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2012年8月12日 (日)

今原発を止めなければならない理由(2)

理由(1)を書いて私が「命を的の大バクチ」はすぐやめなければならないと主張した。主張の根拠としたのは、菊地洋一氏の原子力発電所体験だった。沸騰型軽水炉には構造的に致命的欠陥がある。重い配管が無数に入り組みながら原子炉にぶら下がっているこの型の設計は溶接でつないだ配管は地震のショックに大きなダメージを受けるだけでなく、時間の経過による金属疲労のリスクにすら耐えられない公算が大きい、というのである。杉山弘一氏より私が論拠とした文献が(菊地氏の著書を含めて)古く、それらの信憑性に疑問があるとご指摘をいただいた。杉山氏は最新の資料を丁寧に示されもっと勉強してからものを言え、と叱責された。へそ曲がりの私は、最新の研究成果というものをに必ずしも信用する気になれない。特に低線量被爆の問題にはICPRの判定を含めて疑問が残る。

そこでまことに古い本だが、高木仁三郎(故人)の『原爆事故ななぜくりかえすのか』(岩波文庫2000年刊)を読んでみた。原子力政策の導入直後の頃の事情が書いてあり、原子力ムラの形成を含む日本の歴史的事情が見事に示唆されている。私はいろいろなことに好奇心を持っているが、昭和史は最も関心のあるテーマの一つだ。高木氏は日本に原子力文化というものが育たず、狭い無自覚なムラ文化が出来上がったことを痛恨な反省とともに追憶している。最近毎日新聞のスクープで明るみに出た原発推進派官僚の秘密会議などを見ると、原子力ムラは隠然として存続している。そういうものと戦うには、歴史を知らなければ無理だ。反原発運動は高木仁三郎に戻って見るべきである。歴史的パースペクティヴで問題を把握すべきである。

ここで再び菊地洋一氏の原発批判に戻る。菊地氏はGEの原子炉がいかに貧弱な設計思想に基づいて作られ、無理な工事で組立てられているかを体験的に書いている。杉山弘一氏の最近の知見に基づくといわれる反論があったが、私は菊地氏の体験の方を信頼する。「福島第一原発6号機のタービン建屋建設中、ある現場責任者から「設計変更による工事の直しが多すぎて、溶接工がみんなアタマに来て、だれも変更箇所の溶接をしてくれない」という訴えをきいたことがあります。結局、作業は済んだが、その溶接工が作業を終えて出てきたら狭すぎて自分が外に出られなくなった。しょうがないから溶接した部材を切断して出てきた」と言ったそうです。
 いくら厳しい検査を通っていても、熟練した溶接工地震が「不安」を覚えるような箇所が格納容器内に数多く存在しています。これは、私が担当した東海第二や福島第一の6号機に限らず、どこの原発であれ、同じ問題を抱えていることは間違いありません。「懸念はそれだけではありません。ハンガーの荷重のほとんどを受けているが、リアクターシールドウウォール』と呼ばれる原子炉の外壁から、「片持ち梁」に近い構造で出ていることです。この構造は地震が起きたときに、地震波と共振現象を起こす可能性がある。外部からの振動波と共振現象を起こす可能性がある。外部からの振動数と建物固有の振動数が一致したときに、振動が大きくなり、損壊の危険性が大きくなります。」こんな土木建築の初心者でも知っている恐るべき欠陥である。「片持ち梁」というのは、一端(固定端)で固定し他方が無支持(自由端)の梁。固定端が溶接で固定してある場合、強度が十分かどうかは溶接工にも判断がむずかしい。

 

私はそのように危ない機械を地震国の日本で運転するリスクを考えただけで原発はすぐやめるべきだと思います。現に福島原発の炉は津波が発生する以前の大地震の揺れだけで配管が破れ、ちぎれ、冷却能力を失っていた公算が大きい、と菊地氏は見ています。なにしろ、どんな事故が起きたのか事後の検証がいまだにできないのですから、話になりません。こんな機械の脆弱性の証言があるのに、性懲りもなく大飯を再稼働するという神経を私は疑います。大きな地震が来ないと信じる根拠はなんですか?これは杉山氏を初め大飯の運転を支持するすべての方々に聞きたいことです。絶対安全の神話で我々を騙したあなたがたはまた同じ過ちを繰り返しているのです。大飯の原発の地下には活断層があると言われています。もしそれが動いて事故が起きたら。あなた方は人殺しです。停電が起きたら産業が立ち行かなくなる、とか大勢人が死ぬというのなら、なぜ節電運動を組織し、停電を防ごうとしないのか?第二、第三の福島を防ぐことこそ、原発というとんでもないものを作ったあなたがたのすぐに取りかからなければならない仕事でしょう?杉山氏を個人的に知っており、あなたに責任を問うのはお角違いなことを承知の上で、原発の運転に賛成したという事実によって、将来の事故の責任を今から指摘しておきます。あなたがたがすぐ取りかかるべきなのは、原発の店じまいの支度です。始めてしまった以上、どんなに困難でも、産業が流失する危険があろうと、何十年かかろうと、使用済み燃料を始末し、原発による放射能汚染を阻止する方法を編み出し、実行する責任があなたがた原発に携わっている人にあるはずです。

以上が原発問題に関する私の結論です。

市民の目1沼田は私が群馬インターネットに開いたアカウントで運営しているブロッグです。管理していたのは杉山弘一氏です。このほど杉山氏から運営について疑問が出されました。

 

お世話になっています。

 

 

 

これまで、原子力の問題ついて、誠心誠意説明してきたつもりです。

 

また、安斉郁郎、野口邦和、田崎晴明、ICRPをはじめ様々な書籍・文献を紹

 

介してきました。てっきり読んで頂けていると思っていましたが、残念ながら、

 

まったく読んで頂いけていないようです。

 

誠意が全く伝わっていなかったとしか思えません。残念です。

 

 

 

私の紹介したものを読んだ上で批判をブログに書かれるのであれば一向にかまい

 

ませんが、それをせずに安易に読めるデタラメ本の記述を鵜呑みにして、それを

 

そのまま丸写しするような行為は意見の表明からはほど遠いと思います。

 

こういうことを続けられるのであれば、私は手を引かせて頂きます。

 

お世話になりました。

 

 

 

 ------------------------------- 

 

群馬県沼田市   杉山 弘一

 

 

私(峯崎淳)には私なりの読書の仕方があり、このように

「デタラメの本を鵜呑みにし、そのまままる写しするような行為」と非難されてはとても一緒にやっていくのは難しいと感じます。私は土木技術についてわずかな取材経験があり、技術のなんたるかは多少の心得があるつもりです。世間からもそれなりの評価をいただいています。菊地洋一氏の原発建設体験に基づく批判に少しも答えず、デタラメ本とは失礼を通り越して、あまりに過激です。あなたには、どこがどうデタラメか答える責任があります。片持ち梁のくだりだけを取っても、原発が建築物としてどれほどいい加減なものであるか明らかです。その危うい建物のなかに危険極まりない放射能物質を納めているのは正気のすることではありません。その証拠がこんどの福島の事故です。あなたは、どこがどうのように壊れてあの事故が起きたのか、正確に説明できますか?外部電源が失われたのが原因だなどという、壊れたから壊れた、というに等しい同語反復みたいな説明は聞いていません。

あなたはこのブロッグの運営から手を引かせてほしい、と言われています。どうぞ、ご自由になすってください。

私には私を信頼してくださる方が何人か心に浮かびます。そういう方々と新たにブロッグを立ち上げることも考えています。ただし、まだなにも決めていません。沼田の市政があまりにも悲惨なのになんとかしたいと立ち上げたこのブロッグですが、市政は相も変わらず星野巳喜雄の独擅場です。葬式にまめに参列し、ニコポンで人心を籠絡するという原始的な選挙術にても足も出ないまま敗退するのは悔しい限りですが、同志の志がくずれては負けです。片品村のK氏のような部外者や敵対者から汚い罵声を浴びせられるのは我慢もしますが、あなたは同志だと思っていましたから、ショックです。市民の目!沼田はひとまず店じまいしますが、星野巳喜雄を追い詰める手だては次第に固めつつあります。

では、お元気で、

峯崎淳

 

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今原発を止めなければならない理由(2)を参照しているブログ:

コメント

<沸騰型軽水炉には構造的に致命的欠陥がある。>

 すぐ止めろと言われている大飯原発は加圧水型です。沸騰水型ではありません。
 

<時間の経過による金属疲労のリスクにすら耐えられない公算が大きい、というのである。>

 金属疲労だけなら原発特有の問題ではありませんから苦労しません。それ以前に応力腐食割れ、照射脆化という原発特有の問題がやっかいなのです。


<反原発運動は高木仁三郎に戻って見るべきである。>

 はい、その通りです。
 高木仁三郎氏は科学的・技術的におかしな事は言ってませんでした。高木さんがなくなったあと、原子力資料情報室にはおかしな連中が入り込んできました。特に、奥さんがオカルト的なのです。高木さん、おそらく天国で嘆いていることでしょう。


<杉山弘一氏の最近の知見に基づくといわれる反論があったが、私は菊地氏の体験の方を信頼する。>

 峯崎さんが言われる最新の知見が何を意味するのか不明ですが、菊池さんのは最新の知見がどうのこうのという問題ではありません。
 ご自分が体験された施工についてはまったくそのとおりだとおもいます。
ただし、安全設計思想、核設計、放射線については全くの素人で、本に書いてあることも間違いが多いと言っているのです。全体が見えていないのです。


<私はそのように危ない機械を地震国の日本で運転するリスクを考えただけで原発はすぐやめるべきだと思います。>

 その通りだと思います。でも、それがすぐには出来ないから悩ましいのです。すぐに止めた場合の弊害を考えないでものが言える峯崎さんがうらやましいです。


<大地震の揺れだけで配管が破れ、ちぎれ、冷却能力を失っていた公算が大きい>

  国会でも政府でも民間のでも良いですから事故調の報告書を読んでから言ってください。
 
 私は配管破断の可能性を否定するつもりは全くありません。いずれ開けたときに解るでしょう。
 何度も言ってますが、原発は配管が破れることは想定済みです。破れたあとに稼働するはずの非常用冷却装置が停電で稼働しなかったことが問題なのです。配管が破れていたとしても、それは想定内で、停電がなければあんな事故にはならなかったのです。
 また、配管が破れてなくとも、停電だけでもそれは想定外ですから事故が起こります。
 また、福島第1では、破断を想定していなかった圧力容器も炉心溶融で壊れたというのですから、想定内の配管破断が起きていたと言ってもまったく迫力ないです。
 問題としている、事故の次元が違うのです。
 どうせなら、「圧力容器が地震の揺れで壊れていた」くらいのことを言って欲しいと思います。これなら想定外ですから話の筋は通ります。


<いくら厳しい検査を通っていても、熟練した溶接工地震(自身)が「不安」を覚えるような箇所が格納容器内に数多く存在しています。>

 そう思います。同様の経験を私はしています。この話、以前峯崎さんにしたように思います。


<大きな地震が来ないと信じる根拠はなんですか?>

 何度も言ってますが、来ないとは思っていません。

 では、お尋ねしますが、停電で死者が出ないと信じる根拠は何ですか?
 原発以外の施設は地震や津波の対策を考えなくて良いのですか?
 大飯を止めて電力供給率が95%越えのときに、地震(大地震でなくとも)が姫路の火力発電所に来て広域停電になることは考えなくて良いのでしょうか?
 台風や大水で水力発電所が故障することは考えなくて良いのでしょうか?
 去年の新潟福島豪雨で福島県内の水力発電所は全滅しました。同様のことが関西では絶対に起こらないと言い切れますか。
 それ以前に、やっとの思いで動かしている老朽石油火力が故障しないと言い切れますか。
 もし、広域停電になったとき、大飯や美浜の燃料ピットはどうやって冷却するのでしょうか。運転を止めていても発熱する使用済み燃料がたくさんあります。
 非常用電源が動きますか?絶対に動きますか?その根拠は?また、周辺住民の避難はどうするのでしょうか。信号も鉄道もなし、電話も通じないのです。
 

<絶対安全の神話で我々を騙したあなたがたはまた同じ過ちを繰り返しているのです。>

 私が騙したと?
 事故前から、絶対安全はあり得ないと何度も説明したのに、技術力をもってすれば絶対安全に出来るはずだと言い張って、宇宙原発を推進すべきだと言っていたのは峯崎さんです。
 責任転嫁もいいかげんにして頂きたい。


<停電が起きたら産業が立ち行かなくなる、とか大勢人が死ぬというのなら、なぜ節電運動を組織し、停電を防ごうとしないのか?>

 関西では節電はやっています。かなり頑張っている方たちもいます。それすらご存じないのでしょうか。
 また、電気が足りてると言い張って(嘘だった)節電に水を差したのは誰ですか。大飯再稼働に反対していた橋本や飯田、古賀でしょう。よく調べてからものを言ってください。


<あなたがたがすぐ取りかかるべきなのは、原発の店じまいの支度です。始めてしまった以上、どんなに困難でも、産業が流失する危険があろうと、何十年かかろうと、使用済み燃料を始末し、原発による放射能汚染を阻止する方法を編み出し、実行する責任があなたがた原発に携わっている人にあるはずです。>

 「産業が流失」を除いてその通りだと思います。
 ただし、原発に携わっている人とは誰でしょうか。
 原発推進派だった峯崎さんは携わっていないとでも思っているのでしょうか。
 原発の電気を使っていた人は携わっていなかったとでも考えているのでしょうか。知らなかったら責任はないのでしょうか。
 ただ、大飯の稼働に反対していれば解決するのでしょうか。使用済み燃料を青森や福島に押しつければ解決するとでも思っているのでしょうか。

峯崎氏は間違いを指摘されたり、違う意見を言われるのが嫌なだけ。
裸の王様になっちゃった。

 大飯町の方々が「大飯原発止めろ」と言われているならその心情は解るつもりですが、どうして群馬にいる峯崎さんがそこまで大飯原発の稼働にこだわるのでしょうか。節電にしても関西の他人事でしかないからでしょうか。

 ところで、昨年の夏は東電の柏崎原発が稼働していました。どうして、昨年は柏崎原発の運転を容認されていたのでしょうか。あれ以上の節電が嫌だったからでしょうか。
 また、柏崎原発の燃料プールには沢山の使用済み燃料が保管されています。地震が来てプールが壊れることは心配ではないのでしょうか。柏崎原発は福島と同じ沸騰水型ですし、断層の問題もより深刻です。何よりも事故を起こした東電です。峯崎さんにとって、こちらの方がずっと大きなリスクだと思います。
 それ以前に、地震でご自宅が壊れることは心配ではないのでしょうか。沼田市と違って、完璧な地震対策をされているのでしょうか。

ブログの管理から手を引いたわけですし、杉山さんも自身でブログを作って、そこで発言したらどうですか。

このまま書き込みを続けても平行線のままだと思います。

<特に低線量被爆の問題にはICPRの判定を含めて疑問が残る。>ですか?

 今年3月の峯崎さんの投稿をご覧になってください。

放射能被害を最小に食い止める方法
http://numata-city.kazelog.jp/numata/2012/03/post-572e.html

峯崎さんはこう言われています。

「ICRP111という文書を東大病院放射線治療チーム、(チーム中川)が解説しているものを読んだ。決して起こらないはずだった原発事故が起こった、という現実を正面から受け止め、被害を最小限度に抑え込む現実的方法を模索したのが、この文書である。ここに書かれていることを実行できれば、確かに地域の被害も個人的被害も最低にできるだろう。」
 
 全くその通りだと思います。
さらに峯崎さんはこうも言われています。

「問題は、沼田が市民社会として十分に成熟していないことだ。市民社会の成熟がこの文書を有効ならしめる条件と思われる。いわゆる反体制派を標榜する人は、事故の被害を減らすのは、東電や政府の反社会的性格を曖昧にし体制の存続に手を貸す行為だと非難するかもしれない。しかし現実に放射能被害を最小にする活動を体制に媚びるとして排除する論理は、狂信的な政治主義であり、市民社会に馴染まない。」

全くその通りだと思います。

 ものを書くことを生業とされているのでしたら、ご自分の書いたものに責任を持ってください。

でるさん

 峯崎さんはご自分の名義で契約しているから自分のものであり、ブログの閉鎖も自分の思い通りになると思われているようですが勘違いです。
 共同で資金を出し共同で運営しているのですから、名義が誰であれ、ブログは共同のものです。閉鎖するならそれなりの手続きが必要でしょう。
 私は管理を皆さんから管理を委任されているに過ぎませんし、峯崎さんは名義を貸しているに過ぎません。
 また、管理から手を引く意志を表明したからと言って、そこにおかしな意見がある以上コメントを止めるつもりはありません。それが管理をしてきた責任だと思っています。嫌なら読まなければ良いだけです。
 しかし、これだけはっきりと峯崎さんの矛盾を指摘しているのに、平行線のままだと感じているのだとしたら、あなたの理解力もそうとう乏しいと言わざるを得ません。

 なお、私はすでに他のいろいろなところで意見を表明していますので、このブログが閉鎖されても全く困りません。また、峯崎さんは、ブログを新しく立ち上げるとのことですが、おかしな意見であればそれもまた徹底的に批判していくつもりです。

粘着具合が、みなかみの某氏とそっくりですねw

 峯崎さんはこんなことを言われていました。
2012年4月17日 (火)
沼田とエネルギー問題
http://numata-city.kazelog.jp/numata/2012/04/post-8ea6.html

「そんな発癌性のあるヒ素を含んだ米を毎日食べながら、椎茸の100ベクレルに恐れをなす矛盾は滑稽である。」

「さらに、大飯原発の再稼働に政府はしゃにむに舵を切ろうとしているようだが、それには理由がある。政府は再稼働をためらっているうちに手遅れになり大停電が防げない事態を招くのを心底から怖れている。もし真夏に大停電が起きれば千人を超える死人が出ることを知っているはずだからだ。」

「大阪の橋本市長は電力は十分足りている、と言っているが、その根拠はあるのか?工学的に説明できるのか?電力事情に関するかぎり橋本の発言は無責任な放言である。」

「日本人の電力の使い方がでたらめで自販機やパチンコ屋が煌々と電気を付けている、と非難したのは東京都の石原知事だが、生命に関わる重大なことに使っていない電力は無駄遣いである、と決めつけるのはわれわれが自由主義経済の資本主義社会であるのを忘れている。競争原理に基づくこの国ではパチンコは依存症が問題になるほど多くの遊戯人口を持つ産業である。電気を煌々と付けて派手に客集めをしなければ店はつぶれてしまう。」

「世間には脱原発と宣言すれば原発事故の危険が無くなるように考えている人が少なくない。動いていても止めても燃料棒がそこにある限り危険に変わりはない。脱原発を宣言したドイツも向こう30年間は原発を運転し続ける予定のようだ。」

 07年10月に「市民の目!沼田」が立ち上がり、間もなくして、その存在を知った。どういう人たちがやっているんだ?
 08年4月、初めてのフォーラムに参加してみた。談合を告発した、この人が杉山氏で、沼田の人たちを◯◯だ◯◯◯だと罵倒している、こっちの人がなるほど峯崎氏か。
「片品でもいろいろあるでしょ?」
「そうですね」。
「書きませんか?」
 逡巡しながら、一読者として様子見の10ヶ月がたち、尾瀬国立公園誕生記念事業の裏に数々の不正、違法を見た。じゃあ、そろそろ書くか?
 08年2月、初めての原稿が載った。そこそこ反響はあったらしい。賛否を含め、いろいろな意見があることは間接的にだが聞いた。叩かれた相手からは嫌われ憎まれているだろうことは想像したが、誰からも異論反論はこない。「市民の目」の人たちからは(多分)歓迎されて3年半がたった。峯崎氏からは「市民の目」とは別に、ふたりで利根沼田の人たちをとことん罵倒するブログをやらないか、と誘われもした。
 私の何時のどの意見がきっかけか、実は私には解らないのだが、峯崎氏の意に染まなかったらしく、氏にとって私は片品村のK氏になった。そのKは今や部外者、敵対者らしい。考えが違うから敵対者? バカバカしい。

<私(峯崎淳)には私なりの読書の仕方があり>

 なるほどモノ書きである。科学の分野の書籍であれば、事実はひとつ、と文科系の私などは思うのだが、読書の仕方によって、白いモノも黒くなるし、時と場合と峯崎氏の都合によっては、赤くもなるし青くもなる、というワケか。さらにバカバカしい。

<峯崎氏からは「市民の目」とは別に、ふたりで利根沼田の人たちをとことん罵倒するブログをやらないか、と誘われもした。>(木暮さん)

 なるほど、そのときは私が部外者だったと。まるで、核燃料サイクル検討小委員会の秘密会議のようですね。
 事実確認が不十分だったり、名誉毀損になるだろうと思われる記載は私がチェックしていましたら、自分のブログだと思っていた方にとってはさぞ疎ましかったでしょう。
 私の意見に対する批判であっても、パソコンが調子悪くて投稿できないと頼まれれば、代行して掲載していたのですから、お人好しが過ぎました。


<私を信頼してくださる方が何人か心に浮かびます。そういう方々と新たにブロッグを立ち上げることも考えています。>(峯崎さん)
 
 楽しみにしています。ただし、島崎議員のように名誉毀損で訴えられたと泣きついて来ないでください。その覚悟があるならやられたらいいと思います。
 ただし、今の峯崎さんには、ご自分で書いたものをチェックする能力さえ欠けています。とてもプロの物書きのレベルではありません。
 健康上の問題が原因なのでしょうから、ひとまず、筆を置いて、療養に専念されることをお勧めします。

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