「隙間」

 昔、引っ越しをしたことがあった。
 お父さんの仕事の都合で家が変わった。僕はその時、友達と別れることになったけど、ほっとした気持ちだった。


 昔の家には、家具と家具の間に変な隙間があった。
 どこかが変というわけじゃない。
 何かが変だった。


 僕は昔、その隙間に手を差し込んでは何かが出てくるんじゃないかと子供心と夢を膨らませていた。一回試しに手を差し込んでみた。大量に出てきた埃を見たお母さんが僕を叱った。
 それ以来僕はその隙間に手を差し込むことが出来なかった。
 僕は想像を膨らませる。
 明かりで照らしても奥が見えないその隙間は秘密の抜け穴なんだと。
 僕を異世界へ連れて行く入り口かもしれないと。
 もしかしたら宝物が出てくるかもしれないと思った。


 ある日、お母さんが買い物で出掛けたのを見計らって僕は隙間に手を差し込んだ。母親がいない今、誰も邪魔をしない。思いっ切り埃を掻き出した。後で元に戻せば分からないから気にする必要なんかない。


 すると――――


 何か、硬い感触がした。
 カツンと指先に何かが触れた。一瞬、僕は身を縮めた。
 夢はあくまで夢だから迷いなく突き進めるけど、本当に異世界に行ってしまったら怖いから。
 恐る恐る、僕は「それ」を掴んだ。
 なんだろう……?
 期待と不安の入り混じった想いを胸に僕は隙間から腕を抜き取った。


 握り締めた手のひらの中に、何かが入っている。
 子供の手のひらでも容易に包み込めるくらい小さく硬い感触――――金属か何かだ。


 僕は、ゆっくりと、宝箱を開ける気持ちで、指を開いた。


 銀色の円。
 鈍い光沢を放つ「それ」は指輪だった。
「ほんとにあった……」
 最初、夢が現実のものになったのに喜ばなかった。驚きで唖然とした。
「うわあ……」
 宝物だ。
 宝物だ。
 徐々に興奮してきて半開きの指をしっかり閉じた。
 文字通りの宝物を手に入れて飛び上がりたいほどだった。この隙間にはやっぱり不思議な何かがあるんだ。


 僕は満足しなかった。


 手に入れた宝をポケットにねじ込んで冒険者を待ち受ける洞窟へ、もう一度手を差し込んだ。
 今度は何だろう。
 金貨かな?
 宝の地図かもしれない。
 不死身の薬だ。
 空想は無限の世界を作り出した。
 ほんの一瞬のことだったが。


 腕が固く動かなくなった。
 何か引っ掛かっている。
「?」
 首を傾げて動かなくなった腕に力を込めた。
「あっ」
 物凄い力で身体が前に吸い寄せられた。腕は肩まで呑み込まれ、顔と胸をタンスにぶつけた。それでも引っ張られる力が弱まることなんかなくて、みしみしと肩の関節が軋んだ。
 息が詰まる。


 ぎりぎりと、「何か」が僕の手首を掴んでいた。


 呼吸が荒くなる。
 振りほどけない。
 助けを呼ぶ声も一人っきりの部屋に響くだけだ。


 生暖かい息が
 耳元に吹きかかり
 低い
 声がした。








返せ








 何のことを言っているのかすぐに分かった。
 僕は片方の腕でポケットを探って、取り出した指輪を隙間の中に放り込んだ。
 随分と遠いところからカキンという音がした。
 ふっと力が抜けて、僕はずるりと隙間から腕を抜き出した。どっと汗が吹き出た。


 引越しをした時、家具を動かすのを僕はじっと見ていた。
 本当は「『何か』が出てくるよ」って教えたかった。だけど、信じてくれないから言わなかった。




 運ばれた家具のあとに残ったのはただの壁だった。

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