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(6)心の半減期/影潜める原発反対論/「経済的に不可欠」
 | 南側から見たチェルノブイリ原発の原子炉建屋。煙突の右側が2000年まで稼働した3号機で、左側が爆発した4号機 |
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<99%火力頼み> 1986年のチェルノブイリ原発事故で大被害を受けたベラルーシは今、初の原発建造に向けてひたすら進んでいる。 今年7月にはロシアと建設契約を結んだ。2017年に1号機、20年に2号機を稼働させる。 建設地はリトアニア国境に近い北西部のオストロベツ。コンクリート工場の設営や道路、住宅の建設など関連工事はもう始まっている。 事故でベラルーシは、13万8000人が強制的に家を追われ、20万人が自ら移住した。首都ミンスクの近くで進んでいた原発建設も中止した。 そんな国がなぜ原発推進を選ぶのか。 非常事態省のウラジミール・チェルニコフ局長は言う。「原発の経済性に代わる発電はない。事故が起きないようにすればいい」 隣国では、ロシアとウクライナが国境近くで原発を運転する。リトアニアにも計画がある。「他国で事故が起きれば影響を受ける。私たちが初めて原発を造る国ではない」。自国だけが安全に配慮しても仕方ない、と言わんばかりだ。 ベラルーシは発電量の99%を火力に頼る。国土は平たく、水力資源に乏しい。強い風も吹かず、高緯度で太陽光も期待できない。輸入で賄う石油・ガスへの依存を減らし、現在75%の電力自給率を上げるには原発しかないと政府は走る。「国民アンケートでは原発賛成が多数だった」とチェルニコフ局長は強調した。
<「共生できる」> ウクライナはもっと脱原発から遠い。15基が稼働、2基を建設する世界6位の原発大国。日本大使館によると、原発の是非をめぐる国民的な議論は現在、ほとんどない。 命懸けで事故の収束に当たった元作業員は、放射線障害の苦しみをひとしきり語った後、「原発とは知恵を絞れば共生できる」と語った。事故の悲惨さを語り継ぐチェルノブイリ博物館の職員も「経済的に必要だ」と言い切る。 あの年、原発から120キロ離れた300万都市キエフでは、子どもの姿が消えた。ガイドのボロゾワ・バレンチナさんは異様な光景だったと振り返る。 自身も3歳と8歳の子を5000キロ離れた古里のブリヤートに必死の思いで避難させた。戻したのは1年後。しばらくは外出するたびに頭を洗い、毎日部屋を掃除した。 「原発はもう嫌と思った」。そのバレンチナさんも今は原発を受け入れる。「忘れない。でも慣れた。ウクライナ人の多くはそう」と話す。
<爆発後も共有> チェルノブイリ原発は4号機の爆発後、電力不足に対応するため、翌年までに1〜3号機の発電を再開した。国際社会の圧力で運転を停止したのは2000年だった。 現地を訪れて驚いた。3号機の原子炉建屋は4号機と共有だった。飛び散った核燃料を封じ込める石棺と、同じ屋根の下で、14年間も原子炉を動かし続けたのだ。 東京電力は福島第1原発5、6号機と第2原発の廃止を明言しない。チェルノブイリを見れば、再開は絵空事でもない。 福島の事故後、日本では脱原発の世論が沸騰したが、人の心は移ろう。心の半減期は短い。日本のこれまでと、ベラルーシ、ウクライナを見て、強く思う。 全てを決めるのは国民だ。行方はまだ分からない。
2012年08月20日月曜日
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