火論:多様性と寛容の姿=玉木研二
毎日新聞 2012年07月31日 東京朝刊
異質なものを異質なものとして共存し、互いに受け入れるというのは容易なことではない。面倒だと、むしろ無関心という思考停止になる恐れがあるし、既に私たちの社会には、その兆候が表れてはいないだろうか。
思考停止はきめつけに転じやすく、不信と恐怖、憎悪を増幅していく。映画は痛ましいまでにそれを描く。
だが多様性や寛容というものは、何も容易に手の届かぬ遠い理想ではない。ふと思わせるこんなことがあった。
上映館でちょっと不具合が生じたか、冒頭しばらく映像が消え、音声だけになるハプニングがあった。館内真っ暗の中で、事件前の穏やかな日本語、ポルトガル語の会話、自然な笑い、鶏の鳴き声、街のさざめきなどが流れた。
結局、最初に戻って上映し直しになったが、あの和みを感じさせる雑然とした音と空気の中にこそ、多様性や寛容というものが姿を現しているのかもしれない。人はそれに気づかなかったり、あっさり忘れるらしい。
思わぬ真っ暗闇が考えさせてくれた。(専門編集委員)