精神医療の真実  聞かせてください、あなたの体験

精神医療についていろいろ調べているフリ―ライター。日々、憤りを感じたニュースや出来事を書き連ねています。
およそ非科学的な精神医療という世界。
実際に、精神科医、処方薬によって被害を被った方、どうぞ声を挙げてください。


テーマ:

少し前のことだが、3人の精神科医をたて続けに取材させていただいた。

結論から言うと、医師として信頼できると感じることのできた人は、取材にも非常に気軽に応じてくれたということだ。自信のない医師は、ガードが固い。それは事実である。

とくに、3人目にお会いしたある女医さんは、まあ、取材に対する病院側のシステムがそういうことになっているからなのだろうが、以下のようなやり取りの末、ようやくお会いさせていただくことができた次第だ。

ここでは、医師の固有名は出さないが、精神科というものの特殊性や、治療の摩訶不思議さ加減を考えるうえで参考になると思うので、その逐一を記してみようと思う。




まず、私がその女医さんに興味を持ったのは、ブログの中で取材させていただいた方のお子さんの主治医だったからである。当然、このブログに登場するのだから、精神医療の恩恵を受けたなどということはありえない。

それどころか、当時のカルテに記されている薬の種類、量を見れば、その後の経過の悪さは、最初に治療にあたったこの女医の責任であると言っても過言ではないだろう。まだ十代前半の子どもにこのような薬物治療を施す医師とは、いかなる人物なのだろう。正直私には、その思いがあった。この目で見て、確かめてみたい……。




私は病院に取材の申し込みの電話を入れた。もちろん、医師(仮にS医師)が電話口に出ることはなく、事務の男性が取り次ぐことになった。

「子どもの統合失調症と薬物療法についてぜひS先生のお話を伺いたいのですが」

それなら、取材の詳細を記したものをFAXで送ってほしいと言われた。

言われた通りFAXを送り、しばらくすると事務の男性から電話があり「S先生は薬物療法は専門ではないので、取材はお断りしたとおっしゃっている」という。

「では、何がご専門なのですか」と訊ねると「入院治療」という。入院治療とはどのようなものなのか、そもそもそのような言葉があり得るのかと疑問に思ったが、「それなら入院治療についておうかがいしたい」と粘ってみた。

事務の人は、もう一度先生にうかがってみると言い、いったん電話を切ったあと、しばらくしてからようやくOKの返事をもらったというわけだ。そのときも、病院側が用意している用紙――「取材申込書」と「取材方法内規」というものに必要事項を記入してFAXで送っている。

この病院は、昭和四〇年代、全国に先駆けて19歳以下の子どもを対象に精神科治療を行う「思春期病棟」を併設している。いわば子どもの精神医療を専門に行っているところである。



約束の時間に診察室を訪ねた。S医師は40代そこそこの、想像していたよりかなり若い感じの医師だった。ストレートの髪が肩より長い。白衣の下からデニムのスカートがのぞいていた。

S医師は、私に会うなり挨拶もそこそこに、パソコンの画面を見せながら、「入院治療」について説明をしてくれた。この病院のベッド数は50床。入院患者は、中学二年、三年、高校一年、二年くらいの子どもが多く、一番下は、現在は小学校五年生という。病気で多い順に言うと、不登校(不登校が病気かどうかは別にして)、摂食障害(拒食症、過食症など)、強迫性障害(S先生曰く「これも多いですねえ。シャワーを七、八時間もやり続けている人とか、家で生活できなくなっちゃうのでね」)、そして、うつ状態、統合失調症と続く。

入院治療とは、要するに集団療法のことであった。病院内で毎日、音楽や美術や体操などの行事を、作業療法士や心理士とともに集団で行い、コミュニケーション能力などを身につける。そして、医師は精神分析的精神療法(個人精神療法)を行って、子どもたちにさまざまな気づきを促し、半年から1年、長い子だと2年ほどの入院生活ののち、家庭や社会に戻すというのである。

しかし、この説明のとき、S医師は「入院期間は2年くらい」と言ってしまってから、まずいと思ったのか、「2年ではなくて、1年半くらい」と2回言い直しをした。こんなふうにこだわられると、実は入院期間はさらにもっと長いのだろうと思わざるを得なかったのだが、それよりも、私はまず本来の目的である、薬物療法について(専門ではないと本人は言っているが)、こう質問をしてみた。

「こうした集団療法の中でも、薬はやはり飲んでいるわけですよね」

 すると、S医師は顔色を変えることなく淡々とした口調で、

「お薬、飲まない子はたくさんいますよ。とくに症状でひどいのがなければ、お薬とかなくて、やっていくという感じです」と答えた。

「しかし、統合失調症となると、やはりお薬は必要ですよね?」

「そうですね、統合失調症だと、お薬も。でも、なるべく減らして、維持される方が多いんじゃないかな」

「ある人の例なのですが、統合失調症と診断されて、お薬を飲んでもよくならず、結果的に、ものすごい量の薬を飲むようになって、ぜんぜんよくならないのに、薬だけ増えていく。日に何十錠と言っていましたが、そういうことはあり得ることですか?」

「あり得ると思いますね。お薬が増えることはねえ。それはいくつの方なの?」

「14歳くらいだったと思います」

「そうねえ……ただ、やっぱりなるべくお薬は増えないように気を付けて……気を使うよね。どんどん足していくと、どんどん増えちゃうじゃないですか」

「抗精神病薬というのは危険な薬ではないですか?」

「それはたぶん、お薬専門の先生に聞いてもらった方がいいかもしれない。抗精神病薬だけを取り上げていうのはどうかな。それを言うんだったら、睡眠薬だって、外科の薬だって副作用はありますよね、だから、そんなに単純に危険だっていう話にしてしまうと、本当は飲めばよくなる方が、飲まないということもありますよね。今は、かなり新しく、副作用の少ない薬が出てきてますから、そこはお薬専門の方もかなり慎重に発言するところじゃないかな。でも、私とか、個人的には、安易には出したくない方ですね、薬はね。極力出さないタイプかな、私はね」





これはほぼ録音されたものをそのまま起こした文章である。

 お薬は極力出さないタイプ? 私は耳を疑った。なぜなら、私が取材をした十代前半の子どもに、この医師は抗精神病薬を4種類、マックスの量、処方しているのである。

「てこずった例はないですか?」

「それはもちろんありますよね、薬ももちろん増えてしまうし。でも、そこまで重症な、イメージされているような統合失調症の方だと、うちの病棟だと無理なんだよね。不登校の方と共存するのは非常に難しいし、うちの病院には閉鎖病棟がないので対応できない。そういう方だったら、別の病院に行っていただくかな」




 それにしても、このS医師と話していて感じたのは、言い方が、つねに不誠実、まるで他人事であるということだ。とりあえず、こう答えておけば突っ込まれることはないという、何を訊ねても当たらず障らずの回答で、この医師個人の言葉というものは、最後まで聞くことができなかった。実際治療を行いながら抱くであろう医師としての迷いや確信といった、肉声がいっさいなく、常に一般論で教科書的。そして、薬について訊ねると、「薬物療法は専門ではないので」、統合失調症について訊ねると、「統合失調症は専門ではないので」という答えである。

例えば、統合失調症についての問答はこんなふうだった。

「統合失調症は教科書的には、19とか20歳くらいで発症。うちはもちろん、若い方の統合失調症です」

「若いと言うとどれくらいですか?」

「これは診断の問題がいろいろあるのでね、初期分裂病とか、偉い先生たちは、いま19歳くらいでやっと診断がつけられるけども、本当はもうちょっと小さい時から症状が出ていて、全部出そろったところで統合失調症と言っているが、もうそんなのは、生まれたときというと言い過ぎだけども、3歳とか4歳とかからあるんだと言ってらっしゃる先生もいらっしゃいますよね」

「こちらで入院治療をする人は、完全に発症した人が多いのですか?」

「そうですね、そこはすごく難しくて、明らかな幻覚妄想状態とか……でも、診断基準を満たしていないけども、専門医としてはこれは統合失調症でしょうというふうに、判断したりする。その辺は、〇〇先生というのをご存じ? 〇〇先生に言わせれば、統合失調症なんていうのは、19歳なんかじゃなくて、もっと早期で、赤ちゃんのときからわかる、とおっしゃるかどうかわからないけれど、そういうふうにおっしゃると思いますよ。小さい時から症状は出ていて、出そろったときに、みんなが診断をするだけだという考え方です。ここにはだから、若い方がいる」

「先生がおっしゃった、いわゆる初期統合失調症とか……?」

「うちはそういう方がいらっしゃるんでしょうね。専門なのでね」




「いらっしゃるんでしょうね」となんだかよその病院の話のようだが、S医師はこの病院の精神科の部長なのだ。

 私はさらにS医師に、次のような質問をぶつけてみた。

「いわゆる発達障害の二次障害を、統合失調症と誤診されるケースが多いと聞きますが?」

すると、S医師はこう答えたのである。

「そんなこと、ないですよ。それよりも、発達障害だと思ってあちこちの病院を回った結果、この病院に来て、実は統合失調症だったという方も結構いらっしゃるし、それはこの病院の他の先生たちも感じていることだと思います」

 発達障害だと思っていたら、実は統合失調症だった? そういう例はないとは断言できないだろうが、そういうケースが多いと平然と言い切るその神経はいったい何なのだろう? これではたいていの子どもたちが統合失調症にされてしまうに違いない。

しかし、S医師は自信たっぷりであった。それどころか、そのような質問をする私の認識が間違っていると反対に指摘され、私はどう反応すればいいのかわからなかった。

「何もわかっていない」「何も知らないんだ」――心の底からそう思って、ため息がでただけだ。




それにしても、薬物療法が専門外というのなら、専門である精神分析的精神療法について、なにか聞くべきものがあるのかというと、S医師の話はそういう方向に流れるわけでもなく、いったいこの医師は実際の臨床場面でどのような精神療法を行なっているのだろうかとひどく不思議だった。

私があまりにしつこく「薬物療法」「統合失調症」について質問を重ねたからだろうか。S医師は取材の途中からほとんど答えなくなってしまった。そして、1時間の約束だった取材時間は30分で、ほとんど追い払われるようなかたちで、終了となった。

「薬物療法は専門ではない」「統合失調症は専門ではない」と言いながら、しかしこの医師はあの子どもに統合失調症の診断を下し、あれほどの薬物を処方したのだ。専門外として、取材においてはほとんど誠実な答えを聞くことができなかったが、それでも医師である以上、診断も投薬もその医師のさじ加減でいかようにもなってしまうのが現実だ。

もし、S医師がとった態度のように、専門ではないから答えることができないと責任のある立場から逃げるのだとしたら、実際の治療においても、薬物療法からいっさい手を引くべきではないだろうか。専門外というのなら、せめてもう少し慎重に薬物を取り扱うべきではないだろうか。




 この医師を取材して感じたことは、あまりに勉強不足、そして自分が勉強不足であることの自覚がまったくないという、何とも絶望的なものだった。

 そして、この人がこの病院の精神科の部長なのである。

 彼女は、自分の治療について他者に説明できる言葉を持っていない。己の治療を己の言葉で説明できない医師……私はそういう医師は信頼に値しないと思う。

 少なくとも、今回取材させていただいた他の2人の医師は、精神疾患というものについて、治療というものについて、自分なりの見解と言葉を持っていた。というより、そうであろうと思われる医師を選んで取材させていただいたのだが、もし、かつてこのブログで取り上げさせていただいた方の主治医に取材をしたとしたら、このS医師と似たり寄ったりの手ごたえしかないのだろう。


 前回のエントリでも取り上げたように、この程度の認識、取り組み方、情報の薄さ、勉強不足で、あるのは根拠のない自信だけというようでは、医療の向上は無理である。

 医師を責めても仕方がない、という意見もあるようだが、患者に対峙するのは医師という個人なのだ。個人対個人の関係性の中で治療が行われるかぎり、私は精神科医の先生には大いに勉強をしてもらいたいし、患者の訴えにも謙虚に耳を傾けてもらいたい。そう言い続けるしかないのである。