学校法人 高水学園 山口県岩国市
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高水高校付属中学校

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研究・成果発表

【平成24年度】
■高水訪問
■第9回日台文化交流 青少年スカラシップ 作文部門
 
【平成23年度】
■第51回「国際理解・国際協力のための中学生作文コンテスト」山口県大会
■第2回『共に生きる社会』めざして 高校生作文コンテスト
■第58回「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」
■ユネスコ・ユースセミナー2010 感想文
■第17回「高校生による国際交流体験感想文コンテスト」
■サマーセミナー感想文
 
【平成22年度】
■「第四回全日本高校模擬国連大会」選抜出場
■スプリングセミナー感想文
■スプリングセミナー感想文
■高水村塾之址訪問・田植え感想文
 
【平成21年度】
■「寺子屋キャラバン」学校訪問

■「第三回全日本高校模擬国連大会」選抜出場

■「薬物乱用防止対話集会」事例発表
■立志
■ユネスコユースセミナー感想文
■サマーセミナー感想文
 
【平成20年度】
■ユーススタディーツアーinカンボジア報告
■立志  
■全日本高校模擬国連大会出場報告
■平和学習 感想文
■サマーセミナー感想文
■ユネスコ全国大会in東京 参加報告
■田植えと烏岳峰登山 感想文
 
【平成19年度】
■ユース・スタディーツアーin カンボジア帰国報告
■付中全員で劇団四季ミュージカル「美女と野獣」を鑑賞してきました
■UNESCO青年交流信託基金によるユース・スタディーツアーin カンボジア参加決定
■異文化交流セミナーを開催しました
■14歳、新たな誓い(立志式)を開催しました
■平成19年度「立志の日」作文発表大会で入賞しました
■第三回「中高生向け立志論文コンテスト」で入賞しました
■第一回全日本高校模擬国連大会へ参加しました

高水訪問〜楽学について〜
1年1組 山田星子
 6月5日、周南市高水を訪れました。
 初めに、田植えをしました。同窓会の方々に教えていただきながら作業をしました。私は初めての経験でした。田んぼの中の土は、とてもやわらかくて深かったです。列をそろえて、丁寧に植えることが意外に大変でした。私たちが食べているお米は、こんなに苦労して作られているんだなと実感しました。
 次に、烏岳帽登山をしました。山頂まで登る時、道が悪いところや細いところ、急斜面がありました。山頂はとてもせまくて落ちそうでした。でも友達が「697mってスカイツリーより高い」と言っていたので、達成感がわいてきました。きりが多くて景色も少ししか見えなかったけど、先輩方はこんな自然溢れる地域で学んでいたんだなと思うと、すごくうれしかったです。頂上で校歌も歌いました。やる気に満ち溢れる気分になりました。
 最後に、私たちの大先輩である坂田さんから、高水のシンボル「楽学」についての話を聞きました。「楽学」は孔子が書いた文章から取った言葉で、同じ学問を志す同門の人と楽しく学ぶという意味が込められているそうです。そして、「楽学の碑」の話も聞きました。学園内には5つの石碑があります。この碑を守ってきた先輩方の思いを胸に、感謝の気持ちを持って、精一杯「楽学」にはげもうと思いました。
 今回の高水訪問で貴重な体験ができて良かったと思います。そして、私たちをお世話してくださった同窓会の皆さんや先輩方、先生、バスの運転手さんに感謝したいです。  今、115周年を迎えている高水で、「楽学」のもと努力して何事にも頑張りたいと思います。

高水訪問
 
みんなと学んだ大切なこと
1年2組 松永希子
 私はこの高水訪問を通して、たくさんのことを学びました。そしてさらに、高水にはこんなにも深い歴史がある、ということも身に染みて感じることができました。
 まず、田植えをしました。高水の先輩方のご指導の下、順番に稲の苗を植えていきました。私は、田の中に入ったしゅん間、ぬるっという感触を覚え、小学校3年生の時に行った「蓮根ほり」を思い出しました。苗を植える時、こしをかがめて、苗の列を乱さないように植えていくのですが、それが難しいのです。一見、簡単そうですが、こけそうになったり、足がぬけなくなったりと、思わぬハプニングが起こりました。それに田の中では、体が思うように動きません。つまり田植えは、「言うは易く行うは難し」です。そんな田植えをもっと広い土地でたくさん行う、というのはどれだけ大変なのか、体で実際に感じました。今は機械がありますが、それでも、水の管理や草ぬき、虫がこないようにするための対策など小さなところまで気を配らないといけない仕事なので、楽ではないと思います。私たちがいつもおいしいお米を食べることができるのは、農家の方が愛情をこめて、汗を流しながら頑張っておられるおかげです。それにこんないい経験ができたのも、私たちが安全に田植えができるよう、高水の先輩方が準備してくださったおかげです。私たちは、多くの人に支えられて生きている、ということを学び、これからも多くの人に感謝しようと改めて思いました。
 次に、烏帽子岳に登りました。私は、4月に登った銭壷山と同様に少し歩いただけでつかれてしまい、完全に「坂に負けた。」と自分の体力の弱さにがっかりしました。そして、後ろのほうだった私は、前にいた友達が止まっているのを見て、「ゴールだぁ。」とすごくうれしい気持ちになりました。すぐに私は友達の方へかけ寄り、「やっとお弁当だね。お腹すいたー。」と言いました。しかし、友達から返ってきたのは、「え?まだ頂上じゃないよ。今からもっともっと険しく、急になるんだって。」という言葉でした。私は、唖然としましたが、前に進まないと、いつまでたっても頂上は見えてこないので、頑張ろうと思いました。そして、坂がすごく急で、足をすべらせたり、転びそうになったりしたけど、友達とはげまし合いながら頂上に着きました。苦労して登った頂上でみんなと食べたお弁当は、最高においしかったです。私に声をかけてくれた友達とおいしいお弁当を作ってくれた母に感謝しています。
 最後に、高水の先輩の坂田康男さんに高水の歴史について、お話を伺いました。高水のシンボルである「楽学」にこめられた、たくさんの思い出や「山高く水清し」という高水の名前の由来。また、昔の校舎の位置などいろんなお話を聞かせていただき、とても勉強になりました。一番印象に残っているのは、昔の先生と生徒の関係です。学校内では、どの先生も厳しく、ビンタは当たり前だったそうです。今の学校生活の中では考えられません。でも学校を出ると、とても仲が良く、先生は生徒にしたわれていたそうです。今回、様々なお話を聞き、高水の深い歴史にびっくりし、感動しました。これから、このような高水の歴史に誇りを持ち、過ごしていきたいと思います。
 この高水訪問は私にとって、一生に一度のいい経験になりました。あたりまえだと思っていることも本当はたくさんの人の手がかかっているのだと知りました。これからも、「ありがとう」という感謝の気持ちを忘れないようにしようと思いました。それから、今回の経験を生かしながら、大好きになった校歌とともに楽しい学校生活を送りたいと思います。

みんなと学んだ大切なこと
 

山口県内に在住または在学する青少年を友好都市中国山東省に派遣する
「山東省青少年友好の旅」の参加者を公益財団法人山口県国際交流協会が募集。
本校から募集枠5名に次の2名が応募、みごと参加が決定しました。
六年制普通科1年 重田真輝
同じく     2年 浦崎笑子
また、浦崎笑子さんは、「第9回日台文化交流 青少年スカラシップ」作文部門「最優秀賞」に決定しました。

浦崎笑子さんの「第9回日台文化交流 青少年スカラシップ」作文部門「最優秀賞」の作品および、
重田真輝さんの参加理由書は以下の通り。

企画

(公財)山口県国際交流協会
(後援:山口県、山口県教育委員会、山口県私立中学高等学校協会)
 
「第9回日台文化交流 青少年スカラシップ」作文部門「最優秀賞」 
浦崎笑子

 「今日はよく晴れているから台湾が見えるね。」もしかしたら泳いで渡れるかもしれない、と子供ながらに思った。それほど近いと感じる距離だった。
 私は幼い頃、日本最西端の島、与那国島で暮らしていた。与那国島から台湾までの距離は約110km。隣の石垣島までは飛行機で約35分。私の住む地点から見ると、台湾と石垣島はほぼ同じくらい近くて遠かった。大陸に見えた台湾に飛行機は飛ばなかったからだ。
 与那国島と台湾との間に引かれた一本の国境線を地図上に発見したときは、少し不思議な感覚を持った。しかもその不思議さは私の意識をはっきりと転換させてしまった。それ以来、泳いで渡れそうに見えた台湾は、渡ってはいけない所、見えるだけの世界に変わったのである。
 私は日本で一番台湾に近い場所に住んでいながら、台湾のことを全く知らなかった。110km先の島国には日本とは違う言語や文化がある。渡れないとわかるとなおさら思いは募った。いろいろな想像が私を満たし、わくわくどきどきさせた。台湾から与那国島は見えるのだろうか。向こう側の子どもももしかしたら、今同じ思いで私の方を見ているかもしれない。
 琉球諸島から遠く離れ、日本本土で暮らして長い時間が経過した今、私は改めて思うことがある。私のこの位置からは与那国島も台湾も同じように見えない。見えないばかりか、同じくらい何も知らないということである。
 日本史は学校で習ったが、与那国島の歴史などどこにも書かれてはいなかった。与那国島が含まれる琉球諸島は、明治の初めに断行された廃藩置県までは琉球国(藩)と呼ばれ、首里城を中心に王朝が存在した。外交や経済上でも清国と深くつながり、幕府の支配下にありながら独自の朝貢政策を採ることができた。薩摩藩からも幕府の名代として様々な束縛を受けたが、王国の文化と生活様式を維持してきた。
 つまり、沖縄も歴史の歯車が少しずれていたら、現在の台湾の一部になっていた可能性は大きい。まして琉球諸島の最西端に位置する与那国島なのだから、そうなる可能性と必然性は十分考えられるだろう。またその考え方を押し広げてゆけば、私たちの文化観にも新しい視座を設定できそうに思える。
 翻って現在の台湾は、中華人民共和国の建国以来、大国の思惑に翻弄されながら、考えれば考えるほど複雑極まりない状況にある。しかしそのような状況に置かれながらも経済的な成功を収め、今や大陸の中国人からも羨望のまなざしが注がれるほどだという。そしてこの隆盛の基礎を築いたものが、日清戦争後の日本統治の功績の一つと考えられるならば、台湾と私たちをつなぐ絆は本当に大きいと言わざるを得ない。
 昨年9月に衝撃的なニュースを見た。日本人6人が東日本大震災の義援金を送ってくれた台湾に対し、感謝の気持ちを伝えるために与那国島から台湾まで泳いで横断した、というニュースだ。私が子供の頃、冗談がてらに思っていたことが達成されたのだ。この事実に驚きが隠しきれず、その記事から目が離せなかった。台湾からの義援金は、今では約200億円にものぼり、この金額は外国の義援金としては最も多い額だ。私はここに日台の深い関係を覚える。しかし、台湾を国家だと認めている国は世界中に23あるだけで、日本も日中関係を優先し台湾を国家と認めていない。日台両国は友好な関係にあるにもかかわらず、日本も国際政治の因果関係が作る矛盾の中であがいている構図だ。
 昨年6月に台湾と中国が経済協力枠組み協定を締結した。協定は両国間の関税を減らし、貿易をスムーズにすることを目的としている。だがこれは、ひとまず外聞を捨て、両国の利害の一致する経済の実を選択した結果に過ぎず、未だに台中が歴史的邂逅に至る道筋さえついてはいない。
 私は所属するユネスコ部で「相互理解」という言葉に出会った。お互いを理解する。そのためには、まず友達になる。世界中に友達を作る。そして、もし日本とその友達の住む国が戦争を起こしてしまっても、その国のことを嫌いには絶対なれない。私はこの言葉から話し合うこと、自分の気持ちを伝えることの大切さを実感した。そして、様々な人の意見をもっと聞きたいと思った。将来世界中に仲間を作り、相互理解を広め、偏見や差別をこの世界から無くしたい。台湾と日本そして中国は、私たち若い世代の新しい感性と歴史的視座によってつながれると信じたい。
 各国の友人たちと台湾で一緒に110km先の日本の島を眺めてみたい。私の故郷について話したい。たった110kmが文化も言葉も風景も遠く隔ててきた。この距離がどれだけ近くて遠いのか…。みんなの目で確かめてみたい。

浦崎笑子
 
「山東省青少年友好の旅」の「参加理由書」
重田真輝

@「友好の旅」へ応募した理由
山東省と聞いてすぐに思い浮かんだのは、春秋時代の斉だ。その西、魯では孔子が生まれ、後に儒学と呼ばれた思想を広めるため諸国を遊説していた。春秋から戦国時代へと続く群雄割拠の4百年間は、中国史上最も長く続いた混乱の時代だった。しかし、同時に諸子百家が出て、政治と人間についてとことん論争を繰り返し、人類の思想の基盤が築かれた時代といっても過言ではない。
改めて済南を調べてみた。なんとまあたくさんあること。この地は遺産や遺跡の宝庫だ、まるで中国五千年が凝縮されているようだ。私が本ツアーで特に期待しているのは?博市の周村古大街見学である。臨?は斉国の都として八百年も繁栄した国家級の歴史文化都市であり、桓公・管仲・晏嬰などの歴史的著名人を輩出した。想像するだけでもわくわくして来るではないか。
青島は済南と比べると近代的な街だ。東方のスイスと呼ばれるほど美しいらしい。しかし、これはドイツの植民地時代や日独戦争など痛ましい歴史の名残であることを忘れてはならない。
現在の山東省は済南を中心に中国経済を牽引する。世界中の多国籍企業が進出し、世界のグローバル化を象徴する地域だとも言える。初めて中国を学ぶ者にはうってつけの場所である。当地の若い世代が一体今どんなことを考えているのか。一時も早く交流してみたい。

Aあなたにとってこの旅行の経験がどのように役立つと思いますか。
私の夢は医師となって人の役に立つことだ。私は医師という職業を通じて多文化が共生できる地域づくりに貢献したい。そのような医師になるために、今から広い視野と多文化共生の精神を培うことが重要だと思う。
昨年の3月に東日本大震災が起こった。その直後から日本は海外の国や地域から大変多くの支援や励ましをいただいてきた。しかしその一方で、被災した外国人への気配りができていただろうか。言葉が通じず不安な外国人たち、けがをしたり、病気になったりした外国人たちに、私たちはどれだけのことができたのだろうか。
多文化共生とは耳触りのよい言葉であるが、それを実際に進めるものは、具体的な行動・行為であると思う。例えば圧倒的な自然災害の最中においても、日本人が受ける援助と同様の援助を外国人が受けられる環境や仕組みを作っておくことが、これに当たる。それができて初めてどんな人にも分け隔てなく気配りができたということになるのだと思う。  
このとき、実際に人の命を預かる医師自身の発する声やその思いは非常に大きいと思う。医師ならではの視点で行政に働きかけをすればさらに良い仕組みを作っていけるのではないか。
短い時間ではあるが、悠久の中国を慕いながら、現代中国とその若者たちとの交流を、少し大げさだが、私の多文化共生の原点としたい。


重田真輝


在校生への結果報告会の様子。
 
第51回「国際理解・国際協力のための中学生作文コンテスト」山口県大会
佳作 「もしも私が国連職員なら」  付属中3年 好中 奈々子

 私はこの夏、奈良県で行われたユネスコ子どもキャンプに参加した。
参加者は小学生が多く、最初はなかなか自分の班になじむことができなかった。話し相手のいない寂しさから、私は別の班で行動するという自分勝手な行動をとっていた。その時、注意をされても当然なのにスタッフの人は「もう慣れた?」と逆に私を気遣って下さった。周りの気持ちも考えずに自分勝手な行動をとった自分を本当に恥ずかしいと思った。
 一日目は何度も「早く帰りたい。」と思ったキャンプだったが、最終日はみんなとの別れが辛く涙が出た。四日間のキャンプ生活が私の心を大きく変えていたのだ。スタンツの練習が上手くいかない時には、年下の小学生を相手にして本気で自分の思いを伝えたこともあった。キャンプで学んだのは、仲間を認め受け入れる心や表面だけでなく心から人に向き合う勇気、そして共に助け合うことなど、人と関わって生きていくことの大切さだった。
だから、もしも私が国連職員なら、世界中の子ども達を集めて『ユネスコ子ども地球キャンプ』を開催したいと思う。
 国連の様々な活動を思う時、私はキャンプのスタッフの果たす役割に似ているように思う。顔も年齢も出身地も違うバラバラな私達を、スタッフは見守り結びつけてくれた。それと同じように世界にはたくさんの人間がいて国も民族も言葉も様々だ。宗教や習慣、文化、価値観、そのあらゆる違いを受け入れ認め合うために、人と人、国と国を結びつけているのが国連の活動ではないだろうか。そして、戦争や貧困、飢えや病気、差別や環境問題などの人類の問題を共に解決するために、人と人、国と国を結びつけている。
地球キャンプでは、私が奈良キャンプで学んだように、人が共に生きていくことの大切さを知り、仲間を認め受け入れる心を育んでほしい。そして世界中の子ども達に本当の笑顔や生きる尊さを感じてほしいと思う。
けれど現実には、戦争や病気で生きることだけで精一杯で、キャンプどころではない子ども達の方が世界には多いのだ。貧困、教育、健康など、どれをとっても大変な問題で、解決には多くのお金や時間がかかることだろう。
 だからこそ私が提案したいのは、「人」を育てる地球キャンプなのだ。人類のあらゆる問題を作りだしたのは私達「人」だ。その問題を解決していくのは、やはり私達「人」でしかない。世界各地でこのキャンプを行い、「問題を解決するのは、人と人、国と国が協力し合う関係を築くことが大切だ」と、自分の肌で感じる体験を多くの子ども達が共有すれば、地球の未来は少しずつだが確実に変わっていくにちがいない。
世界各地の地球キャンプで育った子ども達は、地域を育て、国を育て、平和を生み出していく。また、国連の活動を担うスタッフや国連ファミリ―となって、世界中で活動に取り組むことだろう。
現在私達の学校ではユネスコの活動として、平和について学習したり、異文化交流をしたりしている。また、感染症予防のワクチンを買うための募金活動や廃品回収も行っている。今私達ができることはこのような小さな活動だが、一つ一つの小さな積み重ねが、世界を理解することにつながり、地球にあるたくさんの命を守ることになると信じている。
 来年は私の住む山口県でユネスコ子どもキャンプが行われることになった。今度は私もスタッフとして参加する予定だ。人と人とを結ぶ国連キッズとして活躍するつもりだ。
この青い空はどこまで続いているのだろう。私はこの空に続く広い世界をまだ知らない。だからこそ、まだ見ぬ世界とつながっていくために、私は今身近にいる人と仲良くし、互いに協力し合う人間関係を作っていくことを、どこまでも続くこの青空に誓う。
 私達はこの地球に一つテントを張るキャンパーなのだから。

 
第58回「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」
(財)安達峰一郎記念財団賞 
「世界の平和と安定のために国連がすべきこと―パレスチナ、子どもたちのメッセージ―」
六年制普通科2年 浦崎笑子
 

世界中で毎日、人が亡くなり、そして生まれます。命は平等なのか。自分を産んでくれた親まで殺せと命令される子ども兵。どんな気持ちなのでしょう。大人は、純粋な子どもをだまして何がしたいのでしょう。
私は、7月に「国際社会における日本の役割」についてのフォーラムに参加しました。そこで、ある講師の先生のお話を聞くことが出来ました。先生はパレスチナへ実際に足を運び、現地の状況や感じたことを、自ら撮影した写真を見せながら話して下さいました。
大きなスクリーンに映し出されたたくさんの写真に、私は涙が止まりませんでした。戦車の攻撃で破壊された家。崩れた家の中でわが子のために粉ミルクを探す母親。白い包帯を丁寧に巻かれた数えきれないほどの遺体・・・。すべてが、私の身の回りでは想像も出来ないくらい残虐なことばかりです。けれど、それが毎日のように繰り返されるパレスチナの現実なのです。
しかし、写真の中の子供の笑顔は、その現実を感じさせない位素敵なものでした。配られたジュースを片手に満面に笑みを浮かべる子供達。これらの写真が私に改めて平和の意味を考えさせてくれました。
「すべての子どもたちが十分に食べられないうちは、世界は平和を知ることは決してない。」デイビット・ワーナ―のこの言葉は私の心に深く残っています。
紛争地域だけでなく貧しい国の中には、飢餓に苦しむ子どもや、怪我をしたり病気になったりしても満足に治療も受けられず、亡くなる子供がたくさんいます。
世界のどこかで、3秒にひとりの子供が亡くなっていると言われています。同じ地球で同時代に生きている高校生の私達に、一体今、何が出来るのでしょう。
私が所属するユネスコ部では、ペットボトルキャップを集めています。学校で生徒に呼びかけ、集まったキャップをワクチンの代金に換えようという活動ですが、毎年何十キロもキャップが集まっています。
しかし、キャップを1キロ集めたところで、ワクチン1本にもならないのです。たくさんの人々の善意を集めても、この方法ではたった一人の子どもの命さえ救うことは難しい。しかし、とまた考えます。この救いたいという思いが私たちの誇りではないのかと。逆にこの思いがなかったら、この世は寂しすぎると。
ところが、同世代の人達の中には、紛争地域の状況をまったく知らない人も多いのです。情報化時代の今、知ろうとすればすぐに調べることが出来ますが、興味がないことには手が出ません。だから、勝手に思い込んで偏見を持ってしまう人がいっぱいいます。
パレスチナでは、「人として当たり前に生きたい。」「平和に生きたいだけなのに・・・。」という声がよく聞かれるそうです。だから、その願いを私たちが共有することが、平和への第一歩だと考えます。
国連が発足した日の今日、この記念すべき日に国連にお願いがあります。
私たち高校生を対象に、紛争地域や貧しい国の人々の状況や思いを伝えるため、衛星通信などで現地の人と直接会話できる機会を作ってください。
私は、パレスチナの話を聞いて、現地の人達が本当に望んでいるのは「援助物資」よりもむしろ、「普通に暮らせるようになること」「世界中の人に理解してもらえること」だと気づきました。このようなことは、直接現地の声を聞いてみないと分からないことです。
現在国連は高校生対象に様々な活動を行っています。加えて、この会話の機会を世界に広げてもらえれば、紛争や貧困、様々な国際問題について興味を持つ高校生、真剣に取り組む高校生が、もっと増えてくると思います。
共に未来を担う人間として、世界中の子ども達が心の底から笑えるような未来を作り上げたい。平和は私たちが作り出すもの。ですが、その私たちを結びつける役割を、国連が担ってほしいのです。

 
第2回『共に生きる社会』めざして 高校生作文コンテスト
「誰かのために、私が出来ること。」 六年制普通科1年 内本千恵

 誰かのために、私が出来ること。このテーマは、私がただ自己満足でやれることでは成り立ちません。私がしたことで、私がいたことで、何か少しでも相手に良い変化が表れて、初めて成り立つのだと思います。そのことを頭においたうえで、もっと深く考えていこうと思います。
 私はごく普通で平凡な人間です。好きなこと、嫌いなこと。得意なこと、苦手なこと。向いていること、向いていないこと。たくさんあります。私がいくら役に立ちたいと思っても、やれることには限りがあるのです。それを理解しないまま、やみくもに相手に働きかけたとしたら、反って相手に迷惑をかけてしまったり、自分自身にもストレスが溜まったり、結局、本当に相手のためだったのかどうかさえ分からなくなってしまうと思います。
だから「私」に合った、「私」にしかできないことを探すために、自分の性格をきちんと理解することから始めようと思います。
 私は、つくづく単純な人間です。普段はくだらないことで笑って、大騒ぎして、自由気ままに生活していて、その上、面倒くさがりだし、やる気出るまでが長いし、諦めるのが早いし。覇気がないとよく言われるほどのダラダラ人間です。でも、人に褒められたり、必要とされていると感じたりすると、まるで人が変わったように自分でも不思議なほど頑張れるのです。
 もっともっと笑顔が見たい。「ありがとう」という言葉が少しでも聞きたい。そのためなら私は何も苦に感じないのだ。偽善者と思う人もいるかもしれません。なぜって私がこれまで、良いことをしている人、人から感謝されている人をそう思って見ていたからです。そう、良い人って思われたいんでしょって。
でも今考えると、それはただのひがみだった。私のできないことをできる人がねたましかった。できないのではなく、しなかっただけなのに。そのことに気づけずに私はムズムズしていました。最近、ふと自分の生きている価値や意味って何なのだろう、と考えることがあります。友達や家族とバカ騒ぎして、笑って、泣いて、とても楽しい日々を送っています。それでも考える。どこか満たされない気持ちがあったのかもしれない。
そんなとき、私にある転機が訪れました。
私は学校の先生に誘われ、奈良で行われる「ユネスコ子どもキャンプ」に参加することになりました。それもキャンパーではなくスタッフとして。初めての体験でした。子どもが大好きな私は、先生に選んでもらったという嬉しさをバネにやる気を出していました。
 しかし、スタッフの大人の方から参加者の小中学生まで幅広い年齢層の、しかも初対面の人とふれあうというのは、予想していたよりはるかに難しいことでした。それでも泣き言は言えない。スタッフは子どもたちを支える側にいなくてはいけないのだから。最初は緊張して身体がガチガチになっていました。
でもそんなプレッシャーの先で私は、たくさんの笑顔に触れることができました。私がちょっとものを取ってあげただけで、相談を聞いただけで「ありがとう」や笑顔が溢れ出す。すごく新鮮でした。私の日常にももちろんあることだろうけど、とても新鮮な気持ちになれたのです。こんな素敵なところに私は存在してるんだ。そう思ったのです。
 私の日常はこんな素敵なところで営まれる!これは十六歳の、そして私の生まれて初めての発見でした。私は、人のために生きることで初めて私の生きている意味が生まれるのではないかと思いました。それは決して優越感に浸りたいという思いからではない。第一私はそんな優れた人間なんかじゃない。喜びや感謝や愛が、私のいるところから溢れたら私自身がすごく幸せなのです。
私が誰かのためにできることは、物資の支援や治療ではない。人として人と共感すること。笑顔で「ありがとう」と言うこと。

 
ユネスコ・ユースセミナー2010
「人との繋がり」  六年制普通科1年 辛島 直哉
 ユースセミナーに参加して一番感じたことは、人との繋がりです。
  まず3日間全てを利用して、他のユネスコ団体や参加者の方々と仲良くなれた、というのが、今回私にとって最高の収穫です。
 その3日間の中で印象に残ったものを幾つか紹介したいと思います。
 初日の夜、入浴後に交流会がありました。あらかじめ各地の特産品などを持参するようになっていましたが、持ち寄ったお菓子などを一緒に食べながら話し合ったりしました。私は元々人見知りするたちで、楽しかったのですが緊張が続きました。
 2日目、朝から挨拶の声をかけてくる人々ばかりで、かなり嬉しかったです。分科会は戦争を選びました。シュミレーションをしながら、我々に何が出来るのかを考えました。分科会で学んだことを発表する時、とても緊張していた私ですが、「こういうことも経験だ」と言って下さったので、あまりあがらずに説明出来ました。この日も夜に交流会があったのですが、全く人見知りせずに多くの人と話すことが出来ました。
 そして最終日。初日からの様々な仕掛けがこの時に一気に花開き、とても感動をしました。 閉会式を終えて帰途につきましたが、この3日間の体験で私は大きなものを得た気がします。また、小さくはありますが前進をすることが出来たような気もします。このような機会がありましたら、また参加したいと思います。
 
第17回「高校生による国際交流体験感想文コンテスト」
佳作 「自分に課せられたもの」  六年制普通科2年 村上 愛
 私は捕鯨問題に興味がある。初めてこの問題に触れたのは、高二の現代社会の授業時間だった。教科書の欄外に「文化的多様性を維持しようとする考え方と、生物多様性の観点から環境保護を主張する見方の衝突」と小さく書いてあった。私は思わず「説明はこれだけか!」と驚くと同時に「もっと知りたい」欲求に突き動かされた。それから間もなく、偶然にも捕鯨問題のドキュメンタリー番組をテレビで視聴することになった。初めて知った現実に涙がでた。       
 それは文化や考え方の違いから生まれる人と人との隔たりを見た瞬間だった。交りあうことのできない人間同士の憎しみの応酬であった。
 今年七月、市のプログラムに参加してアメリカで十六日間ホームステイをしてきた。出発前、「アメリカ人の捕鯨についての考えを知ること」と「アメリカの文化を存分に体験すること」を目標に掲げ、日本を旅立った。 アメリカに到着するやいなやホストファミリーの人が猛烈なハグで出迎えてくれた。
 「これがアメリカだ」とわくわくした。それから毎日、ホストファミリーはもちろん、その友達や近所の人と過ごし、コミュニケーションの醍醐味を味わいながら、たくさんの経験と学びを得ることができた。本当に充実した日々だった。と同時に私自身も、日本文化や日本人の考え方についてでき得る限りの発信ができたと思う。
 例えば、ホストファミリーと一緒に外食した時だった。家族はみんなたくさんの料理を注文していた。「アメリカ人はこんなに食べるの」と感心していた私は、あとになって驚かされた。始めのうちは順調に食べこなしていたのだが、さすがに終盤ともなると、パタリと手が止まり、会話を楽しむのみとなった。最後は多くの料理が皿に残っていた。
 「余った料理はどうするの?」と聞くと「このままよ。たいていのアメリカ人はこうよ。」とあっけない返答だった。でもそれは日本人の私には受け入れがたいことだった。そこで「大抵の日本人はそんなに料理を注文しないし、仮に余ったとしたら、出来る限り容器に入れて持って帰るんだよ」と伝えた。すると、「そうだね。容器をもらって詰めて帰ろう。」と言ってくれた。
 それからも何度か外食したが、いつも余った料理は持ち帰ることになった。自分の想いが伝わっただけでなく、それが正当なものと評価されたようで本当に嬉しかった。資源大国のアメリカ人は資源を大切にしない傾向があると聞いていたが、それは誤解だと今の私は主張できる。
 ところが、捕鯨の課題の方は、結局大した成果もなく、進展もせず終わってしまった。
 日本では第二次世界大戦以前から長く鯨漁は行われていて、唄や絵巻物と共に歴史を刻み続けてきた。なかでも戦時下の日本人にとって鯨は、比較的容易に大量に手に入れられるタンパク源として、また鯨油やヒゲは生活資材として欠かせないものだった。そんな日本の鯨漁文化は今も受け継がれていて、多くの人々の生活の支えとなってきた。
 現在、世界中から注目を浴びているのが日本の調査捕鯨だ。鯨が海洋に与える影響や生態系構造の解明などを目的に行われている。しかしそれには多くの年月と鯨の捕獲が必要となる。解体調査後、鯨は法に則り食用として売りに出される。
 そんな日本に対し、オーストラリアの世論は捕鯨絶対反対に傾いてきた。鯨はランクの高い海の生き物と捉えられ、神秘的な動物であり、過去の乱獲の反省から環境保護の想いが非常に強い。一方、アメリカはかつての捕鯨大国であるが、今は捕鯨反対国に転じながら一部民族の生活捕鯨を認めている。
 捕鯨に関して言いたい事は山ほどあった。しかし、語学力の乏しさからうまく伝えることができないばかりか、誤解を招くのではないかという恐れから、私は二の足を踏んでしまっていた。あのホストファミリーとならもっともっと理解を深められたに違いない。それがわかっていただけに悔しくてたまらない。
 「鯨に対して法律が必要ならば、他の動物にも法律を適用すべきだ」と「絶滅しそうならば発展したテクノロジーで鯨を増やせばよい」というのが、私がこの家族から聞き出せた意見のすべてだった。
 バースデイパーティーで引っ込み思案な私を温かく迎え入れ、コミュニケーションの大切さを自然体で教えてくださったホストファミリーは、私のアメリカとなった。そこでは自分の未熟な部分にもきちんと向き合うことができた。私はもっともっと勉強し、自分を向上させたいと思う。この世界の中で私にできることは何か、素直な心で考えたい。
 
「あたりまえではないということ」 2年1組 森脇奈々
 私はこのサマーセミナーで、たくさんのことを学びました。嫌なこともあったけど、楽しいこともありました。普段はあまり喋ることのなかった友達とも近づく機会が多く、とてもいい思い出ができたと思います。  2日目のTAP(徳地アドベンチャー教育プログラム)では、女子の2人がリーダーシップを発揮し、クラスを引っぱっていました。話し合う時にも進んで意見を述べ、スムーズに時間が過ぎました。また、男子の数名が見事なフォローを見せて、クラスを湧かせました。普段はそういう所を見せない人が多かったため、「意外な一面がある」と今でも強く印象に残っています。しかし、それは午前中のTAP。午後からの屋外のTAPでは、一人ひとりが協力し、支え合い、たくさんの時間を費やしてクリアしました。暑くて痛くて苦しい中、押し潰されそうになりながらも、互いに掴まりました。もはや男女関係なく、一つになって頑張りました。クリアした時のあの感動は、きっとずっと忘れません。  そして最後に、私がこのサマーセミナーで一番楽しかったと思うのは、夜の就寝時間です。ふとんに潜り込みながら、こそこそと友達と喋るのです。自分でも、何をどこまで話したのか忘れてしまうほど、たくさんのことを喋りました。他の誰かがいきなり立ち上がったことに驚いて、友達と一斉に頭をふとんに突っ込んだり。その後おずおずと皆がふとんから顔を覗かせたり。そんなささいな一つひとつの出来事がすごく楽しくて、嬉しくて、何とも言えない温かい気持ちになりました。本当に、すごく楽しい夜でした。  私はこのサマーセミナーで、「仲間」の大切さを再確認しました。信じられる大切な仲間が傍にいてくれるというのは、本当に幸せなことだと思います。あたりまえでは、決してありません。そして私は、この仲間をずっと大切にしていきたいです。ずっと傍にいたいです。サマーセミナーを通して、私はすごく大切なことを学べたと思います。
2年1組
 
「キラキラキャンプファイヤー」 2年2組 那須浩子
 私にとって、キャンプファイヤーがサマーセミナーで一番印象に残りました。その中でも2つ、とても印象に残ったことがあります。  1つ目は、女神という重大な仕事を任されたことです。火の神の横で火のついたトーチを持って、薪を組んだやぐらに火をつける仕事です。初めは、「そんな大きな仕事を私ができるかな?」と、不安と緊張でいっぱいでした。点火する時も手が震えて、なかなかつきませんでした。だけど火がついた時とてもきれいで、思わず声が出そうになりました。この時、「女神をやって良かったなぁ」と思いました。この役を任された時、みんなから「頑張って!!」と声をかけられました。それでも私は嫌で、「めんどくさいなぁ」と思っていました。だけど、やってみると緊張もしたし恥ずかしかったけど、キャンプファイヤーがとてもキラキラして見えて、私にこの仕事を任せて下さった先生に感謝しています。終わった後も先生が、「よく頑張った」とほめて下さいました。私はとても貴重な経験ができて、良かったです。  2つ目はダンスです。私はレク係というスタンツの係になりました。最初はみんなをまとめるのが大変で、何も決まらず日にちばかりが過ぎていきました。最終的に決まったのはダンスで、EXILEのChooChooTRAINを踊ることになりました。夏休みに入ってからも、ほぼ毎日みんなで集まりました。家が遠い人もよく来てくれました。男子も少しずつだけど、頑張って覚えてくれて嬉しかったです。練習でみんなが揃うことは少なかったけど、みんな一生懸命協力してくれて「レク係をやって良かったなぁ」と思いました。  「2の2、4班ファイトーオォー!!」キャンプファイヤーで、いよいよ私たちの番がきた。踊っている時、色々な人が応援してくれて嬉しかったです。踊りの途中、その日が誕生日の友達がいたので、私たちの班に入ってもらいました。終わった後「ありがとう」と喜んでくれたので良かったです。  本当に楽しい1日でした。キャンプファイヤーは、ずっとキラキラしていました。
2年2組
 
「強くなるためのサマーセミナー」 2年3組 石山惠然
 僕が、今回のサマーセミナーで一番印象に残っていることは、TAPです。  何故かというと、TAPを通じて「皆で協力すること」と「支え合う大切さ」を学んだからです。  TAPでは、まず最初に全員で2つのフラフープを通していくというプログラムに取り組みました。最初は、良いタイムが出ませんでしたが、回数を増やしていくうちに、段々タイムが良くなりました。それは、皆で協力したからできたと思います。失敗するたびに皆で考えを出し合い、少しでもタイムを縮めようとしました。僕は「協力することって素晴らしい」と思いました。最終目標のタイムには3秒届かなかったので悔しかったですが、失敗しても誰も「お前のせい」などと言わなかったので、とても気持ちよかったです。  次に、小さい板にクラス全員が乗るというプログラムを行いました。最初は、「こんな小さい板に、18人全員が乗れるのだろうか」と思いました。順番を決めて乗り始めましたが、人数が増えていくうちにバランスが保てなくなり、崩れそうになりました。この時学んだことは「支え合う大切さ」です。誰かが崩れそうになったら、その人を他の人が支え合うことでバランスを保っていました。僕は板の一番端のところで立っていたのでかなりきつかったのですが、隣の人が僕を支えてくれていました。そのようなことが他の場所で起きていると思うと「1人の力は小さいが、支え合うことでその力がやがて大きな力になる」と思い感動しました。そして、10秒間板の上で18人全員が乗りきることができました。  僕は、皆で協力し合い支え合えば、どんなに難しい課題でもクリアできることを今回のサマーセミナーで学びました。今回学んだことをこれからの学校生活にいかしていくと同時に、自分が夢を持った時に今回学んだことを自信として、精一杯努力していきたいです。  以上、たくさんのことを学ぶことができたTAPが一番の思い出です。
2年3組
 
 
「第四回全日本高校模擬国連大会」選抜出場
国連会議のシミュレーションを通じて、現代の世界におけるさまざまな課題について学ぶための教育プログラムである高校模擬国連活動(グローバル・クラスルーム)に選考の結果、多根 凜 君(2年生)、原田 美帆さん(2年生)、萬谷 香貫花さん(2年生)、森弘 佳奈子さん(2年生)、ならびに引率者として池田 辰之 教諭の参加が決定、11月13日(土)-14日(日)、 国連大学エリザベス・ローズ会議場での本大会へ出場を果たしました。
この結果、今年で4年連続、初の2チーム出場となりました。

主催: グローバル・クラスルーム日本委員会/模擬国連委員会
後援: 外務省 経済産業省 国連広報センター 国連大学 財団法人日本国際連合協会
文部科学省 (五十音順、敬称略)

 
 
「ターニングポイント」  六年制普通科2年2組 多根 凜
模擬国連への参加は、私にとってのターニングポイントとなりました。全国から集められた精鋭たちの中に身を置くことで、自分に欠けていた多くの点が浮き彫りにされ、自身を客観的に見つめ直すことが出来ました。
自分よりはるかに上のレベル高校生を目の当たりにしたことで、目標を高く設定するようになりました。また、機会を有効に活用し、積極的に物事に取り組んでいく必要性を感じました。
支えて下さった先生方や家族、高水から一緒に出場した三人、そしてそこで出会った方々全員に心から感謝します。この大会で、これからの人生において折々に選択をしていく上での大きな指針を得た事を、本当に嬉しく思います。
大きく舵を切った私の人生に、この先一体どんな景色が見えてくるのか、今から楽しみで仕方がありません。

六年制普通科2年3組 萬谷 香貫花
模擬国連に参加して、ただ一つわかったことがあります。それは「自分の世界がとても狭かった」ということです。模擬国連に出場していた高校生のほとんどが帰国子女あるいは同レベルで英語を堪能に操る人たちで、会議中はずっと英語の渦でした。また、彼等の情報収集力、積極性、話力には舌を巻くばかりでした。先輩たちが「世界が変わるよ」と口をそろえて言っていた意味を、実際に参加して初めて思い知ることができました。
勉強では培えない力、普段の友人との会話では得られない刺激を直に体感したことで、悔しさを覚えたのは事実としても、私にとって何かに取り組む大きな原動力になりました。このような滅多にない機会を手にすることができ、心から幸せだと思います。
六年制普通科2年3組 萬谷 香貫花
模擬国連に参加して、ただ一つわかったことがあります。それは「自分の世界がとても狭かった」ということです。模擬国連に出場していた高校生のほとんどが帰国子女あるいは同レベルで英語を堪能に操る人たちで、会議中はずっと英語の渦でした。また、彼等の情報収集力、積極性、話力には舌を巻くばかりでした。先輩たちが「世界が変わるよ」と口をそろえて言っていた意味を、実際に参加して初めて思い知ることができました。
勉強では培えない力、普段の友人との会話では得られない刺激を直に体感したことで、悔しさを覚えたのは事実としても、私にとって何かに取り組む大きな原動力になりました。このような滅多にない機会を手にすることができ、心から幸せだと思います。

「挑戦」      六年制普通科2年2組 原田 美帆
先日、第四回全日本高校模擬国連大会にスイス大使として参加しました。この経験を通して得られたものは沢山あります。まず、全国の高校生たちとの出会いです。彼らと議論を通じて交流できたことは、大変刺激的でした。今でも、そこでできた友達と連絡を取り合っています。そして、アドバイスを下さった先生方、先輩方、共に努力をしてきたパートナーからも沢山のことを学び、そこから自分の欠点を幾つも発見できました。心より感謝しています。また、私の世界も広がったように感じます。模擬国連を通して、いかに自分が「井の中の蛙」であったかということに改めて気付かされたと同時に、様々な知識に触れることができ、国際問題についてより深く考えるようになりました。この経験を通して学んだことは、私にとって大きな自信になりました。ここで得たものを生かし、新たな挑戦に挑んでいきたいと思います。
六年制普通科 2年1組  森弘 佳奈子
今回模擬国連に参加し、多くのトップレベルの高校生と実際に交流し、今まで自分の知っていたようで知らなかった世界を目の当たりにしました。思わず相手のペースに圧倒されたりもしましたが、積極的に意見交換や議論ができて、とても満足しています。“傍観”ではなく“参加”できたことが、自信につながりました。逆に「もう少しこうすれば良かった」という欲や、国際問題への関心も高まりました。「自分たちがこれからの日本をつくっていくんだ」という自覚を得ることもできました。貴重で有意義な時間を過ごすことができ、人生のターニングポイントになりました。この経験を活かし、将来につなげていきたいと思います。

「スプリングセミナーで学んだこと」 1年3組 石山惠然
 僕がスプリングセミナーで学んだことは、大きく分けて二つあります。
  一つ目は、あいさつや正しいマナーについてです。
  出発前に校長先生が、スプリングセミナーで学んでほしいことを言われました。その中に、人に会ったらまずあいさつをすることと、社会の中で必要な正しいルールやマナーを守ることがありました。ふれあいパークに着いたら、言われたことをきちんと守るようにしようと思いました。
  しかし、ふれあいパークに着いても、スタッフの方々にあいさつをすることができませんでした。入所式の時、このことを指摘されてしまいました。
  僕は、夜のレクリエーションが終わってから入所式のことを思い出して、自分からスタッフの方々に、「今日はありがとうございました。」と言うことができました。
  二つ目は友だちとのコミュニケーションについてです。
  午後からのアクティビティの中に、自己紹介や自分の誕生日をみんなに伝える内容のプログラムがたくさんありました。
  今までに名前を覚えていた友だちだけでなく、名前を覚えていなかった友だちの名前も覚えることができたので、友達の輪が広がったと思いました。
  僕はスプリングセミナーに参加することで、今まできちんとできていなかったことを身につけると同時に、自ら友だちとの会話や行動を楽しむことで、新しいことに出会えた気がしました。それと同時に、また一歩前に踏み出せたと思いました。
「スプリングセミナー」 1年2組 森脇奈々
スプリングセミナーで、本当にたくさんの友達を作ることができました。セミナーの前はクラスの女子しか友だちがいなかったのに、他のクラスの子たちとも仲良くなることができました。嬉しいことがもう一つありました。同じクラスで、「あまり気が合いそうにないなあ…。」と思っていた子と話すことによって、本当はとても気が合うことが分かりました。それからは、その子とはよく話すようになりました。また、生徒会の先輩方によるレクリエーションでは、一緒に楽しく遊ぶことができました。
  教頭先生には「声の出し方」など、色々なことを教えていただきました。一人ひとりが大きな声を出すことを心がければ、もっと大きな声を出すことができるのだろうなと思いました。マナー指導でも中学生として身につけておかなければならない大切なことを教えていただき、とても感謝しています。これからの学校生活で活かしていきたいと思います。 一番心に残っているのは、朝の散歩で見た景色です。歩いている最中は、「何でわざわざ散歩に行かなくてはいけないんだろう。」と思っていました。しかし、頂上からの景色は本当に美しかったです。山と海。自然の力が感じられ、そこで校歌を歌ったとき、なんだかすっきりしました。
  私はスプリングセミナーに参加して、本当に良かったと思いました
「スプリングセミナー」 1年1組 宇佐川 京
 中学校生活が始まって一番最初の大きな行事が、スプリングセミナーでした。銭壺山のふれあいパークでは様々なことを学ぶことができました。
  集団行動の時は5分前集合という約束を忘れてしまい、時間を過ぎてやっと集合しました。自分たちが時間を守らなかったせいで、みんなに迷惑をかけてしまいました。中学生になったのに時間が守れないことを情けなく思いました。集団行動では一人がみんなのために、きびきびと動かなければいけません。相手の気持ちを考えて行動することが大切だと思いました。
  スプリングセミナーは集団行動だけでなく、他のクラスの人とも友好関係を築ける良いきっかけにもなりました。いつもは同じクラスの人と話すことが多かったけれど、宿泊室などでは他のクラスの人たちと一緒に布団を敷いたりするだけでも、協力し合い打ち解けることができました。ほんのわずかなことでも、協力し合うことで信頼関係を深めることができると思いました。
  夜は生徒会の先輩方が駆けつけてきてくれました。忙しい中、私たちのために楽しいゲームをして下さいました。おかげで楽しいひとときを過ごすことができました。感謝しなければいけないと思っています。
  私たちが安全に2日間を過ごすことができたのは、ふれあいパークの方々のおかげです。職員の方に注意されたあいさつのことは、今でも気をつけています。教頭先生が担当して下さったマナー指導は基本的なことばかりなので、細かいところまで今のうちに身につけておく方がよいと思いました。
  最初は楽しければよいと思っていたスプリングセミナーも、今ではこれからの中学校生活に役立つことをしていたんだと思うようになりました。
高水村塾之址訪問・田植え感想文「高水訪問」1年1組 長沼優花
  今日、高水訪問で周南市高水へ行きました。田植えや登山をして疲れたけど、充実した一日になりました。
  まず、田植えをしました。私は、田植えをするのは初めてです。手作業で腰を曲げて苗を植えるのは、とても大変でした。裸足で入った感触がぬるぬるしていて、足がはまりそうになりました。田んぼの中では、カエルがすいすい泳いでいました。田植えをして思ったことは、農家の人の大変な作業と苦労があってお米ができるので、私は感謝していかなければいけないと思いました。
  次に烏岳峰に登りました。行きは急な登り坂があり、すぐ足がだるくなりました。途中で友だちの手を借りて、引っ張ってもらいました。だんだん階段が多くなり、歩くスピードも遅くなっていきました。頂上に着いたときは、景色が良かったです。帰るとき、下りが多くあまり疲れなかったけど、崖のような所があり慎重に下りました。
  最後に、楽学の碑と高水村塾之址を見に行きました。楽学の碑は、先輩たちが大切に守ってきたんだと思いました。思った以上に楽学の碑は大きかったです。
  今回の高水訪問で、113年目の高水があるのは先輩方や先生方が頑張ってこられたおかげだと分かりました。私は高水の生徒として恥ずかしくないような行動をしたいと思います。そして、これからも高水や楽学の碑を守っていけるように頑張りたいです。

「高水の地」 1年2組 吉川歌織
  今日はいよいよ、高水の地を訪問する日です。楽しみでもあったしそうでもなかったのですが、朝、集合場所に着くと集合時間の30分前にもかかわらずほとんどの人が来ていてびっくりしました。それからバスに乗り、田植えをする場所へ着きました。今日のメインは午後の渡邊先生の講話にもかかわらず、私の中では田植えが一番のメインになっていました。順番を待っている間、早くやってみたくてウキウキしていました。田の中に入って思ったことは、歩きにくいことと、足が土に深く埋まるほど土が冷たく感じることです。最初は土の感触が嫌でしょうがなかったけど、時間が過ぎるにつれてすごく気持ちよく感じてきました。無事に稲を植えて、田植えが終わりました。続いてバスで移動し、烏岳峰登山が始まりました。いきなり急な坂でした。十歩ぐらい歩いただけでもうふくらはぎが痛くなってきました。10分後には足が鉛のように重くなって「頂上までもつのかなぁ。」と思いました。それからかなり歩いて、頂上へ着きました。かなりの絶景だったので、登ったかいがありました。その景色を見ながらお弁当を食べたので、今思えばかなりのぜいたくだったと思います。その後、高水の地へ向かって校歌を歌いました。何回か歌った中で、一番最後に叫んで歌ったのが楽しかったです。
  その後下山し、再びバスに乗って移動しました。今度は楽学の碑のもとで、渡邊先生の講話を聞きました。大体のことはビデオで見て分かっていましたが、その他のことが聞けてとても良い時間になりました。その話の中で驚いたことは、楽学の碑が周南市の文化財に指定されているという話です。また、田植えの時にお世話になった先輩方が年に4回、楽学の碑の掃除をして下さっていると聞き、うれしくなってきました。私も先輩方のように、母校のことを思えるいい先輩になりたいと思いました。

「田植えをしてみて」 1年3組 國井はづき
  6月4日、金曜日。太陽がまぶしかった晴天の日に高水を訪問し、私たちは田植えを行いました。田植えは、私自身全くやったことがありませんでした。田んぼに入ることももちろん初めてで、田んぼに入ったとたんに思わず「わぁ!」と叫んでしまいました。どろに足がすいこまれそうになりながらも、なんとか苗を植えることができました。やはり、田植えは思った以上に大変でした。途中で足が抜けなくなったり、そのせいで倒れそうになったりもしました。私の家の近所には、田んぼがたくさんあります。最近では機械を使って田植えを行う人も多いようですが、近所の田んぼではあまり機械を見ることはありませんでした。ということは、ほとんどの方々が、田植えを手作業で行っていることになります。あんなに広い田んぼにたくさん稲の苗を植えるとなると、相当大変なんだろうなと、思いました。
  高水訪問を通じて私が感じたことは、久保田先生が田植えについて説明された時におっしゃっていた「感謝の気持ちを忘れずに」ということです。例えば、お腹がすいた時お弁当を食べられるのは、お母さんが朝早くお弁当を作ってくれているからです。今回の高水訪問も、田植えをするために水田を準備して下さった高水の先輩方、バスを運転し私たちを送って下さったバスの運転手さん、楽学の碑の前でお話を聞かせて下さった大先輩の渡邊先生、高水訪問の企画から準備まで私たちの学べる環境を作って下さった先生方…。私たちの身の回りには、これだけたくさんの感謝するべき人々がいらっしゃいます。私は高水訪問で、感謝するということを身を以て学ぶことができました。これからも高水訪問で学んだことを、色々な場面で生かしていけたらいいなと思います。

 
「薬物乱用防止対話集会」事例発表

1月9日(土)薬物乱用防止対話集会がシンフォニア岩国で開催され、本校ユネスコ部が事例発表及びパネリストとして登壇しました。
  登壇したのは、六年制普通科1年生の 兼安諒子さん、田代実希さん、パネリストには小川礼華さん。
  この3人に町支彩花さんを加えた1年生部員4名で集会のために学年アンケートを実施したり、インターネットで薬物の実害を調査したり、と約1カ月をかけて発表に備えました。
  その甲斐あって、当日は実に堂々とした発表ができ、高校生の真価を発揮し、好印象を会場からいただくことができました。

「中高生が世代をつなぐ架け橋に」(パネリスト原稿)
六年制普通科1年生 小川 礼華
先ほど事例発表をしましたが、最近本校のユネスコ部では、岩国市内での活動だけでなく、海外スタディツアーやユースセミナーの参加、全国模擬国連大会への出場など、結構広い範囲での活動が盛んです。部員も三年生まで含めると、30名近くいます。二年生が、昨年いっぱい中心に活動をしていましたが、今年からは、私たち一年生が、活動を引き継ぐことになって今回この対話集会でのパネラーを引き受けることになりました。
今回事例発表を引き受けることになって、最初は少し安易に考えていた気がします。薬物については学校の授業で教えてもらっていたのもあり、何とかなるだろうと高をくくっていました。しかし、いざやり始めようとなると、何をすれば良いのか分からなくなり、図書館に行って、薬物乱用に関する本を一人一冊借りて読み、まとめようとかんがえました。ですが、それもなかなか難しく、とりあえずどんな事について発表するか、みんなで意見を出し合って決めました。
そこで、決まったのが私達の学年にアンケートをとってみることでした。ほとんどの人が、協力してくれました。アンケートでは、薬物の名前を紙いっぱいに書いている人もいましたが、実は俗称と正式名がいくつも混ざっていたなど、私たちもよく理解していなかったことの発見もありました。それまで俗称についてあまり関心を持っていませんでしたが、よく考えないと騙されることもあるのではないかと感じました。
読んだ本の中にも、中高生の薬物乱用についてのことが多かったのですが、どれも心の傷を癒すために、薬物に手を出した人の話でした。それについてはなかなか簡単に解決出来るものでもないし、原因の根っこにある周りの環境などをどうにかしなければいけないと思います。それには現在薄れてきているという、人と人とのつながりが強くないといけないでしょう。
ユネスコ部の全国的な広がりの中で研修活動にチャレンジするようになってから、部活動の雰囲気が少しずつ変わって来ている事を実は最初に言いたかったのですが、その方向とは、逆というか並行してというか地域社会での行事などに最近は積極的に参加して、地域の子どもたちからお年寄りまで、色々な世代の人たちと話をしたり、交流する機会も増えました。
担任の先生が、地域の行事の悩みは、中高生の参加が少ない事で、中高生が世代をつなぐ、架け橋となるような地域の交流が出来れば、色々な問題が解決出来るとおっしゃっています。家庭教育といいますが、地域教育というような、地域全体で子どもを育てている昔ながらの地域社会の人間関係が取り戻せたらきっと、薬物に手を出す若者も少なくなると思います。
「第三回全日本高校模擬国連大会」選抜出場
国連会議のシミュレーションを通じて、現代の世界におけるさまざまな課題について学ぶための教育プログラムである高校模擬国連活動(グローバル・クラスルーム)に選考の結果、水野 愛子さん(2年生)、環野 真紀さん(2年生)、ならびに引率者として池田 辰之 教諭の参加が確定、11月21日(土)-22日(日) 、 国連大学エリザベス・ローズ会議場での本大会へ出場を果たしました。
この結果、本校出場は今年で3年連続となりました。

主催: グローバル・クラスルーム日本委員会/模擬国連委員会
後援: 外務省 経済産業省 国連広報センター 国連大学 財団法人日本国際連合協会
文部科学省 (五十音順、敬称略)
   
「貴重な体験」 
六年制普通科2年3組  環野 真紀
 私は第三回全日本模擬国連大会に参加しました。テーマは「地雷」で、私達はオーストリア担当でした。国の立場から、一つのテーマにある様々な問題について調べ、考察し、自国の政策を立て、本番に臨みました。
  大会は国の政策を伝え合い、いくつかのグループを作り、それぞれの国の政策をまとめ、決議案を作成して他のグループと交渉し、最終的に投票で議決をとります。大会中、全国から集まった高校生の「英語を自由に話す力」、「情報処理能力の高さ」、「グループをまとめる力」に驚かされました。
 私はこの大会で一つの問題を様々な立場から考えること、相手に自分の考えをより正確に、よりスピーディーに伝えることの大切さを学びました。全国に志の高い友達ができ、私の世界が広がりました。今では国際問題について、しっかり自分の考えをもち、人に伝えたい、という気持ちでいっぱいです。非常に貴重な経験ができ、支えてくださった先生方や、パートナーの水野さんに大変感謝しています。
  この経験を今後の人生に活かしていこうと思います。
「大きな財産」
六年制普通科2年1組  水野 愛子
先日、模擬国連という大会に参加し、そこで数々の貴重の経験ができました。
  大会に出場する準備の段階から、海外の情報を入手して自分たちの立場をまとめるなど難しい問題がたくさんありました。しかし、以前参加された先輩などから丁寧なアドバイスをいただけたことで安心できました。それに加えて、高水の縦のつながりを感じ心強く思いました。
大会当日は、私が今までに一度も受けたことのない刺激を受けました。それは、参加者の英語の力や情報処理能力などが並大抵ではなく高かったことです。私は圧倒されっぱなしでした。みんなの勢いについていくのは大変でしたが、協力して自分達の主張を通すことができ、大変有意義なものになりました。
また、全国各地の高い志を持つ人達と友達になれたことも、ここで得た大きな財産です。彼らとは今でも連絡を取り合いお互い励ましあっています。
このような機会を通して、自分自身を向上できる経験をしたことを本当に幸せに思います。
「寺子屋キャラバン」学校訪問
「ユネスコ世界寺子屋運動」が今年20周年の節目の年を迎え、これを記念して、運動が展開されてきたアジアの国々から関係者を招聘し、「寺子屋キャラバン」として、現在日本各地への訪問が実施されています。その一環として当地へはラオスからの訪問が決定し、11月12日(木)午前中、本校生徒との交流会が実現しました。
当日の交流会にはラオス人1名と東京本部事務局担当者(通訳)1名、さらに当岩国協会の関係者2名の計4名が合流され、本校の教育方針の一つであるまさに国際人の養成にちなんだひとときを生徒達は共有することができました。
「ラオスの贈り物」
六年制普通科2年3組 環野 真紀
私は今回、「ユネスコ世界寺子屋運動」の二十周年を記念して行われた、「寺子屋キャラバン」に参加しました。本校にはラオスの寺子屋卒業生、アディソン・シラボンさんがいらっしゃるということで、学年全体でラオスや寺子屋運動についての事前学習、プレゼントの準備をして当日を迎えました。
練習したラオス語での挨拶、歓迎の歌の後、アディソンさんのラオスと寺子屋運動についてのプレゼンが始まりました。ラオスでの寺子屋運動では、より快適で多くの子どもたちが学習できる校舎が建設されたり、図書室に本が送られたりと、日本と現地の職員の方々が協力して活動されていました。
アディソンさんは、日本についてよくご存知で、日本語も上手に話されていました。貧困層の多いラオスで、日本の団体が教育を広め、その卒業生との交流が実現され、私は教育の大切さと、国際交流の素晴らしさがよく理解できました。大変貴重な経験の機会を与えてくださったことに感謝しています。
 
立志
立志
二年一組 星出 諒太

  「立志」それは目標を定めて、それを成しとげようと決心すること。すなわち、将来の夢を実現させるために努力するということです。僕の将来の夢は、中学校の教師になることです。なぜかというと、色々な先生方の働く姿を見てとても憧れを持ったからです。僕の学校の先生方は、ユーモアも交えながら、とても分かりやすく授業を教えて下さいます。それに、僕の父も中学校の教師をしています。夕食の時などに色々と学校の話を聞いていくうちに、「僕も中学校の教師になりたい。」と、思うようになりました。
  立志の作文を書くにあたり、「夢を実現するためには、今の自分は何に一生懸命取り組めば良いのだろうか。」と考えました。考えた結果、三つのことを見つけました。一つ目は「勉強」です。子供たちに勉強を教えるわけですから、自分も勉強する習慣を身につけておかなければいけません。また、正しい勉強の方法も身につけておきたいと思います。分からない問題は分かるまで何回も解き直すなどの工夫も必要だと思います。どうしても分からない問題があった場合には、先生方や友達に聞くことがとても大事だと思います。二つ目は「部活」です。部活では、体力をつけるとともに、厳しい練習を乗り越えることによって、強い精神力を培うことができます。また、チームメイトとコミュニケーションをとることによって、仲間との強い絆が生まれると思います。僕達のチームは、まだ公式戦で勝っていません。ですが今、チームメイトと共に練習に励んでいます.まずは、公式戦初勝利を目指してがんばりたいです。三つ目は、今年から始めた「生徒会」です。僕達の生徒会は冬休みの三日間、「国立山口徳地青少年自然の家」という所にリーダーセミナーを受けに行きました。ここでは、グループでの課題解決や合意形成の方法を学ぶことにより、コミュニケーションやリーダーとしての資質を高めることが出来ました。この経験は、今後の生徒会活動できっと役に立つと思うので、しっかりと頭の中に入れておきたいと思います。僕は、「生徒会書記」という仕事についています。この仕事は、あまり目立たないけれど、生徒会長や副会長をしっかりとサポートしていく大切な役割です。そして、一年間という短い期間ですが、僕も色々なことで迷ったり、悩んだりすると思います。そのような時は、生徒会長や他の執行部員と共に協力して様々な課題に取り組み成功させたいです。
  また、僕は中学校の先生に必要なものが二つあると思います。一つ目は「責任感」です。自分のクラスで気分が悪くなった生徒が出たら即座に判断し早急な対応を心掛けなければいけません。保護者への連絡もしっかり行わなければいけないでしょう。二つ目は「親しみやすさ」です。僕の父親は、話せば楽しい人なのですが、眉間にしわを寄せているので、一見すると気難しく感じます。僕が教わっている化学の長谷川先生は、いつもニコニコしていてジョークが面白い先生です。しかも教え方は完璧で、生徒からの人気も抜群です。僕は長谷川先生のような親しみやすい先生になりたいです。そうすることによって、生徒に楽しく授業を受けてもらえると思います。
  僕は将来「教員養成系」の学部へ進学し、教職についての心構えなどを学びたいと思います。でも、そのためには人一倍努力をしなければいけません。だから、生活面と学習面の両方をしっかりとする必要があると思います。生活面でいうと、例えば規則正しい生活リズムで生活する、具体的には「おはよう」、「こんにちは」や「こんばんは」などの挨拶をすることです。そうすることにより、ともてスッキリとした気持ちになれるはずです。学習面では、先生が黒板に書かれたことだけでなく、口でおっしゃったこともノートにメモしておくようにすることや、宿題だけでなくそれぞれの教科での復習や予習もするなどです。このように少しずつの積み重ねで、大きなとても価値あるものになると思います。まさに「塵も積もれば山となる」です。
  夢を実現させるために一日一日を大事に過ごしていき、自分の人生に誇りの持てるような人になりたいです。

「未来の私」
二年二組 濱岡 香帆

  最近、よく考えることがあります。それは「未来の私」についてです。中学校二年生になるまでは、そんなことを深く考えたことがありませんでした。小学校六年生のとき、卒業文集で将来の夢について書くことがありました。そのときに書いた夢は「保育士」でした。でもその夢は、きっとあいまいな気持ちで書いていたと思います。今、その半端な気持ちで書いていた夢は、本当の将来の夢へと変わっていました。
  なぜ保育士になりたいのかというと、子供が好きだというのが大きな理由です。それに、もしも自分が結婚したとして子供ができたら、そのときは保育士の仕事がとても役に立つと思います。
  私は夢を持つだけで、どうやったらなれるのかだとか、そんな肝心なことを忘れていました。そこで、ある雑誌を読んでいました。すると、進路ナビというのがあり、将来就きたい職業についての特集がありました。いろいろな職業の名前がある中、その中に保育士があり、さっそく見てみました。そこには、保育士のなりかたや仕事の様子、実際に保育士として働いている方のインタビューなどがありました。印象としては、かなり体力のいる仕事だなと思いました。保育士の方は、
「子供が好き、人が好きなことが、何より大切な仕事です。毎日ヘトヘトになるけれど、子供たちの成長を間近で見られるのが、うれしいし何よりの幸せなんです」と言っていました。このコメントを読んだとき、なんだかこの方がとってもカッコ良く思えました。私は人が嫌いということはないですが、どちらかというと無口な方です。それに反応が薄くて会話もすぐ終わってしまいます。こんな私で本当に大丈夫なのだろうかと不安に思うこともあります。でも、子供が好きという気持ちはあります。だから、あきらめないようにしようと思いました。
  まず保育士になるには、保育士を養成する学校などで勉強するのが一般的で、そこを卒業すると同時に免許がもらえるそうです。そして入社試験を受けなければなりません。とても地道ではありますが、やってみるしかありません。また何年かすれば将来の夢が変わってくるかもしれません。それでもいいかなと思っています。とにかく、自分がやりたいことを見つけたいです。
  さて、題にもある「未来の私」という言葉ですが、未来の自分を想像したことはありますか?私は正直言ってありませんでした。想像していると、どんどんマイナスの方向へと考えてしまいそうだからです。つまり、怖いのだと思います。でも、怖がってばかりいても前に進めません。だから、想像してみました。結構おもしろかったりします。
  私は生徒会に入りました。最初はやる気はなかったし、ギリギリまでずっと悩んでいたままでした。けれど、生徒会に入ったら自分の何かが変わると思いました。自分の内気な性格も少しは変わると…。そしてたくさんのチャレンジをしました。その中でたくさんの大切なことを学びました。仲間との協力、勇気、思いやり…。チャレンジの時、自分の考えや意見を相手に伝える、積極的にチャレンジするという目標がありました。この目標は、きっと私が大人になったときにも必要なことだと思います。生徒会に入って何かが変わるかもしれないという予感は当たっていました。「積極的」という言葉は自分には縁のない言葉だと思っていました。でも今の私は違います。生徒会に入って良かったと思うし、そこでまた違う自分に出会えました。あと中学校生活も残り約一年、この目標をいつも心がけていきたいです。
  この「立志」という言葉を聞くまでは、将来の夢もぼんやりと頭の中に思い浮かべるだけでした。それに、「未来の私」についても考えたことがありませんでした。この作文を書いているうちに、今までの自分を見つめ直すことができました。そして、将来の夢へと一歩踏み出せたと思います。

立志
二年一組 弘實 紗季

  今から六年前、私が小学二年生だった頃、外国ではサーズという病気が大流行していました。サーズは、世界保健機構の発表によると世界の二十八か国に広がり、多くの死者を出した恐ろしい伝染病です。まだ、小学二年だった私にとって、サーズの存在をニュースで初めて知ったときは、すごく衝撃を受けました。そして、そのころから私は少しずつ、医療への関心を持ちはじめました。小二のころの私は、そのサーズという病気の存在を知ってから、自分がもしサーズになってしまったらどうしようと、毎日不安で仕方ありませんでした。
  それから、サーズという病気が世界でだいぶおさまってきたころ、小二の私はあるテレビ番組で、癌という病気を知りました。その番組は、小児癌と懸命に闘う子供とその家族、そして医師たちのお話でした。これを見て小二だった私は、最後まであきらめずに治療に専念した医師たちの姿を見て、すごく感動しました。この頃から私は、医療従事者に憧れを抱くようになりました。
  中二になって、頻繁に立志という言葉を聞くようになり、自分の将来について真剣に考えるようになりました。そこで、私の頭の中に浮かんできたのは、医者という文字でした。
  医者という職業は、難しいけれどとてもやりがいのある職業だと思います。人の命を扱う仕事なので、責任を持って働かなければいけないし、労働時間が長いので体力も必要です。でも、なにより大切なのは、根気だと私は思います。医者になるにはまず、医学部に合格しなければいけません。合格したら今度は医学部をちゃんと卒業し、医師国家試験に合格して、いろいろと経験を積んで、やっと立派な医者になることができます。ここまでくるには、相当な努力が必要だと思います。そこで、今私が一番すべきことは、第一段階である医学部合格のために、頑張って勉強することだと思います。医学部に合格できるように、毎日コツコツと努力して成績を上げていこうと思います。
  今、医療は日々進化し続けています。それと同時に、新しいウイルスが生まれてきています。去年、世界中で大流行した新型インフルエンザもその中の一つです。それなのに日本では医者不足が問題となっています。医者が不足してしまい、将来病気になったときに、誰もみてくれる人がいなくなったら大変です。医者不足の原因として、裁判で訴えられたときにめんどうくさいからという理由をよく聞きます。悪い意味でとらえると、そうなるかもしれないけれど、良い意味でとらえれば、人の命を救う仕事でもあります。人の命を救ったときは、絶対に喜びは大きいはずです。
  私は、癌という病気がいつか風邪のようにすぐ治るようになってほしいと思っています。癌は日本人の死亡原因第一位の病気です。癌は、大人から子供まで誰がいつなってもおかしくない病気です。末期癌で余命を宣告された人、小児癌で苦しんでいる子供たちや、私と同じくらいの年の子で癌で苦しんでいる子がいると思うと、胸が痛みます。癌になると、抗がん剤治療や手術などと苦しい治療をしなければなりません。なかでも抗がん剤治療は、副作用により髪の毛が抜け落ちたり、高熱やひどい吐き気、頭痛などとても苦しい治療です。将来、医学の進歩によって抗がん剤治療などをしなくても、簡単に治せる病気になってほしいです。私は一日でも早く、癌が苦しまなくてもいい病気になるように、これから医療に関する知識を深めていきたいです。
  もし将来、私が医者になれたのなら、患者さんや患者さんの家族の気持ちを一番に考えられる医者になりたいです。患者さんが一日でも早く元気になれるように、全力で治療してあげたいです。まだどこの専門医になるかは、はっきりと決めていないけれど、何があっても最後まであきらめずに責任を持って頑張りたいです。
 
ユネスコユースセミナー2009感想文
人との繋がり
六年制普通科2年 吉本康貴

僕が選んだ第3分科会、「異文化について知る」では当日までにやってくる課題が出ました。それは、『あなたが一番日本らしいと思っている物思える事』を準備してくることでした。僕は和洋折衷の考え方が日本らしいと思って初日の意見交換で発表しました。同じ分科会の参加者から、「能」・「トイレの音の出る機能」・「目で楽しめたり小皿にちょっと乗せたりしている日本料理」・「ついつい譲り合ってしまう所」などが出ました。
ここでの発表には、ゲストとして招いた海外の留学生たちにも見解を求めていきました。僕たちの考えた「日本らしさ」は、留学生から見るとどれもこれも日本らしく見えるということでした。しかしその後留学生たちが発表した『日本らしい所』が能や歌舞伎など伝統文化ではなく、野球や科学技術、パチンコ屋の多さなどだったことが、とても意外で印象に残りました。 
2日目は初日にまとめておいた模造紙を使って、一般の人を招き、ステージの上で発表しました。僕はあがり症のため人前でしゃべるのが苦手でしたが、大学生の人たちが色々カバーしてくれたりしたのでずいぶん助かりました。
今回セミナーを通して異文化についての理解が深まったというのも勿論ありますが、人との繋がりや助け合いについて学べたことがよかったと思います。

「さかさ」体験
六年制普通科2年 弘中寛之

ユースセミナーはとても充実したものでした。
  ユースセミナーでは5つの分科会に分かれて、それぞれ決められた内容について話し合いました。私は、「人とのつながり」とは何か、について話し合いました。ユースとして今回参加した方々は、高校生から30代の方までかなりの年齢差がありました。だから初めは、この年齢差や経験の差を意識して、自分の意見もちゃんと言うことができませんでした。しかし、話しているうちにだんだんと打ち解け、意見が言えるようになりました。
  話してみて一番印象に残ったことは、年齢によって思うことが違うということです。たとえば高校生は、「健康」や「生きがい」を重要な要素と考えていましたが、意外なことに大学生はそれほどでもなかったことです。違いが生まれるのは当たり前のことかもしれませんが、その違いを大学生たちと直に話をして感じることができたというのが新鮮で、私にはおもしろかったのです。
  こういった違う意見を持つ違う年代の人たちと集まって話し合えたことは、このセミナーを通して一番プラスになったことだと感じています。「さかさ」をキーワードに「発想の転換」を今回のテーマにしていましたが、私にとっての「さかさ」はこの経験の中にあったと思います。

考えを深める
六年制普通科2年 弘中優子

私は今回のユースセミナーに参加するまで、臓器移植について上辺のことしか知りませんでした。確かに臓器移植法のことや海外渡航移植について聞いたことはあっても、詳しいことは分かりませんでした。
参加してみて、移植コーディネーターの方や実際に腎臓移植をされた方のお話を聞いて、新しい発見ばかりで、深く考えさせられました。私は最初ただ単に、多くの人に正しい知識を持ってもらって、臓器提供の意思表示をしてもらえればいいことだと単純に思っていなした。しかし、実際、自分が脳死状態の患者の身内だったら、機械を使ってはいても、心臓が動き、呼吸をしている家族の臓器を提供できるかと考えると、すぐには答えられません。
また、私は分科会の中で3つに分かれた内の、海外渡航移植というテーマで意見交換などをしましたが、その中で、日本の患者が助かる代わりに海外の移植手術を待っている患者のチャンスを奪ってしまうということなどの問題を初めて知りました。どのようにすれば一番いいと、一概に言える問題ではないけれど、日本は技術面では他の先進国に決して劣ってはいないので、国内でどのようにしたら臓器移植手術の需要に応えていけるのか、私はもっと考えたいと思います。

 
2009年サマーセミナー感想文
「WALL」
2年2組 重田 真輝

 サマーセミナーで一番楽しかったのはやっぱりTAPです。色々な問題を班のみんなで解決するのは楽しいし、なにより夏休みに入って全然動かしていなかった体を動かせたのはとても楽しかったです。
  TAPの中で一番面白かった、また大変だったのはWALL(けっこう高く、足がかりも何もないまっさらなカベをみんなで力を合わせてよじ登ります)です。何も足がかりがないから一人では絶対よじ登れないし、肩車をしても届きません。結局、肩車の応用バージョンみたいな変な格好で一人目を上げる事になりました。一人目、二人目を無事に上げ次は私の番になりました。下から眺めているのはそんなに大変そうではなかったけど実際自分の番になって上げてもらうと想像以上に高く本当に泣きそうになりました。キーキー騒いでしまいました。とうとう下で支えてくれている人が手を離しました。あとはカベの一番上の台で待ってくれている先に上がった二人に引き上げてもらうだけです。なかなか私の体は上がらず、二人には迷惑をかけてしまいました。でもきちんと私の体も上がりました。上からの景色は、上げてもらっている途中は高くて恐いだけの景色が、とてもキレイに映りました。
  WALLに挑戦する前は、どうやって登るのだろう、登れるのかな、と思っていたけれど上がった後は周りの景色がとても綺麗に映りました。自分の周りにある様々な問題もWALLと一緒で大変、恐い、疲れそうなどを乗り越えたらみんなキレイに見えるのではないかな、と思いました。

 

「激落ちくんパパ」 
2年2組 石原 瞭

 僕がサマーセミナーの中で一番楽しかったのは最終日の野外炊飯です。僕たちの班は豚汁をつくりました。
  まず、具材を切りました。包丁は2つしかないので、僕は皿を洗ったり、しめじの株を分けたりしました。K君はすばらしい包丁さばきで、まるで白鳥のように大根を切っていきました。N君はイマイチでした。
  次に肉をいためました。僕は指を火傷しちゃいました。5分後には復活しました。しかし、肉をいためたときにとびちる油はまさに「武器」でした。
  そのあとは無事に米をたき、野菜をにて、お茶をわかし、完成しました。
  僕は豚汁の「豚」があまり好きではなく「汁」が飲みたかったのですが「豚」も食べることにしました。おいしかったです。けっこう高評価でした。
  しかし、問題は後片付けです。なべにはたくさんの敵(=すす)がついています。それにたちむかう僕たち。人類vsすすです。
  そこでぼくたちが用意したのは「激落ちくんパパ」です。激落ちくんではなく、パパです。激落ちくんパパは人類の期待を裏切らず、みごとにすすをノックアウト!!無事に後片付けは終了しました。ありがとう激落ちくんパパ!!
  こうして野外炊飯は無事終わったのでした。

 

「絆」
2年3組 若本 里菜

 八月七日サマーセミナー始まり。天気はかんかん晴れで風もあって最高です。最高の天気からスタートしたサマーセミナー。私の一番の思い出になっているのが初日のオリエンテーリングです。三組の女子九人で力を合わせ、一生懸命ポスト探しを頑張りました。一枚の地図を頼りに、坂を登ったり、雑草の多いとこを通って、辛い時は皆で手を貸しあって次へ次へと見つけていきました。見つけたときのあの嬉しさは忘れられません。もう、皆でハイタッチです。九人がそれぞれ意見を出し合い、それをまとめ、そして実行にうつして、暑い中もくもくと歩いて見つけました。皆が意見を出さず、まとめる人もいない、実行にうつさない、これでは一つも見つからないと思います。皆が一つになってやらないと何に関してもできないと思います。私達三組六班は、今までに学んできたことを、このオリエンテーリングに生かし、協力してたくさん見つけることができました。皆で暑さを忘れるくらい楽しくできました。やっぱり人間や動物はこうやって支え合って生きているんだなと、改めて思いました。
  たくさん蚊にさされ、暑い日ざしに負けないように一生懸命頑張った三日間、本当に一生忘れることのない思い出となりました。そして、友達との絆も深まりました。
  この三日間で学んだこと、意見をはっきり言い実行する。そしてあらためて協力し合うことの大切さを学びました。この学んだことを、今後の学校生活、部活に生かしていきたいです。



 
UNESCO 青年交流信託基金2009ユーススタディーツアーinカンボジア報告
感謝の心
六年制普通科3年1組 兼森 葵
 
  私はスタディーツアーへ行く前に2つ抱負を掲げていました。
  1つ目は,カンボジアの歴史や文化の根底にあるものを感じることです。浅くではあるが現地の人の声を聞いて学ぶことができたので,本には載ってない,もっと貴重な,カンボジアの人々の中にある“歴史”に触れることもありました。その中で彼らの歴史の中だけでなく,国全体にポル・ポト政権の傷跡が未だに癒えぬ状態であるのがカンボジアの現状なのだというのを改めて実感しました。ありのままのカンボジアを自分の目で見て最も強く感じたことがあります。それは,“教育の大切さ”です。具体的には,“物事の善悪を自分で考え判断できる能力を養う教育”が重要だと感じました。カンボジアにおいての教育は,家庭の教育への理解が鍵を握っています。教育よりも家庭のために働き,生活のために稼ぐという考えが貧困層を中心に根深くあり,富裕層しか教育は受けられません。教育格差を無くし,貧困の悪循環を断ち切れる力が教育にはあります。だから教育の大切さを貧困層の家庭へ広めていく必要があります。
  2つ目は,笑顔の輪を広げることです。現地の人とは言葉が通じませんが,笑顔は世界共通のものです。今回現地の子ども達との交流があったのですが,そこで強く実感しました。笑顔には絶大な力があり,笑顔は世界共通語のようなものだ,と。子ども達が住む村の様子を見ても,決して満足のいく状態ではないと始めは感じました。しかし子ども達の笑顔を見て,彼らからしてみれば,村での生活が彼らにとって普通のことで,満足・不満足の問題ではないことが分かりましたし,彼ら自身は幸せそうでした。そう思うと,心の底から笑顔になれる自分がいました。大きく笑顔の輪が広がったと感じた瞬間でした。
  私の中で,スタディーツアーの抱負は達成できたと思っています。次にまた新たな抱負を掲げるならば,“見てきたこと感じたことをできるだけ多くの人に伝え,現代の日本に生まれたことがいかに恵まれたことであるかを考えてもらうこと”です。この抱負を掲げたきっかけは,スタディーツアーの事前研修で日本ユネスコ協会連盟の副会長がおっしゃった「世界が平和になる方法をみなさんなりに探してください」という言葉です。現代の日本にはカンボジアとは異なった様々な問題があります。日本には物が満ちあふれ,物質的に不自由は少ないけれど,どこか精神的な面で欠落している所があると皆感じています。このことは他の先進国にも言えると思います。
  欠落した部分を補うのに必要なものとは“恵まれた環境に生まれたことに感謝すること”だと私は思います。人は環境を選んで生まれてくることはできません。だから世界には戦地に生まれる子もいれば平和な国に生まれる子もいます。このことを考えたら,死と隣り合わせの生活をしなくてすむ私たちの環境はもうそれだけで恵まれていると言えないでしょうか。このことに感謝できれば,相手を思いやったり自分を見つめたりできる心の余裕が生まれます。余裕が生まれたら,欠落した部分を補うための何かがきっと見つかるはずと私は信じています。
  私自身も恵まれた環境に生まれたこと、そして今回スタディーツアーに参加できたことに心から感謝し申し上げたいと思います。本当に多くの方々のおかげでした。
  ありがとうございました。



考えるという過程
六年制普通科3年1組 隆野咲紀


私がカンボジアで一番強く思ったのは、平和の大切さと教育を受けることができることのありがたさでした。
  私たちは日本にいて、当たり前のように平和な生活を送っていますが、それは世界を見渡してみるととても恵まれていることです。カンボジアは今でこそ安全な生活を送ることができていますが、ほんの30年前まで、ポル=ポト政権のもと、恐ろしい虐殺がおこなわれていました。トゥールスレンやキリングフィールドを見学して、頭の中がぐしゃぐしゃになりました。こんなに人を殺して、一体どうなるのだと、本当に意味が分かりませんでした。たくさんの頭蓋骨が並べてある慰霊塔を見ながら、世界は平和でなければいけないと、強く思いました。
平和であればこそ、教育をまともに受けさせてもらえるのです。日本の子どもたちは当たり前のように、意欲があろうとなかろうと大学まで学ばせてもらっていますが、カンボジアの子どもたちは教育を受けたくても受け続けることがほとんどできないのです。
私たち日本人は努力すれば医師にも教師にもなれますが、なりたくてもなれない、努力しようのない子どもたちがカンボジアにはたくさんいました。この差とは一体なんなのでしょう。私は、日本で毎日だらだらと学校生活を送っていましたが、自分がいかに恵まれているかに気づきました。日本にいれば毎日やってくる“当たり前”がカンボジアの現実にふれて完全に吹き飛んでしまいました。 “当たり前”が“当たり前”でないと気付いた今、私は少し成長できたように思います。
  しかしそのことに気づきながら、どうしてよいかわからず、もどかしさに喘ぐ自分がここにいます。持って行き場のないこの気持ちを、何かの形にしてどうにかできないかと悩む自分がここにいます。考え始めたら切りがなく、終わりが見えない問題を私たちスタディーツアーに参加した者たちは共通に抱き、それを忘れないようにと念じつつ日本での日常生活を過ごし始めました。
私も仲間たちどうしたら世界が平和になるのか、どうしたら分け隔てなくみんなに教育が行き届くようになるのか、ツアー中も真剣に考え悩み抜きました。しかし簡単に答えが見つかるはずがありません。そんなときに言われた「大きな答えを出すことが大事なのではなく、考えるという過程が大事なのだ、考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩んで、思って思って思って、少しでも答えを見つけることが大事なのだ」と言う言葉が忘れられません。これからこの言葉を心の励みにして生活してゆこうと思います。
このスタディーツアーを通してたくさんの人に出逢えました。そして、たくさんのことを経験させていただきました。たくさんのことに感謝しながら、この経験を無駄にせぬよう、さらに多くの人に伝えていきたいと思います。

 
立志
一組 宮本 元
  二〇〇八年、僕は十四歳になった。二〇〇八年の一年間の漢字が『変』であったように僕も今年一年間で変わったように思う。しかし、僕の『変』は残念ながら良い意味の『変』ではない。良くない方の『変』だ。だから変わったというか変わってしまったという感じだ。本当はこんなことはないが、もし過去と未来のどちらかに行けるとして、そのどちらかを選択するならば、僕は『過去』を選ぶだろう。理由は自分でもよく分からないけど、きっと未来の自分が心配で、過去の自分のほうが今の自分よりも純粋だったからだろう。今のように宿題は夜遅くじゃなくて夕飯を食べた後すぐにやっていたし、学校に忘れ物なんてすることは時々しかなかった。自分より他人を優先していたし、部活でどんなに疲れていても、ほかの事をサボったり後回しにすることはなかった。新しいことに挑戦し、授業中寝てしまうことはほとんどなかった。それに比べて今の僕は何なのだろう?遊んでばかりいて、思ったことを実行できもせず、テスト勉強もぎりぎりにやってしまい、成績は前より下がってきている。頑張ったとか言っていたけど、今思えば全然頑張れていなかったんだと思う。前の自分は今の自分より良かったなと思う自分が情けないし、悔しい。原因は悩み事が多くなったせいなのかもしれない。でも悩んでばかりいて、今の僕は改善できていない。どんなことにも悩まず、前を見て走っていた自分に戻りたい。そして十四歳の今、自分の部屋で机に向かってこの作文を書いている僕は二〇〇九年を迎えた。今年からは変わりたい、いや変わらなければならないと思っている。今の堕落している自分に終止符を打ちたい。まずそのために始めたのが生徒会活動だ。学校をもっともっといい学校にするという目標を持って努力するのと同時に、自分に目標を持たせてけじめをつけたいと思う。また今年からは将来の夢も頭に入れて生活していきたいと思う。将来の夢…いままでいろんなものを考えた。保育園の時はバスの運転士になりたいというのが夢だった。理由はバスでいろいろな人を乗せるので友達がいっぱい出来るし、いろいろな所に行けるのがいいというものだった。小学生の低学年の時は、漁師になりたいと思っていた。漁師が魚をとる時のかっこいい姿に憧れていたし、今はもういないけど、祖父が魚釣りが大好きで、よく一緒に釣りに行っていた思い出があったからだ。そして小学校高学年から今の夢に近づいてきた。それは外国でボランティアをすることだ。その時は人を助ける仕事がしたいなと思っていて、消防士や警察官にもなりたいと思っていた。しかし外国で困っている人をテレビや図書室の本で知り、外国でボランティアをしたいと思うようになった。そして中学二年生になってやってみたいと思ったのが、今の夢である青年海外協力隊の一員として貧困地域で柔道を教えることだ。以前、新聞で青年海外協力隊で空手を教えている人の特集を見てそう思った。柔道は小学一年の時から続けているが僕は高校までしかやらないと思う。だから自分の仕事に活かしたいと思った。でも青年海外協力隊のことを調べて、なるのはとても大変だということを知った。英語も覚えなければならないし、人間性を磨かなくてはならない。その人間性というのは、責任感、思考の弾力性、積極力、忍耐力、表現力、態度というのが主であるらしい。まったく今の僕には身についていない。だからこれからいろいろなことに挑戦して身につけていきたいと思う。
これからいろいろなことがあると思う。家族のこと、友達のこと、学校のこと、部活のこと…でもこれからは過去ばかり考えていないで未来の自分に向かって、少しずつでもいいから前に歩んでいきたい。それがどんなに大変で厳しい道だとしても僕はくじけないようにしたい。

 


ニ組 東 ひとみ
  立志の日を迎えるにあったって、自分の将来について考えてみました。
  幼稚園に通っていた頃の夢は「ケーキ屋さん」「おもちゃ屋さん」で、小学生の頃は「作本家」「テレビのプロデューサー」になることでした。いつもころころと私の夢は変わっていたけど、中ニになって間もない頃、本当になりたいものを見つけました。
  母の勤めている薬局へ行ったことが一番のきっかけでした。薬局の中に入ると、患者さんが多くて、母を待っている間、たくさんの会話を耳にしました。
「お体の方はどうですか?」
「はい。おかげ様で。」
「前よりお薬が減ってきていますね。」
「このごろ体の調子が良いんですよ。」
「お大事に」
  この他にももっと、私の心に響いてくるような会話があったけど、患者さんと薬剤師さんが暖かい笑顔で話している姿を見ているだけで、「いいなぁ。私もあんなふうになれたらな…。」と思いました。愚痴をこぼす患者さんもいたけど、どの人も笑顔で帰っていきました。
  どの薬がどんな病気に効くのか、また、どんな副作用があるのかなどを母は時々、私に教えてくれます。風邪をひいてしまった時や処方箋をもらいに薬局へ行くときなど、頭痛に効く薬の名前を少しだけ、話してくれたりします。その時、「薬って不思議だな。もっと知りたい。…私も薬剤師になりたい。」と思いました。
  だから、私の目標は、「人に笑顔を与えられるような薬剤師になる。」ということです。
  私は、いつもたくさんの人に助けられて、支えられてきました。だから今度は私が、目標を達成して、たくさんの人を助けることができたらいいなとおもいます。
  この目標達成のためには、勉強することが一番大切だなと思いました。数学も理科も、私の苦手な教科だけど、夢のために頑張っていこうと思いました。その他にも、たくさんのことをチャレンジしてみようと思いました。元々私は、チャレンジしたりとか、新しいことに挑んでいくことは苦手だったけど、目標や夢を定めてから、少しだけど前向きになれたような気がします。「夢って、力があるんだな」と思いました。その夢の力を生かして、前へ前へ、進んでいきたいと思います。
  私は、小学生のときから剣道をやっていて、教わったことがあります。「諦めないことの大切さ」です。「諦めずに歯をくいしばってやれ!」とよく先生に注意されます。初めは、「そこまでしなくたって…。」と思ったこともあったけど、本当に、最後まで諦めずにやった試合は、印象強く心に残りました。きっと夢も同じように、あきらめずに追い続けることが大切なのだと思います。
  私がこれから歩む道には、たくさんの苦労や悲しみ、大きな壁が立ちはだかっていると思うけど、自分を信じ、夢を信じて歩いていきたいと思います。

 


二組 福多 恭子
  私はどちらかというと内気な性格で、人と接することがとても苦手です。自分から発表したり何かに立候補しようとも思わないし、そういうことをする機会があってもやりたいなとも思いません。みんなと同じだと失敗することも少ないし、何より安心できるので目立たないようにいつも周りを気にしています。家族から、
「人の事ばかり気にせず、自分の事は自分で決めて、こうしたらいいと思えば自分から進んで実行しなさい。」
といつも言われます。友達からも
「気にしすぎだって。」
とよく言われます。でも私は、なかなかそれができないから、いつもこれでいいのかとか、人はどう思っているのかとか色々心配なのです。しかしこれではいけないとよく自分でも思います。だから立志の決意として、私は将来の自分の夢に向かって努力しようと思いました。
  私の将来の夢は、一流の高級ホテルの従業員になることです。具体的にいうと、他人が喜ぶことは進んで行い、困っている人がいたらさっとそれに対応した手助けができるような、そんな理想的なホテルの従業員になりたいと思います。そのためには協調性も大切ですが、人より一歩前に出ることも必要です。そうなるには今の私の性格を変えなければなりません。だからこれからは明るくて前向きで、周りをあまり気にし過ぎないように心がけたいと思います。私がなぜホテルの従業員になりたいと思ったかと言うと、前に家族旅行で行ったときのホテルのフロントに立っていたお姉さんにあこがれたからです。その人はきっちりスーツを着てお化粧をしていてきりっとしてて、とてもすてきに見えました。そういう風な人たちはたぶん、気持ちから違うんだろうなと思いました。私みたいにうじうじ悩んでいたら、そんな雰囲気が周りに伝わってしまうと母に言われたことがあります。あのお姉さんは気持ちの切り換えなどがちゃんとでき、みんなに良い雰囲気を伝えているからすてきに見えるんだろうなと今分かったような気がします。
  私はこのお正月に親戚に頼まれて、白崎八幡宮で巫女の仕事のお手伝いをしました。他の中学生は職場体験をするのだからやってみなさいと両親が言ってくれたのでやりました。そこで私は接客の大変さが身にしみて分かりました。私は巫女さんになってごへいを振ったりお神酒をついだり説明をしたりしました。私は毎年お参りをしにこのお宮に来るのですが、参拝者の立場では分からない、参拝者から伝わってくる独特の雰囲気がお宮側にはあるということを初めて知りました。私は二、三回参拝者のちょっとした態度や言葉に傷つきました。「接客ってこんなものか。」と私が嫌な気持ちでごへいを振っていると何人かの高齢者の方に
「重くない?手が疲れるねえ。ありがとう。」
と優しく声をかけていただき、とてもうれしくなりました。人と人とのコミュニケーションには、こういうちょっとした優しい心遣いが大切で、明るい人間関係を作るということを改めて実感しました。またホテルという職場は接客業だから、こういうことが一番大切なのではないかということに気がつきました。私はこの正月にとても大事なことを学びました。
  また参拝者の中に外国人の方が数名いました。ふと私はホテルには色々な国の人が来て、日本語と英語だけでなく他の国の言葉も話すことができた方が楽しいのではないかと思いました。話の内容は変わるのですが、私には兄と姉がいます。兄は韓国語、姉は英語とドイツ語を話すことができます。二人とも大学に行ってから、語学の勉強をがんばったようです。外国人の友達を何人も持ち、海外旅行に何度も行っています。話を聞いていると「世間は広いなあ」と思いとても夢がふくらむ気がします。それで私は大学で語学を学ぼうと決めました。これが私の夢の実現への第一歩だと思います。私は今まで中学校の国語や英語の授業を目的意識を持ってやっていたわけではありませんでした。しかしこの立志の作文を書いて将来の事がはっきりし、勉強への目的意識がわいてきました。

   

平成20年度全日本高校模擬国連大会出場報告
 〈冷戦終了後、世界各地で急増した紛争――
   その紛争の最前線で戦っているのは、皆さんと同年代の、
   またはもっと幼い子ども兵達であるという事実を、知っていますか。〉

 平成20年11月8日(土)−9日(日)、グローバル・クラスルーム日本委員会/模擬国連委員会が主催し、
外務省・経済産業省・国連広報センター・国連大学・財団法人日本国際連合協会・文部科学省が
後援する第二回全日本高校模擬国連大会が東京の国連大学エリザベス・ローズ会議場で開催されました。
 
  本校はユネスコ部の活動の一環として昨年の第一回大会から応募、選抜出場を果たしました。
今年は100名50チームの募集枠に対して、本校は2チームを編成し応募しました。
その結果、六年制普通科2年の米本千夏さん、同2年の寺嶋健太君ならびに指導教官として
田中真澄教諭の3名が選抜され、全国から集まった高校生たちと激論を戦わしました。
 
  今回の議題は上述のショッキングな現実を踏まえた『子ども兵の問題』です。
  以下に委員会からのメッセージを抜粋しました。、

 「今日世界では、約30万人の『子ども兵』が30以上もの紛争地に存在するといわれています。
  本来、子ども達は武力衝突から守られるべき存在であり、戦闘に参加させてはいけないという
  原則が守られてきました。しかし近年の地域紛争や内戦において、子ども兵は戦闘中の
  武装勢力の約1割を占め、時には大人より残虐な行為を行い、紛争の加害者ともなっているのです。

   ―中略―

   子ども兵の問題は、国連を含む多くの国際会議で話し合われてきました。
  子ども兵の徴集・使用は数々の国際条約で禁止されており、戦争犯罪であると規定されています。
  しかし、子ども兵を使うという慣習は無くならず、むしろ現在に至っても、子ども兵は意図的
  かつ組織的に使われています。
  
   子ども兵の問題を考えることは、紛争、子どもの権利、そしてみなさん自身のおかれた立場を
  考えることでもあります。 」

「出会いの中で」
                六年制普通科 2年2組 米本 千夏

 このような大会に参加するのは初めてで、不安なことがたくさんありました。
しかし、前日、ホテルで出会った地方からの参加者と夜中まで議題について話し合い、
お互いの政策を深めたりするなどして、心強い味方と共に会場へ足を運ぶことができました。
会場では、文書がすべて英語であるなどの様々な難題に向き合うこととなりましたが、
パートナーの寺嶋君とお互いをうまくサポートし合い、協力できたのではないかと感じています。

 また、出会った友達は、英語が堪能など皆スーパー高校生で、とても同年代には思えないほどでしたが、
一緒に知的な日常会話を楽しむなど、尊敬できる人達の一員となれたことにとても感激しています。
それからというもの、学習に対する意欲が高まり、日々励んでいます。模擬国連は、私にとってとても
良い刺激となりました。この気持ちを忘れずに、これからの生活に活かしていけたらいいなと思います。
また、このような機会を与え協力してくださった先生方に感謝しています。

「レベルの高さ」
                六年制普通科 2年3組 寺嶋 健太

 先日、模擬国連大会に参加してきました。1次審査を突破した全国の高校生が集まり、
割り当てられた国の大使として、子ども兵について議論したのです。
  私は彼らの意識・知識のレベルの高さに圧倒されました。議論についてのリサーチ、
相手の言ったことを理解するスピード、そして論理的に話を進めていくうまさ。
どれをとっても私には無いものであり、正直なところついてゆくのがやっと、という
レベルでした。
 
  そういったレベルの高い大会に参加できたことは、私にとって非常に尊い経験となりました。
結局、賞こそ取れませんでしたが、賞を取るとらないといった問題を超越した、
何か、大きなものをつかみ取った気がします。
  この大会を通じて刺激を受けたこと、感じたことは私のこれからの高校生活に活きてくるでしょう。
私は今、模擬国連大会に参加することが出来て、とても幸せだったと強く感じています。

―参加校一覧―
Afghanistan 岡山龍谷高等学校 Israel 金光学園中学高等学校 B
Algeria 桐蔭学園中等教育学校 A Italy 聖心女子学院高等科 B
Angola 札幌聖心女子学院高等学校 Japan 灘高等学校
Australia 高水高等学校 Lebanon 不二聖心女子学院高等学校 A
Azerbaijan 渋谷教育学園渋谷高等学校 B Liberia 千葉県立東葛飾高等学校
Bangladesh 頌栄女子学院高等学校 B Mexico 金光学園中学高等学校 A
Belgium 横浜インターナショナルスクール Myanmar 加藤学園暁秀高等学校 B
Bosnia and Herzegovina 広島県立尾道東高等学校 Nepal 神村学園高等部
Burundi 立教新座高等学校 Norway 順天高等学校
Cambodia 不二聖心女子学院高等学校 B Pakistan 筑紫女学園高等学校
Canada 慶應義塾湘南藤沢高等部 Peru 頌栄女子学院高等学校 A
Central African Republic 京都産業大学附属高等学校 Philippines 横浜雙葉高等学校
Chad 桐蔭学園中等教育学校 B Russian Federation かえつ有明高等学校
China 栄光学園高等学校 Sierra Leone 早稲田大学本庄高等学院 A
Colombia 早稲田大学本庄高等学院 B Somalia 豊島岡女子学園高等学校
Cote d'Ivoire 茨城県立水戸第一高等学校 Sri Lanka 渋谷教育学園渋谷高等学校 A
DR Congo 渋谷教育学園幕張高等学校 A Sudan 麻布高等学校
El Salvador 東京都立国際高等学校 Sweden 千里国際学園高等学校 B
France 洗足学園高等学校 Tajikistan 群馬県立中央中等教育学校 B
Germany 聖心女子学院高等科 A Thailand 早稲田大学高等学院
Haiti 茗溪学園高等学校 B Turkey 茨城県立水海道第一高等学校
India 東洋英和女学院高等部 Uganda 加藤学園暁秀高等学校 A
Indonesia 淑徳巣鴨高等学校 United Kingdom 茗溪学園高等学校 A
Iran 千里国際学園高等学校 A United States 群馬県立中央中等教育学校 A
Iraq 茨城県竹園高等学校 Yemen 渋谷教育学園幕張高等学校 B

 

 [模擬国連とは・・・グローバル・クラスルーム委員会HPより]

  学生が1カ国の大使として国際会議をシミュレーションすることで、
  国際問題を理解し解決策を模索すると同時に、現実政治の難しさを体感することが出来る活動です。

 さて、そのような模擬国連ですが、1923年にアメリカのハーバード大学で模擬国際連盟(当時は連盟!)
  として始まったのを起源に持ちます。
   その後世界中に広まり、日本では1980年代より模擬国連委員会が母体となり大学生を中心とした活動が
  行われてきました。

  現在も北は北海道、南は大分まで多くの大学生が模擬国連活動を行っていますが、近年は総合的な学習
  として中高生にも授業として取り上げられることが多いようです。
   今回のグローバルクラスルームによるアメリカでの高校生大会への参加もそうした近年の潮流の中に
  位置づけられます。

  今後、模擬国連がより多くの学生にとって国際問題を知り、行動を起こすきっかけになればと思います。


付中3年生の平和学習 感想文
回天記念館で学んだこと         
                      高水付属中学校3年  岡本 宏平


9月22日、気持ちよく晴れわたった青空の下、ぼくたちは回天記念館を訪れました。そこには、国を、そして愛する家族や恋人を守るために自分の命を犠牲にした人々の遺品や顔写真がありました。それらを見ていると何ともいえない気持ちになりました。年齢は17〜20歳の若い人ばかりで、とても驚きました。みんなとても優しそうな人ばかりで、このような人たちが、回天という恐ろしい自爆兵器を米軍の軍艦にぶつけていったということが、信じられませんでした。彼らはあの狭い兵器の中で何を思いながら死んでいったのでしょう。恐らく、自分の死によって、愛する人や祖国を守ることができる。そう思って死んでいったのではないかと僕は思います。
海は見わたす限りに青く、緑豊かなこの島で、たった60数年前に若者たちが回天に乗るための訓練、いわば「死ぬための訓練」をさせられていたのだ。そう考えながら大津島を歩いていると、彼らが命をかけて創りあげたこの平和の中を、当たり前のように生きてきたこれまでの自分が恥しくなりました。自分が彼らの上に立って生きていることを忘れずに一日一日を大切に生きてゆこうと思います。
しかし、今に日本では毎日のように、殺人や自殺といった悲しいニュースが飛び交っています。このような現状を、回天によって命を落とした彼らはどのような思いで見ているのでしょう。ぼくはとても悲しんでいると思います。自分たちが命をかけて守ったものはこんなものだったのかときっと嘆いていると思います。
ぼくは、この国のために死んでいった若き勇者のために、そしてぼくの周りにいてくれるたくさんの人々のために、真剣に前向きに生きてゆこうと思います。


付中2年生のサマーセミナー感想文
「オリエンテーリング」
                      高水付属中学校2年1組 桝尾 美加


「ゆっくり降りてきんさいね。まっとってあげるけぇね。」と友達が言った。私は、その励ましの声を聞きながら、舗装されていない山の斜面をゆっくりと何とか下っていった。
暑い中、山の中を使って行われたオリエンテーリング。ポストを探しながらがけを登ったり下ったりしていった。私が山を登る時に一番嫌いなところは、石がむき出しになっている坂道だ。滑るのが怖くてゆっくり降りるため、皆に迷惑をかけてしまっていた。そんな中で、友達が先ほどのような言葉をかけて待ってくれていたのだ。
いつもは「早くして。」とせかされていたので、今回は安心して少し速く降りられたし、何よりその言葉をかけてもらえたことがうれしかった。
そして、もう疲れたし制限時間になるかもしれなかったので集合場所に戻ると、何とか一時間以内に着いたのでほっとした。疲れたけれど楽しかったので、またやりたいと思えるようなオリエンテーリングになったかなと思った。
普段はオリエンテーリングなんてしないので、こういう体験で友達と協力することになったり、声かけしたりすると、その友達の良いところが見つかると思う。もしまたこういう行事があったら、今度は私からも手助けの声を出したいと思う。

 

 
「恐怖の向こうは」
                      高水付属中学校2年2組 西村 勇輝


ぐらぐらと柱がゆれる。夏なのに肌に微妙な冷たさを感じた。下にいるみんながとても小さく見える。思い切って飛ぼうと思うとすぐに足がすくむ。ぼくの背中には命綱がつけられているのに地面にたたきつけられることを考えてしまう。何度も飛ぶのをやめようと思った。でも、もうみんながぼくを見ていたのでやめるわけにもいかず、飛ぶことを決心した。飛び台の先に行こうと一歩ずつ足を出すと、そのたびに柱がゆれる。ついに飛び台の先に来た。そこでもまた何度もやめようと思った。でももうここまできたら飛ぶしかない。ついに思い切ってこう言った。
「3、2、1。」
ギギッと飛び台のきしむ音が鳴った。ぼくは約10メートル下に落ちていた。するとクイッと命綱に背中を引っぱられた。飛び終わるとさっきまではあんなに怖がっていたのにとても楽しくなっていた。最初はチャレンジしてみようかなという軽い気持ちでやって、次にすさまじい恐怖を味わって、最後は楽しんで終わった。
ぼくはこのTAP(徳地アドベンチャープログラム)を通じて、チャレンジすることの恐ろしさ・楽しさ・大切さを知った。ぼくはTAPをやって心も体も少し成長した気がした。ぼくはこれからTAPで学んだチャレンジという世界にもっと入りこんで行きたい。そのためには何事も恐れないことが必要である。

 

   
「野外炊飯をして思ったこと」
                      高水付属中学校2年3組 澤原 茉由


なべを開けたらカレーのいい匂いが周りに広がった。本当はハヤシライスを作るつもりだったけれど、何かの手違いでカレールーを入れてしまいカレーになった。でも私はカレーの方が好きなのでうれしかった。カレーはとてもおいしかった。少しかたい野菜もあったけれど、おいしかったので全く気にならなかった。私と角野さんは火係で、火がなかなか着かなかったり途中で消えそうになったりと全然安定しなくて、きちんと煮えているか心配していたけど、おいしくできたのでうれしかった。これも調理をがんばってくれた班の人のおかげだと思う。手際のいい人、切るのが上手な人、
味付けが上手な人、色々な人の意外といったら失礼だけど、意外な良い所が見られてうれしかった。私は調理の方にまわらなくて絶対に良かった(これは母にも言われた)。
でも、人参を私の皿に入れてくるのはやめてほしかった。私が嫌いなことを知っていて、私の皿に人参を入れてきた。せっかく古泉さんが少なくついでくれたのに、「ルーをついできてあげる。」と言ってルーもいっぱいついできてくれたが、人参も4個くらい入れられた。1個は友達に食べてもらって、残りは自分でがんばった。
「小学生か!」と友達に言われて散々だったけれど、みんなでワイワイできて楽しかった。3年生になってもまた、みんなで泊まってワイワイやりたいと思った。

 

 
ユネスコ全国大会in東京 参加報告
この度、六年制普通科3年の黒田咲穂さんと牧嶋恵子さんの2名が6月7、8日に東京で開催された
第64回日本ユネスコ運動大会にユース・スタディーツアーin カンボジアの事後研修を兼ねて参加しました。


事後研修では、(株)博報堂の方を講師に招き、プレゼンテーションスキルなどを学び、伝えることの難しさを実感しました。
ぜひ今後の報告会活動や社会生活で生かしていきたいと思います。
また青年の集いというプログラムでは全国のユネスコ会員が集まり、「平和について」のディスカッションが行われました。
老若男女様々な意見が飛び交い、大変有意義な時をすごすことができました。
そして、これからも熱い仲間と共にユネスコ活動を続けていけたらと思います。
(高水高校 3年 牧嶋恵子)


東京の目黒で行われた全国大会は、カンボジアスタディーツアーの事後研修も兼ねており、一泊二日という短い期間にも関わらずとても充実した時間を過ごすことが出来ました。
プレゼンの仕方を教えていただいて私達のカンボジアでの経験を発表したり、フィリピンに行った大学生の発表を聞いたりするのはとても勉強になりました。また、青年プログラムで、平和について様々な年代の方と話し合うという貴重な体験もすることが出来ました。
今回学んだ多くの事をこれからのユネスコ活動に生かせるように頑張りたいと思います。
(高水高校 3年 黒田咲穂)

 

付中1年生の田植えと烏岳峰登山 感想文
―感想文掲載にあたり、保護者宛文書に掲げられた今回の行事の目的を引用しておきます。―

田植えと「楽学の碑」訪問によって、君たちにこんなことを期待しています。

◇田植え
 ・ものづくり体験を通じて、私たちは人の手によって作られたものに支えられていることを理解する。
 ・君たちを温かく迎えてくれる先輩たちとふれあい、交流を深める。

◇「楽学の碑」訪問
 ・「楽学」にこめられた意味についてあらためて考える。
 ・碑を守ってきた先輩たちの、「楽学」及び高水学園に対する思いを感じ、その先輩方の支えがあって111年目の高水があることを理解する。

私たちが「あたりまえ」と思いがちなこと(物を食べられること、学校に通えること、お家の方にお弁当を作ってもらえること、高水に111年の歴史があること……)についても、感謝の気持ちを忘れずにいたいですね。
「高水訪問を終えて」
                      高水付属中学校1年 岩倉可奈恵


6月6日金曜日、高水の訪問をしました。この高水訪問の目的は、「土を感じ、水を感じ、緑を感じる」ことです。そして「あたりまえに感じているものはあたりまえではないことを知るため」だと思います。
初めに、田植えをしました。私は田んぼに入ったことはあるけれど、はだしでは初めてなので、土の感触をとても不思議に感じました。また、足を洗う時、家で使う水道水とはちがった「水」を感じることができました。いつも食べているご飯は、このような作業を続けて、私達が食べるご飯ができることを知りました。
次に、烏岳峰に登りました。思っていたよりも険しく、厳しい上り坂でした。登る途中に水が流れていて、なんだか、心が清められた感じがしました。また、植物もたくさんあり、さまざまな緑を感じることができました。頂上に続くとても険しい道を登りきった後は、とてもすがすがしい気持ちになりました。少し曇っていたけれど、とてもよい景色でした。頂上で昼食をとり、校歌を歌ってから下山しました。
そして最後に、楽学の碑の見学をしました。よく見ると、高水学園にある楽学の碑とは微妙にちがっていました。その後に渡辺元教頭先生から、高水の歴史を教えてもらいました。高水には、こんな歴史があるんだな。と思いました。
私は、この高水訪問をして、たくさんのことが学べたと思います。校長先生がおっしゃっていた「土を感じ、水を感じ、緑を感じる」という意味が、なんとなくわかった気がします。この高水訪問で学んだことを忘れないようにしたいと思います。

   
「渡辺先生と田んぼとあじちゃいと私」
                      高水付属中学校1年 石原 瞭


高水の地訪問ツアーがありました。ぼくが一番楽しみにしていたのは、校歌にもでてくる烏岳峰に登ることでした。(後になって考えると、これが一番苦しかったです。)
まず田んぼへ行き、田植えをしました。少しヘドロのような田んぼへ入るのはためらいがありましたが、こういうふうにして入りました。
「押すな、待って、心の準備が…あぁグショ!いやぁはまった。ぬけんんんん…。」
まあこんな感じです。1回目は服も汚さず清潔にきれいにできましたが、2回目は、
「苗がなくなりました。あっベショ!服についたぁアハハハハ。」
と、もう服が汚れるのも気にならなくなりました。おかげで、バスの席に新聞紙をしかなくては行けなくなりましたが・・・。
次は烏岳峰登りです。2.6Kmなんか、スプリングセミナーに比べれば「へ」でもないわ!となめていました。
ごめんなさい。山をなめていました。実際は本当にキツかったです。そのかわり頂上の景色、弁当の味、「あじちゃい」(「あじさい」の小っちゃいもの)の香り、野いちごの味はサイコーでした。
帰りは、あじちゃいで遊びながらあっさりと下りれました。
最後に楽学の碑を見学しました。昔からあったような重みがありました。
渡辺先生の話を聞いて、まさに高水の生き字引だ!という感じがしました。
今回のツアーを通して、たくさんの体験ができ、高水の歴史の重みを感じることができました。まず第一に楽しかったです。

 
「高水の地へ行ってみて」
                      高水付属中学校1年 星出 諒太
  

まずこの訪問でぼくが目的にしていたことがあります。それは校長先生がおっしゃってたように土、水、緑に触れるということです。
まず最初の目的の土、水に触れる田植えがありました。
田んぼに入った瞬間、足が土にはまったのでびっくりしました。土の感触はやわらかくて最初は気持ちが悪かったけれど後になるとだんだんなれてきました。
そして稲の苗を植えていると高水の卒業生の方が、
「上手だね」
と言ってくださいました。うれしかったです。
水で足や手を洗っているときに水がなんだかとても気持ちよかったです。
次に烏岳峰(烏帽子岳)に登りました。
ここでの目的は緑に触れることと頂上で大きな声で校歌を歌うことです。
烏岳峰を登り始めるとまだ500mもたたないうちにちょっと疲れてきました。
緑がとってもキレイでびっくりしました。
最後の大将軍からの道は階段やけわしい道だったので本当に疲れました。でも頂上についた瞬間バーと一面すごい景色が広がりました。とってもキレイでした。
最後に6代前の教頭、渡辺先生が高水の歴史について話してくださいました。
ぼくが特に印象に残っていることは、高水は地域の皆さんの協力があったからこそ建てることができた。というところです。
だからぼくは、この高水に入学できたことにほこりを持って学校生活を過ごしたいです。
帰るときに楽学の碑を見ました。これを見ると歴史を感じました。
よい経験ができて本当によかったです。

   
「高水訪問をふり返って」
                      高水付属中学校1年 浜崎優里香


6月7日、私達は高水の地を訪れた。
まず私達は田植えをした。簡単な説明のあと、恐る恐る畑に足をふみ入れた。グチョグチョとした感覚があり、足がぬけなくなってしまい、少しあせったが、慣れて来ると意外に心地良かった。
「天空高き烏岳峰〜」の歌詞のもと、田植え後烏岳峰に登った。スプリングセミナーの時よりは大分距離も短かったが結構しんどかった。特に大将軍からの登山道は石などが多く、滑りやすくて危険だった。だからすごく慎重に歩き、こけないように気をつけながら登った。登頂した時、視界がパアッと明るくなり、思わず一瞬目を閉じた。再び目を開けた時きれいな景色が広がっていた。山々が広がり、多くの建物を見渡すことができた。そこでお弁当を皆で食べたがいつもよりおいしく感じた。全員で校歌を歌ってから下山した。
そしていよいよ、“楽学の碑”を見に行った。学校にある碑とそんなには違っていなかった。それから6代前の教頭、渡辺先生のお話を聞いた。日露戦争などで教師たちが兵士にかり出され、教師が少なくなってしまったこと・・・。きっと皆本当は戦争に行きたくなかったけれど、それを言えずに亡くなっていったんだろうなと思った。
今までよく考えたことは無かったが、多くの人々の支えがあって高水の111年という歴史があるんだ・・・と感じた。改めて素敵な学校に入学したなと嬉しかった。
帰りのバスの中で寝ようかなと思ったが、寝られなくて辺りを見回すと5、6人が寝ていた。今日はつかれたが、楽しい1日だったなと感じた。今日学んだことを活かして学校生活がんばろう!と思う。

 

ユース・スタディーツアーin カンボジア帰国報告
この度、六年制普通科3年の黒田咲穂さんと牧嶋恵子さんの2名が(社)日本ユネスコ協会連盟が募集した
ユース・スタディーツアーin カンボジア(平成20年3月23日(日)〜4月5日(土)の14日間)
の旅程を無事終了し、貴重な体験を重ねて帰国しました。

「平和の砦」
                高水高校 3年 牧嶋恵子


カンボジアでの2週間、ギャップに戸惑い、疑問を持ち、仲間と毎晩熱く語り合った日々は私の大切な宝物です。
発展途上国であるカンボジアは、過去の内戦の傷跡が今なお残り、多くの問題を抱えています。
しかしそんな中でもカンボジアを良くしようと活動している人たちが多くいます。
このツアーを通して、彼らの活動の一つ一つが「平和の砦」を築いているのだと感じました。
この体験を多くの人に伝えていきたいと思います。


“学び”の2週間
                高水高校 3年 黒田咲穂

カンボジアでの2週間は私にとって“学び”の2週間でした。
地域に密着した寺子屋の活動や壮大なアンコール遺跡、恐ろしい地雷など
日本にいては消して目にすることのない現実を実際に見て、
いかに自分が今まで小さな世界にいたかを思い知りました。
世の中には私の知らない現実が、まだまだ多くあると思います。
これからもユネスコなどを通じて、世界の様々なことを積極的に学んでいきたいです。



 

付中全員で劇団四季ミュージカル「美女と野獣」を鑑賞してきました
実施日 : 平成20年2月21日(木)
場 所 : ALSOKホール(広島県立文化芸術ホール)
対象生徒 : 中学生1年〜3年(272名)
目 的 : 中学生という多感な時期に、自身の感性を磨く意識付けとして
「本物の芸術」に触れる機会を設け、より多くの感動や興奮を味わう。
生徒感想 
私はミュージカルなどを見ることが大好きなので、この日をとても楽しみにしていました。きれいな衣装、色々な場面でのセットや背景がとても素敵でした。 
私は、ベルがお城で食事をする時の音楽とダンスが一番心に残っています。とても華やかで見ていると楽しくなり、歌っている人の声やダンスがすごくて「あんなに踊れたら楽しいだろうな」と思いました。見ているとその世界に入り込める感じで、ずっとその場に座っていたい気持ちになりました。
やっぱり劇団四季の方々は素晴らしく、とてもあこがれます。
今回、このような機会を与えてくれた両親、先生方に感謝したいと思います。 (中学1年女子)

UNESCO青年交流信託基金によるユース・スタディーツアーin カンボジア参加決定
 (社)日本ユネスコ協会連盟が募集したユース・スタディーツアーin カンボジア(平成20年3月23日(日)〜4月5日(土)の14日間)定員10名の高校生枠に本校から六年制普通科2年の黒田咲穂さん、同2年の牧嶋 恵子さんの2名が選抜されました。
―「ユース・スタディーツアーin カンボジア」の趣旨―
 UNESCO 青年交流信託基金は、世界の学生・教員などを対象に相互理解を推進し、国際理解を深める活動をするために日本政府の拠出金をもとにUNESCO に設立されました。
 1999年のケルンサミットで国際交流の重要性が提起されて以降、日本ユネスコ協会連盟はこの基金を、次世代を担う青年の育成を目的としてUNESCO本部から受託し、毎年スタディーツアーを実施しています。
 若い世代のユネスコ運動への参加が望まれている今、将来のユネスコ活動を担う元気な高校生の参加を期待します。
 
―実施日程(初日は成田で事前研修会)―
 訪問予定地: カンボジア
  ■ プノンペン(青年との交流プログラム、市内見学)
  ■ シァムリアップ(寺子屋視察、青年との交流、伝統文化学習)
  ■ アンコール(世界遺産視察)

異文化交流セミナーを開催しました
講   師 : 村上アマリアさん(エクアドル出身,来日10年目)
片山邦雄さん(国際交流ネットワーク岩国会員)
実施日時 : 平成20年2月13日(水) 11:30〜12:20
場   所 : 高水高等学校第1校舎2階視聴覚教室
対象生徒 : 中学生1年87名
 
 エクアドルの国名はスペイン語で「赤道」を意味すること、地理、気候、文化などを紹介していただきました。スペイン語の挨拶も練習し、生徒たちも積極的に参加していました。セミナー終了後も、用意していただいた民芸品や写真を見ながら交流しました。
 
生徒達の声
 エクアドルのことは、なかなか話を聞く機会がないので良い経験になりました。雪が降らないと聞いて驚きました。他にも、モルモットを食べることや家がセメントで出来ているなど、日本の生活と大きく違うことが分かりました。特に原油などの資源は国の収入の50%と聞き、日本にも同じ量の資源があればいいなと思いました。スペイン語のほかにも、ケチュア語やヒバロ語などいくつかの言語を使っているところは日本にはないところだと思いました。これからも色々な国のことについて、興味を持って調べていきたいと思いました。

14歳、新たな誓い(立志式)を開催しました
実施日時 : 平成20年2月13日(水) 11:30〜12:20
場   所 : 高水高等学校第1校舎2階視聴覚教室
対象生徒 : 中学生2年89名
 
 人格形成の大切な時期にさしかかった生徒たちに自分の人生を振り返り、将来や夢について考えてもらう行事で、今年で6回目を迎えました。名前を呼ばれた生徒はひとりずつ壇上に上がり、クラスメートや教員,保護者の前で各自の決意を表明しました。
 誓いのあと、保護者からの手紙が載せられた冊子が一人一人に渡され、生徒たちは自分への思いがつづられた手紙に感激し、熱心に返事を書きました。
 この他、岩国市青少年育成市民会議が主催する「立志の日」作文で入賞した生徒による朗読も行いました。

平成19年度「立志の日」作文発表大会で入賞しました
実施日時 : 平成20年2月17日(土)
場   所 : 岩国市民会館
 
大会入賞者
作品名 賞 学年 氏  名
夢へつながる「今」 特選 2 森弘 佳奈子
「立志の日を迎えて」 入選 2 築岡 由希絵
私の歩む道 入選 2 西村 美咲
Dream comes true 入選 2 原田 美帆
今まで見てきた夢を目標に 入選 2 萬谷 香貫花
立志〜十五歳の出発! 入選 2 山本 弥生

第三回「中高生向け立志論文コンテスト」で入賞しました
 平成20年1月6日(日)神奈川県茅ヶ崎市の松下政経塾講堂にて開催された第三回「中高生向け立志論文コンテスト」決戦大会に進んだ本校六年制普通科2年大矢格君がみごと入賞を果たしました。
特別賞: 大矢格(オオヤイタル)
作品名: 「私が実現したいこと『人』を残すということ」
 
大会趣旨(財団法人松下政経塾ホームページより抜粋)
 第三回「中高生向け立志論文コンテスト」は11月に予選が行われ、中高生合わせて10名の方々が決戦大会に進むことになりました。応募作はいずれも十代の若者らしい鋭い感性と純粋さを感じさせる力作揃いです。
 決戦大会では、10名の出場者が自らの立志を力強く発表いたします。今年も出場者や関係者だけでなく、広く一般の方々にも公開することと致しました。ご観覧の皆様にもぜひ、出場者を温かくご支援いただきたいと思います。
 この「立志論文コンテスト」の応募を通じて、自らの可能性に目覚め、21世紀の指導者となるべき逸材が輩出することを切に願っております。
財団法人松下政経塾:http://www.mskj.or.jp/

第一回全日本高校模擬国連大会へ参加しました
 平成19年11月17日(土)-18日(日)、グローバル・クラスルーム日本委員会/模擬国連委員会が主催し、外務省・経済産業省・国連広報センター・国連大学・財団法人日本国際連合協会・文部科学省が後援する第一回全日本高校模擬国連大会が東京の国連大学エリザベス・ローズ会議場で開催されました。
 本校からは厳正なる審査の結果、六年制普通科2年の黒田咲穂さん、同2年の牧嶋恵子さん、ならびに指導教官として田中真澄教諭の3名が選抜され、全国から集まった高校生たちに交じり熱弁をふるいました。
―「模擬国連」とは―
 参加者一人一人が世界各国の大使となり、実際の国連会議で扱われている問題を話し合うことによって、国連会議を再現し、国際問題の難しさを理解すると共に、問題の解決策を探ろうとするディベートです。
 参加者はまず自分の担当国を選び、担当する国が決まり次第、「参加する会議で扱う問題」、「国連における今までの審議の成果とその課題」、「担当する国の過去の政策」といった点について多角的な調査・研究を行い、自国の政策を立案します。そして、会議では、演説や他国との交渉を通じて、会議の意思決定の下地となる決議案を作成していきます。最終的には、担当する国の国益を追求しつつも、国際社会にとっても有益かつ実効的な解決策・対策を盛り込んだ決議案を投票にかけ、決議として採択します。
 このような一連の過程を通じて、参加者は話し合う問題や担当する国の政策についての理解を深めると共に、国連を舞台とした国際政治の力学、可能性と限界を実感することができます。また、多国間外交や現代の国際関係を体験的に学習することによって、現代の複雑な国際政治の仕組みを理解することができ、またそのような複雑な国際政治を通して問題の解決策・対策を探ることによって、これからの国際社会に必要とされる人材の育成にも大きく寄与することになります。
 
―今大会の議題―
 目下、国連総会で非公式テーマとして議論されている気候変動問題を下に若干の架空の設定を施して、国連総会の公式討議における「気候変動に関する国際社会の将来的取り組み」とする。
 現在の諸問題を踏まえた上で、将来的に途上国の参加問題や各国が負うべき義務をどうす
 るのか、一つの可能性が高校生の視点の柔軟さと各国大使としての現実性の中から紡ぎだされる機会になると同時に、ニュース越しの出来事をより身近に感じてもらう場になればよい。
 
―参加校と国割り―
JUSSCANNZ
日本
駒込高等学校
アメリカ
日本大学高等学校
スイス
桐蔭学園中等教育学校
カナダ
金光学園中学高等学校
オーストラリア
渋谷教育学園渋谷高等学校B
ノルウェー
埼玉県立大宮高校
ニュージーランド
埼玉県立春日部女子高等学校
EU
イギリス
聖心女子学院高等科A
ドイツ
渋谷教育学園渋谷高等学校A
フランス
公文国際学園高等部
オランダ(New)
渋谷教育学園幕張高等学校
スウェーデン(New)
札幌聖心女子学院高校
G77
中国
駒込高等学校
ブラジル
埼玉県立浦和第一女子高等学校
エジプト
京都産業大学附属高等学校
ナイジェリア
都立国際高等学校B
アルゼンチン
聖心女子学院高等科B
インド
桜丘学園 桜丘高等学校
インドネシア
埼玉県立伊奈学園総合高校
南アフリカ(New)
沖縄県立向陽高等学校
AOSIS
ナウル
東京都立立川高等学校
ツバル
洗足学園高等学校
シンガポール(New)
高水高等学校
産油国
サウジアラビア(New)
桐蔭学園中等教育学校
UAE(New)
東京都立国際高等学校A
その他
ロシア
広島県立尾道東高等学校
カザフスタン(New)
頌栄女子学院高等学校

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