反原発と知性
沼田に降ったセシウムの量がよそと比べて多いらしいとわかって、にわかに反原発の動きが、この半分眠っているような町に起きて来た。反原発運動をやっているタレントや有名人を招いて、盛り上げようという、例によっておなじみの手法の一派が企画している。派手に騒げば放射線が退散すると思っているらしい。
私はそのようなお祭り騒ぎをすることには疑問を持つ。一方で人々の不安を煽っておいて、他方でみんなで連帯の歌を高唱していい気分になる。左翼の好む愚民政策的大衆運動である。
今一番必要なのは、見極めることであろう。何を見極めるのか? 現在の放射線量の脅威の程度である。危ないとすれば、どのくらい危ないのか?どれほど心配する必要があるのか?対策は?
放射線という目にも見えず、匂いもしないものが対象であるから、やたらに慌てて騒ぎ立てるのは疑問である。放射線は悪だ、ゼロの状態に戻せ、とヒステリックに叫ぶ反原発の先生がいるようだが、むちゃくちゃな主張である。
今すべきことは勉強だろう。放射線とはなにか、から始まり、被害を被らないようにするにはどうすればいいか、科学的な答えを見つける努力をすることである。特殊な味噌を食うといい、とかリンゴペクチンだ、とかの類いに、わっと飛びつくのではなく、理科の勉強を原子とは何かから始めるのが大切である。
かく言う私も、70歳を過ぎて理科の勉強を始めている一人だが、難しくて一向に進まない。しかし、騒ぎに便乗してインチキ商品を売り付けたり、空しい大衆運動に人々を駆り立てる連中に操作されるよりはましだと思って我慢している。理科は難しい。難しいが、そこで得た知識は怪しげなタレントがしゃべり散らすでたらめよりはるかに安心である。今では、十万ベクレルと聞いても、セシウムの量は1グラムの1000分の1にも達しない微量だとわかっているから、びくつかない。
東電は安全性を軽視して経済性を偏重する経営をやり今回の大事故を招いた。原発は安全性を重視すれば採算が成り立たぬものかもしれない。本質的に不可能な装置なのかもしれない。今こそとことん勉強し、考えるべきではないか?(峯崎淳)
先日高崎で公開シンポジウムが行われました。その中で福島県の社会福祉法人の理事長がこんな発言をしています。
「福島では地震、津波、原発風評の4つの被害が言われるが、風評が一番深刻。差別を生み出している。」
正しい知識を身に付ける努力を怠って、恐怖を共有する仲間を捜すことで安心を得ようとする。そんな知的怠慢が、福島の人々を苦しめているのだと思います。
「子供のために」という連中が一番始末が悪いです。本当は自分のためにやっているくせにそれを隠そうと子供をだしにつかうのですから。こういう方たちは、食品の暫定基準値のほとんどが大人を基準に決められている事実を知らないのでしょう。代謝の悪い大人の方が身体からの排出が遅いので被曝量が多くなるからです。http://katukawa.com/?p=4467
癌の治療での被曝量は1000シーベルト以上になります。CTスキャンの被曝量は数ミリシーベルト、マンモグラフィの被曝量は1回で0.1ミリシーベルト程度です。
東京ニューヨークのフライトで片道0.1ミリシーベルト被曝します。
これらは、被曝のデメリットよりもメリットの方が大きいとされています。
では、1キログラム当たり500ベクレルのセシウム137が入った牛肉1枚(200g)を食べると何シーベルト被曝するでしょうか。
1.3マイクロ(0.0013ミリ)シーベルトです。これは、1時間とか1日の値ではありません。食後50年間(最初の1年間でほとんど浴びる)の積算値です。あり得ないことですが、毎日1年間食べ続けても、0.5ミリシーベルトです。
原発由来の被曝などメリットは何もありませんから、被曝などしない方が良いに決まっています。しかし、福島産を一切食べない、子供に給食を食べさせないなどの騒ぎを起こすだけの価値があるのでしょうか。心配して精神的に参ってしまうほどのリスクがあるのでしょうか。
投稿: 杉山弘一 | 2011年11月 5日 (土) 22:46