チェルノブイリへのかけはし

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3グレイのエビデンス

8月 18th, 2012 · 12 Comments

「よもや広島の医者が、嘘をつくなんて‥」と、ベラルーシのゴメリ州の体育の先生から言われたとき、言葉がなかった。教え子が甲状腺がんになり、先生は助けの神が来たと思ったのに地獄に突き落とされて悔してくてたまらない。
できすぎた推理小説よりも、現場で起こっていることのほうが奇っ怪だった。
広島の苦しみを知っている医師が住民を裏切るワケが、ないという、ド庶民の思い込みをざっくり裏手にとって。
広島の医師である重松氏が、チェルノブイリアフター5年で、彼の得意の「風土病説」をIAEAの名のもとにふりまいていったことが、のちにベラルーシの子供たちの甲状腺がんの激増を予防できなかった、取り返しのつかない過ち。
チェルノブイリ事故まえは、小児甲状腺がんなんてなかった!と叫ぶ体育の先生に、言葉もなかった。
(内部被曝を生き抜くのスモルニコワ先生も同じ事を言っている)
子供がだいすきで、体育の先生だけを呑気にやっていれたら、彼の人生はどんなに幸せだったんだろう。
よその民族の未来をになう子供たちに、意図的な誤診を遺して、病気を予防させる措置を取らせなかった。
なんて恐ろしいことを。罪深い。
そのわざわいが日本の子供たちにかからなければいいけれど、と幾度となく思った。
そして、今度は長崎の医師がさっそうと福島に乗り込んで「1マイクロシーベルトまでなら外で遊んで大丈夫!」(通販生活)をいまだにふりまいている。この先生とこの雑誌はグルだとしかいいようがない。
私は、イライラする。
どのくらいの土地の汚染のところで、子供たちが小児甲状腺がんになったのか、この人や雑誌は知っているはず。
何度もゴメリに行き、医薬品の寄付もしていて、その数値が現在の福島県の80km圏内よりはるかに低い。
しかも、チェルノブイリは10日間で、消化され、空間線量は一気に下がった。
日本はいまだに電離放射線・放出中!
0.5マイクロシーベルト/hのようなところで、子供が遊んでいるのをみたことがない。廃村に近い数値。
なぜ、1マイクロシーベルトで大丈夫だと長崎の医師が言えるのか。
根拠がないなずだ。みんな具合悪くなって避難したのを知らないのか。
さらに、「3グレイ(昔の単位をなぜか使う)の被ばくをしなければ甲状腺がんにならない」、という定義にもはなはだ疑問を呈したい。
人間の抵抗力や放射能に対する個体差をいっさい考慮していない。
私が聞いている限り、チェルノブイリ事故のとき、大半のゴメリ州の人達は事故そのものを知らなかった。ごく一部、シャラポワの両親は妊娠中でロシアに逃げられたけれど、他はほとんどが、事故から1週間後メーデーに参加させられた。
その人達の中で甲状腺がんになった子供が「3グレイの被爆をしていた」などという証拠があろうはずもない。
今、私達日本人がどのくらい被ばくしたか言える人間がいるか?
事故のときのどさくさで、チェルノブイリのすぐそばの住民などが移住の前に計測されたけれど、その数値は軍隊が捨ててしまったとか、どこかへいってしまったという話の方が多い。
しかも、ゴメリ州の汚染は広範囲で、数値もばらつきがあり、当時、測定機械も足りず、計測しきれていなかった。
チェルノブイリは消火され10日後、空間線量は激減し、土地の汚染だけが残った。その数値は、何度も言うように、今の関東圏の汚染に近い。
重松氏をはじめ、山下氏は、事故直後に現場に入っていないわけだから、被曝量の測定などできるわけがない。
後にガラスバッチをつけて一部検査していたけれど、相当低かったはずだ。
当時、子供たちは学校に集まって、学校で半年ぐらい軟禁状態だった地域もあるとわかりました。
いわゆる屋内退避、そして、ロシアの遠方からの非汚染食料の大量輸送。
事故から半年間、汚染のひどいものを食べなくて住んでいる。
汚染されたミルクを飲んだから、と山下氏はいうけれど、本当にそんなこと原因として特定できたのか?
水も何もかも汚染されたのではないか?もちろん、空気からも吸い込んだ。
そして、彼は言う。
100ミリシーベルト被曝して5%の人しかガンにならないんですよ~。
それだって、アメリカ製の数値だ。3グレイとい、なんだか私達が確かめようのない数字を持ってきて、けむにまいて安心させようという、心遣いは、ありがた迷惑。
あなたのお心遣いははっきりいって、間違っている。
私達を油断させて安心させるのではなく、病気にならないように予防させてほしい。
この男に同調している医師たち、医学界にはっきりいって、弓を引きたい。
医師会、崩壊してほしい。教育委員会同様、子供の健康にも成長にも寄与しない。
ベラルーシの科学アカデミーが、旧ソ連崩壊後、IAEAと喧々諤々やりあった話を聞いていた。
当時の、私には理解する力がなく、その科学者の無念さを受け止めてあげられなかった。
IAEAのパリの会議にかけつけて、発言がゆるされず、日本の広島の医者が知ったかぶりでひな壇で嘘ついているのを、後ろでバカヤローと叫んで、上司にみつかって2人でウオッカを飲んだというオチ。
その悔しさや憤りががいまならわかる。
国連もグルです。どんなに大きなものが、私達を真綿で窒息させようとしているか。
ここまで大きいか。
北方領土に政治亡命したほうがいい。
ありえないほど高い数値のところに何十万と置き去りにされている子供たちがいる。
あちらは旧ソ連の基準だから、年間総被曝量1ミリシーベルト超えたら被ばくしゃとして認定される。
年間総被曝5ミリシーベルト以上なら強制移住、その間の数値でも、移住希望が出せる。
もう一度、あの島が日本人であふれてもいいかもしれない。周囲の海に汚染が迫るまでの数年間は。
わけのわからない狂った医者に、国連ぐるみで殺されるよりマシ。だとつくづく思う。
まじに子供たちだけでも、亡命させたい。


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▼コメント

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山下俊一は昨年3月の講演で「100マイクロシーベルト/時をこえなければ、全く影響を及ぼさない。5とか10とか20とかで外に出ていいのは明らか」と言っていましたね。
その後批判を受けて、「100を10と間違った」と訂正しました。
(後半部分と矛盾するのが笑える)

まぁもう、数字はてきとーに言っているんですね。お遊びです。気が狂ってます。


 

避難して一年以上経ちますが 自分や子供、そして未だ仕事で残る主人は いったいどれくらい被爆させられた(ている)のだろうと 考えます。被爆者認定で全ての検査を受けたいです。よい医師になら 実費ででも。


 

野呂さん、いつも心の支えに読ませていただいています。
夏休み、実家(横浜)へ何度か帰省したのですが、帰省中ご飯の度に放射能の話で喧嘩になり、自宅(川崎)へ帰るということを繰り返し、心もぼろぼろになってしまいました。親子の縁が切れそうです。というか、切っても良いような思いになってしまっています。
スーパーでの買物は毎回、エアカウンターを使って食品一つ一つを測ってから購入しています。放射能の入っている食品がどれだけ多いことか。入っていない食品を探すのがとても大変です。北海道と書かれていても、産地偽装されているのかエアカウンターの数値が上がるので、もうスーパーの書かれている産地は信用できない。魚もお肉も野菜も、加工食品も。買物に2時間くらいかかって、やっと少しの食事が買える、食べられるものが少なくて、本当に戦後のようだと、真っ暗な気持ちになります。周りの人は、気楽に買物をしていて、自分だけが隔離された気分です。だれか、気持ちを分かち合える人が近くにいてほしいです。戦後は、みんなで助け合えたのでしょうけれど、今は放射能の話は友人にもできなくなってきてしまいました。野呂さんのブログを読むとこころが暖かくなります。現実の生活の場は、一人孤独で辛すぎます。。


 

山下俊一は幸せなのかさん、たぶん、彼は私達のことを実験動物だと思っていると思います。私達のデータを見ることがかれの幸せなのだと、このごろ思います。


 

yuyuさん、辛いね、本当に。でも、貫ける自分を褒めて励まし続けるしかないです。いまがいちばんつらいかもしれない。わからない親は、すぐにはわからない。
これまで生きてきた時間で積み上げてきた価値観ををひっくり返す、その怖さにみんな怯えている。
理解してもらえなくても辛いと思わないで。でも、
一人でもそういう人が増えていかないと、子供たちを助けられないから、自分のためだけにがんばっていると思わないで。
今、やっていることが未来を変えている、自分の、そして日本の。
だから、未来はどんどん変わっています。辛い中でも、辛いところに集中しないで、アロマでも炊いて寝よう!


 

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1497.html

インターネットの自由が奪われる法律が こっそり可決されそうらしいです。 阻止せねば。


 

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野呂さん、関東から関西に母子避難して一年になります。体調はかなり良くなったけど、子どもも私も、仕事の為に関東に一人残る夫も、心はボロボロです。こんな思いをしても、避難している意味はあるのかと、自問自答の日々です。死んだ様な毎日を送るなら、いっその事関東に戻って、家族一緒に過ごそうかと、、、


 

野呂さんのお陰でEMを知ることができました。
本当にありがとうございます。

えいや、と始めたゴールドの塗布と飲用。
始めは初期反応で頭痛等あったのですが。
その後、ひどい倦怠感の緩和、粘膜の炎症が良くなる等・・。あ~これからきっと頑張っていけると感じています。

・・ありがとうございました。


 

mikaさん、だとしたら彼はとても哀れな動物ですね。彼はこれからも、どんな結果を手に入れても、きっと、決して満ち足りることができないのですから。地獄の餓鬼のようです。
まぁ、哀れには思っても、同情はしませんが。

私は自分の子どもが真っ当な道を歩んで幸せになれるようにと、願います。祈ります。


 

『多くの分野で現代科学が主張しているように、全体はその部分の単純な集合ではない。部分の組みあわせとその相互関係が、あたらしい全体をその結果としてつくるのである。火薬はただの硫黄と炭素と硝石のよせあつめではない。自然状態におけるこれらの物質の形状や性質をすべて知っていても、火薬の性質を示すことにはならない。要素のなかには存在していなかったあたらしいポテンシャリティが、合成の結果あらわれてくるのである。そしてその行動様式は、おなじ要素のほかの組み合わせの場合とは、まったく変化したものになってしまう。』
「文化の型」(原題 Patterns of Culture)ルース ベネディクト著 米山俊直 訳
この言葉に出会った時は、ただその美しさに感動したのですが、いまでは未来の不確定性を示唆する希望の言葉、自分の背中を押して勇気を与えてくれる言葉になっています。
「エビデンス」と意味も解らず唱える連中は、その頭の悪さを呪え。(悪知恵とずる賢さは超一級品だけど。)
ちなみに、前掲部の直前には『ちょうど一人の個人のように、ひとつの個別文化はいわば思想と行動のともかくも一貫したパターンなのである。』と指摘したうえで、『このような個別文化のパターンの形式を、不必要なディテールであるかのようにみなして無視することはできない。』という言葉も。


 

トムさん、ご主人ともう一度、家族の姿を話し合ってみてください。自分たちの未来をどうやって描くのか。緊急避難はしたけれど、夫婦が離れていればやはり、精神的に苦しい。戻る以外に選択肢があるのかないのか、ご主人と何度も何度も話し合って、自分たちで結論を出していくしか無いのです。事故の影響は20年以上は軽く続きます。まだ、序章です。


 

1234さん、難しい文章ですが、部分のエビデンスに固執していては全体が見えないと解釈していいのでしょうか?