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日本文芸社
子犬の躾のコーナーではヴィオレがモデルを務めています。
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presented by 地球の名言

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コピペ10
>自己愛って幸せなのかな
>なんか幸せ演出に必死になっているのは分かるが

確実に不幸だよ。
多少理屈っぽくなるかもしれないけど。
自己愛が人の苦しみを喜ぶのは、「俺の苦しみをわかってくれ」と共感を求めている。
被害者が苦しみを実体験としてわかってくれたから、自己愛はにんまりする。
にんまりしても、自己愛の苦しみはなくならないだろ? 
単なる共感の喜びだから。
自己愛は強いものにへこへこする。
内心そんな自分が大嫌いだ。
それを断るとか、嫌という選択肢が取れないから、「俺はこんなに苦しいんだ、おまえも解れ」という行動に出る。
自己愛が幸せを演出して、被害者が苦しがると、共感の喜びがあると言うだけの話。

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普段威張れない弱い自己愛の怨恨は異常。
表面的には大人しい良い人に見えるけれど、一度自分が優位に立つ機会が有れば姑息に陰湿に人を追い詰めたがる。 根本的に気持ち悪い…。

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特定されてない不安って、自己愛性の被害にはありますね。
自己愛性って「誰か」「何か」を特定しない仄めかしを「悪意で」やるでしょう?
主語をぼかしたり、語尾をぼかしたりしてはっきり言わない(思い出しても気分悪い!)
被害者は、ぼかされた部分を「自分が悪いのか?」という悪い想像で埋めてしまう。
これで自己愛性は表向き手を汚さずに、被害者を不安に落し入れることができるから、今思えばよくできたやり方だなと感心すらします。
自己愛性被害以前の自分を思い出してみると、多少の不安は「そんなのナイナイ」と無視して生きていたし、「それは自分にはあてはまらナイからダイジョブ」と、少なくとも今よりは、適当に都合よく流してた様に思います。
なのに今、他の人と喋ってると、「無神経だなあ」「ずぶといなあ」「自分を棚に上げてよく言うわ」とか、つい思っちゃいますね。
仄めかしも、テクニックの1つだと思っている。
世の中の全ての人間が腹黒く、相手をおとしめながら、自分の立場を保つ事に余念がないと思っている。
だから、身近な人間と自分とが、優位な立場か、不利な立場か見極め、少しでも優位に立とうとする。
権力者に対して、媚びるのもその為で、腹の中ではいつか逆転してやると思っている。
人の善意に見える行動も、実は相手に貸しを作る。
自分を有利にするための人気取りだと思っている。
自分がそうしているように、世の中の人がそうしていると思っているから、善行の本質(策略)をあばこうと必至になる。
自己愛に対して行う善行は、自己愛にとって心地いいものでなくてはまったく理解できない。
例えば、危険な行動に対して注意するといった事をすると、自己愛は嫌がらせをしているとしか思わない。

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---自己愛性人格障害者の思考---
生きていく上で一番大事なことは、少しでも優位な立場でいること。
人間は、皆そうやって生きていると思い込んでいる。
共感に乏しい、つまり、相手の立場や価値観でものを見て解釈することができないだけでなく、自分の間違いが認められない。延々と自己弁護を続ける。

自分がされて嫌なことを相手に平気でする。
自分がされたら激怒するけれど、相手に同じことをしても"ユーモアとか悪気がない"と言い張る。
そのターゲットが”自己愛性のユーモア”や"自己愛性の正義感”の犠牲にされて、どんどん卑屈になったり、疑心暗鬼になっていっても、自己愛性本人の説教好きはとまらない。
ターゲットの人格を破壊したり、"ちょっとした短所"を"大きな短所"に変えていくのが自己愛性。

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「悪気」:人に害を与えようとする気持ち。悪意。
自己愛にとって、これが人一倍強いのは間違いない。
悪気はある。
しかし本人はそれを自分自身にさえ隠し、認めない、認められない、ということ。
悪意を自己正当化してから行動しても、悪意で行動してから悪意ではなかったと自己正当化しても、悪意があったことには変わらない。
最終的に、本人が自分の悪意を認識していないからといって、悪気が無いことにはならないと思います。
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コピペ9
1.標的に対してのみ、その他大勢にはわからないような陰湿な方法で嫌がらせをする。

2.嫌がらせはしつこく、標的が消えるか当人が飽きる(標的を変える)まで続く。

3.相手をいかに不快にさせるか、嫌がらせの策を練るのが楽しいと感じている(嗜虐性)。

4.自分は人気者(もしくはいい人)だと思っている、あるいは他人にそう言われたいと望んでいる。

5.目が笑っていない。得体の知れないどす黒いものを感じる。

6.他人の不幸を見聞きすると、ニヤニヤ笑う。

7.人の欠点を見つけると喜ぶ、馬鹿にして笑う、見下す。

8.自分より下だと思っていた人間が当人より上だとみなすと、嫌がらせの標的にする。

9.友達のいない人間、一人でいる人間は苛めていい、苛められて当然と思っている。

10.自分が悪いという自覚がない。反省しない。

11.自分自身の痛みには敏感。過剰に反応する。

12.嫉妬深い性格。他人の幸福が不満。

13.体面を非常に気にする。

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人格と思考、行動が全て大意で言えば被害妄想で成り立っている。
普段は誇大妄想のカタマリの自己愛性人格障害者。
ちょっと突かれたら被害妄想で過剰反応。
冗談、同情、代行、恩、依頼、これらはしばしば悪意として受け取られる。
みんな現実には、ボダや自己愛は、タゲ以外の人間には愛想よく人当たりいいから、当然、タゲと無関係の人間との評価が極端に違って、周りに被害を訴えたり教えても、信じてもらえなかったり、理解されなかったりする。
だからタゲられたやつは、第三者に自分の受けた被害を理解されたい。
下手したら、事実は自己愛によってねじ曲げられ、自分が加害者のように吹聴されている。

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嫌われることしておいて嫌われることに耐えられない。
だからキチガイ行為に走る。
そして相手が引いたら「カッタカッタ、マタカッタ」と悦に浸る。
対処法としては無視するのが一番なのだが、そうもいかない場合、自己愛性人格障害者に言われたことをそのまま言い返すといいって何かのテレビで言っていた。
ソイツの言ってくる陳腐な暴言をそのまま返すらしい。
「お前は●●だ」って言われたら「あんたこそ●●よ」って言い返すという具合。
それで自己愛性人格障害者をコントロールできるとか。
実行するのは最後の最後にしようと思うけど。
でも一番賢いのは、相手の感情にいちいち付き合わず、自分のペースや平和を保つ事が必要なのは確かだと確信している。

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人のプライバシーに異常に関心がある
(タゲのあら探し、もしくは全て知らないと気が済まない)。

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見下したいけど、見下されるという葛藤に毎日苦しんでいることだろう。
客観的に見れば、もうすでに完全に終わっているけど。

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強烈な見捨てられ不安を抱いていて、その恐怖から逃れる為に異常な人格を形成していったのが自己愛。
こいつらの言動は客観的な事実とか、他者との関係に基づくものではなくて、脳内で勝手に作り出した自己認識、他者への認識に基づいている。
性格が悪いというレベルではない。
外界への認識が歪んでいる。

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他人への賞賛で、劣等感を刺激される点がまさに異常。

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自己愛にとっての一番の復讐は、今一番幸せでキラキラ輝いている自分の姿を見せる事だと思う。
そして辛い時には自己愛への牛の刻参りではなく、自分は正しく生きます。
どうか見守って下さい」と神社でお祈りをするとか
(個人的にはとても効果があった。
精神的にも安定したし、実際とても良い方向に進んだからね。)
前向きに生きていけば、必ずいつか良い方向に向かうと思う。
自分の中から、自己愛の存在をなかったことに、知らない人にすることでかなり楽。
いないんだから、話す必要なし。
ラジオが鳴ってるとでも思っとけ。

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そのうち自分が刺されるんじゃないかって思うくらい感情の起伏や豹変ぶりがすさまじい。

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自己愛の中核的な味方は、同じく自己愛の傾向があるように思える。
自分の存在を人に拒絶されたくないという気持ちは健常人も普通に持っているよね。
でも自己愛はその気持ちが非常に強く、他者に対して攻撃性がある。
自己愛がスレで暴れているのを目にすると、自分の欲しい物が与えられるまで床に転げ回って延々と泣き叫んでいる子供が思い浮かぶ。
なぜ人が自分の周りから離れていくのかと、理解することなく泣き叫ぶ子供。
健常な人なら、どこが拒絶される原因なのかとまず自分の言動を考える。
反省して謝ったり、自分の内面やポジションを変えていくものだけど、自己愛の言葉からはそういう考えが少しも見出せなくて驚く。

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自己愛性人格障害の人がされて嫌なこととは、四面楚歌になること?
1.自分以外の人間が仲良くすること。
2.自分以外の人間がほめあうこと。
3.自分以外の人間が幸せなこと。
4.無視されること。
5.距離を置かれること。
6.情報を遮断されること。
悪人を負かせてやった!といきまいていると、新たな自己愛誕生!として今度は立場が逆転する場合もある。
やりすぎは自分の首を絞めるだけ。
報復を企てると自分が沼にはまる。

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キリスト教のことわざだったかな。
「愛は恐れより強く、真実は偽りより強い。」
これはどの状態でも通用する言葉だと思う。
愛が身を守るために働くのが自己愛で、他のもの(人でも生物でも天地自然でも)に働くのが慈愛とか利他愛。
呼吸と同じで両方の働きが自然だろう。
ただ自己愛は動物的な保身(生命欲とか性欲、種族保存)を超えて、他の欲望(名誉や権力など)を巻き込み狂気となるのが、人間の負わされた十字架で日ごろ気をつけないといけないところだ。
それには自分に見合った信仰、宗教が手助けになると思う。
日本ではオウムとかカルトの問題だけを恐怖の対象として洗脳報道したせいで、自己愛に閉じ込められたままの自分を覆い隠したことが一億総自己愛人間というとんでもない日本をまねいたと思う。

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自分が何なのか分かんなくて、自分が何を思っているのか、何故こんなに落ち着かないのか、何故苛立つのか、薄々感じていた本当にしたいのはこんな事ではない、感情で動いているんじゃないって意識、そのメカニズムが初めてわかった気がしたよ。
見捨てられるのを恐れている、恥を恐れている。
サイトを見ても何の事やら意味不明だったけど、自分を守ろうとしていたんだ。
他の人と比べて、原始的な安心感がなかったんだ。
ひたすらそれを守ろうという呪縛みたいなのにかかっていたのかな。

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一般的な腹黒人間→「人の不幸は蜜の味 」
自己愛性人格障害者→「タゲの不幸はエクスタシー」
「エクスタシー」のためなら無茶もする
そして逮捕へ

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人格障害の特徴、分類を読んでみたら 誰にでも少しは”ある”であろう要素ばかりで結局、人間ってみんな人格障害??と思ったんだけど。
『極端』な人がトラブルなだけ?

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病気と正常の境目は、その人にとっての日常生活がギリギリでもいいから送れているか否かだからね。
ここまで限度があってそれ以上は病気だよ、ってんじゃなくて、その性格によって周囲の人間や生活に支障が出ているかどうかで判断するから。
だから極端なトラブルがあれば、病気になっちゃうんだよね。
健康な自己愛は誰でも持つものだし。
自分にも自己愛はあるけど、それを満たすために周りの人間を見下すのに必死になったりしないよ。

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相手とコミュニケーションするのが目的じゃなくて、自分が全能感に浸って、それが事実だと相手に認めさせたいだけだから。
厳密に言うと自己愛は、周りの人みんながそうやって勝手なこと話している、それがとコミュニケーションだと勘違いしている節があるね。
ネタを探るためにタゲの周りの人間から聴取したり、聞きたくもない悪口や誹謗中傷を吹聴したり、それが自己愛のコミュニケーションらしいな。
意思疎通のかけらもない。

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自己愛が言う友達は取り巻きとして引っかかった奴の初期段階のことだったりする。
相手の意見は関係無く勝手に友達にさせられている場合がほとんどで、奴らには顔見知りや知り合いという感覚がゼロで、人間関係の距離感が狂っている。何十年も生きている割には長く付き合っている友人はガチでいない。

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自己愛に絡んだ時の感情って、生易しいものじゃなくて、文字通りぞっとする。
この世でない危険なものに触れた感覚がするんだよ。
全身の危険信号が全開になるような。

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よくわかる。
単純に性格や口が悪い人間の言った一言とは違う。
そんな表面的なものじゃない。
本当に、”蝕まれる”感じ。

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自分の思う通りにしてくれない、異議を唱えてくる他人に対しては「自分に添えないこいつはどこかオカシイ」となる。
自分で認めたくない自己の欠点をターゲットに投影投入する為にそのターゲットのなにがしかの人生のハプニングを知りたがる。
ハプニング内容はなんでもいい。
事故にあった・身内が障害者・子供が友達とトラブってる等々なんでもいいから他人の人生に起きている事実の情報を入手したがる。
そしてその事実に、「〜だから貴方はダメなんじゃない?心配だよ」と、さも心配しているふりをする。
更には他人がその事実のせいで病んでいると決め付けて「ほら、やっぱりこいつはオカシイんだ!スッキリ!!」 と満足する。
他人の家に脱糞してるようなのが自己愛。


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「卑怯なことは嫌い」「助け合いが大事」といった、聞こえは良いけれどわざわざ口に出すまでもない当然のことを、ことあるごとに繰り返してアピールしてくる奴は高確率で自己愛。

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他罰的で、粘着質で、プログラムに単純性と一貫性があるのが自己愛とかボーダー。
人格障害共通の治療法に認知療法っていうのがある。
物事を決めつけたり実行に移したりする前に、一息ついて、他の考え方や受け取り方がないかどうか考えて、思考の幅を広げてみましょうって方法。
これがものすごく単純化、高速化されているのを認知の歪みっていう。
自己愛の人は「俺が正しい」っていうスタート地点から、「おまえが悪い」のゴールに脇目もふらずに猛ダッシュする。
屁理屈だろうが、罠だろうがそれこそ何でも使ってしまえというモラルの欠如がある。

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人間って言うのは、所詮犬猫と同じ動物だ。
根っこに生きる事への欲望がある。つまり本能だな。
感情もここに含まれる。
喜怒哀楽がそうだ。
なんか人間だけ複雑で特別なような気がしているのは、後天的な脳の働き。
これを心とかなんとか言う。
認知療法の認知って言うのはこの部分。
本能→認知→行動→リアクション→認知→感情の表出や行動→
(以下略といったような具合になっている。)

赤ん坊はまさに動物。
言葉も理屈も何にも知らない。
で、どうやって人間というものになっていくのか。
ズバリ真似事だよ。にっこり笑うと笑い返してくる。
共鳴の法則。
真似事していくうちにだんだん嬉しいときには笑うんだと学んでいく。
自分の感情に素直になること、これがまず人間への第一歩。
で、だんだんコミュニケーションツールの言葉を学んで、便利に使えるようになる。
頭を使って思考の幅を広げ、どういう行動を取ったらいいかの幅も広がり、いわゆる社会性を身につける。
これでやっと人間が完成する。

人間は後天的に積み重ねていくものだから、追い詰められると後天的なものから剥ぎ取られていく。
自他の区別は後天的、時間の感覚も後天的。
意識が芽生えたときにはとっくに当たり前のものになっているから、自覚するのは難しいけどね。
投影性同一視と呼ばれる自己投影は、自他の区別が剥ぎ取られたから起こる。
幻聴も自他の区別が曖昧になるから聞こえる。
フラッシュバックは過去と現在の時間感覚が消えるから怖く感じる。
自他の区別に必要なのは自尊心。
時間の感覚に必要なのは、損得の考え方。
短期的に損をして中長期的に得をしようという損得の考えが絡んでくるからね。
時間の感覚が自尊心に繋がるという説もあるし、そうでないという立場もある。
細かいことは専門家ではないからどうでもいい。
自責傾向のある人は自分を責めて、幅がいっぱいになっても解決できないから鬱になる。
認知療法で交通整理をする。
交通整理をして、とにかく何でもいいから行動させて、アクション、リアクションのルーチンに進ませる。
他責傾向のある人は他人を責めて、思考の幅を広げるという発想がないから、同じ考えをループさせる。
同じ考えばかりが頭を巡り、いわゆる被害者妄想になってあふれる。
結果、行動化に至り人に迷惑をかけて疎遠にされる。
新型うつや自称鬱っていうのはこれ。
認知療法があまり効かない。
行動を我慢させて、適切な考え方を頭にすり込ませる。
自尊心の問題って言うのは、人と人との距離感の問題。
他人を必要にしすぎる傾向が境界性や共依存には見られる。
離人症はこの逆。
人間が苦手で理解しようという気力がない。

自尊心を作る方法。
自分で決めて、自分で実行し、リアクションを正しく受け止め、次につなげるループを作る。
自分の場合は、必要なものだけもって、貧乏一人旅に出た。
これを勧める人は多い。
大きく欠けていた行動旧来の鬱っていうのは、自分から人を避ける。
自己愛やボーダーの人が嫌われまくって孤立化するのが、新型うつ。
メカニズムが全然違うんだけど、なぜだか「孤立化=鬱」となった。
お医者さんたちの営業上の事情だと思うんだけど、 鬱病の人は自己愛やボーダーと一緒にされて怒っているよ。
人格障害のカテゴリーの中には鬱が存在するかどうか知らないけど、自責傾向の人は鬱、そうでない人の二次障害は新型うつって事です。

時間感覚をつける方法。
損得をきちんと考えること。
自分の場合は住んでいたアパートのゴミ拾いをした。
理由は自分が納得できればなんでもいい。他人のせいとか自分がやってあげているなんていうのは駄目。
損得考えないでやっていたら、周囲に良い人と誤解されて、後々捨て猫を拾って里親捜しした時に役立った。
短期的には損をして、中長期的に得をした。
人間としての看板を大切にしていたら、将来的に得なことが起きる。

根っこから直すのは無理。
自覚できないものを直せるわけがない。
理由をいくら探したって言い訳にはならない。
境界性とか自己愛の人はここで止まる。
今できることから、後天的な目先のことから手当たり次第に処理していく。
だんだん目の前の問題が解決されていくと、一定の傾向が見えてくる。
認知療法で言うところのスキーマの問題。
後天的な自分が自分に課した制約。
スキーマの次に、先天的な感情に欠陥を見つける。
喜怒哀楽をきちんと表現する練習をする。
まあここまで行けたら人格障害は完治したと言える。
鬱の人はこれで治る。
自己愛や境界性の人は、自分が悪いと微塵も思っていない。
方法論が違う。
そもそもこの人たちは人格障害とすら思ってないから生存率が高い。
鬱の人はどんどん死ぬのに。
精神病院ではどうやっているか?
まず看護する者が自分をしっかり持つ。
助けられるなんて気持ちは捨てる。
だが絶対に見捨てないで辛抱して待つ。
自分をしっかりもってどうするか?
自覚するまで待つ。
赤ん坊が見よう見まねで人間になっていく過程を再現する。
見本がなければ話にならない。
笑ったら笑い返してくれる赤ん坊と違って、 笑ったら怒るねじ曲がった歪みがついているからとても厄介だけどね。
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コピペ8
「信念のあるなしに関わらず人と人の間があって人間(金八先生みたいだな)“間”の感覚がない人、他人も自分の延長だと思っている人は怖いよ。
自分の思いだけで相手と(他人と、または世間と)関わろうとする。
こういう人は怖い人だ、自分の領域を侵害される恐れがあるから。
(人だけじゃなく、国にも当てはまるな、自分の価値を相手に押し付ける…某国を思いだす)
“間”の感覚がない人と関わると大変な思いをする。トラブルに巻き込まれる。
“間”の感覚がない人は他人を尊重できない。
許可なく土足で相手の領域に踏み込んで(某国のように)それが当然の権利であるかのように振る舞う。またそういう人に限って、他人がちょっとでもそうすると烈火のごとく怒り狂ったりするよ。自分は他人に平気で暴力を振るう癖に、肩がぶつかったぐらいで激怒するチンピラみたいに。こういう人をキモいと感じるのは 直感からのシグナルだよ、関わってはいけないっていう。」

***********************************

「悪い気を受けないようにするには「慈悲の波動」。
観音様とかキリストのような波動を出せればいいのだけれどそれが難しい。
人を赦せば赦される、逆恨みされても理不尽な怒りを買ってもひたすら相手を赦すしかない。
怒りに対して怒りで返すと、道が(絆?)ができてしまう。
お互いに行ったり来たりすることで(怒りのキャッチボール)その怒りがどんどん増幅する、怒りの念が捻じれると恨みになる 。
恨みになると解くのが難しくなる。」

***********************************

「悪いことをして、その自覚があるうちはまだいい。
やってしまって嫌な感じがするはず。
バレてしまってヤヴァイ、警察に捕まるとか評判が落ちる心配じゃなくてやってしまったことに対する良心の痛みがあるうちは、それをやめられる。
悪事が快感になっているような人は確実に、心に魔が巣食っている。
それに操られているよ。」

*******************************************

「自己愛憤怒(じこあいふんぬ)」とは、マイナス感情の責任を相手におしつけ、相手をはずかしめ、ほろぼしつくしたいという執拗(しつよう)な怒りのことです。
依存心が強い(「他者からの応答性」をあてにしている)加害者は、たとえば、見下している相手が思い通りにいじめられてくれない、相手に被害届を出されて自分が怒られたとか、相手が中途半端に仲良くしながら少しずつ状況を改善しようとしたとか、相手に服従も同調もされず「独立した人格を持つ他人だ」と実感させられたとか、相手が自分よりも輝いていたとか、自分の期待していた「全能感を満たしてくれるような応答」を得られなかったときに自己愛憤怒を爆発させます。
全能感を求める人は常識的な平等感を持つ人を毛嫌いしており、常識的な態度をとられると、「非常識な態度をとられた」と言って怒ります。たとえば、学校内で身分が下とされる者が「対等な態度でいる」と、手痛い攻撃を加えずにはおられなくなったり、自分達のグループが主流派だと思っているその場所で、(加害者達から見て)「浮き上がったまま大きな顔をしている」と感じられる以外にはこれといって害をなさない者に対して、損得以上の悪意を抱きます。
加害者は、相手を思いどおりにできなかったことで、自分がそれほど力強いわけでも有能でも魅力的でもないことを思い知り、「この耐えがたさは、思い通りになるはずだった相手がとった態度のせいだ」と被害者感情をいだきます。そして「自分は有能な存在だ」と全能感を回復させるために相手を何とか思い通りに動かそうとします。痛めつけて逃げられないようにし、自分の思いどおりになるいやしの道具へ改造しようとします。
破壊は全能感を誇示する最も直接的な表現です。全能感を守るために残酷になれるのは、幼いころに味わった依存相手へのいらだちと無力感からです。うらみは真に怒るべき対象(自分より強い依存相手・親など)に向けられず、向けやすい対象(自分より弱い依存相手・被害者)に向けられます。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::

自尊心が脆くて中身が空洞だから自分と違うタイプで思い通りにできない人物に脅威を感じて破壊しようとしている。
違いを認められない。
相手は自分の鏡のようなとらえかただから相手が不細工だったり、鈍臭いと自分とは違うから破壊する。
また特別な才能を持っていたりすると激しい羨望感に襲われそれが手に入らないとなるとその人物を破壊する。
普通の人間ならそれを手に入れる為に努力をするはずなのにそういった発想は無く破壊しようとする。
自分の身を守る為に、他人の精神を平気で破壊する。
しかもそれを続けていかないと生きていくことが出来ない。
肥大した自我の影響のもとで、取り巻きや関係する人間の "健康な自己愛゛を破壊して相手が自分に脅威を与えないようにする。症状の無い精神病なのが自己愛性人格障害。
奴らは自分たちの苦しみや自分達の内部にある矛盾を他人に背負わせて心のバランスを保とうとするが奴ら自身は自分の苦しみを感じたことがなく矛盾にも気付こうとはしない。
それでも苦しみや矛盾は存在するので精神病が現れる前に他人に押し付ける。

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自己愛憤怒を垣間見たときに狂気を感じた。
話し合っているはずなのにぜんぜん話が通じない、一見普通なのにその中に本当におかしい部分が見えたときの怖さは異常。

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自己愛性人格障害は相手のなかにある自分の像が重要。
賞賛されなかったり、軽蔑を察知するともう自分の体の一部分を失ったみたいな不安定さを剥き出しにする。
こうなってしまうと、相手の望んでいることにおいて勝ろうという焦燥感をいだき、手段を選ばなくなる。自己愛は些細なことにでも深く傷付くから大袈裟に人を恨んで不釣り合いな大きな復讐をする。
例えば、自分の言動に対して僅かに苦笑したりとか、賛同せず素っ気ない反応しただけで、もう復讐の対象とする。
復讐された方は意味が分からず、「そんなことで?」と驚いて、自己愛に恐怖を抱くようになる。
結果、なにしてもなに言っても恨まれそうで怖くなって逃げたくなる。

*******************************************

自己愛そのものは生物であればみんな持っているもの。
誰でも自分を傷つけられそうになったら、それを避けたり、傷ついたら治そうとするだろう。それは自己愛行動。

だがそれが障害になると、面倒になる。過剰に自分を守ろうとする。
自己愛性人格障害・無自覚型は、まさに『攻撃は最大の防御』をやる。
常に他人を攻撃し続け、自分への攻撃をさせないようにする。
まあ『誰かが自分を傷つけたがっている』というのが妄想なわけだが無自覚型は常にその妄想と戦って、他人を攻撃し続ける。
自己愛性人格障害・過剰警戒型は、全く逆で、完全防御をする。
こちらは、積極的に攻撃などしないので赤の他人へ迷惑をかけたりはしない。
かわりに引きこもったりして、家族に迷惑をかけたりはするけどな。
ともあれ無自覚型が一番やっかい。
脳の構造なのか、自分が間違ったとか悪いことしたとかをどうしても認識出来ない。
人は誰でも間違いをするし、悪いことをしてしまったりする。
それを認めて『自分は間違った』と相手やまわりに言えれば嫌われずに済むのに。
それでいて人がしてしまった間違いや悪いことは我慢が出来ず執拗に責めたてて謝罪から行動の改めまで強制する。
それでやっと自分の優位性を保っているんだろうけど。
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コピペ7
たぶん一番効果があるのは、自己愛が最も嫌う「周囲に自己愛の本性や悪事がばれる」仕返しだろうと思う。
自己愛は常に自分が被害者としか考えないので下手に手を出せば加害者にされてしまう(無論何もしなくても加害者に仕立て上げられることもあるが)。
なので「自己愛と同じやり方(周囲には気づかれないよう、自己愛だけにわかる方法)で仕返しする」のもありだとは思うがそうなると自己愛と同じく延々と嫌がらせをやり続けなければならないことになる。
でなければ、2chスレにもあったように逃げる間際にドカンとお返しするのもいいと思う。

自己愛は嫌がらせし続けないと窒息する生き物。
嫌がらせし続ける裏には、仕返しされるという恐怖に怯えているので嫌がらせを先行せねばならないという切迫感を抱いている。
だからちょっとでも仕返し(=攻撃)とみなすと倍返ししてくるので、前もって証拠を取る準備をした上で自己愛に仕返しをする(自己愛を逆上させる)と、自己愛を罠にかけることも出来るのではないかと思う。

*******************************************

本来加害者側からすれば、相手を不快にさせたければ、ダメージが大きければ大きいほどいいと思われるのだが被害が大きいほど世間に知れ渡る率も広がるわけで、万が一正体がばれた時のことを考え、「体面第一」の自己愛は「いい人」のイメージが崩れることを必死に避けようとするから結果、針で突くような行為が最も理に叶うことになる。
そうすれば相手が被害を訴えても、被害妄想として片付けられるし、自分たちは何もやっていない!相手は被害妄想で自分たちを嫌がらせの犯人扱いしている!という主張が通る。被害に遭った人の投稿には、うまく撃退できた人の話より、逃げることで被害を回避した人のほうが多い気がする。ターゲット認定した相手にどこまでもしつこく食い下がるのも、自己愛性人格障害の特徴だそう。

*******************************************

「たしかに自己愛は常人には出来ない破壊行為ができるという能力を持っている。
というか、常人はその前でふみとどまるという事を知っている。
完全にブレーキがこわれていて破壊活動に突進できるのが奴らの異常さ。
それを来る日も来る日も繰り返す(反復する)事ができる」

*******************************************

他人を自分の思い描いたイメージ通りに無理やり変化させようと情熱を傾け、それを当人に拒否されたり、周囲に妨げられたりすると「お前が思い通りにならなかったせいで、私の世界が壊れてしまったじゃないか」と憎しみを抱く。
「私の世界を台無しにしたおまえが悪い。
台無しにしたお前を台無しにしてやる」
と例えば教育、世話の名のもと復讐をするわけだ。
コントロールされる他者の内側から全能の自己を生きようとする。
そのため、他者の振る舞いしだいでは容易に解体されてしまい、後に残るのは「不全感」である。そこから、いじめ加害者(自己愛性人格障害)によく見られる独特の被害感と憎悪と残酷が生じる。そして激しい憤怒を感じる。
これが、「彼ら」に特徴的な「自己愛的憤怒」だと考えると理解しやすい。

*******************************************

自己愛の異常な執着心はいわば奴らの行動力の源だと思うけれど、逆を言えば、この執着心が奴らの命取りになる。
手癖の悪い泥棒が捕まるまでやめられないのと同じ。
だからこの習性を逆手に取って対処していく他ない。
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コピペ6
1.自己愛性の「価値観」
自己愛性には自分が無い。
社会一般が支持している価値観に寄生して、自分らしきものを見せている。
自分オリジナルな価値観がない。
いつも借り物。
けれども、ふつーの人間にはオリジナルな価値観がある。社会規範となる価値観とバッティングしない範囲で、一人一人違った価値観がある。
それが、その人の個性であり、主体性である。その主体性を見せつけるコトで、自己愛性を遠ざけることができる。
自己愛性は他人に、過度に一般的価値観を強制してくる。
これに対して、自分の価値観をさりげなく押し出す。
個人と個人の間では、必ずしも一般的価値観は役に立たないことを態度で表す。
一般論と個別論をはっきり区別する。
一般論は一般論として、個別論は個別論として切り分ける。
その切り分けはこちらでやらねばならない。
自己愛性はこの辺を崩しにかかるが、決して譲ってはならない。

2.自己愛性の「傷つき方」の特異性
自己愛性は、自己愛の傷つきに敏感だ。
だから、決して自己愛性の自己愛を傷つける言い方はしてはならない。
これは自分を守るために、不毛な争いをさけるために。
同じ主張でも、相手の自己愛を傷つけない言い方は可能なので普段から心がけていると良い。
また、相手の自己愛を傷つけず自己主張することは、予防的効果もある。
主体性のある人間は、その態度に快く感じて近寄り、自己愛性は 自分の自由にならない相手を遠ざける。たとえ自己愛性の被害にあっても、他人から見てこちらの態度に筋が通っていることを理解させやすい。

3.自己愛性の「常とう手段」
自己愛性は、自分の価値を上げるために、自分に都合の良い一般的価値観を持ち出してくる。
意味が無いことを言っているだけなので、反感を持ってはいけない。
反感を持つということは、相手が示してきた価値観の上に自分が立ってしまうことだから。
一旦、その基準に立ってしまうと、そこから抜け出すのは容易ではなくなる。
逆に絡めとられる危険性が増す。
その価値観に立つ前に、やんわりと回避する。
「ふーん、そーいう考え方もあるねえ。」
と、気の無い口調でさらりと受け流し、しつこく主張してくる場合は、口で何か言うのではなく、態度で嫌がっていることを示し、逃げる。
「私には良く分からない」と、徹底的に無知・鈍感ぶりを貫き通すのもいい。
自己愛性が同意を求めるとき、安易に同意してはいけない。
安易な同意は、自己愛性に「こいつ下僕にできる」と思わせてしまうから。
けれども、いつもいつも反発するのは良くない。
それでは単に逆らっているだけで、主体性が発揮されない。
自己愛性に嫌われ、嫌がらせを受けるかもしれない。
自己愛性は主体性がある人間が一番苦手だから。
本当に同意してもいいときは同意するし、同意しかねるときははっきりその旨を主張する。
自分の発言に対して自分で責任を持つよう心がける。
その主張が間違っていたとしても、普通の人は自己愛性のようにねちっこく非難はせず、むしろ責任を持とうとする態度に好感を持つ。

4.自己愛性の「やりくち」
自己愛性はたくみにこちらのコンプレックスを刺激して来る。
でも、その挑発に乗ってはならない。 自己愛性に何か深い考えがある訳ではなく、単に、他人が傷つく確率が高いコトバを発しているだけで、意味は無い。たとえ、偶然にも自己愛性が指摘したコトが本当のコトだとしても、聞く耳を持つ必要はない。
マトモな人ならば、あなたの自己愛を傷つけることなく主張するだろうから、その辺は安心してよい。
「余計なお世話!」 「お前に言われる筋合いは無い!」 と、心の中で叫ぶといいと思う。

5.自己愛性には態度で示す
自己愛性に言葉は通じない。
伝えることは態度で示す。
自分の態度に一貫性を持たせること、これが一番いい。
頑なな態度は自己愛性にとってカモと思われるので、ナチュラル・天然な態度でいること。
つまり、常に自分に正直であり続けること、自分を失わないよう心がけること。
自分を失いそうな時は、その場を離れ、冷静になれるまで待つ。
普通の人間関係なら、それは許されるコト。
それをあれこれ言って非難するような相手なら、ブチ切れても良し。
ブチ切れる時は徹底的にブチ切れ、「こいつコワイ」と思わせるべし。
中途半端な態度が一番よくない。

6.そして、究極
自己愛性はゲロマジな怒りに弱い。
追い詰められ、捨て身になった人間のすごさを思い知らせてやるのもいい。
けれどもそれには、本気の本気で怒らなければならない。
殺されたり刑務所に入るくらいの覚悟が無ければならない。
自己愛性は、こういうのに弱い。
自分の経験からは、ちょっとすごんだだけで ビビって逃げて懐柔しようとしだす。
やるなら徹底的に。
あと自己愛性は裏工作が好きなので、裏工作できないように、事前の情報収集&情報開示を怠らないように。
決して無駄死にしないぞという意気込みが大切!
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