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諏訪耕平の研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-05-31

内定が出た途端自分は社会のすべてを理解しているというような喋り方をし始める友人

内定をもらった友人に殴られた

これは大変面白い。内藤朝雄は「社会では通用しない」をことあるごとに持ち出してくる父親を指して,父親が言う「社会」とは父親自身だったと述べてますが,この友人も同構造ですね。要するに結果論なんです。社会というのは静的なものではないので,「社会とは何か」に答えられる人は恐らく世の中に存在しないか,いたとしてもごく少数なはずなんですよね。しかし,「社会では」「社会人たるもの」という発言はそこかしこで見られます。彼らが言う「社会では通用しない」というのはイコール「俺には通用しない」ということなんですよ。

こういうすりかえは実は多くの場面で見られます。例えば,保育所に関する問題では多くの保護者の方が「子どもにとってどうなのかが一番大切」と言いますが,これは実は子どもを隠れ蓑にして自分の意見を通そうとしています。政治家の言う「国民が納得しない」も言うまでもないですが「俺は納得できない」とイコールですね。

勿論例外もありますが,この国では主観を軽視してきたんだろうなあと思いますよ。科学教というやつですかね。客観主義。まあもちろんその前に,主観主義(嫌だと言ったら嫌)に辟易したという歴史があるんでしょうけど。行ったり来たりしかないのか,第三の道がありうるのかは重要な点ですね。

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