<世見> 2011/06/05

私がお逢いする不思議な世界の皆様はどなたもお名前を言われないので、私がお名前を付けさせて頂いています。
いつも風呂敷包みを脇に抱えて来られる方は「風呂敷おじさん」、
ブルーグレーの目をした太めのおばちゃまは「ブルーグレーのおばちゃま」、
中国四千年の歴史と云う前振りがお好きなので「中国四千年のおじちゃま」と呼ばせて頂いています。
未だ数名の方がおられますが皆様、個性がありお話の仕方も違いますが、日本語でお話をしてくれています。
私が体験する事を今は何一つ証明出来ませんが、いつの日にかどなたかとご一緒してお話が聞けたらどんなに楽しいかと思うようになっています。
ただ、自分が書く内容を後で読んで見ると「誰が書いたのだろう」と思う時があり、そんな時は心の中でワクワク感が広がり、嬉しくなります。
だって、不思議な世界の方とお話が出来た証のような、その方の存在を改まって感じられるからです。

今日は朝からニヤケ気味です。理由は分かりません。
「サァて、何を書かせて下さるのやら?」
「聖徳太子のお顔って、あんなに優しい顔立ちではなかったのです」
いきなりこんな事を書いてしまった。
「あの聖徳太子は中国からやって来た絵を真似て、後に描いた作品です」
こんな事も書いてしまった。
「法隆寺と云うのは見事な謎に包まれていてなァ。皆が若草伽藍と呼んでいる寺には釈迦如来像があった。釈迦如来や大日如来は仏様。神道は共通の祖先から出たと考えられる人達の集まりである氏神様を祀ってあり、それ故、氏によってお参りをする神様が違うのだが、ここでだ、皆が興味のある話を伝えておこう。聖徳太子が建ててはいないがあの法隆寺は寺ぞォ。氏とは原始社会で同じ先祖から出た血族の集まりの事を氏族と云い、あの時代は同じ祖先から分かれたと信じる者達が多くいた。それ故に彼の血に問題があって天皇にはなれなかったと云うのが答よ。だが、その事を知れる証拠などは今後も見付かるまいが、若草伽藍にあった釈迦如来の光背をもう一度調べろと言いたいのオ。」
あれ、この話し方って、中国四千年のおじちゃま。
まァいいか。
今日はお声だけで十分です。
「仏像の光背には生きておる者の思いが詰まっている。彼の最期を悲しむ者の心があそこにはある。聖徳太子が謎だらけの人物である事は知っているなァ。
彼は50才を待たずに、47才で死んだ。用明天皇の皇子で名は(○この字が見えない。○戸豊聡耳 何と読むのだろう?目の前に字が表れたが○が分からずにいた)うまやどとよさとみみ、と言ってなァ」

「変な名前」と思った時、ピンポーンが鳴ったので玄関に行くと「ケーブルテレビの工事で暫くテレビが見られなくなる」と言われたが、そんな事より早く続きが書きたく、元に戻って鉛筆を持ったが、次が書けなくなったと云うか、何も聞こえなくなってしまった。
凄く残念です。

「聖徳太子」「うまやどとよさとみみ」かァ~。
あの頃の名前って、おもしろい。
確か、馬子って云う人もいたように思う。
是非、近い内に続きが聞きたいと心の中で叫んでしまった。