【歴史】武田信玄が家臣にあてた2通の手紙が見つかる 実像を知る手がかりに
1 名前: ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★ []:2009/12/27(日) 09:49:03 ID:???0
戦国武将武田信玄が、家臣の山本勘助にあてた手紙2通が群馬県安中市の民家から見つかった。
勘助の記述は1969年に北海道釧路市の民家で発見された「市河文書」以来で、実像を知る手掛かりとなりそうだ。
山梨県立博物館の海老沼真治学芸員(31)が確認した。いずれも手紙のあて名は「菅助」。
書式や字体は信玄の時代のもので、花押と呼ばれる信玄のサインもある。
1通目は1548年に書かれたもので「忠信無比類次第候」と、勘助の長野県の戦いでの活躍をたたえ、山梨の関所で徴収した金を褒美として与えるという内容。
2通目には「小山田種物相煩既ニ極難義候」とあった。「種」は「腫」とみられ、重い病気を患っていた小山田という信玄の家臣について見舞いに行くように勘助に依頼したもので、1551年に書かれたと推定される。
海老沼さんによると、以前には勘助は軍書「甲陽軍鑑」など江戸時代以降の文書でしか名前を確認できず、存在を疑問視する声もあったが、市河文書が発見され実在に疑いはなくなったという。
▽47NEWS
www.47news.jp
依頼がありました
tsushima.2ch.net
- 2 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 09:49:28 ID:6drQsG+G0
- ホモの嫌いな歴女なんていません。
25秒か。
ちょっとは評価する。
13 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 09:54:22 ID:kmtKx8GV0 >>4
最近はまた 本当に居たんじゃねっていうのが主流になっていて
この発見がまたその説を後押しするってことだな
捏造だって騒ぐひともでるだろうけど
こんな綺麗な子が女の子のわけないでしょ
ってかんじで
こんな有能な武将が居るわけないでしょ
っていう話で否定されたいたのかなぁ
今じゃ前田慶次郎とかも漫画だけをみれば
こんな武将実在してるわけねーって思うようなものと同じかな
19 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 09:57:11 ID:7QEdE8bdO >>4
70年代に墓が見つかったやろ。
存在してたけど、どんな人物かは未だ謎。
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15 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 09:54:38 ID:P5wde5Ij0 >>7
上杉謙信女説って腐女子かゴミ民放とか何かのトンでも妄想説かと思ったら
地元では結構ポピュラーらしくて歴史板でも熱く語られててビックリした
浪漫があるな
27 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:02:42 ID:tUN0WkAM0 >>15
ただ女性は高野山に登れないって言う
決定的反論があるからねえ
つつじがさき館にも行った。
26 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:02:06 ID:QyccN5rZ0 >>12
あの当時いろんな当て字があるから。辞書が無い時代だから書く人が漢字が思い浮かばないド忘れした
場合はそうなる。
260 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:03:33 ID:DPGtncsT0 >>12
当時は普通の書類は音が合ってればおkで当て字しまくりだった
懐かしいな。風林火山最高だった。
31 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:05:26 ID:QyccN5rZ0 >>18
小山田はたしか砥石崩れの時に負傷してたからそのケガからくる
病気だったのかもな。
>>27
あと京都に行った時比叡山いったり、大徳寺行ったり、大坂の本願寺で顕如と
会ったりしてるから。。。
山本山?
29 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:03:17 ID:NciysKaiO >>22
バカ、普通に萌えてるぞ。
よくあるパターンが、
信玄×上杉謙信
信玄×高坂弾正半ズボン
時々、
信玄×勘助
も見かけるがこれは歴女っつうより風林火山腐女子だ。
34 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:08:32 ID:kmtKx8GV0 >>29
信玄は常に攻めなのか
37 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:09:14 ID:KLISi73n0 >>29
なんで高坂弾正www
39 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:10:21 ID:tUN0WkAM0 >>37
いやそれは
ガチらしいよ
43 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:13:36 ID:IslMFz3lO >>37
実際に高坂は信玄の衆道相手でしょ
恥ずかしい手紙も残ってるし
44 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:14:55 ID:QyccN5rZ0 >>37
高坂に信玄が送った手紙があるよ。
「他の男と浮気して御免、ほんとお前だけだから許して」
という内容の。高坂も生涯独身だったなぜかwあの時代なら
戦場に行くと現地のオンナに手を出すとトラブルになるから、性処理とし
て若い小姓を使ってたのは普通だったからな。
73 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:31:14 ID:yMsduV3ZO >>44
更に「もう浮気はしませんという誓紙100枚書きます」と続くのだよ。
まさか信玄も400年以上たっても晒されるとは思ってなかったろうな。
ちなみに北条から上杉に養子に行った景虎は武田でも少年時代人質になってたが
「武田の三郎殿と一度契ったら梨地の鞍のように乗り心地がよかった」
という内容の杵つき歌が現存する。
78 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:34:29 ID:R1MjnqyN0 >>73
なんつう歌でモチつくんだ
100 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:45:59 ID:QyccN5rZ0 >>73
>「武田の三郎殿と一度契ったら梨地の鞍のように乗り心地がよかった」
三郎殿って勝頼のことかな?信玄は長男だったから太郎だったはずだし、弟の信繁なら
典厩殿ってなるから。まあしかし面白いもんだな当時の男色も
>>85
しかも相手の女は「皆あの人はいい人だ」と言ったらしい。まあ当人の場合はピロートークが
相当うまかったらしいのでそれで落とされた女がほとんどのよう。旦那の浮気に激怒するおねさん
も秀吉から「いろんなオンナがいるけど、やっぱしお前といるのが一番」と世話をいろいろ焼く
手紙をもらって大喜びしてるという話がある。
>>78
そりゃ尻餅だろう。パンパンと
110 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:51:48 ID:3cV1veTOO >>100勝頼は四郎
118 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:54:05 ID:tUN0WkAM0 >>110
確か勝頼って三男だよね?
なんで四郎なんだろう
121 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:55:32 ID:JSe7RY4F0 >>118
信長も長男だが三郎。
庶子が2人くらい上にいるのかも知れないが。
139 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:02:28 ID:L0vTfWQl0 >>121
信長は三男。
信広、信時が上にいる。
129 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:59:14 ID:/CIEy7J60 >>121
当時、太郎と名づけると幼くして亡くなるという風潮があったのも影響してるだろうね。
太郎ばかりでなく二郎も避けて嫡男に三郎と名づける家は多かった。
115 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:53:09 ID:NciysKaiO >>100
この三郎は北条三郎(上杉景虎)の事だぞ。
武田人質時代の話。
116 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:53:45 ID:yMsduV3ZO >>100
景虎は北条家の三男だったからね。
美少年ぶりは有名で京では「三郎殿と一発やれたら梨地の鞍と引き換えてもいい」
という戯れ歌もあった。
当時梨地の鞍はすごい高級品だったらしい。
119 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:54:23 ID:/CIEy7J60 >>100
嫡男だから太郎というのは、おかしいよ。
46 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:16:24 ID:eSng6epG0 >>37 信玄×高坂は歴史上の事実なので
47 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:17:19 ID:NciysKaiO >>37
あれは浮気じゃないんだ!チンポ最後まで入れてないし!だから許して下さい_| ̄|○
の手紙の宛先が高坂だ。
144 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:05:04 ID:wsWD07oM0 >>47
歴女という名の仮面をかぶった腐れたオナゴどもがなぜ
戦国時代が好きか分かったよな気がするw
52 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:19:19 ID:R1MjnqyN0 >>47
そんな手紙が後世に残るのも、恥ずかしいな。
62 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:25:42 ID:NciysKaiO >>52
そんな手紙を後生大事にとってあった高坂のせいで…w
信玄は運が悪かった。
70 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:28:36 ID:yy2ao9gh0 >>62
信長だって、利家と・・・
74 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:32:03 ID:uaM7sOqV0 >>52
とは言え、後世の人に、当時は男色が当たり前ってな社会世相が伝わったと言う、
恥ずかしい一級資料には成ったかなw
「やらないか?」
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実在が疑われていたなんて初めて知った。
ンなもんまでいるのか…
ぅらゃまU < ゐぇゑ・・Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
まゎレ)をゐゑナニひ〃カレカノ・・ レよ ぁ・・・ぃぃ ナょ ぁ
(≧ω≦)。。幸せξぅ(´∀`)*。゜*ポワワーン
信玄の実像かと思ったら勘助だし、家臣二名かと思ったら勘助一人だし。
┳━┳| |
┃謙┃┃
┃信┃┃ ミ∧ 信玄?!
┃参 (\ /ニニヽ / ・|ミ
┃上┃ヽミ/(( ´∀(_0'-/ミ
╋━╋┃ /:::: イ/ /
ヾミミγ"⌒(⌒) /._ゞ 丿|
γ/ ヽ(_//` ||●||'ヽ
/,へ、 ,)( ,‐、 ノ.ノ
/__)/`二ン⌒し/ /~i ./ ちゃちゃらー
.//" (__) ./ /
/__) / /
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惜しい名将だったな
61 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:24:36 ID:QyccN5rZ0 >>48
当人達がさっさと京都目指さなかったから仕方が無い。
信玄なんか今川領を侵略する暇があったら氏真の後見役
と称して織田と弔い合戦してれば京都に早くつけたし、あと
は適当に今川家に息子を入れて乗っ取れば今川領は簡単に
吸収できた。それを息子を自害させたり、北条敵に回したり
と敵を作ることばかり
67 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:27:39 ID:wCSGLIVj0 >>61
そもそも
氏真が上杉と組もうとしてたから、それは無理。
そのことを信玄が今川に問いただして険悪になっていったはずだが・・・・
68 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:27:54 ID:mcJA7j9A0 >>61
現実にそんなアッサリ出来たらやってるだろw
98 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:45:24 ID:Sr1w35/q0 >>68
現実にそのアッサリをやったのが信長でしょ?
101 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:47:16 ID:0bdgbOH10 >>98
あっさりではない。斎藤義龍が生きている間は京どころか美濃もろくに攻略できていない。
というか、斎藤義龍はもっと評価されるべき。あの親父を殺ったほどの男なのに。
117 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:53:49 ID:QyccN5rZ0 >>101
義龍はオヤジが実現出来なかった領国の一元統治を実現させてるというほうが
評価できる。土岐氏の子孫という大義名分を利用したとはいえそれなりの手腕はあったん
だろう。それにオヤジとの合戦でもオヤジを凌駕する動員数を獲得したうえにオヤジを
驚嘆させるほどの合戦のうまさを見せたらしい。
106 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:51:07 ID:+/G9rkc10 >>101
つまりあっさり攻略された龍興はダメだったとw
107 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:51:15 ID:uaM7sOqV0 >>101
義龍は若くして死んでるよなあ。信長からヒットマン飛んだのかな?
114 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:52:56 ID:Sr1w35/q0 >>107
謙信も暗殺されたっけ説あるしな
トイレでふんばってるときに脳溢血が主流だが
137 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:01:29 ID:QyccN5rZ0 >>107
馬に乗ると足が地面につくというくらい、あの当時としてはけたはずれのの大男だったからみたい。それで体力がついていかず
過労死したのかと。
>>110
となると三条夫人の3男のほうか?
>>116
甲斐や相模に遊びにきてた公家が京都で言うくらい美形だったんだろうな北条の三郎は
>>114
多分脳梗塞でしょ。上杉謙信は一日に何回も服を着替えてたというくらい暗殺を警戒してた。
何よりあの当時の大将の周辺は警備が厳重で忍びも配置されてるから難しいかと。
145 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:05:24 ID:tUN0WkAM0 >>137
ほー初耳
謙信は自分は毘沙門天の生まれ変わりだから
死にはしないと泰然自若としていたと思ったが
リアリストの面もあったんだな
157 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:11:31 ID:QyccN5rZ0 >>145
あの当時暗殺されるというのは普通に死ぬよりも、滅茶苦茶恥ずかしいことだから大名は皆警戒してました。
鬼義重の佐竹さんは毎日、寝場所を換えたり寝るのも畳の境目を避けるとかしてた。信長も暗殺を警戒して
京都にいるときは妙覚寺や本能寺といった当時、京都では軍勢を連れて要塞みたいな軍事施設内で滞在して
たわけです。ただたまたま茶会があるからと2000人の親衛隊を妙覚寺に移して一人だけ本能寺いたのを
アボンされたけどw今に通じるリスク管理が結構この時代でもある。
142 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:04:39 ID:uaM7sOqV0 >>114
肥壷に潜んで、下から一突きって話だったっけ?w
信玄も色々死因があるわな。
徳川のスナイパーに射殺されたとか、胃潰瘍とか、胃癌とか。
三年死を隠せってなもんで、未だに発見されて居ないんだったっけ?信玄の遺骸は。
79 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:35:06 ID:QyccN5rZ0 >>67
そりゃ信玄が今川にすれば仇の織田と結んだり、徳川と通じたりして侵略するような素
振りをすれば今川も考えるでしょ。そんなことせず敵討ちしようと最初から持ちかけてたらよ
かったんです。あるいは北条と今川領は2分割しましょと裏取引して共同で干渉したりと
いくらでも手段があった。何より義信を自害させて妾の子供に本家を継がせて家臣団を
離反させてるのが決定的。
>>68
当人はそのとき上杉と戦争しててそれどころではなかったからでない?
あとで方針転換したけど桶狭間から時間がたち過ぎていまさらの感があり
堂々と侵略しだしたって感じがする。
75 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:32:50 ID:yfay35mz0 >>61
ぶっちゃけ、武田は今川を攻め落して
ようやく天下とか言えるにようになったレベル。
花の慶次で知ったよ
伝令って大名から直接手紙もらえるほど偉かったの?
69 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:28:07 ID:lgoTKCSHO >>55
当時の伝令は
全権委任外交官
86 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:39:10 ID:QyccN5rZ0 >>69
ホロ武者出身から多数の名将が出てるな前田利家や佐々成政とか。正確に大将の伝言を伝えたり
偵察しないといけないからね。
>>70
利家は後年、「昔は信長様と口を吸いあってたな」と恥ずかしげもなく語ってますよ。
>>71
まあ後年から見たら、無敗だったあの家康を敗退させた唯一の武将だったからな>信玄
102 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:48:43 ID:yy2ao9gh0 >>86
つか、俺は若い頃は犬千代を離さなかった!
毎晩こいつと・・・
そんな話を、公然と。
利家の奴、なんてうらやましい!
そこで利家、頬を赤らめる。
そんな話を聞いたぞ。
111 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:52:18 ID:ikBXo0090 >>102
利家は昔の男の信長の前に出る前には年をとってからも大根をくわなかったという。
なんつぅ乙女心
てか、名君と呼ばれる親分は、何時の時代も部下にはマメかなあ。
奉公した見返りが基本な時代、下が付いて行く機微のプロみたいな人物だったんだろうなあ。
人間通みたいな。
72 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:29:36 ID:QyccN5rZ0 >>57
うん。あるいはその一族でしょ。甲斐で小山田と言えば岩殿の小山田一族の系列なのは
間違いない。
>>56
信玄の場合戦場で家臣にその場で手づかみで砂金や金をあげたり(これは臨時ボーナスで本当の
褒美とは別)、あと手柄に応じてその場でいろんなものをあげてたらしい。だから戦場に行く時はいつも
ご褒美用の荷物がたくさんあったとか。そりゃ人間モノに弱いから。。。あと武田家は鬼美濃に代表される
ように他国出身者が大量採用されており、連中たちの報酬に物品が多数用いられたこともある。
93 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:42:16 ID:JSe7RY4F0 >>72
よく真田信繁(幸村)の書状で知られる小山田文書の小山田さんは
甲斐の有名な小山田とは別系列なのだそうだ。
名門の名乗る姓でもなし、別系列かも知れない。
99 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:45:27 ID:uaM7sOqV0 >>72
現代でも信玄堤とか、テストでヤマカンを張るとか、武田家発祥のものが残っているけど、
前にNHKで観た村々の水諍いの収め方が、信玄は凄かったな。
一筋の湧き水を50:50に、病的な完璧なまでに分配していた。
各地に土豪も多い地域だったから、人心掌握術に自然と長けて逝ったのかな?
戦も上手かったけど、内政家としての手腕も凄い人物だなあ。
104 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:50:29 ID:QyccN5rZ0 >>99
あの当時の領主のメインの仕事は訴訟だから訴訟がうまく処理できないと大名としては生き残れない。
しかも信玄の領国は6公4民(税率60パーセント)と重税だったのに,めぼしい住民反乱が
起きてないのも当人の領国支配が巧みだったというのが分かる。ただそういうやりかたが信玄の
死ぬ前くらいに限界が来ており、懸案がすべて勝頼に押し付けられて貧乏くじを引いてるところ
はある。
113 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:52:51 ID:JSe7RY4F0 >>99
三分の一に分けるやつじゃないかな。
あの分水工は、現代の技術にも通じる巧みなものだ。
122 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:56:10 ID:uaM7sOqV0 >>113
そうだったw 三分割の話だった。 Orz
そしてそれを見かねた家臣が美少年を小姓として仕えさせたところ
「お前、可愛いなあ、妹(姉だったかも)いるか?」
と聞いたとか
85 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:38:13 ID:IslMFz3lO >>58
その代わり秀吉はロリから熟女まで守備範囲広すぎのド変態なのよねw
71 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:29:19 ID:0bdgbOH10 >>59
大権現様にうんこ漏らさせたほどの将を評価しないわけにはいかないし、
幕臣に元武田家臣がたくさんいたしで。
あと大正天皇が武田信玄が好きだったんだったか。
65 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 10:27:08 ID:m+oJHA8T0 >>60
借金の代りだろ。
当時は女子の読者のほうが多かったりしたのかな?
179 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:23:13 ID:fDIZWfpE0 >>66
ファーザー乙
戦国=男色か
94 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:42:22 ID:sGnAZkvi0 >>76
日本の衆道文化ってすごいぞ
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の文句で有名な
葉隠でも普通に衆道の手ほどきしてるし
十返舎一九の東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも
陰間茶屋で知り合って駆け落ちしたって作者の公式設定だし
ローマのホモ文化といい、
歴史って、レズの話はほとんと登場しないが
男のホモの話はやたら豊富なんだな
まわりとは違う人がトップになれるんだ
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/ もう浮気しません /ヽ__//
/ ごめんなさい / / /
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新田次郎も忍者的に扱ってたから、当たってたんだな。
とてつもなく面白いわ。
殺伐としていて、人間の業が渦巻いている。
『風林火山』が甘く、ショボく思える。
246 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:57:51 ID:rlrU+ZHt0 >>91
正月から何故かヒストリーチャンネルで武田信玄やるみたいたから、
期待して見てみるわ。風林火山しかしらねえから。
しかしこのスレ面白いつか、おまいらくわしいな。
上杉謙信よりも、柴田の方が年上。
なんとなく変な感じがするね。
あの時は奥さんに寝首をかかれたという創作だったし、
砥石崩れの大敗の傷が悪化して死んだという説もあったけど、
実際の死因はガンだったのかな。
部下も親族も平気で裏切るし
守ってくれる警察も法律もない
戦国時代ってまったく油断も隙もないな
とても俺は生きられそうにないやw
そのことに早くから気づいていたオレは『ボンクラ親父』の
ふりをしてるんだけど・・・
って大いんぐメッセージですね
123 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 10:56:20 ID:2yWIOkeq0 >>120
甲斐も信濃も貧しいところだったからね。
売るものもろくにないし。
149 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:07:15 ID:QyccN5rZ0 >>123
だから信玄が死ぬ頃には金山の鉱脈がつきかけてた→財政難で重税→土豪や住民の怨嗟
→織田や徳川への離反相次ぎ滅亡
なんてことに。信玄がリスク覚悟で今川を攻めたのも安倍金山欲しさだったとか。
金山が無くなるとたちまち武田は崩壊するというリスクを認識してたんでない?
>>142
信玄の遺骸はすでに荼毘にふされてる。というか3年たって死が公表されて正式な葬式が
営まれてる。それまでの間、遺骸は壷に密封して保管してた。高坂が坊主になって裸足で葬列に
付き従ったという話がある。
158 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:12:52 ID:uaM7sOqV0 >>149
>信玄の遺骸はすでに荼毘にふされてる。
>というか3年たって死が公表されて正式な葬式が~
なるほろ、さんくす。
”現物”は保管されていたんだな。
178 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:21:43 ID:2yWIOkeq0 >>149
信玄は謙信や信長と違って、海を通じての、貿易で富を作ることがほとんど出来なかったからね。
186 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:26:48 ID:JSe7RY4F0 >>178
出来なかったというより、そういう才覚が無かった。
武田氏領地で最大の商港である清水を、直轄領にしなかったことを見ると明らか。
196 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:29:37 ID:QyccN5rZ0 >>186
というかそういう発想がなかったんでしょ。内陸国の大名の悲しさ。関所を
作って通行税を取るのに港で関税をかけるという考えが思いつかなかったん
だろうな。北条でさえ伊勢からコメをフネで買い入れたりと海運をかなり利用
してるのに
165 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:15:39 ID:QyccN5rZ0 >>158
謙信の遺骸も壷に入れられて幕末までは上杉家で「永久保存」されてたらしい。謙信のほうは
葬式しようとしたらお家騒動&信長が多方面から越後に侵攻してくるとそれどころではなかったか
らそのままになってしまったのかもしれん。謙信も後継者については信玄同様失格だな。
135 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:00:30 ID:yy2ao9gh0 >>124
後の人間が持ち上げまくったから。
うそ臭い話ばかりだ!って事で。
存在その物も、うそ臭い!と。
仁科盛信、葛山信貞、武田信清、黄梅院、
菊姫 他
4番目らしい
134 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:00:13 ID:JSe7RY4F0 >>126
群馬県安中市ということは、真田配下の小山田である可能性が高い。
戦国後期から江戸初期にかけて真田氏の所領になってた地域だ。
美少年の尻は皆に狙われていたんだなあwww
野村克也・・・カツノリ・・サッチー
武田信玄・・・勝頼・・・・諏訪姫 ←
劉備玄徳・・・劉禅・・・・諸葛亮
宮崎駿・・・・吾郎・・・・鈴木P
信長には兄がいたんだよね
随分親戚連中とはいざこざが絶えなかったようだが
146 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:05:32 ID:qBM9Hzhc0 >>141
民家からって言ったって、昔の庄屋の蔵の中から、とかそんなのかもしれないよ。
147 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:05:54 ID:MFJVkMJiO >>141
田舎の民家なめんな
空襲にも遭わず戦前の貴重な資料盛り沢山だぞ
156 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:10:29 ID:ikBXo0090 >>141
障子の下ばりとかじゃねぇの?
隠し湯に麗しき者と入ることに致そうぞ。
148 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:06:25 ID:IslMFz3lO >>143
おまえ隠し湯作りすぎや
151 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:08:01 ID:L0vTfWQl0 >>143
あんだけの温泉マニアの癖して、なんで石和ごとき見つけられなかったんだよバーカバーカ
164 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:14:46 ID:TADZ8f2v0 >>151
石和は戦後になってから畑に噴出してきたんでなかったかな
信玄・・・お前って奴は・・。
159 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:13:09 ID:yy2ao9gh0 >>155
謙信なんか、女とはヤラずに男ばかり・・・
信玄だけ、言われるんだよなw
175 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:19:03 ID:JSe7RY4F0 >>159
謙信は清廉で禁欲的なイメージが強いから。
信玄はどうしても脂ぎった強欲ジジイのイメージが強い。
やっぱり、大義を重んじる謙信と、
平気で親族を裏切り息子まで殺す信玄の差だろう。
182 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:24:18 ID:tUN0WkAM0 >>175
信玄はある意味人間臭い
逆に謙信は現代の視線から見ても
ちょっとありえないほど欲がない
よきライバルだったと思う
184 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:25:16 ID:T2a762Io0 >>182
欲がないのは、マジメな仏教徒だったからだろう
190 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:27:38 ID:uaM7sOqV0 >>184
一生ちんこ使わないから、戦に勝たせてくれ!って毘沙門天に祈っていたが、
本 当 に そ う だ っ た の か ? w
205 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:32:25 ID:yy2ao9gh0 >>190
実際、そんな説を唱えてる人はいる。
思い込みが激しいのは、間違いない。
202 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:31:34 ID:l30ftZLa0 >>190
少年趣味のガチホモの女抱かない神への誓いとか、あんまり意味無いよな
199 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:30:10 ID:ikBXo0090 >>184
女犯はしませんと誓ってるけど 小姓とはやる気まんまんだったんでは?
216 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:35:36 ID:yy2ao9gh0 >>199
そもそも、衆道ってのはお坊さんが
やりだした事だから、問題ないw
224 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:41:27 ID:XDNW/gj10 >>216
寺の病気は『痔』だもんな
227 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:42:40 ID:uaM7sOqV0 >>224
パネエwwww
197 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:29:43 ID:TADZ8f2v0 >>190
受けだったんじゃね?
201 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:30:57 ID:uaM7sOqV0 >>197
その発想は無かったww
210 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:33:44 ID:TADZ8f2v0 >>201
いやいやこれくらいはたしなみですよ
161 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:14:09 ID:ikBXo0090 >>159謙信は女だから
176 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:20:08 ID:yy2ao9gh0 >>161
石川賢が、乳モロ出しの
謙信をかいていたな。
伊達政宗も部下に宛てた
「浮気疑ってゴメン!君の事が好きすぎて不安になっちゃったんだ」
的な書状を子孫によってさらされてるよ
168 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:17:48 ID:Sr1w35/q0 >>166
その分、いきのこれば確実に出世するからな
まあその大名がつぶれたら終わりだがw
188 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:27:11 ID:QyccN5rZ0 >>166
小姓になれる、利発でかつ美形でないといけないという条件があった。その代わり
側近だからそのあとの出世も早いしヘマしない限りは重臣になれるわけで。信長なんか
小姓を秀吉や勝家の次の次世代の重臣と考えてたフシがある。
>>175
というか謙信も結構エゲツないことしてるよ。関東に毎年侵攻する度に家来には現地での
略奪乱暴を公認してたし(北国の出稼ぎ感覚と考えたらいい)、信玄同様に人売りもしてた。
信玄の親族を抱き込んで危うく反乱寸前までにもっていったりと謀将としての側面も。
あと京都に上洛してたのも幕府から特権授与(田舎の大名には威力あり)や、本願寺と
の政治交渉とか実利面のほうが大きい。
断ることはできなかったろうなー
情 人
.. け 人 は
ゞミミヾミ゛ヾ、,》,, ● :: ヽ ヽ は は 石
ヾ,,彡〃 彡((∧ :. 仇 味. 城 垣
ヽ ヽ ,彡 ,,ミ * ゙) :: は 方
彡ミ彡彡ミミ〃 ,,つ :: 敵 人
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183 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:25:03 ID:P5wde5Ij0 >>173
大河ドラマそんな感じだったな そういう事か
なんであんなつまらない人物の大河が1年間高視聴率だったのか不思議だった
閻魔大王に身内を返してもらえって部下の家族を斬った話もやらなくてひたすら美化してて変な感じだった
193 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:28:50 ID:tUN0WkAM0 >>183
直江とえいば真っ先にそのエピソードが浮かぶんだが
大河のキャラでどう描くかちょっと楽しみだったのに
がっかりだ
211 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:34:37 ID:uaM7sOqV0 >>183
上杉家大凋落の大元凶だったのに、何故か人気者だよな?
262 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:04:52 ID:KsmXZyEV0 >>183
その部下の家族を斬った話は面白いが、史実じゃないからな
なんで廃れたんだろう、残ってても困るけどw
「くわしくは山本管助が口上で申し上げる」云々といった文書があり、
信玄の時代に「山本管助」なる人物がいたことは疑いない。
昔は当て字などは日常茶飯事であったから、この「山本管助」は「山本勘助」と見て
間違いあるまい――。
◆ちょっと待って欲しい。本当にそれでいいのか。
◆架空人物説を説く奥野高広氏を除けば、管見では、「市河文書」の「山本管助」イコール
「山本勘助」にはっきりと疑義をはさんでいるのは、笹本正治氏だけである。
あとは「『甲陽軍鑑』が説くような軍師ではなかったが、信玄の使者として他家へ派遣される
ほどの重要な役割であった」とか「実在はしたが軽輩の者だった」という譲歩つき(?)の意見が
ある程度で、ほとんどが「市河文書」で山本勘助実在!と大して検証もせずに
決めつけてしまっている。
◆「管」と「勘」。些細なようでいて、問題は案外重大だ。著名な武田研究者の中には
「こうした疑問自体がおかしい」と言う方もいる。健全な研究姿勢とは言えない。
山本管助は信玄が派遣した重要な任務を与えられた使者である。
その自分の使者の名前をいい加減に当て字で記すだろうか。
たしかに武将の名前や土地の名前など、いい加減な字をあてる例は多い。
だが、それは軍記や聞書きなどであって、きちんとした書状ではむしろ珍しいのではないか。
音のみを聞いた第三者が「たぶんこういう字だろう」とか「この字でも当てとこう」などと
書くのならば、わかる。そういう例を筆者は知っている。しかし、この山本管助の場合は、
ほかならぬ主人の信玄(の指示を受けた右筆)が書いているのだ。自分の代理人の字を等閑に
するほうがおかしいのではないか。
191 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:27:48 ID:qBM9Hzhc0 >>185
逆に、甲陽軍鑑の方が当て字にしてるのかもしれないじゃん
203 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:31:53 ID:Sr1w35/q0 >>191
おれもそう思う。
ぎゃくじゃね?考え方が。
それと、今回の手紙見ると
武田の中で結構重要な役割だったみたいだな。
甲陽軍鑑も費のないところに煙は立たないということか・・
越後の龍・甲斐の虎・肥前の熊
マムシの義息やら猿やら狸なんてこれらと比べたら小物
206 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:32:54 ID:IslMFz3lO >>187
熊ってぜんぜん人望無かったんじゃないっけ?
秀吉が天正大判を作ったんだけど、大坂落城の後、家康が
焼け跡から拾い集めて、それを幕末に小栗上野介が赤城山
に隠したとしたら、徳川埋蔵金はかなりあると思うのだが。
204 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:32:23 ID:QyccN5rZ0 >>189
埋蔵金ネタはガセ。あの当時の幕府にはすでにカネが無い状態だったから。あるように
帳簿上はなってても実際はピンハネやらいろんな裏金作りなどで消えてたんです。今の
時代の特別会計の埋蔵金とかいう話に通じる。
信長はただの大量虐殺者
239 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:52:51 ID:L0vTfWQl0 >>198
あんなとこに城を作った時点で気が狂ってるとしか思えない。
ナポレオンでも落とすの無理だろあれ。
248 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:58:44 ID:JSe7RY4F0 >>239
落ちない城はない。
インドカシミール地方には、ヘラクレスが落とせなかった岩城というのがある。
断崖絶壁の上に立つ岩屋だ。
これをインドに侵入したアレキサンダー軍は、現代で言うところのハーケンを用いて
よじ登り、あっさり落とした。
それ以来、その地方ではアレキサンダーは翼を持つ兵を率いてきたという言い伝えられてるそうだ。
250 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:00:14 ID:L0vTfWQl0 >>248
一方で、落ちてない城はあるぞ。
岩殿山もそうだし。
パソコンのハードディスク内のマル秘データはどーすんのよw
221 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:40:41 ID:QyccN5rZ0 >>200
其の手のものはネットのフリーメールのボックスに隠してある。
だから俺に万が一のことがあっても親族には分からないwあと保険は
親を受け取りにしてるので証券は親に預けてるし、預金もここに
これがあると言ってる。
最近はカーチャンが
J('A`)し<「ここに保険の証券や定期の証書とハンコあるから、ワタシに何かあったらオマエ
はこれで家庭の家計をヤリクリするんだよ。あと失業とかもししたらこれでしのぎなさい」
とか言うんだよね。。。
武田滅亡で家康は領土を拡大する余地がゼロになってしまった
本能寺の変で信長が死んだ後に家康が真っ先にやったことは、
甲斐・信濃の横取り
西郷隆盛の手紙に坂本良馬とあるし、新撰組隊士の手紙にも新撰組と
書かれたり、新選組のもある。
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腐が泣いて喜びそうだなww
徹底的に人間臭いところをだせばいいだけなんだ。
人間的によい部分、悪い部分をだして初めて人間臭さがでいい味がでるというのに。
近頃のテレビを作ってる外道どもはなにも理解しておらん。
225 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:41:29 ID:JSe7RY4F0 >>217
斉藤道三の国盗り物語とか、大河でもピカレスクロマンはありだと思うので
次回の大河は、松永久秀を是非。
226 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:41:32 ID:tUN0WkAM0 >>217
うむ同意
たとえば当時の仏教界の腐敗ぶりとかを描写し
真の改革には虐殺もやむなし、とか描くのは
…まあ無理だわな
229 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:44:48 ID:T2a762Io0 >>226
比叡山では、そこに逃げ隠れていた女子供まで虐殺しただろうがwww
腐敗してたからといって、虐殺を肯定していたら日本人は滅ぼされても文句は言えないなwww
235 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:50:21 ID:QyccN5rZ0 >>229
信長の理屈だと「寺なんだから世俗の女子供なんていないはず、いるとすればそりゃ悪魔の化身」
ってところだろうなw
237 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:52:00 ID:fhvsl0VNO >>229
> >>226
> 比叡山では、そこに逃げ隠れていた女子供まで虐殺しただろうがwww
>
比叡山そのものは焼かれていない。
焼いたのは山下の坂本。
まぁ虐殺そのものは否定も肯定もしないがな。古今東西、為政者にとっては宗教(狂信者)はやっかいな敵ではある。
238 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:52:15 ID:IslMFz3lO >>229
比叡山全山焼き討ちってのは誇張な。
麓と中腹焼いて「糞坊主共あんま調子乗んなコラ」
程度。比叡山の正式調査
245 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:57:17 ID:QyccN5rZ0 >>238
足利義教のやったことの踏襲みたいなもんだな。
>>240
長島の場合は、一揆側が織田との和議を何度も破ってるから
あんなザマに。越前の場合は一揆側の自滅。
243 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:56:01 ID:L0vTfWQl0 >>229
なんで女人禁制のはずの比叡山に女子供がいたのか理解できてないようだがw
逃げ隠れてたんじゃないぞ。もともと住んでたんだ。
345 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:24:39 ID:oKxPzHll0 >>229
長島の一揆は壮絶な皆殺しだったらしいが、比叡山は遺跡調査の結果言われているような
大規模なものでは無かった事が分かっている。各地で大名が勝手に戦争しだしてかつてあった
広大な荘園も相当失っていただろうから、もう人もそんなに居なかったんじゃね?みたいな意見もある
232 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:48:12 ID:QyccN5rZ0 >>226
とはいえ叡山焼き討ちはすでに足利義教の先例があるからな。
>>198
甲斐のうち武田が支配してたのは3分の1であとは小山田と穴山がそれぞれ
3分の1ずつだったから。格下に見えるのは当たり前。
>>211
いろんな側面あるからな
肯定的に見るならーあの利己的な時代でバカみたいに義を唱えた
否定的に見るならー義に拘って家を危うくしたバカ
と
240 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:53:11 ID:Sr1w35/q0 >>226
実際には、越前と長島くらいしか虐殺はない
それも実は何度も和平工作を行った末のこと
そしてこれが、結果的に日本を世界でも例のない
政教分離の政治体制を作り出したきっかけともなった
228 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 11:44:15 ID:Nr+hLhAVO >>217
多分その通り作ると2ちゃんでは人気になるが、視聴率的には反映されんと思う。
今はそうゆう時代になっちまった。
222 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:41:00 ID:yy2ao9gh0 >>218
織田さんと平井堅はいいんだね?
230 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:44:52 ID:TFRHIyiJO >>218
男の娘好きな漏れはノンケだから、出ていかないとダメか。
残念だな。
飯富チャンはとれたの?
討ち取った首を城や石垣のように積み上げたところから来たもの。
242 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 11:54:18 ID:JSe7RY4F0 >>231
志賀城だっけか。
後詰に来た兵を討ち取って首を城の前に並べたというのは。
で、落城したら女子供を奴隷市場に売り払った。
武田・・・。
282 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:14:19 ID:ikBXo0090 >>242
あの時代にも奴隷身分ってのがあったの?
285 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:17:06 ID:wsWD07oM0 >>282
あったよぉ~借金の方に人を奴隷にするの秀吉が禁止したほどだから。
297 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:26:15 ID:JMBQ78uIO >>285
こう見ると、朝鮮出兵さえ無ければいいことしてるのにな>秀吉
309 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:30:58 ID:QyccN5rZ0 >>297
実際の秀吉はかなり陰惨。人間どこかに闇を飼ってるのか秀吉も多分に漏れず。
女子供を串刺しにして磔、自分の悪口を壁にかかれて管理の役人に残虐な刑罰、
罪人が街に逃げ込むと其の地区を焼き払うとか。あと三木城攻めも飢えてよぼよぼの
兵士を膾切りにしただけとかあまり兵糧攻めも褒められたものじゃない。
288 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:20:22 ID:QfBW3lkL0 >>282
日本で言う奴隷って、海外の奴隷とはちょっと意味が違う。
別にかたちある鎖をつながれてるわけでも、ムチで叩かれるわけでもないけど、
主従制の中につながれてる。
だから、主人が死ねと言えば死ななきゃいけないし、売り払われることもある。
武士で言うと、「家人」も奴隷だね。
敷衍すれば、山本勘助も高坂弾正もみな奴隷=家内「下人」かな。
293 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:22:37 ID:ikBXo0090 >>288
エ?
そういう奴隷?
なんとなく女郎とか南蛮人に売られていった人とかから想像してたんだけど。。
鎖で繋がれたりもしたんじゃないかな?とか
304 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:28:28 ID:QfBW3lkL0 >>293
加えておくと、身分的に固定された奴隷はない。
あるのは、「侍」(武士を含むちょい上の階層)と「凡下」(ふつーの庶民)。
あと神人とか非人とかの、微妙な人々(近世の賎民ともちょっと違う)。
ここでいう"奴隷"は、凡下の中で、下人として、主人の下に囲われちゃった人々。
もっとも、293さんの言うような、女郎屋に行けば身請けまで不自由だろうし、
南蛮人だと、海外に売り払われることすらあったらしい。
>>290
かな文の読みづらさは異常。
活字化していても意味が分からない禅僧の記録はもっと異常('A`)
289 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:21:03 ID:QyccN5rZ0 >>282
人買いとかいうのがあったからな。
>>284
今と価値観が違いすぎる
・相手に笑われるというのは死ぬことよりもつらいこと
・相手に「臆病者」と言われたら刀を抜いて切りかかるくらいでないとバカにされる
・些細な失敗でも即切腹
なんて殺伐な時代ですから。
山縣の恋文はみつかったの?
257 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:03:09 ID:xQKQLUId0 >>244
どうだったか、実際のところは解からんよ
話としてはホモしろいがな
発祥の地は東京都町田市
小山田という地名が存在する
そんなに信仰が強かったんだろうね?
信長と戦わなくては破門だなんていわれて
それって「死ね」と変わらない気がするが
武田信玄は美少女
259 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:03:33 ID:L0vTfWQl0 >>251
カルトにまともな判断を求めるのは無粋
>>253
実は弥助も黒人美少女
263 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:04:57 ID:Sr1w35/q0 >>251
仏敵の信長と戦えば
死んでも極楽にいけると
坊主にだまされたから。
狂信者ってのはそんなもんだ
昨今だとアルカイダとかな
271 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:09:23 ID:ikBXo0090 >>263
すこしちがう。
蓮如も顕如も政治権力との争いを嫌っている。
蓮如なんか争いがいやで越前から信徒から逃げ出してるし。
顕如も急進的な門徒を押さえようとして弟子を派遣してる。
292 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:21:45 ID:yy2ao9gh0 >>263
浄土と、日蓮はやばいからw
他力本願を捻じ曲げた発想なんだろうな。
281 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:14:07 ID:QyccN5rZ0 >>271
結局最後は統制利かず、各地で一向宗が弱体化してるときに信長と「講和」という
降伏をしてるな。本願寺出たら助命の上、信仰を認めるというから。
>>273
信長の場合は当時としては相当な神経質で潔癖症だったみたいだから。
しかも食生活が塩分濃度が高いものだったので脳の動脈硬化が進んだのか
感情の抑制がうまくいってない側面が多々出てきてるな。あと糖尿病だった
みたいだし。
267 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:07:03 ID:QfBW3lkL0 今、守護・国人・土豪をネタに修論書いてる。
来年か再来年、投稿論文にするつもり。
明日までに4万字…今5千字…レジュメできてるとは言え…うへぇ
>>251
越中瑞泉寺では、平成の御代にムシロ旗立てて
ジジイババアが籠城したことがあってな・・・ああ、幼い日の記憶。
遠江の方は「故郷は信玄が侵略と虐殺をした」
とじかに聞いたよ。
比叡山や、長島、越前のとこをくわしーく詳細に。
そして竹生島事件も
268 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:07:09 ID:QyccN5rZ0 >>256
竹生島事件は誇張多過ぎ。実際は助命嘆願した坊主は殺されて
ない。それにあの時代主人がいないからと勝手に城を抜け出すなんて
いうのは職務怠慢で切腹ものだ。今でも社長や上司がいないからと
いって仕事投げ出して勝手に外に遊びに行けば職務怠慢で懲戒
処分になる。あの当時の処分は切腹とか手打ちという簡素すぎる
処分しかなかったから
273 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:09:59 ID:QfBW3lkL0 >>268
少しずらすけど、一銭切りって言葉があるよね。
一銭(・・・今で言うといくらだろ?10円や20円くらい??)盗っても斬る、
ってくらいの処罰概念持ってるからねえ。
いや!京が見える!
いまひとおし、我が旗を京に立てよ!
・・・・ガクッ。
本人じゃないって説もあるらしい
もっとも今更違うといわれても
あのイメージは強すぎるがな
>昨晩は楽しかった。
みたいな手紙が出てきたのかとばかりw戦国武将の嗜みみたいなもんだからとやかくは言わんけどw
辛いよな
291 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:21:44 ID:uaM7sOqV0 >>269
胃関係での死亡説もあるから、ストレス体質だったんじゃないか?w
立場上当たり前っちゃ当たり前だけど。
2ちゃんねる創始者ひろゆきが、運営にあてたメール2通が
群馬県安中市の民家から見つかった。
とかになるんだとろうか。
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! / .// 何が仏ぞ!何が神ぞ!
',. ,' ン 肉を食らい!女子を山に引き上げ
',. 〈 ヽ i ≡ やりたい放題ではないか!
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やらないかの話かと思ったw
昔の奴らなんかみんなそうだからw
それはそうと、何百年も手紙って残るものなのな
CDなんてのは、何年か置けば素材が劣化して読み取り不能になるとか言われてたが…
なんかすげーな
大部前に読んだ気がする
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! / .// 生臭坊主ごと比叡山延暦寺を
',. ,' ン 焼き払ってくれるわぁ!!!
',. 〈 ヽ i ≡
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いろんな側面から見ると
歴史ってますます興味が沸いてくるよ。
つまんね
山本勘助 内野聖陽
小山田信有 田辺誠一
286 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:17:27 ID:Sr1w35/q0 >>283
むかし、関ヶ原のドラマやってたけど
家康 森繁
三成 加藤剛
で、すっごくみごたえがあったな。
299 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:26:36 ID:QyccN5rZ0 >>286
津川の家康、江守の三成が渋かったなあ。特に津川の家康はほんとに家康か?と思うくらい。
>>292
浄土と日蓮は戦国時代も京都で闘争してるよなw京都の日蓮宗の寺が要塞化(本能寺とか)して
たのもそのためだとか
>>291
あの当時は戦国武将で胃がんでの死亡が結構多いよ。長年の野戦生活で食生活が
かなりひどいものだったみたいで、ガンが出来始める40代になるとガンガン死に出すわけ。
ただ茶道してた連中は抹茶のカテキンのおかげか細川三斎みたいに長生きするヤツも
多かったようで。
その時代の独特観念とかの違いを調べるとすごいwktkする。
300 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:26:37 ID:uaM7sOqV0 >>284
首化粧だったかな?
旦那が命懸けで獲って来た敵武将の生首を、嫁さんと子供がきゃっきゃしながら、
川原で「とーちゃん、出世してね(ハート」って言いながら、生首洗って化粧させて、
上司に差し出すw
現代視点だと、カオスだわなw
313 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:34:08 ID:QyccN5rZ0 >>300
あの当時は首実検は保存や衛生状態の関係で現地でやってそのまま現地埋葬じゃなかったのか?
>>304
禅僧は和漢混合文みたいなのが多いから読みにくそうだな。漢文なら漢文、和文なら和文で
書いてくれたらいいのに。やはりレ点とか入れて読むの?
321 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:43:40 ID:QfBW3lkL0 >>313
室町~戦国の武家文書や寺院文書を中心に扱ってるから、
和風漢文っていうかな、「被仰付○○ニ候」、とか、「可申△△」みたいなのはあるけど、
禅僧の漢文は、上に書いたようなのとも、本物の漢文とも違う。
なんか、本物の漢文っぽく見せた、コテコテの飾った、ハク付けようとした和風漢文、ってイメージ。
ごめん、うまく説明できる能力がないや(´・ω・`;)
323 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:45:06 ID:r3WjSF/S0 >>304
南蛮人には日本人傭兵(奴隷)は強くて作戦能力もあって重宝がられたらしいな
ただし優秀ゆえに警戒されたらしいが
当時の日本人はかなり好戦的だったらしいけど
民族によってかなり個性があったようでこの時代より400年ほどさかのぼるけど
サラディンはアラブ人は戦う前から高額を要求するくせに働かない、
黒人は最初はとにかく優秀だがすぐに次の金銭面待遇で揉めて結局つかえないみたいなこと残してた気がする。
黒人に関してはW杯で勝ち進むと今でも同様のことが起きてるな
もっとも国が貧しすぎてマジで払えないみたいだが
324 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:45:38 ID:x8fpNFqF0 >>323
やはり黒人はどこまでも面白黒人なのか
325 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:45:55 ID:QyccN5rZ0 >>321
要はヤンキーの「夜露死苦」みたいなもんか?>禅僧の漢文
329 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:50:24 ID:QfBW3lkL0 >>325
大体そんな感じw
そろそろ13時…また修論書かなきゃ。
332 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:01:14 ID:r4V3O6wJ0 >>304
神人って何なのか気になる
有名な社の神職とかで血統が保証されてる人?
333 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 13:02:45 ID:ikBXo0090 >>332
ちがう。じにん」てのは寺男みたいな人。
334 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:03:23 ID:QyccN5rZ0 >>332
神社の所属メンバーなんじゃない?たしかあの当時は座の大将が社寺だったので
そこが抱える武装集団も神人扱いだったはず。
337 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:08:25 ID:r4V3O6wJ0 >>333-334
ありがとうございます、勉強になりました
339 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:09:44 ID:QfBW3lkL0 >>332
「じんにん」って読んで、ハルヒのあの怪物・・・うそです。
神社の抱える人・神社に仕える人一般を指す。
>>333で言われてる寺男(寺の下人)もその一種だけど、中世ではもっと用法が広い。
神社に奉仕して、負担を務めれば神人のはいできあがり。
だから、神社から離れて住んでる百姓や町人、商職人も神人になる。
逆にそれを利用して商人は座を作って>>334、
有力神社=バックの有力貴族の庇護の下で商業活動をしたり。
ではでは。
340 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:13:36 ID:QyccN5rZ0 >>339
多分明日もスレがたってるから今日の夜までに仕上げて戻ってきなよ~
346 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:27:32 ID:r4V3O6wJ0 >>339
社会的身分は低いのですか、大層な名称なのに面白いですね。
わかりやすい解説までつけて頂き、どうもありがとうございます。
341 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 13:16:07 ID:QfBW3lkL0 あー、読みは神人(じにん・じんにん)が一般的。
ハルヒのほうが「しんじん」だったわ。
あと、宮司とかの上層の神官はあんまり神人って言わない。
神人は、由緒は持ってる場合があるけど、社会的な身分としてはかなり低いひとたちかな。
342 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 13:18:42 ID:ikBXo0090 神人は主役ではなくサポーターでしょ
岸和田城か?で見たことあるが、先人ら、ミミズののた打ち回ったような字を書くよな
あんな暗号よく解読できるよ…
スーパーハカーの素質あるよ解読する奴
295 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:24:44 ID:rbQ1/NL50 >>290
上杉神社にある謙信のひらがなは、とてもきれいなものだよ。
現代人でも問題なく読める。
景勝の手習い用に書いたと言われてるが、当時の女流の字なのだそうだ。
307 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:30:37 ID:Flx1rWyrO >>295
そうなんだ
上杉神社見に行きてぇなぁ
㌧
いいなあ歴史調べて公務員できるんだから。
生まれ変わったら学芸員になろう。
296 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:25:03 ID:x8fpNFqF0 >>294
学芸員って公務員だったかなぁ
大学で単位とって資格もらうものだったと
記憶してるが。
(分野によってもらえる免許違う)
306 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:29:37 ID:cL1LBvxXO >>296
俺持ってるぞ 学芸員の資格 教免とセットで
今は普通の会社員やってるがな
308 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:30:39 ID:x8fpNFqF0 >>306
おいらも持ってる両方。
でも使ってないw
314 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:34:57 ID:cL1LBvxXO >>308
歴史で食うのはむずかしいよな(笑)
305 名前:名無しさん@十周年[sage]:2009/12/27(日) 12:29:15 ID:JMBQ78uIO >>294
狭き門だと思うがね
まぁ憧れはするよね
316 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:36:21 ID:QfBW3lkL0 >>294
狭すぎ。
どんな田舎の学芸員でも、全国から殺到するよ・・・
まず資格として、学芸員資格と、博士取ってね・・・
失敗すると30半ばで職がないよ・・・
だから俺はあきらめたw
資格と教免と修士はあるけど。
>>309
三木城の話は宇喜多直家宛ての書状にあったな。
串刺し磔の話も、播備作国境で、数百人単位、だっけ。
どっちも秀吉の備作国人向けプロパガンダのような気もするけど、
果たして本当は・・・?
317 名前:名無しさん@十周年 []:2009/12/27(日) 12:36:33 ID:Pb5U596zO >>296
ああそうかね
「県公務員でかつ博物館の学芸員」になろう
って訂正するわ
菅助って菅ちゃんみたいにブーメラン男だったのか きつつき。
しかし文化の違いとはいえ
自分のじーさんが男相手に浮気の弁明している手紙とかあったら嫌過ぎる
美少年源助ちゃんのほうが、歴女はお好きですか
戦国時代後も残った家にまで名前知られるほどは活躍できなかったのかね
武田で名前が有名な武将って織田や徳川相手に活躍した人中心だし
誇張が多少あるとはいえ、それに近いようなことはしてたんじゃない?竹生島事件も誇張が過ぎるとは
いえ実際にあった話から来てるのを考えたら。後年も秀吉は謀反した宇都宮氏の一族を黒田長政に命じて
磔にしてるのだし。
あー俺も戦国時代に生まれたかったわ
真面目な人だったら悪いけど
どうも嘘くさいんだ、このあたりの年齢は・・一発当てたい年頃というか
きっとミスターとかルー大柴みたいな感じだったんじゃないか?
禅僧の漢語まじり文
定
一 味方の地にをいて乱妨らうせき(狼藉)のともから(輩)あらハ、一銭切たるへき事
一 陣取にをゐて(於いて)火をいたすやから(出す族)、則からめとり(搦り)出へし、
自然ちくてん(逐電)せしめは、其主人さいくわ(罪科)たるへき事
一 ぬか・わら・薪・さうし以下、亭主々々に相ことハり、とるへき事
右てうゝゝ(条々)、若いほん(違犯)の輩あらハ、
急(「度」が抜ける。=急度)厳科にしよせらるへきもの也、
天正十五年正月 日 (秀吉朱印)
そろそろ戻るから、ネタ提供。
手持ちの史料集の中にあった、戦時定書の一種。「一銭切」関係の文書。
こうみると、「一銭切」って「即刻処刑」って意味なのかなぁ・・・確か研究あったけどヨンデネ
その場で切り捨ててるよね
怖い人だけど税金が安くて治安がいいなら
人も金も集まってくるだろうな
てか、ホモ手紙じゃなかったか
「殿といっしょ」の勘助のイメージが頭から離れん
いたがきー
一人はオタ
一人は研究者と思しき人
がいるな。俺はオタに近いw
信長の野望では不細工なのは何でなんだ
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調べれば調べるほど信長無双になってイヤになってくる