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  • 【乱世を抜け目なく立ち回る男――張俊、南宋に同心】
    扈成と組み、斉国禁軍総帥の地位を得た張俊。が、会寧府が岳飛と張俊をぶつからせて共倒れを狙っている動きがある、との情報が張俊にもたらされる。そのさなかに岳飛が淮水を超えて進攻して来た。
    南宋と金国の間、中原に漢人の国を作りたいという自分の夢は潰えてしまうのか――張俊は漢人同士で潰しあうことの無意味さに辟易、南宋宰相・秦檜に使者を送り、同心をほのめかす。
    そんな動きを全く知らぬ岳飛は、張家軍と開戦。卓抜した動きを見せる李英の軍以外が凡庸であることを岳飛は疑問に思い、罠を疑う。とにかく張俊の位置を探るべく戦場で対峙していたが、そこに臨安府から撤収を命じる使者がやってくる。なんと張俊は揚州にいるのだという。臨安府に攻撃をかけるのかと思いきや、張俊が南宋に同心したと聞き、岳飛は心の底から理不尽なものを感じ、笑うより他に何も出来なかった。

  • 【梁山泊と南宋、総決戦の地へ】
    洞庭山から流出した物資が一気に江南の商人たちの手に渡り、急速に自由市場が乱立し始めた江南。商いの戦の上ではすでに南宋の敗色は濃厚だった。これを挽回するにはやはり軍同士の闘いで決着を付けるしかない、と臨安府は判断。梁山泊と南宋の総決戦が始まる。
    南宋禁軍総帥・劉光世は臨安府を出立、兵站基地の無為軍を経由して、南京応天府付近の本営に入った。ここにて軍議を開き、先鋒が岳飛、次に輜重、次に張俊軍、劉光世の本隊はその後ろという布陣を決め、汴河を渡河して決戦の原野に向かう。
    一方の梁山泊軍は五丈河沿いに陣を展開。秦容、郭盛、呼延凌、花飛麟、韓伯竜らが十二万の軍で配置された。楊令の本陣はかつての流花寨である。
    「国のありよう」とは何なのか。民の幸せはどこにあるのか。理想の国の姿を胸に抱いた漢たちの闘いが、今ここに開戦する――。


  • 【干言山】(かんげんさん) "本物の"趙昚(※)とその父・趙子偁が葬られた地。旧宋室の面々が北に連行された際、先に死んでしまった趙昚(※)を抱いて歩き続けたが、道半ばで倒れ、親子とも干言山の麓に葬られたと言われている。そこには大祖から伝えられたという短剣と印璽も共に埋められていたらしい。
  • 【黄陂】(こうひ)南宋に下った岳家軍が本拠地とした場所。大して大きな城郭ではなかったが、岳飛は城壁を強化し、黄陂城内に崔如とその子供たちが暮らす家を置いた。また城郭の北に軍の駐屯地がある。南宋における岳飛の領土は黄州、光州、寿州の一部となった。
  • 【洞庭山】(どうていざん) 太湖の中に浮かぶ島。ここでは調練や募兵が行われていたが、現在は水軍の拠点、および自由市場に流通させる予定の膨大な物資の貯蔵庫となっている。すでに江南の地が南宋となった今、洞庭山は、梁山泊にとっては「物流による対南宋戦争の最前線」であり、南宋にとっては「国が腹に抱えた異物そのもの」である。洞庭山に溜め込まれた物資が失われては、南宋での自由市場の拡大は無に帰する。李俊ら梁山泊水軍は、物資を焼こうとする南宋水軍の猛攻を防ぎ、その間に物資を洞庭山から運び出す。これにより南宋で冷遇されていた古くからの江南の商人たちに物資がゆきわたり、自由市場拡大の動きが加速する。

  • 【梁山泊】 史進(ししん)
    敗戦後、残存する本隊六千を呼延灼・張清と三つに分けて率いた。宋側に動向を掴ませてはならない状況で、血の騒ぎを抑えられず暴れ回る。破天荒ぶりも、亡き林冲に近づいてきた。5年にわたる長き放浪生活から新生梁山泊に腰を落ち着けた。赤騎兵を率い、戦場を攪乱する姿は変わらず鮮やか。童貫軍との全面戦争で楊令から「豹子頭林沖を思い出せ」と伝令をうけ、劉譲を討ち取った。
    新生梁山泊が様々な闘いに巻き込まれる中、自由で豪放磊落、部下には厳しく、と相変わらずの暴れぶりを見せる史進。が、昔からの仲間が次々と命を落としてゆくのを伝え聞いては、彼なりに落ち込んでいる。
    南宋との闘いの中で、自分に向けて放たれた矢に気付かず、代わりに愛馬・乱雲がとっさに棹立ちになってその矢を受け絶命する。そこで、無意識のうちに死を求めていた自分の気持ちに気付かされてしまう。「手のつけようがない親父」の役目を果たすことにも少々疲れているようだ。
  • 【梁山泊】 李英(りえい)
    元、呼延灼の副官。李応の息子にして、李媛の弟。呼延灼の死により新たな隊長となった呼延凌に、嫉妬にも似た感情を抱いている。李明の軍とぶつかった際に敵の動きを上手く読めず、呼延凌や馬麟、史進らに助けられたことを恥じ、また失敗した自分をかばった呼延凌に怒りすら感じた。
    郭盛のもとで歩兵隊を任されてからも、その指揮に不満を持ち続けている。また、新兵として入った秦容に嫉妬を憶え、無茶な調練を課したりもした。その「自分より上の才能を持っているものを認められない」性格が災いし、姉・李媛の商隊が訛里朶の軍に襲われた際には無茶な攻撃を押し進めようとし、李媛に解任され、その役目を秦容に奪われた。楊令と史進の加勢によって梁山泊軍は金軍を打ち破ったが、自分の指示のせいで王定六が犠牲になったことを深く反省。のちに楊令によって歩兵の指揮権を回復された。三万の歩兵部隊が新たに編制されると聞いて、自分が指揮官になるのでは、と期待していたが、秦容がその任に着いたことでわずかに気落ちしている。
    それからは隊商の護衛部隊を指揮しているが、つまらない仕事、と感じていた。その矢先、扈成の操る使者が李英のもとへ現れ「斉国の禁軍総帥にはあなたがふさわしい」とささやく。罠であろうと思いながらも、自分の才能が高く評価されている、という喜びに抗えない李英は使者の後を追い、開封府へ馬を奔らせた。脱走する際に金国軍と衝突を起こし、百数十名の金国兵を殺している。
    斉国軍に下ってからは、岳家軍との闘いで先鋒を志願。目を見張る動きを見せたが、張俊の裏切りによって闘いは中断、開封府に召還される。その後禁軍総帥に李英を、と望む劉豫と扈成に拝謁し、飛刀でその命を狙った。が、劉豫が服の下に着けていた鉄の板に阻まれ失敗。扈成にはかろうじて大けがを追わせることが出来た。兵に囲まれた李英は己の志に恥じぬ生き様を貫くため、その場で自害した。
  • 【梁山泊】 阮小二(げんしょうじ)
    梁山湖で漁師をしていた阮家三兄弟の長男。兄弟のうち次男の阮小五は軍師を希望しつつも願い敵わず死んでしまったが、阮小二は船大工として宋水軍に負けない軍船を考案し、三男の阮小七は張順とともに水軍を育て、梁山泊軍に多大な貢献をした。
    年老いてからは趙林という弟子を得て、実の子供のように愛情を込めて仕事を教えている。密州沖で新しい船の試験航海をしていたところ、南宋の韓世忠軍に捕らえられるが、張敬らの命懸けの救助で脱出する。
    白勝がかねてから見立てていた通り、南宋との総決戦の前に肝臓の病で亡くなる。死の直前まで働き続け、新しい大型船を完全なまでに仕上げたことを満足に思いながら死んでいった。
  • 【梁山泊】 郭盛(かくせい)
    別名賽仁貴。亡き友・呂方がそうしていたように、柄を朱塗りした方天戟を持っている。楊令とは一時期ニ竜山でともに育った。洞宮山で新兵の調練を担当していたが、のちに歩兵隊の隊長となり、南宋との総決戦では史進に「俺が劉光世の首級をあげるまで、戦場の真ん中で耐えてくれ」と頼まれ、一万数千の歩兵を率いて戦場の重しとなる。しかし史進の遊撃隊と秦容の騎馬隊はよく闘い、劉光世軍をほぼ潰走させたものの、その首級を上げることはできなかった。
    深手を負ってなお闘い続けた郭盛は史進に支えられて立ち、部下たちに向かって「もう動いてもいい、思い切り闘って来い」と最後の命令を下す。九紋竜史進をして「男じゃねえか」と言わせた歩兵隊の隊長は、駆け去る部下たちの背中を見つめたまま絶命した。
  • 【梁山泊】 戴宗(たいそう)
    梁山泊における、ほぼ最古参の同志。俊足を活かし飛脚屋を営み、梁山泊の通信網を管理していた。楊令が頭領となってからは、呉用の命で石勇の諜報部隊を率いたり、西夏王室への工作などに暗躍した。が、梁山泊による中華全土の統一を夢見、楊令の構想と相容れない部分があることに気付き始める。そのためか酒に溺れるようになり、常に若い者たちへの不満をこぼすようになった。
    罠にはめられ自裁した李英の敵を討つべく、扈成の屋敷に侵入し、見事その命を奪う。怪我を負いながらも開封府から脱出する際、羌肆の軍に追われる侯真ら致死軍を見かけ、それをも救った。斥候を出し時間を無駄にしたために李媛を救えず、また扈成を討つのが遅れた侯真を叱責。「梁山泊の昔の男」たる生き方に従って、相打ち覚悟で羌肆を襲い、見事討ち果たした。天下を取ろうとしない楊令のために働くより、敵のひとりでも斃して死んだ方がいい——最後にそう言い残して、戴宗は死んでいった。
  • 【梁山泊】 童猛(どうもう)
    李俊の部下。正確な水路図を作って水軍の発展に大きく寄与している。あだ名は翻江蜃。祝家荘戦で双子の兄を亡くし、以来自分の半身を失ったような思いにずっと捕われている。戦死した仲間の姿を水の中に見ることが出来るといい、その声に耳を傾けるために水の下で、ひたすら水深を測る任務についている。仲間からは頭がおかしくなったのでは、と思われているが、行動をともにした張横に言わせると「生き延びている者より、死んだ者に関心を持っているだけ」で、童猛の頭はどこもおかしくなっていないようだ。
    南宋との闘いに備え、張横に手伝わせて長江の水深を測っていたところ、青蓮寺の軍の奇襲を受けて負傷。二人が乗っていた小舟の棹が「水の下にいた郁保四に掴まれ」、棹を失った船は流されるままに海へと出た。童猛には「もういいだろう」という仲間の声が聞こえたという。雲一つない晴天のもと、二人の乗った小舟は死出の旅路についた。二人の死体は後に曹正の部下に発見され、海に葬られた。
  • 【宋】 赫元(かくげん)
    李富と李師師のもとで働く腹心。もとは李師師の護衛で、李師師に執心している節もある。腕は確かで、羌肆の背後を取れるほど。李富は、自分亡き後に李師師と趙昚(※)を守り青蓮寺を率いるのはこの男だと思い定めている。
    汴河流域に青蓮寺の拠点を築くため、臨安府から宿州霊璧まで移動したところを侯真の致死軍、戴宗らに捕縛された。楊令の軍営で監禁されているが、体への拷問でなく、公孫勝らの「心を毀す」ような訊問を受け続けている。結果、頭の中に入っていた情報を全て引き出された赫元は、李師師が誰かも分からず、李富曰く「銭の勘定ばかりして、食い物を見るとすぐに涎を垂らす肉の塊」になった状態で青蓮寺に戻された。李師師は彼を始末することを強く望み、赫元は海に打ち捨てられた。
  • 【斉】 扈成(扈僊)こせい(こせん)
    聞煥章の部下。本当は梁山泊軍の扈三娘の兄で、扈成という名。身分を隠して聞煥章に仕えていたが、正体を明かし、「国の裏から、歴史を大きく返ることに関わりたい」と思いを吐露。聞煥章に捕らえられた妹の脱出を手助けしたが、青蓮寺で働くことには変わりない。また、金国との関係においては斡離不、撻懶の養育者である烏古乃といち早く接触、宋との開戦を主張する声を押さえ込むことに一役買った。
    開封府が陥落した後は北京大名府に潜伏。聞煥章の野心を引き継いでいると見られ、李師師と李富から警戒されている。「一国の軍を率いたい」という張俊の願いと、聞煥章が夢見た新しい国の建設。そして、「国の裏から、歴史を大きく変えることに関わりたい」という自分の夢。その全てを叶えるために、扈成は新たな青蓮寺を北京大名府に作る。また政事に関しても調べ尽くしており、斉国の宰相に就いた。
    梁山泊の李英に対し離間の計を仕掛け、脱走させることに成功。李英は張俊のもとで先鋒を務め、対岳家軍戦で見事な働きを見せる。裏切った張俊の代わりに李英を禁軍総帥に据えようとしたが、皇帝・劉豫の眼前で李英の飛刀に狙われ大けがを追った。また、張俊の裏切りに怒った劉豫によって、宰相を罷免されている。その後戴宗によって自宅で殺害された。
  • 【金軍】 呉乞買(ウキマイ)
    阿骨打の弟。一見物静かな印象。阿骨打の死により完顔晟と名乗り、金国の二代目皇帝となった。だがどこか計算高いところが覗くらしく、兄のように慕われてはいない。兄が滅ぼした旧遼の天祚帝と結ぼうと策を巡らせていたが、それに気づいた公孫勝が自ら呉乞買を脅迫、その企みは部下の前で潰された。天祚帝を討たねば 自分が殺されると思った呉乞買は、唐昇を伴って陰山へ進軍、そこで天祚帝を騙し討ちにした。
    私財を溜め込んだり、自分の息子に帝位を継がせようと、国の将来を思わない振る舞いを続けて来たが、病に冒され死期が近づいてくるとともに改心。楊令の行っている自由市場の政策が国の根幹を滅ぼすものであるとし、新しく禁軍総帥に命じた兀朮に「三年以内に幻王を討て」と勅命を出し、ほどなく崩御した。

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