みんな違う(2)
「みんな違う。みんな違って面白い」。
いきなりだが、http://abukuma.us/takuki/12/031.htmlを紹介しよう。たくきよしみつ氏は私の中学高校の後輩、本業はもの書きである。都会生活を卒業し、終の住処を求めて新潟県山古志村に移住、04年の中越地震で家が倒壊し、やむなく福島県川内村に移り、昨年3.11の東日本大震災に遭遇し、現在は日光市に移り住んでいる。昨年、福島県人としての視点で書いた『裸のフクシマ』が講談社から出版されたから、読んだ人もいるだろうし、大晦日深夜、郡山市のスタジオから放送されたテレビ朝日『朝まで生テレビ』にもパネリストとして出演していたから、見た人もいるだろう。
彼のブログを読んで私が先ず思い浮かべたのは、昨年3月18日に片品に避難してきた南相馬の人たち1000人の"今"である。川内村は阿武隈にあり、津波の被害はなかったものの、福島原発からはどちらも同じような距離にあるから、南相馬市にも川内村の"今"と近からずと言えど遠からぬ"今"があるのでは、と想像するが、事故を起こした原発の北にあって、浪江町や飯館村に近い南相馬市の方が、西南西に位置する川内村より放射線量が高いことが想像されるから、あるいは、川内村より過酷な"今"があるのかもしれない、とも思う。
彼のブログからは川内村の人たちの"今"が見えてくるが、2月4日付けの当ブログで触れた「視点オピニオン21」からは、私が知りたい南相馬の人たちの"今"は、残念ながら見えてこない。昨年9月末には、ほとんどの人たちが南相馬に帰ったし、片品むらんてぃあも解散し、その代表だった彼女のブログでは、むらんてぃあの幾人かが南相馬に行き、顔なじみになった人たちとの再会を果たしたとあったから、被災者受け入れが今は交流に形を変え、彼女たちにとって被災者支援は終わった問題になっているようである。しかし、「みんな違う(1)」に杉山弘一氏から寄せられたコメント(2/5、13:12)で紹介された一橋大学大学院准教授、猪飼周平氏の論を読めば、まだまだ終わっていない"今"があることが分かる。
話を福島から片品に戻して、たくき氏のブログの終章の一部を引用させてもらい、( )内に私の考えを重ねてみると、こうなる。
「福島(片品村)で今起きている本当のことを、日本中(村中)の人に知ってほしい。この国(村)は、こういう手口(補助金)で我々(村民)を手懐けてきたのだということを。そして、その手口に使われた金は、我々(村民)が仕事をして、なけなしの稼ぎから納めた税金であり・・・」。
その片品村について、前出の「視点オピニオン21」の最後には、こうある。
「この村では普段から困っている人を助けたり、どんな人でも自然と受け入れてくれる、元気をくれる不思議な力があるのだ。半年の経験を経て私はますます村が好きになった。そしてこれからの村での暮らしがますます楽しみになった」。
視点も考え方も、みんな違う。みんな違って面白い。しかし、ただ面白がっている場合じゃない。メディアは「東電と政府は事故の実態を隠している」の大合唱で、たくき氏が指摘していることこそ、メディアが隠していることなのだ。何かおかしくないか? (木暮溢世)
私が桐山氏の上毛新聞の「視点オピニオン21」に強烈な違和感を持ったのは、彼女の中で南相馬が終わった問題になっていると感じたからです。まともに交流していれば、震災・原発事故による南相馬の問題が終わってなどいるはずがないことは解るはずです。問題はむしろこれからです。
それどころか、震災・原発事故による沼田や片品の問題もまだまだこれからです。例えば、岩鞍スキー場だって、節電要請による西山ゲレンデ閉鎖で、集客が減っているはずです。上っ面のきれい事を言ってられる状態ではありません。
投稿: 杉山弘一 | 2012年2月23日 (木) 14:49
甲斐の武田が駿河の今川のもとを訪ねたとき、なだらかに裾野を広げる富士山を見て、「尻丸出し」と言った、という逸話があります。山梨から見る富士と静岡から見るそれはまるで見え方が違う、というわけですね。何事も見る方向によって形が違って見えますから、ワンビットの単眼の視点では一方の面しか見えないのは当然です。
「この村では普段から困っている人を助けたり、どんな人でも自然と受け入れてくれる、元気をくれる不思議な力があるのだ」と言われれば、一見は美しく聞こえますが、そこには、外からの移住者は村社会の何たるかを理解し、つべこべ言わず全面的にそこに合わせろ、という条件があります。それでも3代先まで他所者は他所者だそうですから、了見の狭さは始末が悪い。役場にはそれに加えて、住民を上から見るお上意識がありますから、さらに始末が悪い。それでも、役場とつながりができたことを喜び、「これからの村での暮らしがますます楽しみになった」と言うのですから、好きにすれば、といったところですが(笑)。
今日の河北新報にこんな記事が載っています。やはり、南相馬市には南相馬市の“今”があることが窺えます。
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120225t61008.htm
投稿: 木暮溢世 | 2012年2月26日 (日) 08:58
オジサンになるとどうしても女子とかガールズには甘くなってしまうと思いつつ、こういうのは興味をもってしまいます。
山形ガールズ農場
http://www.kf831.com/girls/index.html
法人を設立し、生産だけでなく加工販売まで手掛けているといのですから、農業にかける意気込みを感じます。
投稿: 杉山弘一 | 2012年2月26日 (日) 09:31
南相馬は、プルトニウムデマで、とんでもないことになっているようです。
http://toriiyoshiki.blogspot.com/2012/02/blog-post_25.html
もはやテロリストのレベルですね。
投稿: 杉山弘一 | 2012年2月27日 (月) 10:43
由良秀之(郷原信郎)著「司法記者 」読みました。面白かったです。特捜検察とマスコミの問題を書いた小説ですが、その中のこんな一文に眼を引きました。
「我々の組織(検察)は、いままで、どちらかというとモノトーンだったじゃないか。同じような考え方をする人間ばかりが多かった。それが、一度走り出したら止まらなくなってしまう原因だった。・・・
そのなかで、こうやって組織にとっては掟破りだが、自分の考えで思い切った行動をする奴が出てきたというのは、むしろ頼もしい限りじゃないか。」
投稿: 杉山弘一 | 2012年2月27日 (月) 21:03
いますね、モノトーンが好きな人たち。
去年の村議選のポスターに「村民一丸となり!安心して住める元気な村に」と謳った星長命。星野千里は「村民がひとつになって豊かで楽しい村づくりを!」ですって。この人たち、本当に一丸、ひとつになれると思っているんでしょうか。あり得ないことと理解できないんでしょうか。
当たり前の世間の常識を理解できないまま、片品の常識と60代の感覚を若い人たちに押し付けようとする井戸端で愚図る会のおばさん。自分の理屈だけが正しいと思っているんでしょうね。
100人いれば、反対するのは3人だけ、ということに考えが及ばないのか、と言ったあいつ。解ってはいるのに、3人を説得できるだけの理論がなく、苦し紛れの反論で、自らの論理破綻を曝してしまった可哀想な奴。
モノトーンの中に挿し色がひとつ加わるだけで、全体が引き立つ。当たり前のことでしょうに、ね。
投稿: 木暮溢世 | 2012年2月28日 (火) 16:13