「再稼働反対」「原発反対」「子供を守れ」と叫び、太鼓叩いて超炎天下をウォーキングする脱原発デモ。この行為によって変わることって? そして、その意義は? 『キャタピラー』や『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』などの過激な作品で知られる映画監督・若松孝二氏に話を聞く。
***
世界ではデモから革命が起きるわけで、そこに意義がないわけはないんだよ。しっかりデモについて国民全員が本当に考えてやれば、革命ってのはそうやって起きるもの。むしろ今こんなことになっているのは、日本の選挙民がバカで、くだらない国会議員を出してきたからでしょう。
それは僕たち年寄りにも責任はあって、例えば原子力発電所をつくるときにも反対はしたよ。「つくるなら東京湾につくれ」って言ってきたけど、結局は原発を誘致することで、地元はお金もらって、それがなければ立ちゆかないような思考停止に陥れられ、ほとんどシャブ漬けと同じだよね。
今だって、世論がこれだけやめてくれって言ってるのに、止まらないのは、なんらかの形で恩恵を受けている人がたくさんいるからだよ。
でも、かつては、それこそ原発なんて「クリーンなエネルギー」ってことで大々的に賛成されたわけでしょ。環境破壊だのなんだのが都市部で大問題になったりして。じゃあ、使用済みの核のゴミはどうするんだって、最大の問題が置き去りにされたままで。どこがクリーンだって話だよ。
今のデモは女性や子供が多いんでしょう? だったら子供を前面に出してでもどんどんやればいい。それで機動隊にでも突っ込んでいけば、やつらもいくらなんでも子供を殴るわけにいかないんだから。「反対」って、体を張らないと反対なんかできないよ。
70年安保闘争のときなんて、あれだけ国会にまで突っ込んで、人が死ぬくらいまでやって、みんな体張って捕まったり、ハイジャックもやったよ。赤軍派は北朝鮮とかアラブに行って、俺の助監督をやってたやつなんか、まだ無期懲役で入ってるやつもいる。でも、彼らは未熟だったかもしれないけれど、同志粛清までやりながら何かをやろうとした。それが今の政治家は根拠がすべてアメリカにあるでしょ。全部アメリカに吸い上げられているのに、国民はそれに気づかなくて「東電が儲けてる」って騒いで、わかってないんだよ。
ただ太鼓叩いて歌って、自分の政治生命のことしか頭にない政治家のやつらが来たことを喜んで、今のままじゃミソもクソも一緒だろ。本当にデモをやるんだったら、政治を変えるくらいのデモをやらないと、みんなでツイッターしながらやったって権力側はちっとも怖くないぞ。むしろ警察はそこで機動隊の予算とれるしさ、反対に喜んでるんじゃない?
最も効果的なのは政治家が怖がるデモをやることです。政治家が一番怖いのは選挙に落っこちることなんだから、地元でデモをやって必ず次の選挙で落とすとか、そういう明確な目的を持ってやる。
おそらく、100万人以上のデモになったら政治家はビビるだろうな。まずは日本の人口の1%の人たちがデモに参加する。一斉に、全国で100万人くらいのデモが起きれば怖いでしょう。
さらに、最低100万人で、全面的にストライキもやればいいんです。要するに、周りから恐怖を感じさせることが重要だと思うよ。
環境問題だけじゃなくて、革命だって「100年先のことを考えてやれ」って言うの。今、革命を起こそうと思ってるやつらがね、自分たちの目が黒いうちに実現させようと思ったらダメ。「後世のために何かやっていこう」と思ってやるやつらがホンモノでしょうね。今の動きが一過性じゃなくて、そういうホンモノのやつらが育っていくと面白いと思ってます。
(取材・文/有太マン、撮影/井上太郎)
■若松孝二(わかまつ・こうじ)
最新監督作『千年の愉楽』(今秋公開予定)のヴェネツィア国際映画祭への出品が決定。カンヌに出品された『11.25自決の日三島由紀夫と若者たち』が全国公開中