なぜ事故は起きたか?その2
南魚沼市のトンネル事故は4人の犠牲者を出した。司法解剖の結果死因は爆風による外傷性ショックと判明した。4人は入口から1.2キロ地点にある換気設備の点検のために入坑したもので、ガス検知器を携えていなかった。このトンネルの掘削は昨年7月前に終わっていた。工事を受注した準大手ゼネコン佐藤工業は、「掘削中は毎日測定する」との社内ルールはあるが、今回は点検作業だったと主張。「施工計画書が今回の作業に適用されるかはこれからの議論」と言っている。施工計画書というのは、着工前に発注元の国土交通省北陸地方整備局から現場のガスの危険性を伝えられた同社が「可燃性ガスを毎日測定、記録する」との施工計画書を提出していたことを指す。整備局は「作業内容に関係なく坑内に入る際は計画書通り測定していると信じていた」と反発する。(毎日新聞、5月29日、6月1日)
ガスの発生するトンネルでは、(危険な濃度に達する可能性のある場合)電気設備は「防爆構造」にするのだが、防爆仕様は通常の設備の2,3倍の高額である。防爆にするかしないかは、施工業者の判断に任される。鍋立山トンネルの場合、爆燃が起きると、西松建設の現場所長水本節生さんは電気設備を防爆仕様にするよう直ちに指示した。計測したガスの濃度は安全基準内であったが、水本さんは万全の策を講じたのである。水本さんには”想定外”はあってはならないことだったのだ。私は佐藤工業が防爆構造を採用していなかった理由を知らない。憶測すれば、カネだと思う。トンネルのプロ中のプロである請負会社が僅かなカネを惜しんだのである。いや、工事の採算性が悪化していて、その余裕がなかったのだろう。私は、コンクリートから人へ、というほとんど無意味だが尤もらしいスローガンがもて囃され多結果公共事業の予算が削られたことが背景にあると見る。過当競争の結果会社はリストラで瘠せ、技術者は必要な安全設備を我慢しても、リエキを出さねばならない。コンクリートがなくては、現代文明は維持すらできない。そのうちに、あちこちで老朽したコンクリートが問題になる。そのとき、頼りになる土木請負者があり、信頼できる技術者がいるだろうか? かつて米国は橋でもトンネルでも世界一の技術を持っていた。今アメリカで幅を利かせているのは金融会社と軍事関連産業だけである。金融工学などという人のカネで博打を打つ技術を磨いた結果、物造りなどというかったるい仕事をする人がいなくなってしまった。日本も今のような政治が続けば、土木は確実に衰退する。優れた技術が雲散霧消する。今度のトンネル事故を「業者や技術者のガスの認識が甘かった」とする論調が強いようだが、たとえ認識していても、それを主張できない雰囲気が業者や技術者に蔓延しているのかもしれない。危ない、と思いながら、会社に迷惑はかけられない、と要求をこらえた技術者がいたとすれば、日本人はそんなふうに彼を追い詰めたいまの経済システムを大改造する時がきたことを認識し議論を始めるべきだと思う。私の記憶では佐藤工業はかつて倒産したことがある。社員たちは、地獄を見た。カネの怖さを十分知っている。
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