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メンバーの裁判

« マンガ:放射線の正しい計り方 | メイン | ところで、ねえ、村観課長の木下さん。 »

2012年2月 4日 (土)

みんな違う(1)

 「みんな違う。みんな違って面白い」。
 誰の言葉だったか俄には思い出せないが、本当にそう思う。2月1日付けの上毛新聞「視点オピニオン21」を読んで、この世の中、本当に面白い、という思いを改めて実感した。

 03年5月に片品に移住した翌04年夏、同新聞社から「視点オピニオン21」に書かないか、という声がかかり、興味津々、ふたつ返事でオファーを受けた。村の人たちにとって読むものだった新聞に、村に初めて書く側の人間が登場した。ひとりは登山家の宮崎勉さんと、引っ越して1年少々のグラフィックデザイナーという以外、村の人たちにとってはどこの馬の骨だか得体の知れない私。
 「何故?」。
 当時の村づくり観光課長がすっとんで来て尋ねた。
 「それは声をかけた上毛新聞に聞いてください。それより、村についてまだまだ知らないことだらけなので、いろいろ教えてください」。
 謙虚を旨とする(笑)私はそう答えた。このときのやりとりから私が感じ取ったのは、6、7本書くコラムで村を宣伝してくれるに違いない、という期待を込めた決めつけ。しかし、顔写真入り、実名で書くコラムを通して群馬全域で問われるのは私の視点である。いくら片品の自然を気に入って移住したとはいえ、「片品サイコー!みんなおいでよ!」なんて能天気なことは書けない。果たして2本目のコラムで、移住1年足らずの実体験から「私は県職員の見識を疑った」と書いた。
 「県が片品に目をかけてくれているときに、片品の人間が県を批判されては困ります」。
 早速、件の村観課長が抗議に来た。私は一個人であり、村の一住民である。言論の自由を憲法で保証された日本国民のひとりである。このとき私が感じ取ったのは、行政が個人の意見を統制しようとすることの不当を理解しない知性の欠除と課長の意識の中にある"お上意識"。もちろん私はこの抗議を突っぱねた。
 同じ2月の広報で、第3次総合計画策定への住民参加の呼びかけがあった。手を挙げた19人の住民の顔合わせも済まないうちの広報4月号で、埼玉にあるコンサル会社が予め作った「尾瀬の郷」構想が決定案として発表された。観光資源を浅間に、農産物をキャベツに替えれば、そのまま嬬恋村の総合計画として通用するような、どこを切っても金太郎飴と揶揄されているコンサル頼りの構想。住民参加の呼びかけは形ばかりのものだった。私は即座に当時の村長に質問状を書いた。住民投票で自主自立を決めた直後というのに、テメエの村の総合計画もテメエ等で作る意志も能力もないのか、とほとほと呆れ、「オピニオン」の格好のネタになる、と思ったが、さすがに一住民として県全域にそこまで村の恥をさらすことは憚られた。私の気遣いだったが、あの村観課長には絶対に理解できないだろう。
 7本のコラムに、見たこと、聞いたこと、経験したことを通して感じたことを、文字どおり村への意見提言として書いたが、ただ批判としか捉えない人も多かったようである。直接の反論はなかったが、間接的にいくつかの反発の声は聞いた。批判をただ批判として捉えるか、機会として捉えるかは志しにかかっている。ただ批判としか捉えられなかった人たちはそこをよく考えてみるといい。

 話を1日付けの「オピニオン」に戻そう。彼女の出身は横浜、私が出た中学高校の隣町である。もう50年近く前になるが、私が在学中、まだ横浜に市電(路面電車)が走っていた頃、横浜西区方面から通うクラスメートの多くが利用する7系統の終点であったそこは彼等の最寄りの停留所でもあった。大学卒業以来、片品移住までずっと東京で仕事をしてきたが、70年からの30年間を横浜に住んでいたこともあって、片品で彼女の存在を知ったときから、他県から移住してきた人たちに対するのとは少し違う思いで、主に彼女のブログを通して、村社会にとけ込もうと一生懸命の様子を見てきた。
 彼女の人生の倍の長さを生きてきた私とは、ほとんど全ての事象に対しての見え方、捉え方、考え方が違って当たり前である。この村で生きてゆく限りは、彼女のような姿勢でいる方がうまくゆくだろうことは分かるが、「個」が「集」より後回しにされる村社会は、私にとっては何ら意味のないものであり、感覚を50年も昔に戻すこともできない。それでも、私が「市民の目!沼田」に書いてきたものを読んで、「奴は正論を言っている」と捉えてくれる人たちが少なからずいることは心強い。願わくは、「ますますこの村が好きになった」と言う彼女が、この先30年経っておばあちゃんになって、孫が物心ついたとき「他所者」と呼ばれることがないように、と思う。

 8年前、東京時代の私の仕事を知った上毛新聞は、その人物が僻地片品に移住したことに興味を持って声をかけた。移住の翌年だったからあった話だったが、今だったら絶対にあり得ない。その上毛新聞が7年経って、同じ「オピニオン」に彼女に声をかけた。地方紙に共通した特性と言えばそれまでだが。
 片品に移住して以来、新聞はネットで読んでいる。子どもの頃からずっと家で採っていた流れで朝日を主に、毎読と東京は目についた記事を拾い読み、群馬の情報は上毛で仕入れる。ヤフーで見かける産経の記事にはしばしば苦笑する。ときどき目を通すNYタイムズと週毎に届くビレッジボイスのメールマガジンでは劣ろえてゆく語彙力を実感しながらも、短い間だったが、住んでいた昔が懐かしくなる。
 ひと口でメディアと言っても、それぞれに特性があって、みんな違う。みんな違って面白い。(木暮溢世)

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コメント

 紹介頂いたオピニオン21の記事を読んで考えてしまいました。

 第1に、文章の構成がおかしい。最初に「その間、南相馬市の人たちが教えてくれたことがたくさんあった。その中で二つのことを紹介したい。」となるので、南相馬の人に教えられたことを二つ紹介するのだと思いましたが、内容はそうなってません。
 第2に、「お別れ会をした時、多くの人が「震災前より元気になった」と言った。」とのことですが、元気になったのが南相馬の方たちのことなのか、片品村の人達のことなのか不明です。
 第3に、アトピーが直った理由についての考察が欠けています。村には「不思議な力がある」ということであれば、疑似科学あるいは宗教です。これで観光宣伝でもしようものなら詐欺です。

 こんな程度の低いオピニオンを掲載するようでは上毛新聞も落ちました。いや上毛らしいというべきでしょうか。

 同郷のよしみで、おかしな点を指摘することは控えたんですが、杉山さん、手厳しい!
 学校を出したついでに、あの学校の母体であるカトリック的に言えば、「お許しください。彼女は自身の何者たるかを知らないのです」ってところでしょうか(笑)。
 要するに、彼女はまだ若いですから、世の中の道理や仕組みを分かっていない。彼女の文章の中に「浮き足立ったボランティアと批判を受けることも多々あった」とありますが、批判の核心はNさんの名前で書かれた「あなたはボランティアの本質を理解していない」という点に集約されていました。これらの批判に対して彼女が言い訳に終始したことは残念でしたが、そのひとつが「通常のボランティアとは違う」というものでした。
 ここで「通常の…と言ったのは私です。以後の反論は私が受けます」と東大のなんたら教授が登場しました。外から応援に来たボランティアの人たちと行政の間に立って、マネージメント(彼が使った正確な言葉は忘れました)する立場だから通常とは違う、と自明の理以前の当たり前のことを通常とは違うとする、理屈にならない理屈でした。しかも彼は自身のメルアドを提示して、彼女のブログが炎上するのを防ぎたかったのかもしれませんが、ブログの中で公開だった議論を非公開にしようとした。
 加えて彼は「村には人と人の濃密な関係があって…云々」とステレオタイプなことを尤もらしく書いていました。他の大学の教授たちと3人でかんたら会を作って、片品でもワークショップだかセミナーだかをやっていた。その舞台になった民宿もペンションも声がかかって集まった村の人たちも、ある方向の色で括れるものでした。違う色で括れるところにも人と人の濃密な関係はあるわけで、しかも、色も2色だけではないわけで、これは実際に住んでみないと分からない。
 尾瀬なでしこの会の後藤純以来、私の中の東大像は完全に崩壊していますが、改めてこの東大教授の見識には呆れましたね。同級生にも東大へ行った奴が何人かいましたが、高校時代でさえこんなレベルじゃなかったですけれどね。早速、原稿を書いて反論しようとしたら、あら〜〜記事からコメントまでそっくり削除されてしまった。♪チャンチャン♪

 上毛新聞「視点オピニオン21」については、この1〜2年?2〜3年?人材が少なくなっている、というか、ほとんど出尽くしたんじゃないですか。私は13期でしたが、群馬大学学長や○○病院理事長など、錚々たる顔ぶれに、ふたつ返事の安請け合いを「まずかったか?」と思ったほどでした。もしくは、本当に凄い人たちは遥か上を行っているか。

人の文章を修正するのなら、自分のも修正しようね♪

放射能とうんこ
http://numata-city.kazelog.jp/numata/2011/12/post-8ac2.html

”文部科学賞”ってw
小学生でもわかる漢字を3回も間違えるなよ(笑)
♪チャンチャン♪

 木暮さん
 「要するに、彼女はまだ若いですから、世の中の道理や仕組みを分かっていない。」とのことですが、年齢の問題ではないと思います。おそらく、このままずっと解らないままでしょう。
 なぜなら、これだけの経験をしたあと、ブログで「ありがたき上毛新聞」ですから・・・
http://iikarakan.81s.net/2012/02/03/6920/
 上毛新聞もこれには困っているでしょうね。

 南相馬を始めとする避難者支援問題は以下が参考になりました。

原発震災に対する支援とは何か ―― 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理 猪飼周平

http://synodos.livedoor.biz/archives/1891136.html

http://ikai-hosoboso.blogspot.com/2012/01/10.html

猪飼氏本人がこう言っています。

拙稿「原発震災に対する支援とは何か」に対して正面から反論してくる人がいない。建設的な批判者求む。

上記論文についての石戸諭さんの連ツイ(賛成意見)
http://togetter.com/li/251988

そして、猪飼論文への反論
http://togetter.com/li/252438?f=tgtn

「ありがたき上毛新聞」、ソッコーで削除されちゃったね。都合が悪くなったかな?それとも困ったと思った?上毛新聞の方が本当に困ったのかなあ?教えて、桐山オピニオン委員さん!

—誰が見ているかわからないインターネット、傷ついたり、嫌なこともあるけど、こうやって嬉しいことがあるから止められない。よね。—

そうだよね。傷ついたり、嫌なことがあったら、削除すればいいんだもん。ねえ。

◇浮き足立ったボランティアと批判されることも多々あった◇

その中の一人がおぐなの金庫から350万抜き取ったあの子だろ。片品むらんてぃあのブログには「ボランティア参加者の中から逮捕者が出た」って他人事のように書いてあったけど、むらんてぃあ代表としてどう考えてるのよ。それが通常のボランティアとは違うってことかい?

<南相馬の方々を雇用してそれらを運営してもらえるような仕組みを作り、最終的には自立支援をお手伝いさせていただけるまでに活動は発展した。>

大層ご立派ですけど、桐山さんは、その陰で仕事を失った村の人がいることをご存じなのかしら?寄居山温泉センターのことですけどね。

お年寄りが増えているんだから、事故防止のためにも、村営の温泉には村の人たち、特に常連さんの顔をよく知っていて、ときどきは浴室の様子を見にいっても差し支えない程度の年齢の女子職員が必要でしょ。南相馬の人の雇用もいいけど、村が人件費を払う必要がないからって“ほっこりの湯”が“○○ぷっかりの湯”じゃあ、シャレにもならない、よね。

ピーアール 小ギャルに頼る 尾瀬の郷 ですかァ〜?

 南相馬の人たち1000人を受け入れたそのことについての反対意見は誰からも聞いていませんが、受け入れを巡る村のやり方については渦巻く疑問の声が私の耳にも届いていますから、ここに批判や反発が並ぶことはほぼ予想していました。要するに、視点を問われるとは、こういうことでしょう。
 誰にも表現の自由がありますが、その意見に反論する自由も誰にでもあって、そこから議論が始まり、それはときに理解につながり、理解を越えることさえあるわけで、それが建設的姿勢と言えます。
 公開の場で意見を言うということは、あらゆる批判、反論、反発を受ける覚悟が必要で、それら反対意見に対して、言い訳ではなく、きちんと反論できるだけの理論の構築が求められます。それがなければ、議論も不毛で離反につながるだけです。反論もせず、都合が悪くなったから一度公開したものを削除するということは、ただ単に彼女にはその覚悟も構築された理論もまだ具わっていないというだけのことでしょう。
 木下裕美村づくり観光課長の口癖「前を向きましょう」もその議論を避けようとする単なる方便で、その姿勢からは何も生まれません。液状化してずぶずぶの土地に水平垂直の家は建たないという理の通りです。彼には金造の思い通りに動くしか能がありませんから、何も期待できないわけですが、せめて村つぶし観光課にならないことを願うしかありません。可笑しいのは、いみじくも酔狂さんが川柳で指摘されるように、木下裕美の中に彼女への期待があり、役場から声がかかることを喜ぶ彼女がいることです。まさに、類は友を呼ぶ。世の中、本当に面白い。
 さらに面白いことに、村にはこんな見方をする人がいることを紹介しておきましょう。つまり「チャラ男が農業」でメディアが飛びつくか?というのです。「元小ギャルが片品で農業」だからメディアが食いついて、そのことを予め計算した上で、それをアピールした彼女は頭がいい、と。それで『アエラ』にまで取り上げられたわけで、あながち穿った見方と否定する材料もないのですが、彼女のブログの内容、言葉の選び方、使い方を見る限り、ウーン??<この村では普段から困っている人を助けたり、どんな人でも自然と受け入れてくれる、元気をくれる不思議な力があるのだ>ったら、外からの移住者を十把ひとからげにして他所者と呼ぶ閉鎖性、排他性はどう説明する??それさえも計算した上で村社会に寄り添うポーズだ、役場によいしょしていれば損はしないという計算だ、と言われると、ウーン??昨日今日の彼女のブログを見ると、あるいはそのしたたかさ、本物か、と。

♪だいたい実は男なんて
 あまったれで情けなくて
 だいたいいつも男なんて
 自分勝手で頭にくる♪

「女なんか絶対に信用したらあかん」。
 旧くからの大阪の友人がよく言っていた言葉を思い出します。それができたら、苦労はしなかった(笑)。

 したたかというか、やはりというか。いいからかんはトンデモ信奉者です。ブログ
 http://iikarakan.81s.net/2012/02/10/6938/
で紹介されている健康料理研究家の若杉友子のデタラメさは詐欺師と言えるレベルです。論理や科学のかけらもありません。最低最悪で、こんなの信じたら具合が悪くなること間違い無しです。
 とらねこさんも怒っています。http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110924/1316867037

 ついでにいうと、iikarakanのブログで紹介されていた原発選挙もひどい。
 国民主権の日本ですから、たしかに決めるのは国民、住民です。しかし、原発問題のように科学的・技術的問題は、主権者である国民・住民が判断するための情報が必要です。そこを飛ばしていきなり、住民投票したって、国民主権とは名ばかりになってしまいます。正しい科学的・技術的知識を得ないことには主権者としての責任を持った判断などできるはずがありません。
 これでは、1+1の答えを多数決で決めようとしているようなものです。あほらしい。

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