太平洋戦争の終戦直後、サハリンで暮らしていた朝鮮人の数が急減したのは、日本軍の虐殺によるものとする旧ソ連の公文書が14日に公開された。
この公文書は、韓国の国家記録院がロシアのサハリン国立文書保存所から入手し公開したもので、1946年に旧ソ連が作成した人口報告書の草案だ。
民生部門の人口調査の関係者が手書きしたこの報告書には「第2次世界大戦前、サハリンのエストル(恵須取。現在のウグレゴルスク)に住む朝鮮人の人口は1万229人だったが、(戦争直後の)1945年11月には5332人に減った」という内容が含まれている。
当時、サハリンにいた朝鮮人は、ほとんどが日本によって強制的に徴用され、炭鉱や森林の伐採地で働いていた人々だ。
人口報告書にみられる当時のサハリン・エストル地域での朝鮮人の減少は、常識では考えにくいものだ。エストル地域に居住していた日本人は、戦前の7万262人から、45年11月には5万424人と28%減少したが、朝鮮人は、同じ期間に47%も減少していた。
民生当局の担当者は、急激な人口減少の理由について「戦争中の疎開、南部および日本への自発的避難もあり得るが、日本軍国主義者たちが朝鮮人住民を殺害した結果ではないか」と記した。しかしこの文書は、いつ、どのようにして、何人殺害されたのかに関する明確な記載はなかった。
第2次世界大戦直後のサハリンでの日本軍による朝鮮人虐殺事件は、1945年8月21-23日に日本軍の憲兵や警察が上敷香(現在のポロナイスク)で男性18人、瑞穂(現在のポジャルスコエ)で妊婦や子どもを含む27人を無差別に殺害したという二つの事件がこれまでに明らかになっている。