秋田の古い新聞記事<ホーム>へ

                     「ショッツルの由来」へ  「ハタハタ教室」へ
ショッチルを漬ける                     しょっつる鍋
  昭和14年(1939年10月24日 秋田魁新報の記事



ショッチルを漬ける 小島彼誰

  10月4日

 鳥海に初雪ふりしは一昨日なり めっきり秋色深くなりたれど今日はまた、きらきらしたる晴天、この浜にあがりしとてシラス売り盛んにふれて来る。戸毎待望のショッチルを漬けるとて忙し。顔見知りの海女に持ち込まれ、うちでも1斗(2籠)ばかり漬ける……

 ここにシラスというは、学名イワシシラスにて大きさ1寸にも足らぬ白魚に似し半透明の小魚である。近海の地曳網は廃れて久しいが、それでも海辺の有難さ、時に色々とうまい魚があがる。このシラスの群を追うて、カマスや小鯵やがやって来る。カマスも今はシュンにて1尺ばかりに及び、肉もはりきっていてうまい盛りである

 秋田のショッチルは、その味覚政策上、ハタハタのショッチルでなければ将来性がないと、私は普段主唱し来ているのである。ハタハタのショッチルなら品質の統制もし易すいし他の地方の模倣を許さぬ強みがある。之れは漁業組合などの手で、秋田県の名に賭けて是非やって行きたい。

 ショッチルはいわば小魚に塩をぶっ込んだ汁にすぎないのだから 秋田のショッチルなんて済まし込んでいたら千葉県なり神奈川県なり、東京の近い地方に直ぐ真似て横取りされてしまう。故に何うしてもハタハタのショッチルに限る事にして進まねばならぬというのである。

 一般家庭でつくる材料は小鰯で シラスやアミやダイナゴでもつくる。晩春、ぬくとい雨の日にアミやシラスやダイナゴがしこたまとれて、時節がら明日までも置けぬので投げ売りだ。こんなのでもショッチルは出来る訳だが、あてにはならぬ、拾い物である。

 鰯を初め同じ小魚でも春とれるものは脂濃く肉柔かだから、秋、10月頃のものがショッチルの材料として一番よいのである。だから浜辺の家々では10月から11月かけてショッチルを漬ける可く、地曳き網のあがるのをひどく待っている。だから「ショッチルを漬ける」という季題を俳句歳時記の10月頃に新設していいと思う。

    シラス賣り濱の女は はだしかな

    竹籠のシラス集むる 松葉かな

    シラス賣り走り来しとて 息荒く

    秋日和ショッチル漬けて こころ富む

    ショッチルを漬くるこの秋 母は亡し

 一桶漬ければ3年も4年もある よく行ったのは古くなる程味が深み、光って来る。自分の家で漬けれない家では、前から浜の者へたのんで置く。これは材料は新鮮でもバカに塩辛くて、あとから味を直すことが不可能な場合が多いから、やっぱりショッチルも沢庵を漬ける愛と親切とをもって自らの手で漬けなければ嘘である。

 イワシにしろ、シラスにしろ、小魚だから、きっと海の藻屑が交っているが、そんなの気にやむことは少しもない。淡水で洗わずに海からあがってきたまま、漬けてしまうのがコツである。

 シラス売り女は漬けていってくれるという。この秋は母は亡いので漬けて貰うことにする。女中が裏小屋へ塩を取りに行って来る間に海女は小いびきをかいてまどろんでいる。朝から畑にいたのだが 大網だというので鍬を捨て籠をかついでそのまま町へ走って来たのだといった。

 50銭でも1円でも各自がショッチルを漬けて熟すを待ち味わう心もいいと思う。売品のショッチルは自家製の10分の1のうまさもなく且つ稀薄である。4合壜(びん)1本7 80銭でもいいからもっと自然な製法と慎重な態度で製出すべきである。醤油かショッチルか判らぬようなものが「秋田のショッチル」のレッテルでのさばり歩くのは慨嘆に堪えない。

 猟師にたのんだショッチルは1升8 90銭する、売っているショッチルが4合入25銭やそこらではうすくてわるいにきまっている。輸出するものは安いより良いものを。ショッチルは必需品ではない芸術品だ。

     昭和14年(1939年10月24日 秋田魁新報の記事



「ショッツル」又は「ショッチル」を、企業生産者及び消費者兼自家生産者の立場から紹介した二つの記事です。

(有)仙葉善治商店は、今日もおいしい塩魚汁を提供し続けています。仙葉善治氏はそこの社長ですので、かなり塩魚汁を持ち上げていると思われますが、ショッツルの由来をよく解説してくれています。

もう一つの記事の小島彼誰(かわたれ)氏は、文人で、本荘市の人です。秋田の食に関する記述を多く残しています。その時期に大量に捕れた小魚を、一刻を惜しんで塩魚汁にする。人々のそんな生活情景が目に浮かんできました。なお、小島氏が市販のショッチルを批判している文面がありますが、仙葉善治商店のものを言っているのではないでしょう。この頃は小さな製造業者が多数いたようです。

“ショッチル”と言っていますね。仙葉氏の“ツル”の話はまだ一般的ではなかったのでしょうか。ただし、小島氏の昭和10年の記事「味覚ドライブ」では”ショッツル”と書いていますので、どちらで紹介していいのかと迷います。昭和14年の小島氏の記事「ハタハタ教室」で、ショッチルを送る人と送られた人の対応を丁寧に教えてくれていますので、特に秋田県人の皆様是非ご覧ください。

             「ショッツルの由来」へ  「ハタハタ教室」へ


                                                                           秋田の古い新聞記事<ホーム>へ