一九八五年八月の日航ジャンボ機墜落事故当時、各機体の整備を担当していた同社の元社員が、五百二十人の犠牲者数と同じ数の小形の仏像を彫り続けている。一体一体に贖罪(しょくざい)の思いを込め、完成まで約五年間を見込む地道な作業。元社員は「申し訳ない−。事故から二十七年、この気持ちを引きずってきた。仏像への思いが犠牲者のみ霊へ届けば」と彫刻刀を握り締める。 (菅原洋)
この元社員は埼玉県川越市の田村吉治さん(63)。二十四歳で日航に入社し、定年まで羽田空港(東京都)に隣接する工場で整備一筋だった。
あの日−。田村さんは休みで自宅にいた。テレビで事故を知り、「大変なことになった」と動揺した。
しばらくして冷静になると、「自分が整備に関わったはず」という疑念がよぎった。事故の状況が判明するに伴い、墜落機の整備に約半年前、原因部分ではないが、関わったことが分かった。
田村さんは贖罪の気持ちが抑えられず、事故の翌年から上野村の墜落現場「御巣鷹の尾根」へ毎年慰霊登山してきた。
五十歳ごろ、手先の器用さを生かして独学で仏像作りを始め、定年を迎えた約三年前から今回の小形仏像に取り掛かった。
仏像は「阿弥陀(あみだ)如来」で、高さ約三・五センチ、幅約二・五センチ。彫るのに一日かかり、昨年末に五百二十体を彫り終えた。
現在は一体ずつに付ける高さ約七センチ、幅約三・五センチの蓮華(れんげ)台と光背に取り組むが、一体分に二、三日が必要だ。
田村さんは今年一月、五百二十の仏像本体を「慰霊の園」(上野村)の展示施設へ奉納。五月までに、蓮華台と光背も計約五十ずつを納めた。蓮華台などが全てにそろうのは約二年後になる見通し。
田村さんに五月、仏像を見た遺族から労をねぎらう手紙が届いた。「ありがたかった。仏像一体一体とともに、五百二十人のみ霊が極楽浄土で過ごしていただけたら」。田村さんは静かに語った。
<日航ジャンボ機墜落事故の原因> 運輸安全委員会などによると、機体を製造した米ボーイング社が、事故以前の損傷を不適切に修理し、その後に発生した疲労亀裂を日航が点検整備で発見できなかった点などが事故につながったと推定される。ただ、ボーイング、日航両社の関係者を含む刑事告訴された全員が不起訴となった。
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