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メンバーの裁判

« 三国通信 2 | メイン | 今日という豊かな生活 »

2012年5月13日 (日)

不確実なものと官僚的思考

三国通信をめぐって盛んな議論が始まっている。原発事故によって、安全神話が嘘だったとわかってからいろいろな“定説”が疑われるようになった。そのひとつが、炭酸ガスによる地球温暖化である。公然と反対する科学者は非常にすくないのは事実であろう。しかし温暖化論の科学的根拠となると、極めて曖昧なものであり、それを主導するのが先進国の科学者だということで、政治的陰謀説さえある。問題は、われわれはこうした科学的に確かとは言い切れない事柄について、否定なり肯定なり、決断を迫られていることだ。わからないからという理由で結論を先延ばしすることは許されない。今という時代を生きるのを非常に難しくしているのは、このように不確実なこと、科学的によくわからないことにも、何らかの決断が必要になっていることである。利根沼田の風土には”国の方針に従う”のを是とする傾向がある。水上町の岸町長が「国が”原発の使用済み燃料棒を永久保存する施設を作れ、というなら、受け入れる」と言ったのは,お上に従順な利根沼田人らしい「官僚崇拝」の典型である。いわば「官僚無謬説」と言い換えてもいい。岸町長は東大出の官僚だったから、官僚の権力がいかに強いものか身に沁みて知っている。だから、自分で判断することができない不確実な問題にぶつかると、官僚に判断を委ねてしまう。
しかし、3・11の大震災は官僚は無謬でなく間違いをするし、無責任ですらあることを白日の下に晒してしまった。多くの人々が、こういう難しい問題は人任せではだめだ、東大を出た秀才でもわからないことはたくさんあり、そんな秀才に任せるのではなく、われわれ自身が自分で考えて判断をしなければいけない、とはっきり悟った。原発を止めるか続けるか、われわれは自ら選択しなければならない。温暖化も地球は温暖化しているのか、それとも逆に寒冷化に向かっているのか、最近の異常気象はどういう意味を持つのか、自分で勉強し、判断するのである。理科に弱いとか勉強が嫌いなどと言って逃げていれば、そのつけは恐ろしい形でわが身とわが家族の上に降りかかって来る。放射能の影響はどこまで許容すべきか、あるいは許容してはならないか、自分で決めなければ駄目な時代なのだ。
この時理科の知識も大事だが、人間はどう生きるべきか、つまり人間社会はどういう形が最ものぞましいかを考える感性と知性も大事である。感性を持つ眼差しで今の世の中を見れば、必要でないものが溢れ、栄養過剰で成人病にかかって苦しむ人々の姿が見えて来はしないか?
生き方を含めてもう一度社会のありかたを一緒に考えてみようではないか?(峯崎淳)

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不確実なものと官僚的思考を参照しているブログ:

コメント

もし原発を再稼動するのなら、新しく原発を東京に造って稼動させるべきだと思います。

東京に造れば、何百キロも送電線を造る必要がありません。距離が遠くなると30%くらい電気も減るそうです。東京湾には火力発電所がいっぱいあります。

危ないから東京には原発を造れないのなら、再稼動はするべきではないでしょう。

また、福井や新潟に払われる危険手当ては無くすべきです。

危険なら造らない。

安全なら危険手当てはいらない。

金のために少々の危険に目をつむってきた結果が、今回の大事故につながったと思います。

原発の安全性を現存する炉より高めることはできるかもしれないが、経済的採算性取れる形では難しいことが既にわかっています。燃料棒の処理保管を含めて考えると東京のような人口密集地に原発をつくることは到底不可能でしょう。危ないものをリスクを覚悟の上で、事故がおいても日本の国が致命的打撃を回避できそうな田舎につくるか否かの選択になるでしょう。経済的破綻を招かないようにしながら、なるべく原発依存度を下げていくという選択肢しかなさそうです。私自身は産業がダメージを受けることは覚悟の上で、原発から撤退することをまず決め、後はどうう手順で実現するかを模索するべきだと思います。まず理想を掲げて決断し、後は決めた目標にまっしぐらに進むしか打つ手はなかろうと私は考えるのです。科学的に不確かな領域での決断ですから、反対も多いと思います。しかし、決断を先延ばしするのは最悪です。私の案は福島のような事故だけは二度と起こさないということを最大の価値と考えた挙げ句の決断です。従って既存の使用済み燃料棒の処理保管を決めるのが次に決めること。輸出産業として原発の製造を続けるか止めるかも決めなければなりません。(峯崎淳)

完璧に安全ではないので東京には造れないものを、田舎に造れるでしょうか?日本の田舎はシベリアなどと違ってけっこう人口密度が高いです。また、福井県という田舎の原発が爆発した場合、偏西風にのって放射性物質が京都・大阪・名古屋・東京という日本の中枢部を襲います。福島原発の場合、偏西風で放射性物質の7割が太平洋へと流れていってくれたそうですが、福井・新潟などの日本海側の原発の場合、偏西風が「痛い」です。

日本は神風に助けられる国なのかもしれません。

古くは元寇を防ぎ、今回は偏西風という神風が日本を救ってくれたのでは・・・・・

もし、福島で起きた事故が福井で起きていたら、日本は致命傷を負っていたでしょう。

今回の事故を教訓に、原発から撤退し、将来の破滅を回避できたとしたら、災い転じて福となすということになるのではないでしょうか。

今回の事故が世界的な原発推進を止め、石炭火力・天然ガス火力発電が世界の主流となり、その結果、地球が氷河期になることを防げたら、日本が世界を救ったことになるかもしれません。

化石燃料を燃やさないと、5000万年後に二酸化炭素が無くなって生命が滅びるという話しを聞きました。世界が原発から撤退し、これから1000年頑張って化石燃料を燃やせば、生命はさらに数億年生きていけるようになるとも聞きました。


日本が原発を止めたら、輸出も無理でしょう。

東京の近くには、横須賀に原子力空母・原子力潜水艦という「原発」がすでにあります。これについてはどう考えるかという問題もあります。

「うそ」の害について考えています。

日本の原発は安全だという「うそ」は、ふたを開けてみれば、地震国なのに耐震性がない、津波がある国なのに対策をしていないといったものでした。

日本の原発は安全だという「うそ」が放置されていたために、東電の技術者が「津波対策は?」と上司に聞いても、それは考えるなと言われたそうです。安全という「うそ」があるために、安全策を進められなくなっていたのです。安全なのだから、これ以上の対策は必要ない。

日本は神国なので戦争に負けないという「うそ」もありました。その「うそ」のために科学的に戦争を考えることができなくなり、米英という日本の20倍の強敵に宣戦を布告しました。「負けるのでは?」という疑問をおおっぴらに言うことは出来なかったと思います。その原因の一つは、日本は神国で戦争には絶対勝つという「うそ」だったと思います。

現在の日本には憲法9条という「うそ」があります。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」という憲法のもと、陸海空軍が整備されています。護憲派は、もし憲法9条を守れと言うなら、自衛隊の廃止を主張すべきです。改憲派は、至急すみやかに憲法改正の国民投票を進めるべきでしょう。この「うそ」も放置しておくと、ろくなことがない気がします。

身近なところでは、公共事業の談合はないという「うそ」があります。「談合は仕方ないんだよ」という町会議員がいました。みなかみ町の公共事業の落札率は99.3%~100%といった感じです。むかつくので議会で「談合は税金泥棒だ」という「事実」を発言しました。みなかみ町で談合があるという証拠は持っていませんので「みなかみ町の入札は談合だ」とは言いませんでした。この「うそ」も、ろくなことがない気がします。

島崎さん

 たくさんコメントを頂くのはありがたいのですが、投稿の趣旨とどんどん離れていって議論が噛み合っていないように思います。別のテーマの議論はコメントではなく新たな記事の投稿として頂けるとありがたいです。
 このブログに投稿されることも吝かではありませんが、島崎さんの場合、ご自分のサイトを造られてはいかがでしょうか。FACEBOOKがお勧めです。

いやァ・・・すいません。

コメントの書き方は解かるのですが、記事を投稿するにはどうすれば良いのですか?

「事故がおきても日本の国が致命的打撃を回避できそうな田舎」 = 福島

今回、これだけ破滅的な原発事故が起きても、日本国は致命的打撃を回避できています。

そういった意味では、昔の人が福島に原発を造ったのは「正解」だったのでしょう。

東京に何とか電気を送れる範囲で、事故が起きても大都市に被害が少ない地域が福島県だった。

昔の人もある程度は、安全のことを考えていたのかなと思います。

30mの台地を削って、低い場所に福島原発を造ったのは間違いでした。

30mの台地上に、そのまま造らなかったのは「不正解」でした。

みなかみ町議員の島崎さん

あなたは、福島の人たちがあなたの14日22:50のコメントを読んでどう感じるかに、思いがおよびませんか?

島崎さん

 言いたいことが湯水のように次々に溢れてくるようですね。それを否定するつもりはありませんが、やはり、杉山さんが言われるように自分のサイトを立ち上げて自由に書くのがいいのではないでしょうか。そうすれば、投稿の趣旨を気にすることもないし、話題が散らばろうが、自由奔放に思いついたことを書ける。暴走した、なんて言われることもない。議員として、みなかみ町民への議会報告にもなる。「単なる自己満足のブログです。操作された嘘の情報を信じるのはバカの勝手。真実を書くのはあたしの自由。」と言う『きっこのブログ』に倣って、コメントもトラックバックも受け付けないスタイルが島崎さんには合っているような気がします。
 何故、そう感じたかの一例は、地球が寒冷化に向かっているとするあなたの断定です。それがあなたにとっての真実なのでしょうけれど、科学者の間にも寒冷化説と温暖化説があり、どちらが真実かは誰にも分からないはずです。要するに、あなたの思考回路に寒冷化説が馴染んだだけでしょう。人それぞれに馴染む考えがありますから、1+1=2のようなもの以外、一個人が断定できるものは世の中に何ひとつないはずです。冬の寒い日に縁側のひだまりに射す太陽は暖かくありがたいものですが、灼熱の砂漠で浴びる陽射しは、同じ太陽でも過酷です。あなたの断定は、縁側のひだまりの太陽だけを良しとする、に似ています。
 そんな不確実で、国もメディアも信用できない時代なのだから、一人ひとりがどう生きるかを、よく考えようじゃないか、という峯崎さんの呼びかけでしょう。

 私がこのブログの場を借りて片品村のことを書くようになって3年です。まず、左上にある「市民の目!沼田とは」を読んで、その趣旨にはずれないように、を常に意識してきました。行政や公人、公的事業、公金の動きについて、おかしいことに「おかしい」と書くときは、必ず根拠を示すように心がけてきました。正論を書いてきた、と自負していますが、人それぞれに違う考えがあって当たり前のことに、私の考えだけが正しい、という姿勢はとっていません。世の中は私中心に回っている、なんて考えはまったくないからです。

寒冷化の危険は考えておくべきものだと思います。最後の氷河期が1万年前に終わったわけですが、地球の歴史にとって1万年なんてつい最近のことです。しかも、ここ何十万年の歴史を見れば、何度も何度も氷河期がきていて、今のように暖かい時期よりも、氷河期のように寒い時期のほうが長いのです。

温暖化の危険と、寒冷化の危険を考えた時、どう考えても警戒すべきは寒冷化だと思います。

夏は生命のあふれる季節ですが、冬は生命が活動を停止する季節です。

恐竜時代は地球の平均気温が30度、二酸化炭素も今の十倍ありました。少々暖かくなっても生命は生きていけます。食料だって多く生産できます。

それに対して、氷河期が来れば、北アメリカやロシア・欧州は広い範囲で氷河に覆われ、何億人も住めなくなります。

寒冷化こそ、今そこにある危機なのです。

地球の大気は最初75%が二酸化炭素でしたが、何十億年もの生命活動・光合成の結果、今では0.04%。このまま放置すれば5000万年後には二酸化炭素が無くなって生命が滅びます。たぶんその前に、全球凍結という状態になり生命は絶滅します。

で・・・

何が言いたいかというと、温暖化防止とか言って二酸化炭素の排出量を減らしているのは日本だけで、そんな足かせをかけられていたら、日本が世界の経済競争に負けてしまう、日本の若者がまともな職につけなくなってしまうことを心配しているのです。

日本は海洋性気候。地震や津波は多くてたいへんな国ですが、気候に関しては世界でも恵まれている国なのです。

どんどん石炭をたいて安い電気をつくってがんがん経済発展しましょう!

 我が国でこれまで原子力が電力に占める割合は30%弱でした(今はゼロ)。
 また、エネルギーは電力だけではありません。運輸、農林水産、建設、製造などさまざまな分野でエネルギーを使います。
 我が国の一次エネルギーの80%以上を化石燃料が占めています。
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/energy-in-japan/energy2010html/japan/index.htm
 原発が維持エネルギーに占める割合はこれまでも10%以下です。世界の1次エネルギーに占める原子力の割合は7%にしか過ぎません。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/sonota/study/aecall/book/pdf/9syou.pdf

 一方、世界の人口は増え続けており、中国やインドなど今後エネルギーの消費量が急増するであろう国があります。これらの国の1次エネルギーの大半は化石燃料にならざるを得ないでしょう。
 世界的には化石燃料の使用量が今後大きく増えていくことは明らかですから、原子力を止めようが止めまいが化石燃料の使用量がますます増えるという大勢にはほとんど影響が無いと思います。

 また、原発のコスト(廃棄物処理や事故コストを入れて)が石炭火力に比べて高くなるという議論は、これから原発を新設するときの話です。
 イニシャルコストが高くランニングコストが低いというのが原発であり、その逆が火力発電です。原発を造ってしまった以上、原発を稼働させた方が発電コストは圧倒的に安いのは明らかです。

地球温暖化懐疑論に対する批判は以下がまとまってます。PDFで全文ダウンロードできます
http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/sosho

温暖化問題について議論するにはこの程度の文献は読んでおくべきだと思います。

・・・イニシャルコストが高くランニングコストが低いというのが原発であり、その逆が火力発電です。・・・

北陸電力の2000年9月28日付けプレスリリース「敦賀火力発電所2号機(70万kW)の運転開始について」では、同発電所の1号機(出力50万kW)の建設費が約1500億円、2号機(出力70万kW)が1275億円と記されています。ここでは間をとり、出力60万kWの火力発電所の建設費が1388億円と仮定します。4623万kW÷60万kW≒77だから、60万kWの発電機をを77カ所作れば、原発の出力をまかなえます。そして、これだけの火力発電所を建設するには、77カ所×1388億円≒10兆7000億円が必要になるわけです。(ネットからコピー)

10兆円なんて、日銀引き受けすれば1週間で調達できます。そうするとついでに5円ほど円安になってちょうど良いです。

10兆円の発注をすれば、日本経済が活気づき、若者が就職できます。仕事が生まれるってことです。

日本の原発の危険が減り、円安になって輸出企業が助かり、経済が活性化して若者が就職できます。1石3鳥の効果が期待できます。

すぐにやってもらいたいです。

原発の安全がどうのこうのと小田原評定してるヒマはありません。

今ある原発の敷地に、石炭火力発電所を建設しましょう。

そうすれば送電線もあるし、港もあります。手っ取り早く電力不足が解決できますし、その地域の雇用も穴が空きません。

実は、半年前まで杉山さんと同じで、とりあえずは原発を再稼動させて電気を確保するしかないし、その方がコストが安くなると思っていました。

しかし、原発の実態を知るなかで・・・

耐震性がない

津波対策も無い

働いている人は5次下請け

原子力保安委員には愛人がいるし

そのホテルもバーの費用も電力会社負担

東電の社長は退職金を2億円をもらって円満退社

・・・・・

・・・・・

御用学者がいくら原発は安全だと言っても、信じられなくなってしまったのです。

地球温暖化については、温暖化は害が少ない、寒冷化は害が大きいってことです。

みなかみ町議員の島崎さん
相変わらずダラダラと投稿を続けるわりには15日08:40の木暮さんの問いかけには一切答えようとしませんね。

「事故がおきても日本の国が致命的打撃を回避できそうな田舎」 = 福島
今回、これだけ破滅的な原発事故が起きても、日本国は致命的打撃を回避できています。

 これですね。このコメントを福島の人が読んだらどう感じるか?ですね。

本当の事だと思うと思いますよ。

東京に電気を送るために、危険な原発を引き受けたこと、その見返りに財政的な支援や雇用を得てきたと感じていると思いますね。その危険が、尋常ではなく大きく、今までも受けてきた金銭的見返りなんかでは、とても見合わないとも思っているかもしれません。

かわいそうなのは、福島市や飯舘村みたいに原発の恩恵を受けていなかったのに、被害だけを受けた人、農業や漁業で、甚大な被害を受けた人たちです。

原発は、ほんの一握りの周辺の町村にはした金を渡し、建設の同意を得て、おざなりの安全性の確保で済ませてきたってことです。

利根沼田は、柏崎原発が爆発したら風向きを考えれば、飯舘村と同じ被害を受けるかもしれません。

その柏崎原発も、地震で壊れた、火災も起きた、そして今まで完全に復旧はできていなかったという現実です。たまたま幸運だったのかもしれません。

このコメントは・・・(峰崎さんの)危ないものをリスクを覚悟の上で、事故がおきても日本の国が致命的打撃を回避できそうな田舎につくるか否かの選択になるでしょう。・・・に対する感想です。つまり、今までも致命的打撃を回避できそうな田舎に日本の原発は造られてきたってことです。

原発は一基が1年間稼動すると、広島の原爆の1000倍のウランを燃やします。放射能の量も1000倍ってことです。その原発が1号機2号機3号機4号機5号機6号機7号機とあるということは7000倍です。ついでに使用済み核燃料も原発に保管していますから、トータル数万倍の放射能が閉じ込められていて、もしそれが飛び出したらたいへんなことになるということです。 

ケタ違いのリスクだと思います。

かわいそうなのは、福島市や飯舘村みたいに・・・

かわいそうなのは、あなたでしょ。
人の痛みがわからない。
理屈でしかモノを考えられない。
自分はすべて正しいと思っている。
立ち止まって顧みようという謙虚さもない。
まわりがまったく見えない。

あなたのせいで、みなかみの人たちの民度まで疑われてしまった。
あなたには伝わらないでしょうけれど・・・。

経済活動には二酸化炭素放出がともないます。

二酸化炭素放出を制限しないと、経済活動も制限されず、経済成長が可能となります。

経済成長をするとGDPが増え、それに伴って税収も増えますので、財政再建も社会保障の財源確保も可能となります。経済が大きくなるということは、雇用が増える、若者が就職できるということです。

今、日本の課題は、若者の半分がまともな職につけないこと、自殺が3万人を超えること、生活保護が増え続けていることなどではないかと思います。この課題を解決するには経済成長が一番の「薬」でしょう。

逆に、経済成長なしで、増税によって問題を解決するのは不可能だと思っています。


みなかみ町の発展も、結局は経済成長しかないのでは?とも思っています。町の資源を活かし産業を興して発展する。そのためには町は何をしたら良いのか考えていきたいと思っています。

ゆきずりの沼田市民さんへ

理屈でものを考えるのは重要だと思いますよ。

感情で考えるのはどうかと思いますね。

日本は戦前「これだけ陸軍と海軍が、戦争の準備をしてきたのに、今さらアメリカと戦争するのは止めようなんて言うのは、かわいそうだ」という「感情論」で戦争を始めたのではないですか?

理屈で考えないから戦争に負けるし、原発の事故も起きるのです。

日常生活の人間関係は、感情も重要ですが、戦争や原発のような巨大技術は、理屈を最優先させるべきだと思います。

島崎さん

 私は当面の発電コストが安いのは既存の原発を稼働させることだと思っていますが、コストだけで原発か火力かの選択をすべきとは思っていません。簡単にはコストに反映できないセキュリティ、環境問題など他の要因そして社会的合意を含めて決めていくしかないと思っています。
 その上で、長期的には再生可能エネルギーの比率のアップを計るべきと思っています。そして、短期的には効率的な節電と火力発電所の増設が必要だと思っています。電力会社はすでに火力発電所(主にガスコンバインド)の増設に着手しています。しかし、新設となれば数年の時間がかかりますし、環境アセスも必要です。
http://www1.kepco.co.jp/pressre/2009/0326-2j.html
 また、火力にも反対運動もあります。特に石炭火力は焼却灰の放射能問題があります。(平常運転時は原発よりも放射能が多く出ます。)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/symposium/03102402/003.pdf
 当座は節電か原発再稼働しかありません。
 長期的に見ても、一つの発電方式が正解というものはなく、それぞれ長所短所があります。結局のところ、適材適所でベストミックスを模索していくしかないと思います。その中で、エネルギーの使い方を見直したほうがいいと思っていますし、原発のような集中的な発電だけでなく、地域分散的な発電方式を増やしていくのがよいと思います。
 太陽光パネルはコストが高いですが夏のピークカットには有効なので、住宅の屋根や遊休地に設置するのは良いと思います。また、利根沼田では地熱、水力も魅力的です(安全性は問題がありますが)。これに、ガスコンバインドとコージェネを組み合わせればエネルギー効率は飛躍的に上昇します。自治体のごみ焼却炉の廃熱も利用する方法を考えていくべきだと思います。

<利根沼田は、柏崎原発が爆発したら風向きを考えれば、飯舘村と同じ被害を受けるかもしれません。>

 その前に、利根沼田、特に沼田の池田地区、川場、白沢の汚染度がどれくらいかよく調べてみてください。避難した川内村、田村市と同レベル、場所によっては飯舘村と同レベルの汚染です。
 福島を田舎?
 よそから見たら、すでに汚染されている田舎は利根沼田です。

島崎さん

<理屈でものを考えるのは重要だと思いますよ。>

 その通りだと思いますが、そういうのであれば、どうして地球温暖化説を否定し、二酸化炭素を排出すべきだと考えるのか、科学的な理屈を示してください。

<原発は一基が1年間稼動すると、広島の原爆の1000倍のウランを燃やします。放射能の量も1000倍ってことです。その原発が1号機2号機3号機4号機5号機6号機7号機とあるということは7000倍です。ついでに使用済み核燃料も原発に保管していますから、トータル数万倍の放射能が閉じ込められていて、>

 これもまったく理屈で考えていませんね。放射能には半減期があること忘れてます。ついでに言っておくと、空気中の窒素から宇宙線によって毎日大量の放射性炭素が造られています。トリチウムも同様に造られています。大地からはラドンがたくさん出てこれを吸って内部被曝しています。量だけで言ったらこちらも大問題です。

自然界からの放射能は年間1.5ミリシーベルトです。その他に、原発から出た放射能が「足し算」されていきます。利根沼田は1ミリシーベルトくらいでしょうか。その他、医療被曝、食料からの内部被爆といったところでしょうか。

紫外線を浴びても皮膚がんにならないように、放射能に対しても人間は防御機構はあると思います。どのくらい放射能を浴びれば、どうなるかということは、まだ判らないことも多いようです。

しかし、一応世界標準は、年間1ミリシーベルトまでに原発からの放射能は抑えるとなっています。日本の法律もそうです。

自然界の放射能は地域によってまちまちで、年間20ミリシーベルトなんてところもあるようです。

ですので、避難しろとか思わないですが、子どもの食べる給食は、毎週検査しろと言いました。町も対応するようです。

「雨どいの下を計ったら毎時3マイクロシーベルトだった」という人がいましたので「ビニール袋にそこの表土を入れて、害のなさそうな場所に深く掘って埋めた方が良い」と言いました。赤ちゃんのいる家庭でした。

日本政府は原発を再稼動させるかもしれません。

しかし、ウランの埋蔵量は、石炭や石油や天然ガスには遠く及ばない「少量」ですので、結局は火力発電になると思います

杉山さんも指摘しているように、日本の一次エネルギーに占める原子力の割合は7%程度だったわけですから、火力への切り替えは、それほど困難ではないと思います。

石炭火力発電所からもある程度は放射能は出るでしょう。しかし、今回の福島のようなことはありません。

石炭火力は大量に二酸化炭素が出るのが魅力的です。まあ、天然ガスでも良いと思います。

地球温暖化説を否定してるのではなく、温暖化した方が良いと言っているのです。

だから、二酸化炭素を出した方が良いと。

暖冬になると冬野菜が豊作になります。赤道近くの熱帯は生命が満ちあふれています。二酸化炭素による温暖化は極に近いほど影響がある、つまり赤道付近の今でも暑い地域はそれほど温度は変わらない、シベリアやカナダのような高緯度ほど温暖化するということです。

食料は増産されるでしょう。

氷河期なんかより、ずっと良いと思います。

島崎栄一さん

<石油・石炭の埋蔵量は500万年分あり、そのうち人類が手ごろに使えそうな分で8000年分ほどあります。>

 あなたは、何の根拠も示さないまま、こういう断定的な言い方をしますが、データの出所が不明では、いくら断定しても、信憑性はありません。

<10万年氷河期1万年間氷期というリズムで地球は動いているようです。>

 あなたは、地球規模の話をしながら、そこに梅の開花時期という茶の間の話題を持ってくる。次元が違い過ぎて、荒唐無稽にしか聞こえません。  

<寒冷化は、今そこにある危機なのです。>

 だから、石炭、石油を燃やせ、と言いますが、居間を暖めるような感覚で、簡単に地球を暖めることができるような言い方は、支離滅裂にしか聞こえません。

<化石燃料を燃やさないと、5000万年後に二酸化炭素が無くなって生命が滅びるという話しを聞きました。世界が原発から撤退し、これから1000年頑張って化石燃料を燃やせば、生命はさらに数億年生きていけるようになるとも聞きました。>

 話しを聞きました、ですか? この話、誰から聞いたんでしょう? この話を否定的にとれば「まさか」となるでしょうから、あなたは、なんとなく「そうなのか」と肯定的に捉えた、と私は想像しています。そう、なんとなく肯定的に、ね。更に想像すれば、あなたの中で「そうなのか」が、やがて「そうだよな」に変わった。聞いた話が、いつの間にか、声高に断定するあなたの「自説」になった。どうでしょう、私の想像は当っているでしょうか?
 更に想像を進めます。科学者の中に寒冷化説をとる人と温暖化説をとる人がいることは、あなたも知っているでしょう。今は温暖化説が多数派のようですが、あなたは温暖化説を聞いても、「まさか」としか思わなかった。要するに、寒冷化説の方があなたの思考回路に馴染んだ、それだけのことでしょ?
 あなたは話しを聞いた、と言う。誰から聞いたのか、教えてください。科学的な理屈を示してください、と杉山さんも言っていますし、あなたの独り善がりのコメントの嵐に、おそらく辟易している人たちも、あなたが誰の説をまるで自説のように断言しているのか、知りたいのでは、と想像しています。それが、あなたの寒冷化説の根拠なのですから、躊躇することはありません。<地球温暖化説を否定してるのではなく、温暖化した方が良いと言っているのです。>なんて、お茶を濁す必要もない。

島崎さん

<自然界からの放射能は年間1.5ミリシーベルトです。その他に、原発から出た放射能が「足し算」されていきます。利根沼田は1ミリシーベルトくらいでしょうか。その他、医療被曝、食料からの内部被爆といったところでしょうか。>

 これは間違いです。自然界からの平均被曝、年間1.5ミリシーベルトは食料からのカリウム40などによる内部被曝も含まれた値です。
http://rcwww.kek.jp/kurasi/page-41.pdf


<どのくらい放射能を浴びれば、どうなるかということは、まだ判らないことも多いようです。>

 それはあなたが知らないだけでしょう。
 100mSv以上の被曝の人体への影響について専門家の間ではほとんど争いはありません。今、争いがあるのは、100mSv未満の低線量被曝の影響です。しかし、100mSvよりは低いことは解っています。少ないながらも影響があるのか、あるとしたらどの程度か、それともまったく無いのかについて争いがあるのです。
 それは、影響があったとしてもあまりにも小さなため他の要因の揺れのに埋没してしまって、疫学的に影響の有無、程度がはっきりしないからです。


<自然界の放射能は地域によってまちまちで、年間20ミリシーベルトなんてところもあるようです。ですので、避難しろとか思わないですが、子どもの食べる給食は、毎週検査しろと言いました。町も対応するようです。>

 「ですので」といいますが、前段と論理的につながっていません。
 もし、年間20ミリシーベルトを超えているところでは健康被害が有意に出ているのであれば、毎時3μシーベルト(単純計算で年間26ミリ)の場所からは避難すべきことになりませんか。
 ここは「年間20msVの地域でも影響は確認されていない」というのが大切なポイントです。それを欠いたままいきなり、「ですので」というのは、論理の飛躍です。理屈で考えてたとは言えません。

 また、「年間20ミリシーベルトなんてところもある」とどうして「子どもの食べる給食は、毎週検査しろと言いました。」となるのでしょうか。論理的なつながりがまったくありません。これでは、理屈で考えているとはとうてい言えません。

木暮さんへ

誰の話も聞かないうちから、私は「地球温暖化したほうが良いじゃん」と思っていました。地学的な知識は持っていましたので。地球の気候は変化してきた。過去には氷河期もあったと。

利根村に化石を見つけにいって、バナナの葉の化石を見つけ、高校の地学の先生から「このへんが、ずっと暖かい時期もあった」と言われました。

その後、ユーチューブで武田邦彦教授の話を聞いて、確信に変わったのです。

武田教授のユーチューブは山のようにありますので、良かったら見てみてください。

 納得。
 島崎さんの論理展開は、武田センセと似ていると感じてました。類は友を呼ぶですね。

 武田センセは、こんなユニークな主張もされています。素晴らしい!
http://blogos.com/article/34265/?axis=b:315

 でも、私にはこちらのほうがなじみます。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20120318

杉山さんへ

・・・NHK朝7時(4月30日)」ニュースで小佐古氏(内閣官房参与)の涙ながらの辞任会見を見た。この人今までTV等で見たこともなかった。「子ども20ミリシーベルトが許せない」との理由だった。目玉が飛び出るほどびっくりした。私たち市民団体が必死で反対してきた無謀政策である。

小佐古敏荘(こさことしそう)。東大教授。放射線安全学。東大には「御用学者」と批判される人もいるが、この人は学者としての筋を通した。内閣官房参与を務めた人が「子ども20ミリシーベルトは間違っている」と断言して辞任したことの意義は測り知れない。・・・

  ↑

ネットのコピーです。

年間20ミリシーベルトは、年間400回レントゲン撮影をするようなものです。

小学校が、年に400回児童をレントゲン撮影すると言ったら、親は絶対反対すると思います。

それでも害が出ない可能性はあります。

年間100ミリシーベルト以下では見解は分かれますから。

でも、普通はイヤですよね。

杉山さんへ

「子どもの食べる給食は検査しろ」というのは・・・

地域全体を除染しろと言っても、それはなかなか難しいと思いました。

放射能の影響は、低年齢ほど大きいようです。

内部被爆は、食べるものさえ気をつければ避けられるものです。

町の提供する給食を検査することは、最優先でやるべきことだと思ったのです。

みなかみ町は対応すると言っています。

それと、保育園や幼稚園や子ども園や小学校、中学校、公園の砂場の砂を交換してくれとも言いました。町は前向きに検討中です。

年間100ミリシーベルト以下はいろいろ見解が分かれることは知ってますが、とりあえず出来ることはやって、なるべく安全になるようにすべきだと思っています。

<地球温暖化説を否定してるのではなく、温暖化した方が良いと言っているのです。
だから、二酸化炭素を出した方が良いと。>

 このブログの左にある「リチャード・B. アレイ: 氷に刻まれた地球11万年の記憶―温暖化は氷河期を招く」は峯崎さんの訳書です。ご一読をお勧めします。

日経新聞(今日)

2006年に内閣府原子力安全委員会が原子力発電所の耐震設計審査指針を見直した際に、「既存原発は安全」とする見解を安全委が示さなければ「(原発の運転差し止め訴訟などで)敗訴をとうてい免れない」などとする文書を経済産業省原子力安全・保安院が送っていたことが17日わかった。保安院の森山善範・原子力災害対策監は同日の記者会見で「規制機関の中立性に疑問を抱かせるもので、反省しなければならない」と述べた。
 文書は新指針の改定作業中の06年3~4月にかけて、保安院から安全委に送付した。新指針を公表するとき、旧指針で審査を受けた既存原発は安全だと宣言しなければ「(耐震性に)満足していないという批判が立地自治体、マスコミ等において厳しくなり、事実上運転停止を余儀なくされる」などと主張した。
 当時、耐震性が足りないとして原発の停止を求める行政訴訟や民事訴訟が相次いでいた。
 安全委は文書に対し「特別な行動を取ったわけではない」とするが、新指針を公表した06年9月、保安院の要請とほぼ同様の見解を公表している。

  ↑

保安院が余計なことをしなければ、福島原発は止まり、今回のような事故が起きなかったかもしれないということです。

八百長は相撲だけではなかった・・・

<子どもの食べる給食は、毎週検査しろと言いました。町も対応するようです。>
<町の提供する給食を検査することは、最優先でやるべきことだと思ったのです。>

 現実には、給食からの被曝は問題になる量ではありません。安心のために測ることまで否定しませんが、安全のためには無駄使いです。
 被曝量を減らすために有効なのは、流通していない(検査をしていない)野生や自作の農作物を控えることです。
 今の時期で言えば、野生の山菜を子供(大人もですが)に食べさせることを控えることです。
 汚染されてしまった利根沼田では、給食の検査よりも圧倒的にこちらの方が重要です。

杉山さんへ

今日の日経の記事に武田邦彦教授は関連しています。

武田教授は、06年の安全委で新指針に異議をとなえているのです。

地震で壊れる原発を容認するのはおかしいと。

しかし、保安院からの文書を受けた安全委は、武田教授の異議を無視して、保安院の意に沿う新指針を決めました。

武田教授は、それまでずっと原発推進だったのですが、この06年の決定に反発し「日本の原発は地震で倒れる」という本を出しました。

杉山さんは武田教授に懐疑的のようですが、教授は「本物」だと思いますよ。

武田教授は日本のためを思って発言していると思います。

タバコのことも、世間の常識をそのまま丸呑みするのではなく、いろんな検討をしてるところなのです。タバコについての結論は、まだ出ていないようですよ。


・・・官僚的思考・・・

平成6年から、全国の、特に地方の固定資産税がずっと値上げされ続けています。

みなかみ町の固定資産税は、たぶん2倍以上になっています。

・・・この20年間というもの土地の値段が下落し続けた大きな原因が、平成4年に路線価の評価水準を公示価格の8割に引き上げたことと、平成6年に固定資産税の評価水準を7割に引き上げたことにあります。
特に固定資産税については、平成6年に従来公示価格の2割程度であった固定資産税評価額を倍以上に引き上げ、地価が下落しているにもかかわらず固定資産税を毎年上げていたことが、資産デフレの大きな原因となっています。土地所有者は、地価が下がり、家賃が下がり、固定資産税の負担が上昇し続けるという20年間を過ごしたことになります。
不動産価額が下落し続けているのに、固定資産税の負担が増え続けたということは、日本経済の成長にとってたいへんなブレーキとなりました。
平成24年税制改正では、既に課税標準が評価額の8割水準に達しているところが増えたために、この据え置き措置を撤廃し、更に固定資産税を上げるための改正が盛り込まれています。しかし、これ以上固定資産税を上げたら、資産デフレはますます深刻になります。地価下落を抑えないといくら固定資産税を上げても税収は確保できないというジレンマに陥ります。・・・(ネットからのコピー)

この増税は官僚主導で行われた感じです。

そしてこの増税は日本経済に大きなダメージを与えた気がします。

日頃、みなかみ町をまわっていると「固定資産税が高い」という話をよく聞きます。

固定資産税は、下げるべきだと思っています。

で、結局地球は温暖化に進んでるの?
それとも寒冷化へ向かってるのですか?

・・・・・

恐竜のげっぷで温暖化? 英チーム、メタン放出で
2012.5.17 17:17

 大型の草食恐竜がげっぷやおならとして出すメタンが、恐竜が繁栄していた今から約1億~2億年前の温暖な気候の一因になっていたとする説を、英リバプール・ジョン・ムーア大のチームが17日までに米科学誌カレントバイオロジーに発表した。

 メタンは二酸化炭素(CO2)の20倍以上の温室効果を持つ。排出源としては、牛などの家畜が大きな割合を占める。家畜は胃の中の微生物の働きで食べた植物を消化する際に、メタンをげっぷやおならとして出すが、草食恐竜も同様にメタンを排出していたらしい。

 大型の竜脚類が面積1平方キロ当たり10頭いたと仮定して、当時のメタンの排出量を試算した結果、1年間の排出量は5億2千万トンに上るという結果になった。牛が出すメタンの量(5千万~1億トン)に比べてはるかに大きく、農業や廃棄物などの排出源を含め、人類が現在排出しているメタンの総量に匹敵する。(共同)

・・・・・

  ↑

人類の出すメタンは恐竜並みのようです。二酸化炭素を出す量もたくさんあります。なんとか氷河期への突入を避けられるのではないでしょうか。少しずつ温暖化してくれるのではないかと思います。

保安院、必死の抵抗・・・どうしたら原発を危険にするか?!

2006年、原発の地震指針の改定は、原子力安全委員会―基準部会―指針作成委員会 という組織で検討が進んでいた。すでに指針作成委員会では、あまりにいい加減なそれまでの地震指針に対する異議がでて、一人の委員(大学の先生)が委員を辞任していた。

私が所属する基準部会に、原案が上がってきたときには審議自体がきわめて異様な雰囲気だった。「この地震指針は何が目的ですか?」という私の質問に担当課長は答えになっていない答えをして時間を稼ぎ、横にいる委員長も十分に言い含められていて、何もいわない。

原子力の委員会は原子力基本法で決められているように「自主、民主、公開」の3原則があるので、マスコミが同席している。でも原発は危険だという内容の議論は全く報道されず、最終的な官僚的結論だけが報道される。マスコミ以外の傍聴人はほとんどが原発関係者だから公開の意味を持っていなかった。

「民主主義とは勝ち取るものであり、それを維持するには不断の努力がいる」と言われるがまさにその通りで、「お上を信用する」などと言う日本の文化とは今のところ相容れないのである。

ともかく、2006年に新しい地震指針を作るに当たって、保安院は「古い地震指針を形式的にだけ改正し、何も変わらない」というスタンスを取ることに全力を注いだ。そうしないと「これまでの原発は危険だった」と言うことになり、全国に訴訟が起こってそれを止められない・・・「原発が危険なままである」と言うことには役人は責任を追及されないが、「原発の訴訟が頻発する」ことに対しては「管理」を問われるからだ。

2006年、保安院が原子力安全委員会に対して「地震指針は変わっていないということで行く」という圧力をかけたことが報道されているが、保安院は終始「原発をいかに危険に保つか」に全力をあげていた。この事件はその一幕に過ぎない。

・・・・・・・・・
日本国民はこのことをまだ認めない。理由は「役人は正しいはずだ。日本国のために働いているはずだ」という形式論に縛られているからだ。でも「日本国のために働く」などという役人は100人に1人ぐらいしかいないので、周囲の圧力でつぶされていく。現在、出世している役人は「日本のためより自分の保身」に終始している役人だけである。

だから地震指針の改定に当たって、保安院は「安全な地震指針を作りたい」という委員に対して最大限の抵抗をしたのである。それに対して抵抗できなかった東大教授などの主要な学者は目の前に「勲章」がぶら下がっていて、どうにもならない。

定年を控えた東大教授などの主要教授が、やがて70才ぐらいでもらう「天皇陛下」からの勲章のことばかり考えている。勲章は天皇陛下からもらうように錯覚しているが、陛下は決定のご意見を述べられない。すべては官僚が決めるから、官僚に逆らえば勲章はあきらめなければならないのだ。

今年から「勲章をもらった人を蔑む」という運動でもすれば、少しは委員会の議論はまともになるだろう。勲章は陛下からいただくものではなくなっているからである。

いずれにしても本来原発の安全性を守る一つの組織である保安院が、実体的には「原発を危険に保つ」と言うことに全力を注ぐ姿、それが2006年の地震指針での保安院であった(「原発の安全」を保つのではなく、「危険に保つ」ですから、注意してください)。

人間とは恐ろしいもので、原発が安全であることが何よりも大切なのに、「原発が訴訟されることを防ぐ」という目的があると、自分たちが「原発を危険にする」のに躍起になっていることに気がつかず、また気がついても村の中でそれに「おかしい」と声を上げることが出来なくなってしまう。

(平成24年5月19日) 武田邦彦

武田邦彦教授の文章です。自由にコピーしてよいそうです。

①原子力委員会の議題が官僚の妨害で議論できず

これは毎日新聞のスクープで、他の新聞やテレビではあまり報道されていませんが、原子力委員会でこれからの原子力の主たる政策を議論するための議題が、「原発再開の妨げになる」という理由で事務方(官僚)がストップをかけて推進派の機関に修正を依頼していました。このようなことを認めていると、完全な官僚支配になります。原子力委員会の委員は首相の任命になるもので、官僚がその上にいるわけではありません。

②名古屋大学教授が審査直前に1100万円をもらって審査

浜岡原発の防潮堤の安全審査で名大教授が2006年から2008年にわたり中部電力と関係会社から1100万円程度をもらっていた。常識的には審査に当たるときには「審査される会社と利害関係が無い」ことが前提で、最低でも5年は無関係でなければならない。「お金をばらまいて有利な審査をしてもらう」ということが横行しているが、これも法的制限をかける必要がある。

(武田邦彦教授のブログです)

日本の官僚はどうしたんでしょう?

原発は安全第一でやってもらわないといけないのですが、今の日本の官僚には無理みたいです。

こんな状態では原発の再稼動はしない方が良いと思います。

人災としての震災・事故(2) 東海原発と石橋委員の退席事件

東海地震が明日にも来る!と言って社会の注目を浴びた東大地震研助手だった石橋先生は、原子力安全委員会検討分科会委員つとめ、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改正作業に携わった。

しかし、1)科学的な検証をしていない、2)多くの人の懸念が示されているのに考慮しない、ということを主たる理由に、委員を辞任したのは2006年8月のことだった。地震が頻発する日本で杜撰な地震指針を作るわけにはいかないと石橋先生は主張したが、それは通らなかった。

翌年、新地震指針は私が委員を務めていた基準部会に上がってきた。報告した東大名授は地震指針の成立にあたって強い異論があり、石橋先生が辞任したなどと言うことは一切触れず、通り一遍の説明をした。この部会で私は最初に発言し、「地震指針の目的は何なのかハッキリしない」と質問したところ、分科会でも学問的な審議を妨害した水間課長が約2分の質問に20分の訳のわからない回答をして時間つぶしをした。

分科会の議事録を見てもこの水間という官僚などが同じようにのらりくらりとした答弁をして実質的な議論を妨げていたが、これが委員長の方針だったのか、それとも周りをぐるっと官僚に縛られていたのか、それは不明だが、どんな状態にしろ委員や委員長になった限りは公の場所でハッキリと自らの意見を述べるべきである。

(武田邦彦教授のブログより)

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