精神医療の真実  聞かせてください、あなたの体験

精神医療についていろいろ調べているフリ―ライター。日々、憤りを感じたニュースや出来事を書き連ねています。
およそ非科学的な精神医療という世界。
実際に、精神科医、処方薬によって被害を被った方、どうぞ声を挙げてください。


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(1からのつづき)

しかし、当の隆士さんは、少しずつ薬が減ってくると、以前のようにゲームをやったり、日に1時間ほどはマンガを読んだり、コンビニにも買い物に行けるようになった。不穏になることもなくなったのだ。

 リスパダール0.5㎎、デパケン200㎎、ワイパックス0.1㎎のまで薬は減っていた。

                              

入院中、減薬されて症状悪化

しかし、市の相談員はずっと鈴木さんが勝手なことをしていると考えていた。相談員が電話でそれを医師に言ったのだろう。鈴木さんは入院を勧められた。家での減薬に多少の限界も感じていたところだったので、鈴木さんは仕方なく入院させることにした。今年の1月のことだ。

入院して3日後、看護師から「大丈夫です」との電話があったが、4日目、面会に行くと、どうも様子がおかしい。母親のことさえわからなくなっている。その頃、鈴木さんは薬についてかなり勉強していたので、ワイパックスを減らしたのではないかとすぐにわかったと言う。

「薬を変えたでしょ?」と看護師を問い詰めたが、変えていないとの返事。

 診察のとき、医師が「この子には幻聴があるようです」と言ったので、鈴木さんが「薬を減らしたからでしょう」と再び問うと、「減らしていません」と同じ返事が返ってきた。そして、隆士さんに「何か聞こえる? 聞こえる声を、この紙に書いてごらん」

 隆士さんは「ザー」という文字を書いた。

「先生、これはエアコンの音でしょ。私にも聞こえますよ」

 すかさず鈴木さんはそう言ったが、医師は無視して、幻聴というものが患者にとってどれほど辛いものかを延々と話し続けるだけだったという。

 医師のいない日曜日、鈴木さんは看護師に無理やりカルテを見せてもらった。やはりワイパックスを減らしていた。医師に元に戻すよう訴えようと思ったが、すでに手遅れだった。暴力が出てしまい、結局、デパケンがテグレトール300㎎となり、それでも治まらないので500㎎に増量。せっかく0.5㎎に減っていたリスパダールは1㎎となってしまった。


突然、薬を減らすことの危険性

鈴木さんは医師に「これまで、薬を減らして状態が悪くなった患者はいないのか」と詰め寄ったが、医師は激怒して話にならない。

「まったく精神薬についてわかっていないんです。適当に処方して、適当に減らして、それで状態が悪くなったら、薬をまた増やして、何の見通しも計画性もない。ただただ、その時の症状しか見ていないし、先のこともまったく考えていないんです」

 医師に薬を元に戻してほしいと言っても聞く耳持たず、手紙に書いて訴えても無視されて、看護師、ケースワーカーに言っても、「親が勝手なことをやっているからこうなった、親も薬を飲んだ方がいい」と言われる始末。

「先生の言うことを聞かないからこうなった」という見方しかしてくれない。

 周囲のだれも相手にしてくれない中、ようやく看護師長が鈴木さんの話に耳を傾け、病院の医師との間にたってくれた。薬について知識のある鈴木さんは、それ以降も医師とさまざま言い合いをしながら、それでも徐々に薬を減らしていくことができた。


断薬して現在3ヵ月

漢方の抑肝散のみとなって、現在3ヵ月ちょっとが過ぎたところである。

「最初の1ヵ月はひどかった」と鈴木さんは言う。

 ほとんど寝たきり。体が固まって動かなくなったり、そうかと思うと突然、裸になってみたり。起きたときにとにかく何でも食べさせるという状態だった。

 2ヶ月目、戸の開け閉めや部屋を移動するときの動作が激しい。日に1回か2回、大声をあげながら走り回ることがある。

 そして3ヵ月目の現在は、「少しだけよくなってきたような感じがする」と鈴木さん。

 笑顔を見せることもある。話しかけてくることもある。長い文章はまだ出てこないが、短い言葉はわりにはっきりしゃべることができる。服の着替えが一人でできる。ときどき一人で大笑いする……。これまで原液のまま飲もうとしていたカルピスを何とか薄めて飲むことができるようになった。

「何年かかるのかわかりません。元に戻るのかもわからない。でも、もう二度と医者まかせにはしません」


 ここには経緯を簡単に書いたが、鈴木さんはこれ以外にもいくつもの病院、医師に相談に行っている。しかし、減薬に協力してくれている現在の医師以外、誰ひとりとして、薬の副作用について、減薬時の症状について、知っている医師はいなかったという。小児科の医師、精神科医、国立病院の医師もみな、ただ、見たままの症状で判断をしているだけだった。そして、医療にかかわる看護師もケースワーカーも相談員も、誰ひとり、減薬につとめる鈴木さんを理解することはなかった。

 減薬をしているから「一時的に」状態が悪くなっているだけだということがわからない。離脱症状のことがわからないから、入院していてさえ、薬を減らしたり、一気に薬を切ったり、平気でそういうことをする。その結果状態が悪くなると、今度は一気に薬を増やす。そして、周囲の人間は、鈴木さんが勝手に薬をいじっているから状態が悪いのだという思い込みで、何の支援も援助もしてくれない。

「もっと勉強してほしい。素人の私だって、パソコンにしがみついて、薬の知識を得ることができたのに、専門家なら、もっと勉強するのは当然。本当に、何も知らない。びっくりするくらい、呆れるくらい、本当に何も知らないんです」

 そして、周囲は、薬についてほとんど何の知識もない「医師」をただ「医師」であるというだけで信頼し、そんな医師の言うことを聞かない親をまるで子供を「虐待」しているかのような目で見る。

 それにしても、こうしたことは鈴木さんの例に限らず、精神医療の根本問題として横たわる、一つの現実である。

しかし、子どもを薬漬けにされた親はそれこそ死に物狂いで勉強をしているのだ。ちょっとした薬の量の違いでどう反応が変わってくるか、それこそ息をつめて子どもの変化を見守っている。ちょこちょこっと患者を診ているだけの医師とは見ている深さが違うのだ。本来なら、有能で謙虚な医師は、そういう親や当事者からさまざま学んでいくのである。が、精神科に限ったことがどうかはわからないが、現在、そんな医師はほとんどいない。家族が口出ししようものなら、激怒して「もう診ない」と投げ出すのが関の山だ。

この硬直化した思考、体制、厚い壁……こんな状態である限り、精神医療の進歩はほとんど望めない。


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 多くの方のご厚意に、心より感謝申し上げます。

ずいぶん久しぶりとなってしまいましたが、少しずつ、また体験談など、お伝えしていこうと思います。

北陸のある地方都市に住んでいる、現在23歳になる息子さんのお母さんからメールをいただき、ひと月ほど前ですが、電話で話をうかがいました。

 精神薬・減薬についてまったく知識も理解もない医師、それを取り巻く周囲の人たちの医師への無条件の信頼感、そうしたなかで母親が孤軍奮闘せざるを得ない話の内容に、またしても精神医療の貧しさを感じる結果となりました。


養護学校の紹介で受診したのがすべての始まり

 鈴木さん(仮名)の息子さん(仮に隆士さん)は、小さい頃交通事故に遭い、それがもとで軽度の知的障害を負った。学校は特殊学級だったが、友だちもでき、マンガを読んだり、ゲームをしたり、ただ勉強の内容を覚えるのが少し苦手というだけで、生活はごく普通にできていたという。

 しかし、左半身に軽い麻痺があり、高校は養護学校に進んだ。麻痺のため指先の細かい動きができず、ベルトが締められない。できないことが少しずつ積み重なって、隆士さんはイライラが募るようになった。そして、あるとき、不貞腐れて、停車中の通学バスの前に寝そべってしまった。そのことで、学校の先生は、母親である鈴木さんに仕事をやめて送り迎えするように言ってきた。

高校に入って親しい友だちができなかったのも一つの原因かもしれない。隆士さんに抱きついて離れない子どもがいて、そのことでもイライラが増していき、さらにあることを友だちにバカにされていると思い、授業放棄したこともある。

 入学して3ヵ月経った頃、養護学校の先生から「医者に行くように」と言われた。しかし、母親とすれば、家では普通に過ごしていたので、なぜ? と思った。それでも、先生から言われれば断りきれない。紹介された、県内でも発達障害を診ることで有名なある医師を受診した。そして、薬が処方された。

テグレトール400㎎、デパケン400㎎、コントミン50㎎、アキネトン2㎎。

ここから地獄が始まったのである。

隆士さんは、学校にいるあいだ、延々と歩き続け、男性教師に殴りかかった。それを聞いた医師は隆士さんを「多動」と診断。

夏休みになると生活は完全に昼夜逆転となった。夜中に出かけていき、何度も車で探し回った。ちょっとしたことで怒りが爆発し、まるで腫れものに触るかのような日々。

「事故に遭ったあと、人を笑わせるのが上手で、癒される子だったのに、別人みたになってしまった」と鈴木さんは言う。

 しかし、医師は薬の副作用など疑ってみることもせず、「こうなったのは親の対応が悪いから」と言った。学校は学校で「無理して登校しなくていい」と言う始末。

 治療が始まって3ヵ月後、大学病院を受診した。診察中、隆士さんは駐車場を走り回って、そのまま入院となった。

 テグレトール200㎎、アキネトン3㎎、リスパダール4㎎、デパケン200㎎。

 この頃には、好きだったマンガもゲームもできない状態になっていた。笑わない、冗談も言わない。それでも、学校へは通っていた。買い物に出かけたり、外食もなんとかできた。

 しかし、半年後、ボーっとした状態が続いたので、鈴木さんは薬を減らしてほしいと医師に頼んだ。すると、テグレトールを一気にやめ、アキネトンを3から2㎎、リスパダールを4から3㎎に減らした。高校3年の冬のことだ。

 その後、声が出なくなり、食欲がなくなり、何か食べようとするとこぼすようなった。何事かうるさく言い続け、ときには死にたいと言ってナイフを体に当て、やがてほとんど寝たきりの状態に。


統合失調症の診断

 息子の身に何がおこっているのかわからないまま、鈴木さんはいろいろ本を読み漁った。その中の一冊から、高次脳機能障害の専門医を知り相談をすると、精神科に回されて入院となった。

 声が出ないのは薬の副作用かもしれないからと医師は言い、それまで飲んでいた薬をすべて一気に切って、ひたすら点滴をされた。

 その後、エビリファイが処方され、一週間後、隆士さんはかすれる声で「宇宙人が」とか、母親に向かって「おまえは誰だ」とか「俺は捨て子じゃない」などと言い始めた。医師は統合失調症と診断した。

しかし、鈴木さんはエビリファイの副作用ではないかと感じて、医師に言うと、ジプレキサに変薬になった。すると、今度は顔から表情が消え、鉄仮面のような、ロボットのような顔になってしまった。それを医師に言うと、あっさりエビリファイに戻された。

常にイライラし、女の人の高い声に異常な反応を示し、突然殴りかかったり、眼球も上転した。非常に状態が悪く、1ヶ月の入院予定が半年経っても帰れない。それでも、鈴木さんは無理に息子を退院させた。そのときのエビリファイは30㎎処方されていた。

 退院後は、週に3日作業所に通ったが、副作用はひどかった。とくに食べ物が喉を通らず、隆士さんは横になって食べていた。それを見た市の相談員いわく「食欲があっていいですねえ」、それくらいの認識しかないのだった。


薬剤性の症状

 その後、多飲が悪化して、お茶を10ℓ飲んだり、コーヒーは20杯。震える手で自分でコーヒーを作るものだから、家中コーヒーをこぼしまくって、舌の突出もあったので、口に入れたものもこぼし、「1日に5回は洗濯をしなければならなかった」という。その頃飲んでいたのは、エビリファイの他、アキネトン、リーマスなど。

 家での暴力も出て、それを医師に言うと、薬をとっかえひっかえ処方した。あるとき抗うつ薬が処方され、それを飲んだ隆士さんは3日間、寝たきり状態となり、3日後、目を吊り上げて、人でも殺しそうなほどの錯乱を見せた。

ついに医師は「もう出す薬がない」と投げ出した。

作業所にも行けなくなり、暴力はひどくなるばかりだった。窓ガラスを割り、壁はボコボコになり、それを止めるため鈴木さんは息子と取っ組み合いとなって、服は破れ、髪の毛は抜け、殴り合いになることもあった。ご主人は10年ほど前に亡くなって、2歳上の兄がいるが、兄とも殴り合いとなり、もう家族みんなが疲れ果てていた。

「もうどうなってもいい。死んでくれてもいいと思った」と鈴木さんは本音を言う。


薬の勉強をする

 それでも、最悪の事態になる前に、もう一度……。その思いで、鈴木さんはネット上の「精神科セカンドオピニオン」のHPで薬の勉強を始めたのだ。毎日毎日3~4時間、隆士さんの状態を見ながら、1年半ものあいだ精神薬についての知識をかき集めた。そして、去年の10月、笠医師に相談をして、減薬を始めたのである。

 減薬が進むと、離脱症状のため、状態はさらに悪化した。何度も2階から飛び降りそうになったり、家の中や家具など壊され、取っ組み合い、殴り合い――「被害総額50万円以上かも」と鈴木さんは言う。

「正直、もう死んでもいいと思ったことが何度もあります」


 リスパダール1㎎、デパケン400㎎、リボトリール0.5㎎にまで減薬したところで、ついに家ではどうにもならないと感じて、「精神科セカンドオピニオン」のHPに書かれていた、近くの病院を受診した。

 医師は、薬が重ね着されているので、どうなっているのかわからなくなっていると言った。デパケンとリボトリールを足してみたところ、悪化してしまった。そんな隆士さんの状態を見たある男性ヘルパーは腰を抜かさんばかりに驚いて、二度と鈴木さんの家に来なくなった。

しかし、市の相談員は、減薬に取り組む鈴木さんの行為を、母親が勝手に薬を減らしているから状態が悪化していると医師に告げたのである。医師の言うことを聞かずに薬をきちんと飲ませないから息子の状態が悪い、母親のせいで息子の病気がどんどん悪くなっている……そうした周囲の受け止め方があるため、鈴木さんは徐々に周囲から相手にされなくなっていった。

                       (つづく)


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12月15日~20日。

38.5~40度の高熱が続く。全身の発疹、大量の下痢と水便、箸やペンがうまく握れないほどの手足の汗(このひどい症状は4月まで続き、現在も症状は出るがだいぶ緩和している)、昼夜問わず急に動悸がはじまるため不眠になった。1日中吐き気に襲われる、体の震え、目の痒み、視界がぼやけ強い違和感、記憶の抜け・食べ物や物の名前が思い出せなくなる、手の強い痺れと冷え、過去にあった出来事の一部分がモヤモヤと思い出せない(医師に言うと、鬱の症状だと言われた)、強い不安感、毎朝このまま死んでしまうのではと、「死」に頭が捕らわれる、感染症を防ぐため病室から出ることが出来なくなり閉所恐怖症再発。簡単に挙げてもこれだけの症状がありました。



また この期間、一切風呂に入ることも頭を洗うこともできないため、痒みと異臭に耐え続けていました。首に点滴を入れているわけだから寝返りも、ベッドから起きあがる行為も痛みを伴うため上手くできない。

看護師に辛さを訴えると「精神科以外の入院患者さんはみんな治らない症状と戦いながら入院しているんですよ」と言い返される。

薬のせいでこんなことになったのに? 医師の安易な判断で出された薬のせいで死ぬような苦しみを味わっているのに我慢しろというのか。



12月21日。熱が37度まで下がって、薬剤が抜けてきたということでCVカテーテル撤去。全身の発疹も半分以上が緩和。一時期は皮膚を切り取って検査しようと言われていたのだが、状態が落ち着いたため皮膚科医が不思議そうに「りんご病、水疱瘡だったのかな? 検査をおすすめします」

ということで、またしても動脈からの採血(動脈からの採血がどれだけリスクある行為か。静脈からとは違い細菌が入ったら一瞬で全身に回る危険性があります)。

りんご病をはじめとする病気は幼児期に発症していますし、ワクチンも摂取しています。またこの血液検査も二度行いましたがどれも引っかかりませんでした。



A研修医が、「先生方いろいろと意見はあるようですが僕は薬だと思います」とこっそり私に言いました。後にも先にもあの病棟でまともな医者はあの人だけだったと思います。




症状が落ち着き、再びリーマスが処方される

12月26日。赤みが残るものの発疹が収まったため、ステロイド剤を中止。

一つの場所に3分と座っていられない落ちつかない状態。

また、目の不調を担当医に言うが相手にされず。スティーブンス・ジョンソン症候群も撤回される。「どっかでウィルスでももらってきちゃったのかもね。でもデパケンとラミクタールはやめましょう」と言われる。薬疹でないと言うのならば、なぜ薬を止めると言うのでしょうか。

またこの時を境に、今まで5種類は処方されていた薬が激減される。このことを見る限り、病院側が薬の処方を恐がっていることがうかがえます。何がなんだか分からない。今でもあの時のことを思い出すとどれが真実がわかりません。

リーマス200mg開始。



12月29日。200mgでは効果がでないと診断され、リーマス400mgに増量

1月3日。手指に赤い水ぶくれができ、強い痒みを感じる。また、手の震えがはじまった(リーマスを400mgに変更してからはじまってきた。今までリーマスは200mgの時の処方はあったもの、400mgは入院初期の数日だけ。その時は喉の異様な渇きが理由で中止している)。

1月5日。皮膚科に診てもらったところ、大量に発汗する人におきる症状とのこと。

精神科医に、「このような症状は薬を抜いてから出たこと。また、今までこのような症状を体験したことがないということ。離脱症状ではないか?」と尋ねましたが、「離脱症状?違いますよ。私だって時々手が痒くなりますし」と返される。

目の症状も、最初は見え方の違和感だけだったが、目の充血、日に日に圧迫感へ変わっていき 握る潰されるような感覚と 目の奥が引っ張られるような痛み、それ以外にも数種の目の痛みを感じる。また異様な目の渇きも起こってきた。

1月6日。同大学病院の眼科にて検査。視力の低下は見られない、痛みに対しても分からないとのこと。ドライアイの症状はないと診断。目の渇きもよく分からないとの診断。充血のためアレルギー点眼薬を処方。

1月7日。退院。




19日。大学病院の眼科1件、大学病院勤務経験のある開業医1件、市で有名な眼科1件、再度入院した大学病院の眼科を受診。

目の症状が納得いかず、あちこちで見てもらったが理由は分からなかった。

しかし、開業医のところで、「眼圧が高いようです。今は違いますが緑内障も気にした方がいいのでは? 精神薬での緑内障へ移行するケースはあります」と診断。後に緑内障の検査をしましたが、眼圧値は高いが緑内障ではなかった。



1月18日。精神科受診。

外来の担当医に、手の震えが強いことを訴えるとリーマスの副作用と言われ半量に減薬。

「デパケンいい薬なのにね。使いたい薬」と言われたため、

「スティーブンス・ジョンソン症候群の件はどうなりましたか?」と聞き返すと、

「それはない! 他の先生もそういっている!」と声を荒立てて言い返される。

「眼科でも緑内障の疑いを言われました。向精神薬の危険性も言われました」

「そんなことはない! 最近そう言うことを言い出す他科の医者が増えて精神科医がどれだけ迷惑してきたか! あなたは一生薬を飲み続ける必要があります!」

今まで一度だって怒鳴り声をあげたことがなかった担当医が怒鳴っていました。ついに本性を見せはじめたわけです。

1月25日。精神科受診。

リーマスがあまりにも効かないので精神科医に伝えると、あれだけ「他にもお薬はたくさんありますよ」と言っていた担当医が「じゃあどの薬が飲みたいですか?」と言ってきた。ついに医者としてまる投げしたわけだと考えました。ユーパン0.5mgとレキソタン2mgを希望して処方。




メンタルクリニックに転院、そして断薬へ

2月1日。大学病院まで行く必要を感じなくなったために、近くにあったメンタルクリニックへの紹介状を書いてもらった。

「普通だったらこういうのを書かないで診断を中止する医者もいるんですよ。今回は書きますけどね」とまるで恩をきせるように言われたが我慢した。

 2月3日。メンタルクリニック受診。減薬、断薬について話すと否定はされなかったが、やり方などのサポートは一切得られなかった。また離脱症状は否定された。

せめて定期的に通ってアドバイスが欲しいと言いましたが、具合が悪くなったら来てくださいとしか言われず、デイケアも必要ではないと言われました。

「お薬が病気を治してくれるわけじゃありません。それにパキシルなんて麻薬と一緒ですからね」と言われた時には、この先生はすこしはマシな方だと思いました。

精神科医も気づいているのです。それでも薬を処方する。向精神薬では治らないと知っているのに、麻薬のような薬を闇雲に、必要でない人間に飲ませているんです。




2月4日。退院後、度重なる離脱症状に不信感を覚えたため調べたところ、向精神薬についての脅威や今私が感じている症状と酷似した離脱症状がこれほどまでたくさんあることを知った。退院後に飲用してきた向精神薬すべて飲用中止。



薬を止めてからの様子は恐ろしいものでした。身体的症状でなく、精神病として診断されてもおかしくない状態。暴れて母とつかみ合いに何度もなりました。家にいるのが辛くなりネットカフェで2日間寝泊まりしたこともありました。

警察にどうしたらいいのか分からないと駆け込んだこともあります。保健所にも相談に行きました。同じような悩みを抱えた人たちのサークルも探しましたが、うつ病のサークルの存在さえ、公に場所を貸出ししている役所でさえ情報の開示を行わない。警察も保健所も市役所も、何の役にもたたないんです。何も調べずに愚痴を言っている訳ではなく、あちこち駆けずり回って離脱症状と理解されないストレスにさらされながら得た真実がこれでした。

また、漢方薬を処方してほしくて他の大学病院にも行きましたが「そんなに長く離脱症状は続きませんよ。離脱症状じゃなくて違う精神的な病気なんじゃないかな。漢方もね~。そんなに辛いならお薬飲んだほうがいいと思うけどね。あと、聞く限り双極性障害もクエスチョンですね」と言われました。

この大学病院の医師の話から考えるに、双極性障害は誤診であったわけです。つまりは必要のない薬を死ぬような思いまで体験させられて飲まされてきたのです。もはやこれは殺人未遂ではないでしょうか。




続く離脱症状、将来への不安

以上がクロエさんからのメールです。

過呼吸から始まった精神科治療。その辿った道は、被害を受けた多くの人が辿った道と、どこかしら似ています。安易な診断による安易な薬の処方。症状が改善しなければ薬を増やすか、あるいは変薬されて、副作用なのか離脱症状なのかわからない状態となってしまう。それをまたしても病気の悪化、あるいは他の病気への移行と見なされて、その病名に沿って薬が選ばれ、改善しなければ増量される……。

結局、患者は薬をやめることでしか、こうした蟻地獄のような精神科治療から離れることができず、そこにはまたしても離脱症状という辛い状態が待っている。さらに離脱症状は離脱症状と見なされないため、減薬、断薬は患者の自己責任のもと行うしか方法がありません。

何のための治療だったのか?

さらには、重篤な副作用を起こしたときの、あのあまりにお粗末な精神科の対応。危険な薬を扱っているにもかかわらず、あのようなレベルでは患者は生命の危険にさらされます。

「ベンゾ系の飲用6年、パキシル5年。向精神薬を断薬して4ヶ月。離脱症状は辛いです。麻薬のように頭をバカにさせていた時の「楽だな」という感覚も忘れることは難しいです。もし断薬が成功しても社会復帰できるだろうか。ただでさえ父から度重なる被害を受けているのに、母にもしものことがあったら? 私が介護することになるのだろうか。不安は尽きません。」とクロエさんは言います。

現在はカウンセリングを受け、自律訓練法を学んだり、フラワーエッセンスを学んだりして、離脱症状緩和に努めていますが、6年弱の精神科治療によって受けたダメージは、将来までも左右しかねないものです。

不必要な治療・不必要な投薬で、どれだけ多くの人が、人生の貴重な時間を台無しにされているか、あらためて、その医療の杜撰さに怒りを覚えます。