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by jack4africa
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武田信玄の手紙

前回の伊達政宗の手紙に続いて、風林火山の陣旗で知られる戦国武将、武田信玄が寵愛する家臣の春日源助に宛てて出した手紙を紹介します。

信玄が弥七郎という少年と寝ているという噂を聞いて、腹を立てて出仕を拒んだ源助に対して、信玄が「神に誓って浮気なんかしていません」と弁明する内容です。

相変わらず、関西弁で恐縮ですが、訳してみました。


一、弥七郎をしつこう何度も口説いたことは本当やけど、腹痛やいうて断られてヤッてへん。嘘やない。ホンマや!

一、弥七郎に夜伽をさせたことは一度もない! これまでにもなかったし、もちろん、昼も夜も、弥七郎とそういうことをヤッたことはない。ことに今晩はなおさら、そんなこと考えてみたこともない。

一、お前と特別な仲になりたいとおもうて、色々と手を尽くしてたんやけど、それがかえってお前の疑いを招く結果になったんやったら、残念なことや。

誓っていうけど、わしの言葉に嘘はない。もし嘘やったら、甲州の一二三大明神、富士、白山、特に八幡大菩薩、諏訪大明神のバチがあたるやろ。

本来は、宝印(熊野牛王宝印の判紙)に書かんとあかんとこやけど、役人の目がうるさいよって、とりあえず白紙に書いとくわ。明日にでも正式の紙に書き直します。

七月五日            晴信(花押)


伊達政宗の手紙もそうでしたが、この手紙でも、信玄(晴信)が家臣である春日源介に対して随分と下手に出ているのが印象的です。

文中に出てくる弥七郎という少年もおそらく家臣の一人だと思われますが、手紙では、信玄は弥七郎をしきりと口説いたものの、腹痛だといって夜伽を拒否されたといっています。

もし、それが本当ならば、当時の衆道の習慣では、たとえ相手が主君であっても、気に入らなければ、男色関係になるのを断ることができたということになります。

実際、この手紙を読む限り、主君が家臣にあてた手紙というよりも、恋人に宛てた手紙という方が相応しい感じがします。

このとき、信玄は25歳、相手の春日源介は19歳で、二人の年齢が近いことも、二人の関係の対等性を強めることに貢献しているように思えます。

春日源助こと後の高坂弾正がはじめて信玄(晴信)と出会ったのは16歳のとき、姉婿との土地を巡るトラブルで訴訟を起こすのですが、その裁判の場に、父の信虎を追放して、武田家の当主になったばかりの武田晴信がいあわせたのです。

源助は、裁判には負けますが、晴信がその美少年ぶりにひとめ惚れしたお蔭で、武田家への仕官が決まり、主君の一番近くに使える奥近習に抜擢され、晴信に寵愛されることになります。

しかし、源助は主君の寵愛に甘えることなく修行を積み、使い番を経て、26歳の時、信州、小岩岳城攻略の殊勲者として侍大将に抜擢され、春日弾正と改名して、騎馬150騎を預かるようになります。

その後、上杉謙信との川中島の戦いでも活躍、「武田四名臣」の一人に数えられるようになり、信玄亡きあとは息子の勝頼に仕え、武田軍きっての智将との評判をとります。

この略歴をみれば判るように、ただ単に容色が優れていただけでなく、軍人としての才能もある立派な人物だったようです。

武田信玄の手紙に戻りますと、前回の伊達政宗の手紙と比較して、文章が非常にストレートで、若き晴信の一本気な性格がよく表れているように思えます。

もちろん、手紙を書いたときの信玄と正宗の年齢差も考慮する必要があります。

正宗が小姓の作十郎宛の手紙を書いたときの年齢は51、2歳で、もう孫もいる熟年です。

そのためか、酒で酔っ払って自分がいったことを覚えていないなどと苦しい言い訳をしてみたり、作十郎が自分の腕を刀で突いて、血判状を送ってきたのに、

自分も同じようにして返さないことを「他人に嗤われたら困る」などとくどくど言い訳したり、その手紙には、年齢相応の狡さというか、老獪さが表れています。

また、孫もいる年齢になって、衆道絡みの刃傷沙汰に巻き込まれるのは、迷惑だという本心も透けてみえます。

それに引き替え、25歳のときに書かれている信玄のこの手紙の文面は、率直、かつ単純で、源助を想う気持ちがストレートに伝わってきます。

たとえば、信玄は弥七郎を口説いたことを正直に認めていますが、これが正宗だったら、適当なことをいってごまかすような気がします。

信玄がこの手紙でいっていることはただひとつ。


お前が好きや!


これだけです。

ラブレターをもらうなら、こういうラブレターをもらいたい、と思わせる手紙です。


参照ウェブサイト:武田家の人々
http://homepage1.nifty.com/azalea-house/index.html

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by jack4africa | 2008-02-22 00:16
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