被害者意識、正当化
明日は報道特集が放送される予定である。以前読売新聞でも特ダネでもSAPIOでも、出演後に神頼み的受診する人が多かったので、ここできっちり書いておくことにする。テレビはいいとこどりしているだけだと理解してもらわねば困るし、放送を見た後このブログにたどりつく人もいるだろう。その人はまずこの文を読んでもらいたい。そしてそれでも来たい人だけが来てもらえばよい。嫌な人はお近くのよくお話を聞いてくれる精神科医か、今の主治医に減薬でも頼んだ方がよい。ま、所詮どうにもならないまま飼殺しになるだけだろうけど・・・
もし放送後に全く事情を知らなかった人がこのブログを見たなら、精神医学を全否定しているような部分をよく読んでからかかって頂きたい。せめて精神薬が覚醒剤や麻薬であることを同義と理解し、その上でかかって頂きたい。精神医療の被害者は様々なパターンがあり、様々な正当化をする。そのすべてが事実を無視している事を理解してからかかって頂きたい。私は著書にも書いているが、精神医療の問題は精神科医や製薬会社はもちろんのこと、患者も家族も悪いと思っている。そんなキチガイ医者のもとにかかるのだから並大抵の覚悟でかからないでほしい。
患者は多くが精神薬を欲する。多くは減らしてくれることを望むが半数近くはゼロにすることを望まない。精神薬も使い方次第とか、精神薬を必要とする人もいるとか、安定する人もいるとか、どうでもいい理屈を並べ、それでいて治りたいとか良くなりたいとかいう妄想を並べ、よりよい精神医療を正当化しながら、ずっと精神科医にかかり続ける。覚醒剤や麻薬まがいなのだから、一時的に見せかけ上治った人間がいることなど当たり前。目先の利益を追い続ける人間になど興味はない。それがすでに精神医学による洗脳であり、生殺しであり、飼殺しであることに気付いていないのなら、そのまま牧畜されていけばよい。そういう人はまず精神薬が、覚醒剤や麻薬と同義であるということを、科学的に医学的に歴史学的に否定してからモノを述べよといいたい。もう少し考えよといいたい。いまだこの単純な事実を否定した人間が、精神科医はもとより製薬会社から患者や家族に至るまで、ただの一人としていないことは笑い話でしかない。ニコ生動画のコメントみたいに「麻薬だからなんだ」と開き直った方がましだ。私はそのような覚醒剤や麻薬まがいの薬を飲むべきと思うことは全くない。どんなに譲っても錯乱している時の強制的鎮静薬以上の価値はないのである。受診すべき人は、それが薬害であり飼殺しであり詐欺であることを理解できる人、知りたい人だけである。私が本気で相手するのは、本気で薬を抜きたい人だけである。手とり足とり教える気などない。そんなことしても薬が抜けないのは覚醒剤や麻薬の観点からも明らかだ。自分で理解し勉強した者しか、本物の覚醒剤や麻薬は抜けるはずもない。
私は子供だけ薬を飲んでいる親には絶対に容赦しない。それはどんな理屈をこねようと何十回も書いてきたように虐待でしかない。自分の都合で精神薬を飲ませた者、自分の育て方の悪さを疑いもしない者、治療や薬や精神科とは何なのか全く調べようともしない者、自分の子供だけ発達障害などとつける者、誤診という言葉に満足する者、当事者を無視して勝手に薬を増やしたり減らしたりする者、まず親=自分を優先する者、親=自分は悪くないと正当化する者、そのような者たちすべてが敵である。薬を飲まされた多くの当事者たちはそう思っており、減薬すればその憤怒はまず親に向かっていくのである。私はあらゆる親にその言葉をぶつけてきた、そして真に反省して薬を飲ませたことを、子供に120%謝罪することができたものだけ診療している。家族会でも作って自分たちを正当化したい輩たちは、優しく話を聞いてくれて薬を出してくれるお優しい精神科医にまたかかればよい。ある親はこのように自分の気持ちを語った。「私は赤ん坊に毒を飲ませていたことに気付き、自分の腕を斬り落そうとする夢を見る」。自分のしてきたことに本当に気付き、減薬や断薬に対して親が自分を投げうち、騙された不条理と正面きって闘うことができないのなら、親の存在価値などない。例え精神科医にだまされていたとしても、その後にとる行動は天と地ほど違うのである。そういう親だけが子供の断薬を達成することができる。私は身を投げうつ気などさらさらない。私が身を投げうつのは自分の子供に対してであり自分の伴侶に対してだけである。
精神科にかかる患者は全て被害者である。それは間違いない。しかし前述したように自分の意志でかかったなら、それは詐欺にひっかかっただけである。ある人が金銭詐欺で引っ掛かった時、テレビで見たあなたはどう思うのか?「だって自分も下心あったから引っ掛かるんでしょ」と多くの人が思っている。同じなのである。ではその詐欺を振り返り被害者意識から決別し、有意義な人生を歩める人はどうなのか。その詐欺にかかった己の甘さを恥じて反省し、完全に精神科と決別し精神薬と決別しうる者だけが、被害者という枠から逃れることができる。真の意味で精神科から卒業することができる。それができない人は結局少量の薬は必要だろうとか、私は悪くないとか前述のような理屈を並べ、「彼ら」に闘いを挑もうとはせず、結局また「彼ら」に飼殺されることを望む。元の病院に戻ったり人に依存したりカフェインや鎮痛剤などに依存したり、自分や他人を精神科に逆戻りさせたり、減薬断薬の邪魔をしたり、自分を認めてほしいがために意味不明な行動をとるようになる。
精神科を卒業すること、私の診療を受けること、この世で生きていくということは、この世がどれだけ悪と嘘に染まっているかを理解し、それらに対抗するために自分を鍛えていくことである。世知辛い世の中を生きていくために、非道な人間に自分を育てていくということである。私のクリニックに聞こえのいいフレーズは存在しない。癒しも受容も存在しない。癒しや受容が欲しいのなら私の部下の臨床心理士にでもかかればよい。
最後にブログ(カッコーの巣の中で)リンクしている真記さんの言葉を紹介する。題して「メンヘラの御託はもう飽いた」・・・イヤ、全くごもっとも。だからこの方は卒業することができたのだ。
「精神科によって救われた人もいる、私の主治医は親身になって治療してくれる、精神科を受診しなくては自○していた。それらの人を甘えと否定するのか」
・精神科によって救われた人もいる
ソースください。もしくは名乗り出てください。精神科に通院し、クスリを服用し、その症状が消えるまで(完治)にいたるまでの期間と、治療を終えた人たちの正確な数のソースをください。
・私の主治医はそんな人ではない
人前で俺は詐欺師だぜグヘヘ、いまからお前をヤク漬けにしてうまい汁吸うぜというアホが何処に居ますか。
・精神科を受診しなくては死んでいた
受診して死んだ人のほうがはるかに多いですが。
・それらの人を甘えと言うのか
自分だけは「誠心誠意努力して、それでも心を病んだ悲劇の人」だと主張していますが、端から見ればメンヘラなんて皆一緒です。元気にアマゾンでレビューできちゃうあたり、新型うつでも真性うつでもなんでもありません。あー、なんでこういうひとらって、ほんっとに同じ言葉で自己弁護するんだろ。それで治ってればいい。でも、いまだに通院してクスリ服用して、ココロノヤマイーとか言ってる状態を治ったといえますか?治ってねぇじゃん。それ、単に精神科に飼い殺されてる状態じゃん。
もし放送後に全く事情を知らなかった人がこのブログを見たなら、精神医学を全否定しているような部分をよく読んでからかかって頂きたい。せめて精神薬が覚醒剤や麻薬であることを同義と理解し、その上でかかって頂きたい。精神医療の被害者は様々なパターンがあり、様々な正当化をする。そのすべてが事実を無視している事を理解してからかかって頂きたい。私は著書にも書いているが、精神医療の問題は精神科医や製薬会社はもちろんのこと、患者も家族も悪いと思っている。そんなキチガイ医者のもとにかかるのだから並大抵の覚悟でかからないでほしい。
患者は多くが精神薬を欲する。多くは減らしてくれることを望むが半数近くはゼロにすることを望まない。精神薬も使い方次第とか、精神薬を必要とする人もいるとか、安定する人もいるとか、どうでもいい理屈を並べ、それでいて治りたいとか良くなりたいとかいう妄想を並べ、よりよい精神医療を正当化しながら、ずっと精神科医にかかり続ける。覚醒剤や麻薬まがいなのだから、一時的に見せかけ上治った人間がいることなど当たり前。目先の利益を追い続ける人間になど興味はない。それがすでに精神医学による洗脳であり、生殺しであり、飼殺しであることに気付いていないのなら、そのまま牧畜されていけばよい。そういう人はまず精神薬が、覚醒剤や麻薬と同義であるということを、科学的に医学的に歴史学的に否定してからモノを述べよといいたい。もう少し考えよといいたい。いまだこの単純な事実を否定した人間が、精神科医はもとより製薬会社から患者や家族に至るまで、ただの一人としていないことは笑い話でしかない。ニコ生動画のコメントみたいに「麻薬だからなんだ」と開き直った方がましだ。私はそのような覚醒剤や麻薬まがいの薬を飲むべきと思うことは全くない。どんなに譲っても錯乱している時の強制的鎮静薬以上の価値はないのである。受診すべき人は、それが薬害であり飼殺しであり詐欺であることを理解できる人、知りたい人だけである。私が本気で相手するのは、本気で薬を抜きたい人だけである。手とり足とり教える気などない。そんなことしても薬が抜けないのは覚醒剤や麻薬の観点からも明らかだ。自分で理解し勉強した者しか、本物の覚醒剤や麻薬は抜けるはずもない。
私は子供だけ薬を飲んでいる親には絶対に容赦しない。それはどんな理屈をこねようと何十回も書いてきたように虐待でしかない。自分の都合で精神薬を飲ませた者、自分の育て方の悪さを疑いもしない者、治療や薬や精神科とは何なのか全く調べようともしない者、自分の子供だけ発達障害などとつける者、誤診という言葉に満足する者、当事者を無視して勝手に薬を増やしたり減らしたりする者、まず親=自分を優先する者、親=自分は悪くないと正当化する者、そのような者たちすべてが敵である。薬を飲まされた多くの当事者たちはそう思っており、減薬すればその憤怒はまず親に向かっていくのである。私はあらゆる親にその言葉をぶつけてきた、そして真に反省して薬を飲ませたことを、子供に120%謝罪することができたものだけ診療している。家族会でも作って自分たちを正当化したい輩たちは、優しく話を聞いてくれて薬を出してくれるお優しい精神科医にまたかかればよい。ある親はこのように自分の気持ちを語った。「私は赤ん坊に毒を飲ませていたことに気付き、自分の腕を斬り落そうとする夢を見る」。自分のしてきたことに本当に気付き、減薬や断薬に対して親が自分を投げうち、騙された不条理と正面きって闘うことができないのなら、親の存在価値などない。例え精神科医にだまされていたとしても、その後にとる行動は天と地ほど違うのである。そういう親だけが子供の断薬を達成することができる。私は身を投げうつ気などさらさらない。私が身を投げうつのは自分の子供に対してであり自分の伴侶に対してだけである。
精神科にかかる患者は全て被害者である。それは間違いない。しかし前述したように自分の意志でかかったなら、それは詐欺にひっかかっただけである。ある人が金銭詐欺で引っ掛かった時、テレビで見たあなたはどう思うのか?「だって自分も下心あったから引っ掛かるんでしょ」と多くの人が思っている。同じなのである。ではその詐欺を振り返り被害者意識から決別し、有意義な人生を歩める人はどうなのか。その詐欺にかかった己の甘さを恥じて反省し、完全に精神科と決別し精神薬と決別しうる者だけが、被害者という枠から逃れることができる。真の意味で精神科から卒業することができる。それができない人は結局少量の薬は必要だろうとか、私は悪くないとか前述のような理屈を並べ、「彼ら」に闘いを挑もうとはせず、結局また「彼ら」に飼殺されることを望む。元の病院に戻ったり人に依存したりカフェインや鎮痛剤などに依存したり、自分や他人を精神科に逆戻りさせたり、減薬断薬の邪魔をしたり、自分を認めてほしいがために意味不明な行動をとるようになる。
精神科を卒業すること、私の診療を受けること、この世で生きていくということは、この世がどれだけ悪と嘘に染まっているかを理解し、それらに対抗するために自分を鍛えていくことである。世知辛い世の中を生きていくために、非道な人間に自分を育てていくということである。私のクリニックに聞こえのいいフレーズは存在しない。癒しも受容も存在しない。癒しや受容が欲しいのなら私の部下の臨床心理士にでもかかればよい。
最後にブログ(カッコーの巣の中で)リンクしている真記さんの言葉を紹介する。題して「メンヘラの御託はもう飽いた」・・・イヤ、全くごもっとも。だからこの方は卒業することができたのだ。
「精神科によって救われた人もいる、私の主治医は親身になって治療してくれる、精神科を受診しなくては自○していた。それらの人を甘えと否定するのか」
・精神科によって救われた人もいる
ソースください。もしくは名乗り出てください。精神科に通院し、クスリを服用し、その症状が消えるまで(完治)にいたるまでの期間と、治療を終えた人たちの正確な数のソースをください。
・私の主治医はそんな人ではない
人前で俺は詐欺師だぜグヘヘ、いまからお前をヤク漬けにしてうまい汁吸うぜというアホが何処に居ますか。
・精神科を受診しなくては死んでいた
受診して死んだ人のほうがはるかに多いですが。
・それらの人を甘えと言うのか
自分だけは「誠心誠意努力して、それでも心を病んだ悲劇の人」だと主張していますが、端から見ればメンヘラなんて皆一緒です。元気にアマゾンでレビューできちゃうあたり、新型うつでも真性うつでもなんでもありません。あー、なんでこういうひとらって、ほんっとに同じ言葉で自己弁護するんだろ。それで治ってればいい。でも、いまだに通院してクスリ服用して、ココロノヤマイーとか言ってる状態を治ったといえますか?治ってねぇじゃん。それ、単に精神科に飼い殺されてる状態じゃん。