低レベルでも長期間放射線が当たると、なぜがん化など生体に重大な障害が発生するのか。そのメカニズムは、“原発事故時代”を生きるための必須の常識となる。悪行の実行者は実は生体内の酸素。だがこのナゾの本質的な理解には、酸素原子の電子配列といった奇妙な話から始めなければならない。しかし、それが発がんをはじめとする生体障害発生メカニズムの核心のひとつなので、ゆっくり読んで頂きたい。
原子は原子核の周りを電子が回る構造をもつとは周知の通りだ。周回する電子は“定員2名”の軌道に“ペア”分配されていく(定員2名は「パウリの禁制」という)。
酸素原子の場合、原子核の回りを8個の電子が回っている。まず最初の2個が1s、続いて次の2個が2s、次の2個が2pという軌道に入っている。問題は残りの2個。本来なら次の2dという軌道に2個入って落ち着くはずなのだが、酸素原子は変わり者で、2dには1個しか入れず、残る1個は次の軌道2fに入っている。
本来なら定員2名のところに1個しか電子が入っていない場合「不対電子」と呼ばれる。実はこの不対電子が、生体に大きな影響をもたらす「ラジカル」の出発点となる。不対電子は、自分が回っている軌道に他所から1個の電子を奪い取って、ひととき定員2個の安定な形になろうとする。
実際に空気中などに存在している酸素は、酸素原子が2つくっついた酸素分子となっている。だが、たとえ形は分子となっていても、それを構成する酸素原子がもつ不対電子の問題がなくなっているわけではない。
酸素分子は、まわりから電子を奪い取ると、余計な電子がくっついた「スーパーオキシド・ラジカル」となる。
スーパーオキシド・ラジカルは、さらにまわりから電子と水素イオンを取り込んで、我々がよく知っている過酸化水素となり、この過酸化水素がさらに電子を取り込み、水分子を吐き出すと悪名高い「ヒドロキシ・ラジカル」と化す。ここにでてきたラジカルは極めて反応性が高い。
他の物質に取り付いてその構造を破壊したり、別のものに変化させたりする。
上述のようなラジカルは、実は生体が細菌やウイルスなど侵入者の攻撃に積極利用している。スーパーオキシド・ラジカルやヒドロキシ・ラジカルを生成して細菌やウイルス殺し、生体を外敵の侵入から守ってる。
それどころか、細胞内呼吸の中枢であり、エネルギーの生産拠点でもあるミトコンドリアの中では、血液中のヘモグロビンが肺から運んできた酸素分子を受け取り、それをスーパーオキシド・ラジカル、過酸化水素、ヒドロキシ・ラジカル、そして水へと変化させ、その都度、糖質から電子や水素を奪い取り、最終的には糖質を細胞内のエネルギー源であるATP(アデノシン3リン酸)に変えている。
細胞内にはこのようにラジカルが常に一般的に存在しているわけだが、過剰なものはスーパーオキシド・ジムスダーゼ(SOD)やペルオキシダーゼ、カタラーゼといった抗酸化酵素によって直ちに分解される。だが、その能力以上にこれらラジカルが産生されると、体に障害(病気)をひきおこす。
がんも例外ではない。細胞の核の中で発生したラジカルがDNAと結合してDNA鎖を切断という事態も生ずる。2本鎖のDNAの片側だけの切断ならDNAポリメラーゼが修復できる。だが、同じ位置で2本のDNAが切断されると異常DNAとなり、これががんの出発点となる。がんにならなくても、細胞分裂自体ができなくなる。
実はここに放射線とがんとのひとつの接点がある。放射線が水分子に当たると、放射線の持つエネルギーで水分子から電子と水素イオンをはじきとばす。できたのは悪名高いヒドロキシ・ラジカルである。
もちろん生体はこれらラジカルのやり放題に手をこまねいているわけではない。悪行阻止のため、スーパー・オキシド・ディムスターゼ(SOD)、ペルオキシターゼといった酸素でラジカルの消滅を図る。しかし、細胞分裂が盛んな場所などでラジカルを抑え込みに失敗すると、ついにがんの発生を許してしまう。
(多摩大学名誉教授 那野比古)