ブログ内検索

  • Google

    WWW を検索
    ブログ内を検索

メンバーの裁判

« 沼田とエネルギー問題 | メイン | 第2回利根沼田の議員との連続対話会 »

2012年4月20日 (金)

三国通信 1

 河合生博・山田庄一・阿部賢一・林一彦・林喜美雄(以上旧新治地区)・小林洋・前田善成・鈴木勲・内海敏久・中村正・森下直・中島信義・河合幸雄の13議員がゴミ捨て場の上にサッカー場を建設することに賛成した。反対は原澤良輝・小野章一・島崎栄一・高橋市郎の4議員。久保秀雄は議長なので賛否には加わらない。2012年3月16日みなかみ町議会で以下の請願が否決された瞬間である。

1 請願の要旨
(1) 民間廃棄物処理場、あるいは跡地利用については法的にも未整備であり慎重を期すべきであります。
(2) 地元および近隣住民に説明のないまま計画を進行させるのは行政手続き上問題があります。

2 請願事項
(1) みなかみ町東峰の一般廃棄物処理場に計画しているサッカー場整備事業を白紙に戻すことを求めます。
(2) 住民参加であらたな適地にサッカー場をつくることを求めます。
 この、当たり前すぎる請願が否決(サッカー場建設が可決)された。
二十余年前、「にいはる三国通信」が新治村(みなかみ町の合併前の自治体名)の良心の叫びとして新聞折り込みで全戸配布されていた。時あたかもリゾート法によるゴルフ場・スキー場開発に日本中が浮足立っていたころだ。全国的に名高い秘湯「法師温泉」の手つかずの自然が残る裏山に、鈴木和雄村長と堤義明率いる国土計画がスキー場開発を目論んだ。
 住民の何度にもわたる現地調査・水質検査などの粘り強くしかも正当な反対運動は、ある事件をきっかけに燎原の火のごとく全国から注目されることとなった。
 躍動感あふれる紙面でその時代のスキー場反対運動を伝えたのが「にいはる三国通信」だった。時を超えて今再び良心の叫びを伝えるため偉大なる先人に習い、「市民の目!沼田」に「三国通信」を連載する。
 今後も敬称を略することがあることを前もってお詫びします。 (河合純男)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.kazelog.jp/t/trackback/308121/28952537

三国通信 1を参照しているブログ:

コメント

サッカー場建設計画とはどのようなものでしょうか。概要を教えてください。

時流に乗るということでいけば、廃棄物処分場跡地にはメガソーラーというのが良いのかも?日当たりはどうなのでしょうかね。

昨年の11月、町議会の全員協議会にて、新治地区須川平にある廃棄物処分場の上にサッカー場を造る計画が、町当局から突然報告されました。群馬県一広いみなかみ町で、いくらでも他に土地があるのに、何もよりによってゴミ山の上にサッカー場を造らなくてもよいのではと思い、その場で疑問を言いました。小野議員は、民間の産廃施設の上に町施設をつくることは良くないと発言しました。他の議員も2~3人が同様な疑問を言いましたが、町当局は「議会に報告したので、補助金の申請を進めます」という対応でした。
地域住民にも議会にも相談せずに、いきなり場所と予算を決めてきて、補助金の申請まであと一ヶ月というギリギリのタイミングで事を進めようとする行政の姿勢には「困ったものだ」「こんな計画は何とか止まればいいのだが」と思っていました。
今年の1月20日に新聞紙上にサッカー場の計画が発表され、初めて地域住民がこのことを知ることになるとともに、「もっと良い場所に造るべきだ」というごくごく自然な疑問のもと、有志による「廃棄物処分場の上にサッカー場を造ることを見直してもらいたい」という請願署名が228名集められ、町議会・町長に提出されました。それとともに、補助金を1億円以上出すことになるtoto(トト・サッカーくじの収益をスポーツ振興に役立てるため、全国の有益な計画に補助金を出す組織)に、町民4名と町議会議員1名(島崎)が訪問して、   「もっとみんなが賛成する計画に変更したいので、いったん補助金を止めてもらいたい」と訴えてきました。
その訴えが認められtotoからの補助金は止まりました。町議会での請願は賛成少数で否決されましたが、予算の半分以上をtotoからの補助金をあてにしていたサッカー場建設計画は、いったん止まり、今後、どうするのか町当局が再検討することとなりました。
以上、皆様が署名した請願の、その後の経過についてご報告いたします。

 三国通信がかつて行った産廃処理場反対運動がどのようなものであったかつまびらかに知りませんが、地方と中央という対立と共謀の構図の中で考えると全体像が浮かんできます。かつて新治村という自治体がありそこには鈴木和夫村長という「やり手」のボスが君臨していました。鈴木村長はまずしい(現金が乏しい)新治に中央から現金を引っ張ってくる方法を模索した人のようです。各種の補助金を漁り、巧みにそれを中央から引きだす一方で、新治にある遊休地を利用して当時中央(都市圏)が処分に困っていた産廃を引きとる商売を企画しました。産廃は環境を破壊するマイナス面を持っています。鈴木村長は何とか理由をこじつけ、産廃やその焼却灰を受け入れる政策を強行しました。
 地方の貧しい自治体が大量生産大量消費社会の付けである廃棄物を引き受ける構図は危険な原発を引き受けた原発ムラの福島や福井と同じ性格のものです。都市で消費する電力を作るため原発という大都市には絶対に立地できない危険な装置を安全神話を作って地方につくるのと同じ仕掛けです。原発だって事故を起こした今では、厄病神を背負いこんだことに気づいたでしょうが、地方自治体の方から中央にお願いしてつくってもらったという事実も否定できません。原発がもたらす現金収入によって貧しかった地方にカネがまわったことも事実です。大量生産・消費の経済、成長を最高の価値として追及せざるを得ない経済システムにおいては、いまでも「景気回復」という名の「成長」への要求は強い。資本主義がまわっていく限り成長はかかせません。資本主義を止めるしか、矛盾を解決する方法はありません。(この問題は別の機会に論じることにします。)
 とにかく鈴木村長は新治の手つかずの環境と引き換えに、都会のごみを受け入れました。どの程度環境が汚染されたか、いまだにデータはありません。積極的に調査もしている様子もありません。しかし、産廃受け入れで新治村には「ここは産廃が埋まっている土地」という処分場跡地ができました。ここはいつ環境汚染問題が発生しても不思議ではないいわくつきの土地です。行政はこの不安な土地を何とかうまく永久処分してしまいたいはずです。岸町長が責任を追及されてもいないのに、狼狽したのは、脛に傷があるからでしょう。鈴木村政を継承した岸には鈴木の失敗という古傷を今になってつつかれるのは避けたいはずです。十分な用意もなく思いつきでサッカー場で産廃処理地を誤魔化してしまおうという迷案を思いついたのに、反対する人が地元から出て、サッカー協会からは拒否され、鈴木一派は泣き面に蜂ですが、かつてカネ欲しさに村の環境を平気で売った村民への裏切り行為は改めて責任問題になる可能性が出てきました。(峯崎淳)

鈴木元村長がこの問題について以下のように述べています。

http://blog.livedoor.jp/minakami_suzukikazuo/archives/51712250.html

これによると不法投棄問題は鈴木氏の前の岡田村長時代に起こったようで、その後の経緯も複雑なようです。

新治の産廃施設の申請は岡田村長時代ですが、県に申請に行ったのは、鈴木和雄議長と助役です。県では「何で村長が来ないのだろう?」と疑問に思ったそうです。岡田村長は、産廃施設には反対だったようです。

コメントを投稿

2012年8月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック