人工進化研究所、惣流・キョウコ・ツェッペリン研究室――。
そこでアスカは母親キョウコのデスク掃除をしていた。
「部屋がすっかり綺麗になっちゃったわ、ありがとう」
「ママには研究を頑張ってもらいたいから」
「アスカちゃんがいい子に育ってくれて、ママは嬉しいわ」
キョウコがそう言ってアスカを抱き締めると、アスカはくすぐったいような表情になる。
「まったく、ママってばいつもアタシを子供扱いするんだから」
言葉とは裏腹にアスカは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
“その世界”でのアスカの生活は穏やかなものだった。
時には研究所の所長であるゲンドウの思い付きによる町内会・学校チームとの対抗運動会に巻き込まれたり、間近に迫った学園祭に備えて出し物の練習をしたりした。
夕食はミサトの提案で鍋パーティが行われ、アスカは楽しい気分で自分の部屋に帰った。
しかしベッドで眠ろうとしたアスカに、声を掛ける人影があった。
「どうだい、今日も良い夢を見れそうかい? もっとも、君は目を開けていてもずっと夢を見ているようだけどね」
「誰よアンタ、人の部屋に勝手に入って来て、この変態!」
ベッドから起き上がったアスカは、侵入者をにらみつけて思い切り怒鳴った。
「忘れたとは言わせないよ、僕は渚カヲル、異世界からの来訪者さ。……そして君の目覚めの使者でもある」
「ア、アタシはアンタなんか知らない、すぐに出て行って!」
アスカは凄い剣幕でカヲルを追い払おうとした。
「そうやって君だけ夢の世界へと逃げ出すつもりかい? ……彼は君の事を信じて現実の世界で戦う道を選んだのに」
「う、うるさい!」
ひょうひょうとした表情を崩さないカヲルがさらにアスカを追いつめると、目を閉じたアスカは大声で叫んだ。
「騒がしいのはアスカちゃんよ」
「ママっ!」
部屋に入って来たキョウコの姿に、アスカは驚いた。
キョウコは鍋パーティで酔い潰れて寝てしまったはずだ。
一度眠るとなかなか目を覚まさないと周囲の人間に知られているキョウコだった。
アスカも例外ではない。
キョウコは真剣な表情になるとアスカに話し掛ける。
「アスカは頑張り過ぎて疲れちゃったから少し休みたくなったのよね。本当はアスカは強い子だって、ママは信じている」
アスカはキョウコの言葉を否定せずに黙って聞いていた。
「私はアスカの心の中で生きているイメージ。……だから、私の言いたい事も分かるわよね」
「うん、アタシはママにみんなに自慢できるような博士として生きていて欲しかったの」
「アスカ、もう行きなさい。シンジ君もアスカが戻って来るのを待っているはずよ」
「うん……」
キョウコの言葉にアスカが笑顔でうなずくと、キョウコの姿は光り輝き消え去った。
そしてアスカは、ゆっくりとカヲルの方へ顔を向ける。
「アンタにも迷惑掛けたわね、ありがとう」
「お礼ならシンジ君にたくさんするべきだと思うよ」
「分かっているわよ!」
カヲルの言葉に顔を赤くして答えたアスカは、現実世界への帰還を願った。
すると目の前が真っ白になり、自分の部屋に居たはずのアスカは弐号機へのエントリープラグの中へと戻った。
アスカは使徒レリエルの精神攻撃から脱出して、現実世界へと帰って来たのだ。
「よくもやってくれたわね、さあ、覚悟しなさい!」
アスカは使徒レリエルを倒すべく、気合を入れてATフィールドを展開させた。
それから少し時間はさかのぼり、カヲルが使徒レリエルに飛び込んだ後も、初号機に乗ったシンジは地上でアスカを待ち続けた。
「碇君、きっと何とかなるから信じて」
「うん、分かったよ」
レイが発令所から呼び掛けると、シンジはうなずいて答えた。
カヲルがアスカを助けに行った事がシンジに伝わった様だ。
本当は初号機ごと使徒レリエルの内部へと突入し、自分自身の手でアスカを救い出したいのだと言う気持ちが痛いほどレイには分かった。
「惣流さん、早く戻って来て……!」
発令所に居るレイも、両手を合わせて祈った。
その時、発令所に警報が鳴り響く。
「何が起こったの?」
驚いたミサトが尋ねると、マヤが真っ青な顔をして報告する。
「MAGIが何者かにクラッキングを受けています、もの凄い計算速度です!」
「人間業じゃないわね」
手元の端末用のキーボードを叩いていたリツコが事の重大さを理解したのか、額に冷汗を浮かべてそうつぶやいた。
レイには使徒イロウルの仕業だと分かった。
しかし使徒レリエルが殲滅された様子は無い。
「どうして、使徒が……?」
使徒が順番に出て来るものだと思っていたレイは心の底から驚いてしまった。
そして発令所をさらなる混乱に陥れる人工知能MAGIの音声が響き渡る。
『自爆装置作動コードを受理しました。一定の時間内に自爆中止命令が行われない場合、最終安全装置を解除し自爆を遂行します』
「誰が自爆コードを入力した、使徒を倒すためとは言え独断専行だぞ!」
「いえ、私はそのような操作はしておりません」
冬月の言葉に対して、リツコは即座に否定した。
「まさか、MAGIへのクラッキングの目的は本部の自爆って事なの?」
「おそらく、その通りね」
ミサトの疑問にリツコはうなずいた。
「自爆中止命令を出せ」
「ダメです、プロテクトが掛けられていて通じません!」
ゲンドウの命令に対してマヤは悲鳴を上げた。
「こうなったからにはMAGIの本体に端末を直接接続し、緊急コードを入力して停止させるしかありません」
「出来るのかね?」
「はい、まだ時間的に余裕があります」
冬月の質問に、リツコは毅然とした表情で答えた。
「リツコ、頼んだわよ」
「ええ、任せて」
ミサトの言葉に見送られて、リツコは発令所を出て行った。
使徒の能力を知るレイはリツコの力で使徒を倒せるのか不安だった。
そこで発令所のメンバーの目を盗み、リツコの端末にメールを送信する。
『進化の終点は、自滅』
頭の良いリツコの事だ、このヒントだけで正解に行きついてくれるだろうとレイは思った。
しかしその安心も束の間、爆発音が鳴り響き地面が震動した。
「どうしたの、まさか自爆装置が作動したの?」
「いえ、上空からの攻撃です!」
ミサトの質問に、マヤはそう答えた。
「もしや戦略自衛隊がしびれを切らして勝手に攻撃を開始したのではあるまいな」
「そんな……!」
冬月の推測を聞いてミサトは息を飲んだ。
「大変です、衛星軌道上に新たな使徒が出現しました!」
「何ですって!?」
マヤの報告にミサトは驚きの声を上げた。
すると再び爆発音と震動がネルフ本部を襲う。
しかもその規模はさらに大きい。
「使徒は身体の一部を投下させ、攻撃を仕掛けてきたようです。落下の威力も合わさって、破壊力もかなりの物になっています」
「私達の『ルーデル作戦』の二番煎じのようなやつね」
ミサトは悔しそうにつぶやいた。
「これまで数回攻撃が行われ、最近の2回は近い場所に着弾したようです」
「学習して軌道修正をしたって事か。……今度はきっと本体ごとネルフへやってくるわね」
「ネルフの自爆が回避されても、これでは意味が無いな」
冬月が発言すると、発令所は悲愴感に包まれた。
しかしその空気を善しとしないシンジは大きな声で叫ぶ。
「ミサトさん、僕が初号機で使徒を受け止めます!」
「無茶言わないで、使徒の落下予測地点の範囲は広いのよ。初号機だけでカバーできるものでは無いわ!」
「諦めなれれば、きっと奇跡は起きるって言ってくれたのはミサトさんでしょう?」
「えっ!?」
シンジの言葉にミサトは目を丸くした。
ミサトはそのような事をシンジに話した覚えが全く無いからだ。
そしてシンジの乗った初号機は待機していた場所から突然走り出した。
ビックリしたミサトがシンジに声を掛ける。
「ちょっと、シンジ君!?」
「大丈夫です、任せて下さい」
シンジはミサトに対して自信たっぷりにそう答えた。
使徒が以前と同じ場所に墜ちるのならば、あの山の頂上が中心だとシンジには分かっていた。
アスカが使徒を倒して戻って来ても、自分が失敗してしまっては意味が無い。
「アスカの帰ってくる場所を僕が守るんだ……!」
シンジは気合十分で使徒の降下を待ち受けた。
予想通り使徒はその巨体を地上へと落下させ始める。
そしてシンジは思惑ピッタリに真下から使徒のコアを狙える場所に潜り込む事に成功した!
シンジは初号機の右手を上に挙げて使徒の巨体を支えながら、左手でプログナイフを抜いて使徒のATフィールドを貫いて使徒のコアを攻撃しようと試みる。
「くっ、両手で使徒を押さえるのに精一杯で攻撃が出来ない!」
これはシンジにとって想定外だった。
片手を放そうとする度に使徒に押し潰されそうになる初号機を見て、発令所のミサト達は悲鳴をあげる。
「せめて弐号機がいれば何とかなるかもしれないのに……」
ディスプレイを見つめるミサトは悔しそうな表情でつぶやいた。
エントリープラグの中のシンジも苦しい顔でグッとこらえている。
「シンジ、アタシが行くまで踏ん張りなさい!」
「アスカ?」
使徒レリエルの体の中から、浮きあげるように弐号機が姿を現した。
空中に映し出された使徒レリエルの影は崩壊を始める。
アスカが弐号機で使徒を倒したのだ。
弐号機の姿を見たシンジに力が宿った。
使徒レリエルの体内から飛び出したアスカは弐号機を、奮闘を続けるシンジの乗る初号機の元へ向かって走らせる。
「シンジ、お待たせ!」
「アスカ」
頼もしい援軍の到着に、シンジはホッと安心した表情を浮かべた。
「えいっ!」
弐号機の振り上げたプログナイフは使徒のATフィールドを貫き、使徒のコアを突き刺した。
コアを失い初号機と弐号機にもたれかかるように使徒の体は爆発した。
初号機は弐号機をかばうようにATフィールドを張り、衝撃から弐号機を守るのだった。
「もう、シンジってば無理しなくて良いのよ、アタシだってATフィールドを張れるんだし」
「ごめん、つい」
モニター越しに顔を見合わせたアスカとシンジは、微笑みを浮かべた。
そして自爆中止命令を受理したと言う人工知能MAGIの音声が発令所に響き渡ると、ミサト達も緊張状態を解く。
全ての使徒が殲滅された事が確認されると、発令所は歓声に包まれた。
「ありがとう、あなた達のおかげよ!」
ミサトも感激してシンジとアスカを両脇に抱き締めた。
初めは驚いたシンジとアスカも、ミサトの気持ちが伝染したのか嬉しそうな笑顔になる。
そんなミサト達の様子を、レイは離れた場所で少し寂しそうな表情で見ていた。
逆行前の世界では、零号機と初号機、弐号機であの使徒を倒したと言うのに、シンジ達に混じる事が出来ないのは残念だった。
「レイのヒントで助かったわ、ありがとう」
「赤木博士……?」
突然リツコに声を掛けられたレイは驚いて振り返った。
「私はネルフのコンピュータ・システムについては熟知しているから、それくらいは解るのよ」
リツコが自信たっぷりに断言すると、レイは怯えた目でリツコを見つめた。
「誤解しないでレイ、自分が怪しまれる危険を冒してまで助けてくれた事に、私は感謝したいのよ」
「そ、それなら私も碇君達のように抱き締められたいです」
レイは自分が口走ってしまって言葉に、思わず赤面した。
リツコも目を丸くして驚いたが、ぎこちない動作でレイの事を抱き締める。
お互いに慣れていないようでたどたどしい抱擁だったが、レイは温かい気持ちになり、リツコに対して漠然と感じていた冷たさの様なものがすっかり溶けて行くのを感じた。
その日の夜、葛城家のリビングでは祝賀会が催され、葛城家の家族以外にもリツコやレイ、加持も参加した。
「トウジ達やカヲル君と一緒にパーティが出来たら、もっと楽しかったのにね」
「大丈夫、そのうち実現できるわよ」
シンジが少し寂しそうな表情でつぶやくと、アスカはそう言って励ました。
「お帰り、祝賀会は楽しかったみたいだね」
自分の部屋に戻ったレイを、同居人のカヲルがいつものスマイルで迎えた。
「あなたが参加できない事を碇君達は寂しがっていたわ」
「気に掛けてもらえただけでも嬉しいよ」
「……それで、気になる事があるのだけど」
「分かっている、今日の使徒の事だね」
レイの言葉を聞いたカヲルは真剣な表情で答えた。
「どうして前の使徒が倒されていないのに、次の使徒が出て来たのかしら?」
「敵も知恵を付けたのか、3体同時襲来とは恐れ入ったね」
「……この世界は、ただ時間が逆行しているだけだとは思えないわ」
「異なる要素が介入しているかもしれないと言うのかい?」
「ええ……逆行による影響による変化なら構わないのだけど」
「僕が生きている事が悪影響を及ぼしているのなら、僕は喜んで死を受け入れよう」
カヲルがそう言うと、レイは怒った顔でカヲルをにらみつける。
「冗談でも、そんな事を言わないで」
「分かったよ」
レイの機嫌を損ねてしまった事に気が付いたカヲルは謝った。
そして2人は互いに寄り添い、夜空に浮かぶ月を眺めていた。
さらにレイとカヲルはそっと手を繋ぐ。
無言でも相手の温もりが伝わって来るようだった。
長い波乱の一日は、穏やかに過ぎて行った。
しかしレイの嫌な予感は、また的中してしまう事になる。
逆行前の世界には無かったイレギュラーが起こったのだった……。