アスカ・バーディラッシュ!
Hole No.1 アスカの決意、ゲンドウの条件
第三新東京市の郊外にある一軒の家。
表札には洞木と書かれている。
リビングで洞木ヒカリは拳を握りしめて、テレビのゴルフの試合中継を食い入るように眺めている。
「さあ、最終18番ホール。惣流選手は後半追い上げて、ついにスコアがトップの綾波選手と並びました」
実況アナウンサーの声に熱が入ると、ヒカリのテンションも上がって行く。
「打ち降ろしで惣流選手がグンと飛距離(キャリー)を伸ばし、グリーンまで残り100ヤードを切っています。綾波選手は距離を残しましたが、彼女なら大丈夫でしょう」
「くっ、綾波さんもなかなかやるわね」
「全く……委員長が戦っているわけやないんやから」
力を入れて歯を食いしばるヒカリの姿を、一緒に観戦していたトウジとケンスケは少し引いた感じで見守っていた。
「両選手とも2打目でグリーンに乗ることは確実。どれだけピンに近づけることができるかが勝負ですね」
「フレー、フレー、アスカ!」
ヒカリが応援に熱を入れるのも、彼女の親友である惣流・アスカ・ラングレーがゴルファーとして試合に出場しているからであった。
この試合にはアスカの一生が掛かっていると聞かされていたヒカリは、トウジとケンスケが怖いと感じるほど強くエールを送る。
「綾波選手、第2打を打ちました。おおっと、これは寄りそうです! ……な、何と入りました、チップインイーグルです!」
ゴルフとはゴルフクラブでボールを打って、なるべく少ない回数でゴール地点であるカップ(ピンとも言う)にボールを入れた方が勝ちと言うスポーツである。
各コースは長さによってパー3、4、5と決められている。パーより1打少ないとバーディ、2打少ないとイーグル。
今回の勝負ではアスカが2打目で入れてやっと引き分け、入れられなかったらアスカの負けが決定してしまう。
「綾波さん、いくらなんでもこんな時にファインプレーなんてする事無いじゃない!」
ヒカリはテレビに向かい、相手がまるで親の敵みたいに怒鳴った。
トウジは自分がふざけて叱られる時よりも迫力のある表情だったとケンスケに話していた。
その頃――第三新東京市から数百キロ離れた空の下、ゴルフ場のコースでアスカはあふれ出しそうになる涙を必死にこらえていた。
あれだけ素晴らしいショットを決めても微笑みもしない目の前の綾波レイの姿が憎らしく思えた。
スコアでレイに追いついたアスカは希望で目の前が明るくなったような気がしたが、今は前よりもさらに重い暗闇が広がっている。
レイに勝つなんて無理だ、そんな絶望にアスカは捕らわれそうになった。
しかしアスカには絶対に負けられない理由がある……それはこの試合中にゲンドウとレイの間で交わされた約束が原因だった。
「シンジは、これからもずっとアタシのキャディなんだから……!」
アスカは気力を振り絞って、レイをにらみつけた。
シンジとアスカは両親公認の仲の良い幼馴染、ゲンドウがシンジに熱心にゴルフを教える姿も小さい頃から側で見て来た。
昔はオジさんのスポーツと見られていたゴルフも、若い世代のプロゴルファーがテレビのコマーシャルに出演するなど世間のイメージが変わっていた。
アスカもシンジの見よう見まねでゴルフの練習に参加したりしていた。
将来はアスカもプロゴルファーになると話していたが、本人も周囲も冗談だと思って笑っていた。
しかしゲンドウが暴力事件に巻き込まれ、ゴルフが出来ないほどの大怪我を負ってプロゴルファーを引退すると環境は大きく変わる。
退院したゲンドウは力を入れてシンジを鍛えるようになり、シンジもゲンドウの期待に答えようとした。
シンジは中学生の頃から様々な大会に出場するが努力も空しく、散々な結果に終わってしまう。
どうしても本番でシンジは緊張し過ぎて実力を出せないのだ。
相次いで話題になる高校生ゴルファーの登場にシンジは焦りを感じ始めた。
「やっぱり僕には無理なんだよ……」
そしてついにプレッシャーに耐えきれなくなったシンジは潰れてしまったのだ。
それからシンジのゴルフの練習はピッタリと止まり、シンジは毎日を無気力にダラダラと過ごすようになった。
ゲンドウもそんなシンジの姿を見て怒鳴ってばかり。
アスカも無気力なシンジでは無く、頑張っているシンジが好きだった。
そこで決心をしたアスカは碇家に乗り込んで宣言する。
「シンジの代わりに、アタシがプロゴルファーになるわ!」
「そんな笑えない冗談をわざわざ言いに来たのか?」
ゲンドウがそう言い放ってアスカをにらみつけると、アスカは怖くて震えそうになった。
「アスカちゃん、プロゴルファーになると言うのはお金も時間もかかるし、大変なものなのよ」
ユイはアスカに厳しいプロゴルファーの現状を話す。
プロゴルファーは試合が行われるゴルフ場への交通費はもちろん、宿泊するホテル代やキャディの料金も全て自己負担。
勝てば賞金が貰えたりスポンサーが付いたりするが、敗者には冷たい世界なのだ。
「アタシは本気です」
しかしユイの話を聞いても、アスカは引き下がらなかった。
「……分かった、君がプロゴルファーを目指すのならば支援しよう」
ゲンドウが低い声でそう答えると、ユイは驚いて息を飲んだ。
「ただし条件がある」
アスカは固唾を飲んでゲンドウの言葉を待った。
「来年の春、毎年恒例になっている市民ゴルフ大会。そこに『綾波レイ』という今最も注目を浴びている選手が参加する予定だ」
「綾波レイ……聞いたことあるわ。今年の賞金女王争いで話題になっている高校生ゴルファーだっけ」
「彼女に勝て。さもなくばプロゴルファーになるのは諦めてもらう」
今をときめく高校生ゴルファーにスコアで勝つなど無理難題だ。
ユイはアスカに諦めさせるためにゲンドウがそのような事を言ったのだと思った。
しかしユイの予想に反してアスカは目を輝かせてその条件を受け入れると、シンジの部屋のドアを思い切り叩く。
「ほらシンジ、いつまでも隠れていないで出て来なさい!」
「アスカがプロゴルファーを目指そうが、僕には関係無いよ」
「しっかり聞いていたのなら話は早いわ、シンジはアタシのキャディをやるの」
「どうしてだよ」
「お金の節約のために決まってるじゃない、明日から頼むわね!」
アスカはそう答えると、碇家を出て行った。
部屋から出てぼうぜんと立ち尽くすシンジに、ゲンドウは声を掛ける。
「お前が試合で実力を出せないと言うのなら、それも仕方ない。だが、お前はゴルフについて知識と経験は積んだはずだ」
「父さん……」
「シンジ、キャディもゴルフをするうえで大切な役目よ。アスカちゃんの気持ちを無駄にしないように頑張りなさい」
「うん、分かったよ」
ゲンドウとユイの前でそう答えたシンジはすっかりやる気を取り戻していた。
「でもアスカは僕を立ち直らせるためだとは言え、無茶がすぎるよ」
「いえ、多分それだけじゃないと思うわ」
「そうだな」
ゲンドウはアスカがシンジの後について練習をしているうちに、ゴルフに興味を持った事を見抜いていた。
そして次の日からレイに勝つための練習が始まったのだった。