤良造・美佐子画伯夫妻もうれしいご来廊。さらに、年末の藤沢で悦子の餌付けの洗礼を受けた土屋君も。このたびは多くの方に今展を見て頂いた。松谷画伯の人徳もあるだろうが、今年はどんな絵になっているか、目が離せない旬の画家だからだろう。次にどう進(深)化しているかまた待たれることである。
寒中お見舞いー札幌からも
悦子の大事なi-photoがなぜかダウン。日記に画像が載らないという危機に瀕した。のでしばらくおやすみ、、。ごめんちゃい!!(とまたもや可愛くいってみる) パソダウンもこの寒さのせいか、などと思いたくなる連日の寒波。それなのに汗を拭き拭き札幌からギャラリードラールの坂本さんご夫妻が見えたのには驚いた。そして今年初の、へぇ~奇遇!事件が。なんとこんなめったにないご来廊時に、坂本氏いとこの浦野氏が分島氏とともに画廊にいたのである。まさに時間帯もここしかないというタイミングで。血は水より濃し(あたりまえか)!! これから吹雪の札幌へ帰られるというご夫妻、奥様は初のご来廊なのに、悦部屋サイトにはよく遊びに来ているから初めてのような気がしないわぁ~とうれしい一言。ご自身も画家でいらっしゃるという、うらやましいようなご夫婦である。早速ドラールhttp://www.doral.co.jp/gallery/index.htmlのページにトシ君画伯の作品を御紹介して下さった。また浦野氏のサイト<http://www13.ocn.ne.jp/~rakan/>にはなんとトシ君の秘蔵丁髷画像が。 夕方には富山から雪を背負って尾長画伯、湘南からは空っ風に吹かれて松谷画伯のご来廊。手に持っている絵の写真は、トシ君画伯ヌードをコンピューター加工した作品。とっても素敵な何年か前のお尻を皆で鑑賞の図ーこれって寒中見舞いになる?
軌跡ー15年目の春
15周年の記念にあたり、旧知の本江邦夫氏から以下の原稿をいただいた。 ≪銀座の画廊めぐりで疲れ果て、柴田悦子画廊に立ち寄るとき、砂漠でオアシスに出くわした気分になるのは私だけではあるまい。分け隔てなく満ち溢れる歓待の心。ここには他者が存在しない。人と人との親密な一体感に包まれた場所、いやまさに「場」があって、藝術作品は初めて自らの深さと豊かさを見出す。不思議なのは、かけがえのない場の主人たるべき人にほとんどその自覚がなく、すべてを達観した、どこか彼方を見遣る気配のあることだ。柴田悦子が「場の芸術」俳句をよくし、遠見の俳号をもつことと、おそらくこれは無縁ではあるまい。―本江邦夫(多摩美術大学教授)≫ 明日をもしれぬ命と、その存亡を心配された画廊も はや15年。 このわがままを通すために、いろんな方のお力をお借りした。まず支えてくれた画家たちと、コレクターのみなさま、友人たちに心からお礼を申し上げる。 画廊の立ち上げの時にはまだ30代なかばだった画家たちは50代を迎えた。また今新人として押している画家たちはそのころ小・中学生だったことを思うと感慨深いものがある。 ともあれご縁あって、柴田悦子と仕事をともにしてくれた画家たちの作品を画廊中に飾って、今までの展覧会を回顧してみたいと思った。 それぞれの画家の個性を一枚の絵として画廊の空間に配置してみるー時代もキャリアも別々の画家たちの作品がもたらすハーモニーは格別だった。 15年という節目にたった一里塚は、今までの道筋が誤っていなかったことを示してくれたと思う。次の一里はこの先に続いていると教えてくれる展覧会だった。 手前勝手なことだが、10日間余 心から愛する作品たちとともに過ごせたことを感謝をこめてご報告させていただく。 柴田悦子画廊15周年絵画集
三笑展ー橋本龍美・野崎丑之介・牛嶋毅
三笑展ー橋本龍美先生の命名による本展は、先生に私淑する野崎丑之助と牛嶋毅の願いが結実して実現した。古来画題となってきた中国の故事「虎渓三笑」は雪舟や曾我蕭白の筆で知られるが、次に簡単にその略意を記す。 東晋の僧、慧遠は廬山に隠棲し俗界禁足して30年山を出なかった。訪ねて来た客人を見送るときも、山の下にある虎渓の橋を越えることがなかった。ところが、ある日友人の陶淵明と陸修静を送っていって、道中話が弾み気がつくと虎渓の橋を渡ってしまっていた。そこで三人は大笑いした。 それぞれ仏教、儒教、道教の象徴的な人物として、これらが融合する唐以降に三位一体を示すものとして流布したということだ。 この故事をふまえ三人展の名とした橋本先生の含蓄は、見事に三人の関係まで示唆していて、これにうなったのは私だけではあるまい。「三笑」は自由ということである。立場を越え、年齢を越え、集う仲間が計らいなく笑い合う。そういう場に立とう、と先生は後輩画家をいざなう。 このいざないに、野崎丑之助は大島紬の生地に五不動を描き、牛嶋毅は曾我蕭白から画想を得て、板絵に挑戦した。いずれも創画会では発表していない新たな取り組みである。大胆にして不敵しかも細心ー先生の画風から大いに刺激を受けて描いた作品だった。 1927年生まれ今年齢81歳の橋本龍美先生は、新潟は加茂出身。新制作日本画部から出品。創画会の創立メンバーでもある。古典や習俗に取材した摩訶不思議な世界を奏でる画家として、唯一無二の境地にいる方なので、俗世間と交渉は絶っているとばかり思っていたところ、その先生に虎渓の橋を渡らせたのが、くだんのお二人なのである。画像は呵々大笑の証しーことのほかお優しい気骨の方であつた。 その先生が出品して下さった、国芳の「壇ノ浦」模写が素晴らしいかった。模写といえば、本画の勢いがどうしても削がれてしまうものだが、先生の取り組みは本物を凌駕するパワーを絵に与えていた。一線一描に魂を込めて描いたに違いない、と思わせる力作だった。 このような仕事を、懐中に呑んでの制作である。後輩たちに指し示す道は、笑いながらも厳しい。しかしそれに適う人材と見込んでの「三笑」展だったに違いない。どうか、来年も虎渓の橋を笑いながら渡って下さいますようにと願うや切。
中川雅登展
中川雅登日本画展が今日から。 1968年 愛知県豊橋に生まれ 1987年愛知県立芸大美術学部日本画科に入学し、92年に同学部中退。その後も愛知芸大模写「法隆寺金堂飛天」「西大寺十二天像」に従事する。2004年から名古屋で個展やグループ展で作品を発表しはじめ、東京では今展が栄えあるデビュー戦に。 画像でご覧の通り繊細極まりない画風。300鉢もの草花を自ら育ててスケッチしたものを下敷きに16点を描いた。今回はご近所の西邑画廊さんでこのスケッチも同時に発表、二会場で本画とスケッチ双方の魅力を披露した。 ご本人のもともとの気質と模写で鍛えた技術があいまって、今時珍しいような正統的花卉図ではあるが、モチーフとしているクリスマスローズはようやく近年日本でも知られてきたキンポウゲ科の花。そのモダンな容姿が古典的な描法で描かれているところが今展の見どころであろう。 丹念に平刷毛で塗られた空間にデリケートに置かれた岩絵具。息をつめて筆を置いている様子が偲ばれる。このような仕事に大作は過酷だ。50号の花菖蒲もどのくらいの期間を費やしたのか、想像を絶する。だが伴清一郎氏の作品を見て小品でも密度があれば大きさは関係ない、と感得。以来、小品にも心血を注ぐようになったという。その甲斐あってどの作品にも匂うような品格がある。この品にさらに力強さが加われば、いずれ花卉図の世界の継承者のして世にしられるのは間違いない。一枚の葉、一枚の花弁のなかの神秘に分け入って、その美を余すところなく表現することに夢中で、俗から背を向けているように見える氏ではあるが年齢わずか40余歳。まだ仙人になるには若いお年頃。豪腕で描く細微な世界がこれからどう進化していくか、楽しみにしていようと思う。