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ハタハタの好き嫌いは別として、“秋田県人”であれば話のタネとしてこの「小島さんのハタハタ教室」で情報を得てください。一読の価値は十分にあります。

なお、小島氏は料理人ではなく、文人です。
ハタハタ教室      ハタハタ
 昭和14年(1939)12月29日 秋田魁新報の記事

ハタハタ教室

  送る人送られた人へ 小島彼誰(かわたれ)

生マで送る

 ハタハタを送るには、もとは糠にまぶせばいいの、豆腐粕を込めばいいのと気をやんだものだが、ハタハタはその持つヌラメキが味覚上、頗(すこぶ)る重大な役割を持っているのであるから、其のヌラメキへシャボンをかけるような仕組みは絶対反対である。

 東京や大阪までは生までなんでもない。いや生まの方がよい。ただ送る方法などよりも、送る日和が勘どころである。雨に打たれたハタハタはヌラメキが落ちるから地場で食ってさえうまくないのだから、送ってやったら早く味が落ちて迚(とて)も駄目である。天気の寒い日、人を睨むようなイキイキしたハタハタを、なるべく手をつけず箱に隙間があると動揺してもまれるから一杯つめて送ること。

ショッチル

 どうせハタハタを食いたいのは秋田県人かその一党であろう 2合瓶に1本でもショッチルを入れずばなるまい。自家用のショッチルなら売品の4倍は利くから2合でもむさいもの。同時に、酒粕と焼干の20本も入れてやりたい。

 食う方でもこれ位、心をこめて送るのだから、心してうまく食べなければ罰が当るというもの。鍋に水を張り焼干5 6本をつかってダシを取り酒粕を入れショッチルを少しづつ塩梅(あんばい)見い見い入れる。ショッチルという奴は意地悪な奴で最初塩辛くするとあとから幾ら湯水で割っても味が曲ってしまって直らない。秋田人たるものショッチルの性格位先ずわきまえてかかることだ。ハタハタは頭を去り1匹まま入れる。さっと肉にひびが入ったところを食べる。煮すぎると崩れるからこれも呼吸だ 大根おろしを入れたい。豆腐や葱もあまり欲しない。

焼けぬハタハタ

 ハタハタはなかなか焼けない魚だから、炉のない東京辺で、殊に昨今の木炭飢饉では貰っても迷惑みたいなものだろうが、東京で食うハタハタはショッチルに限らず 味噌汁、醤油汁、汐汁、なんでも鍋で煮るのが賢明である。ワタシにのせて七りんやガスで焼くんではハタハタも火傷したみたいである。また塩漬か醤油漬かして置けば4 5日も置けるし、焼け易くもある。糠漬ならば一と月も貯えることが出来よう。手数だが麹漬にしてブリコを生まで食べるのは酒徒の珍とするところである。

秋田のハタハタ

 秋田県人がハタハタに惚れ込んでいるのをつけ目で 山形県から更に新潟県からハタハタがやって来る。気の早い連中は戸籍も見ずに齧りつくがひどくうまくない。焼けば腹が破れるし、第一ひどく不美人だ。ハタハタは何もかもうまいのではない。秋田のハタハタが特にうまいのである。秋田(、、、)()12月(、、、)10日(、、、)前後(、、、)()()月間(、、)()捕れる(、、、)ハタハタ(、、、、)()一番(、、)うまい(、、、)のである。

これはお互の宿題だがハタハタのブリコをもっとうまく食う料理法を考案しなければならぬ。

銃後ハタハタ陣

 12月15日象潟へ行ったらハタハタの襲来で戦場のような騒ぎの中にも、愛国婦人会、国防婦人会集れの招集だ。何事だと叔母上に 慰問袋へ入れるハタハタの塩干をつくるんだと出て行った。実に麗しい銃後ハタハタ陣でないか。

  昭和14年(1939)12月29日 秋田魁新報の記事

 小島氏は「ショッチル」と言っていますが、同時代に新屋の仙葉善治氏は「ショッツル」と言い、その語源についても佐竹公の逸話をもって解説しています。70数年を経た現在は、秋田名産品の「しょっつる」として知られているところです。

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