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メンバーの裁判

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2011年12月20日 (火)

教祖様にされました。

 1月ほど前、群馬にもエゴイストがいたと題して、宮城・岩手の瓦礫受け入れに反対する意見を書いたところ、厳しい批判を頂きました。トラックバックを送信して頂けなかったので、せっかくの批判に今日まで気づきませんでしたが、教えてくれる方がいらして知った次第です。

 批判は、鬼蜘蛛おばさんの疑問箱瓦礫の受け入れ拒否はエゴで、被ばくを恐れるのは愚かか? という記事です。是非皆さんご覧になって下さい。

 反論はさせていただきコメント欄に掲載もしていただいたので、今のところこれ以上言うことはありませんが、せっかくなので、私の考えをこのブログに再掲します。

 それにしても、私もついに教祖様に成り上がりました。しかも、エア御用学者と揶揄されている菊池誠教授や片瀬久美子さんと同列に論じられるのです。お二人のような良心的な学者と一緒にされるなんて嬉しい限りです。

<>内が、鬼蜘蛛おばさんこと松田まゆみさんの主張です。解り安くするために青色にします。

<「病気になる確率は低いのだから、病気になったら運が悪かったと思え」と言っているようなものだ。>

全くの誤解です。
放射線による確率的影響は因果関係が立証できません。放射線によって癌になったのかどうかが解らないのです。それを前提に対策をとるべきだと考えています。

<原発を推進してきた電力会社や政府によってもたらされた被害を、「運が悪い」で誰が納得するだろう。>

 そこはまったく逆のことを考えています。被害を最小化するためには、損害賠償と健康被害は分けて考えるべきです。そして、健康被害がなくても東電に除染や 損害賠償を求めるのは当然のことです。健康被害がなければ損害賠償が出来ないと考えると、損害賠償請求が極めて難しくなります。その弊害が大きいと思いま す。

<防ごうと思えば防げた被害を「運が悪い」で誰が納得するだろうか。>

 防ごうと思って防ぐことが出来るのでしょうか。それが難しいという前提に立って考える必要があります。
 たとえば、避難したときに事故に遭う確率をゼロにすることは出来ません。集団で避難すれば、どうしても事故が発生します。感染症や精神疾患も間違いなく増 えるでしょう。それどころか、避難する際に被曝もします。それらを防ぐ努力も必要ですが、ゼロには出来ません。それについては「運が悪い」で片づけてしま うのでしょうか?
 もう、被曝は事実なのです。そのリスクを完全に排除しようとすれば別のリスクが発生します。それを認識した上で、被害を最小化する努力をする必要がありま す。そして、それでも被害が出てしまった場合に備えて、例え因果関係が立証できなくても、賠償が出来る法的枠組みを作ることこそが大切です。

 私はこう思っています。
 あなたの発言はチェルノブイリ原発事故の経験を踏まえているとは思えない。事故の被災者が避難生活や風評被害でどれほど辛く苦しい状態を強いられたのか少 しでも理解しているなら、過大評価を喧伝するのではなく、チェルノブイリが示す事実を知らせ被害者を減らすような言動をとるというのが普通の感覚だと思 う。取り返しのつかなくなる前に情報を提供することにこそ意味があるのだ。

--------ここから松田さんの再反論です-------

<>内が当初の松田さんの主張、何も付いていないのが、松田さんの再反論です。

<「病気になる確率は低いのだから、病気になったら運が悪かったと思え」と言っているようなものだ。>

 これは誤解とのことですが、読み手にはこのように受け止められるということです。もちろん、すべての方が私と同じように受け止めるとは限りませんが。

<原発を推進してきた電力会社や政府によってもたらされた被害を、「運が悪い」で誰が納得するだろう。>


 この文では健康被害のことを述べていますが、だからといって健康被害がなければ損害賠償が出来ないとは考えていません。どちらも損害賠償の対象にすべきで す。「例え因果関係が立証できなくても、賠償が出来る法的枠組みを作ることこそが大切です。」という意見は私も同じです。


<防ごうと思えば防げた被害を「運が悪い」で誰が納得するだろうか。>


 この部分は根本的なところで意見が異なるのではないかと思います。少なくともチェルノブイリの事例からも高濃度に汚染されているところに住み続けるリスク は非常に大きく、それと避難によるリスクを同列に比べることはできないと思います。もちろん、避難によるリスクと留まることによるリスクを考えて最終的な 判断をするのは被災者自身ですので、私は被災者の方に避難しなさいという言い方はしていません。なお「運」についてですが、今回、福島第一原発で過酷事故 が起こってしまったことについては、「運」というしかないと思います。私の居住地の近くで事故がおきて汚染されたなら、それも「運」として受け入れるしか ありません。


 また、「防ごうとすれば防げた被害」は、避難だけを指しているのではありません。マスクの着用等による注意、汚染された水や食品の回避、一時疎開、サプリメントなど放射性物質に排除がある可能性のあるものの摂取(これには異論があると思いますが)なども含みます。


 最後の杉山さんのご意見について。私は、過大評価の喧伝をしているつもりはありません。「最悪の可能性」を頭に入れて行動すべきだという考えです。チェル ノブイリの被災者が避難で辛い思いをしたことは存じています。しかし、情報がもたらされずに危険なところに住み続けて被ばくし、家族や親族、友人・知人な どが病気になったり亡くなるなど辛い思いをした方たちも大勢います。それは今も続いています。健康被害は取り返しがつきませんし、その苦しみははかり知れ ません。少なくとも子どもたちの作文「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」からは、そういう悲惨な情況がひしひしと伝わってきます。

-----ここから、私の2回目の反論です。-----

1 高濃度汚染について

「少なくともチェルノブイリの事例からも高濃度に汚染されているところに住み続けるリスクは非常に大きく、それと避難によるリスクを同列に比べることはできないと思います。」

 松田さんの言われる、高濃度とはどの程度の汚染をいわれているのでしょうか。
一般的には、そこに居住すると年数百ミリシーベルト以上を被曝する地域を高濃度と言っている思います(ICRPでは100以上1000mSvを中程度の線量と言ってます)ので、今の日本の状況をそれと混同されてないでしょうか。
 少なくとも、年20mSv 以下のところでは、避難によるリスクと比べることが出来ないほどの大きな被曝リスクは確認されていません。そして、今日本で問題になっているのは、年1~20mSvの被曝が予想される地域です。

2  「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」について

 ご紹介の記事は、「新学年になると、子どもたちの中に、頭痛が始まり、失神したり、気分がわるくなったりするものが出てきた。その原因はただ一つ、放射能だ。」と、「すべての健康被害が放射線によるものである」が前提になってしまっています。
 たしかに、被曝は疑うべき原因の一つですが、どのくらいの線量を被曝したかが示されないまま、原因を放射線被曝に決めつけてしまっては被害を防ぐことは出来ません。
 今解っていることは、100mSv 以下の低線量被曝の健康への影響は解らないということです。影響がないのでもなく、あるのでもなく、解らないのです。そして、解らないと言うことは因果関係が解らないだけでなく、疫学的にも解らないのです。解らないからこそ、線量に応じて影響があると考えて、少しでも被爆を防ごうというのがICRPの考え方です。(IPRPを読んで頂ければ簡単に批判出来る物ではないことがお解り頂けるはずです。)

 バズビーの指摘するような大きな健康被害があれば少なくとも疫学的には影響があることが解っているはずです。しかし、バズビーの統計処理はまったくのデタラメですから、とても相手に出来る代物ではありません。
 疫学的にも解らないと言うことは少なくともバズビーの言うような大きな健康被害は無いことは解っているということです。

 松田さんは、「最悪の可能性」と言葉を濁していますが実質的にはバズビーの言う低線量、極低線量で大きな健康被害があるという説に乗ってしまっています。バズビー説を前提にすれば、私も松田さんと同じこと言います。
 しかし、繰り返しますが、解らないということはゼロとは言い切れないことであって、大きな影響があることではありません。バズビー説は明らかな間違いですし、データ処理は捏造としか言いようがありません。詐欺師と言ってまったく差し支えありません。

3 判断するのは被災者について

「避難によるリスクと留まることによるリスクを考えて最終的な判断をするのは被災者自身ですので、私は被災者の方に避難しなさいという言い方はしていません。」

 松田さんは「避難しなさいという言い方」こそしませんが、実質的には避難しなさいと言っているのと同じです。こういう逃げは松田さんらしくありません。

 また、たしかに最終的な判断は被災者自身ですが、そもそも多くの方が判断基準を持ち合わせていないのですから、このような逃げ道を造った言い方は安易な自己責任論につながりかねないものです。
 現実に避難すべきかどうかを悩んでいる方がいる群馬北部に住む立場からすると到底容認できる言い方ではありません。


4 「サプリメントなど放射性物質に排除がある可能性のあるものの摂取(これには異論があると思いますが)」について

 私のことを元気よく批判される割には、この点はよほど自信がないのでしょう。括弧を付けて逃げておられるようですが、松田さんのことを信用している方は、これを見て飲んでしまうでしょう。それを自己責任と片付けるおつもりでしょうか。それとも異論があることを明示したと責任回避をされるつもりでしょうか。

 原理的に、放射性物質だけを排出することなど不可能です。そんな程度の可能性でサプリを飲むのは自殺行為です。絶対にやってはいけない行為です。誰であっても、これだけは、特にバズビーのサプリは絶対に勧めてはいけません。危ない物質がたくさん入っています。こんなもの飲んで病気になったらそれこそつらい思いをします。以下をご覧下さい。少なくとも有害である可能性は高いです。

バズビーサプリを調べてみよう(思いがけないオマケ付きw)
http://ameblo.jp/fedis/entry-11075884328.html

 放射線のリスクを徹底的に心配する松田さんが、サプリのリスクはまったく無視し、リスクゼロを前提に議論をしてしまう。それこそが、放射線被曝問題の難しさなのだろうと思います。(杉山弘一)

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