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>労組の旗で問題になっているのは、「所属のみ」の幟などです。労組が持ってくるのはほとんどがそれですよ。
ですから、「所属のみ」で他になにもアピールしない団体なんてありませんって。
ですから旗をもってきても、問題ないと申し上げているんです。
>もちろん公道ですから、何をやろうと我々が止めることはできません。しかしそういう人達は、「反原連の呼びかけに応じ」て来ているのではないということなので、そもそも関係がない人たちですよね。その人たちにとって我々は「主催」ではないです。たまたまそこを歩いている人とか、カウンターをやりにきたネトウヨとかと同じようなものでしょう。
>だから私は旗を下ろしてもらう交渉をするときに「この呼びかけに応じて来ましたか?」と必ず確認します。官邸前の先頭に近い隊列にいながら、「違う」と言い張る人とかもいますけどね。そこまでして我を通したいのかと呆れてしまいます。
まぁ、「主催者」がどう判断されるかは自由です。どうぞ自由に「呆れ」てください。
呆れるだけならそれで結構です。それ以上、変に統制されるのは困りますけど。
それに「主催者」といっても、あくまでも「呼びかけ人」に過ぎないわけですから
主催者の判断イコール全体の判断ではありませんね。いろんな所で主催者への批判も起こっております。
私も週刊ポストの記事を読んで「こんなのが主催者面して仕切ってるのか」と呆れましたね。
>「猫性」ってなんですか。要は、ネズミをとらなくても猫は猫ってことで、旗はあってもなくてもいいんですよね?
ああ、それは「主体性」にひっかけて言っただけですよ。
その事を理解してもらえば次のように言い直してもぜんぜん構わない。
> ■まっぺん「猫はネズミを捕らえます」
> ■野間さん「じゃあネズミを捕らえるのはみんな猫ですか」
そういう「余談」はさておいて、
主体性を獲得した労組は旗を持ってくるからといって
旗を持ってくるのはみんな主体性を獲得している」という理屈にはならない、
という数学の初歩的論理、ご理解いただけたでしょうか?
太っている人は体重が重いからといって体重が重い人がみな太っている
とはかぎらないのもおわかりいただけましたか?
身長が高ければふとっていなくても体重は重くなるのです。
言い換えれば、体格がよこに大きい人は「体重が重い」というひとつの結論しかないが、
体重が重い人には2種類あって、「よこに大きい人」と「たてに大きい人がいる」ということです。
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