原発は止めれば安全か
福島原発事故の原因について書こうと思って、IAEAへの政府の報告書を当たったのですが、わからないことだらけです。詳細は書ける段階ではありませんが、現段階で言えることは事故原因はわかっていない、仮にわかっていたとしても公表されていないと言うことです。想定外の津波で機器が水没したと一言で片付けられる問題ではありません。もっと検討しなくてはならない問題がたくさんあります。
それらについて書いてから今後の対策について提言を書こうと思っていたのですが、このところ、「安全性が確認できるまで原発の再稼働を認めるべきではない。」との言説が多く、これにとても違和感があるので、先に書きます。
浜岡原発が政府の要請で運転停止しました。また、玄海を始めとする定期点検で停止した原発の運転再開が出来ない状況が続いています。周辺自治体の住民感情からすれば当然のことでしょう。
しかし、停止したことをもって安全になったと考えるのは間違いです。そこで、思考停止に陥ったとすれば、騙されています。
技術的な見地から見れば、原発は停止しても安全にはなりません。場合によっては、停止した方が危険な事さえあります。これは、停止中であった福島第1発電所の4号機が事故を起こしたことからも明らかです。定期点検中のリスクは運転中のリスクと同程度との解析結果もあるくらいです。たとえば、非常用発電機が2台ずつ設置してありましたが、停止中の4号機は1台が点検中で起動できなかったのです。これはとても怖いことです。
停止した浜岡原発も今、大地震や大津波が襲えば、大事故になる可能性が高いのです。停止したからと言って何も解決していないのです。そもそも浜岡は停止操作中に事故を起こしています。また、炉型が違うので単純に比較するのは妥当ではありませんが、チェルノブイリの原発事故は運転停止を想定した試験中に起きたものです。
停止した原発の燃料を冷やすには外部電源が必要です。すべての原発が止まってしまって、供給余力がぎりぎりのところに、大地震が来て一部の火力して停電が起きたらどうなるでしょうか。先日の新潟福島豪雨では、福島県内の全水力発電所が止まりました。約100万キロワットの供給力低下です。これも忘れてはいけません。
東海地震で火力発電が止まったところに、浜岡原発に津波が襲ったらどうなるでしょうか。福島第1のように全電源喪失が起きる可能性があります。たしかに、電源車を配備したり、発電機を水没したりとそれなりの対策は取っているようですが、それで万全だと言えるでしょうか。そもそも、福島第1原発で、どのようなプロセスで非常用発電機が機能喪失したのか解明されていないのです。そうである以上、これらはツボがわからないままの対策でしかないのです。とても万全の対策とは言えません。
電源が失われれば燃料の冷却が出来なくなります。非常用発電機に頼るのは怖すぎます。だから、供給余力は相当程度必要なのです。停止した原発の安全性を確保するために原発を運転しなければならない、そんな矛盾に満ちたことさえ考えなくてはならないと思います。
まるで、麻薬のようです。それこそが、原子力発電の本当の怖さだと思います。
運転停止は必要条件であるが十分条件ではないということを認識する必要があります。
今一番必要なのは、どこの原発でも同じような炉心溶融事故が起こりえるということを前提にした対策をすることです。住民の避難訓練も含めた苛酷事故対策としてのアクシデントマネジメントを本気でやることだと思います。発電所内外でやる必要があります。
そして、もう一つ大切なのは事故の原因究明です。炉心溶融や放射性物質の放出に至ったメカニズムを解明することです。どうして冷却ができなくなったのか、どうして全電源喪失になったのか、それらの原因を究明して、対策を施すことです。原因がわからないままでの対策は、パフォーマンスでしかありません。
少なくとも、福島と同じ形の沸騰水型マーク1型の原発は改修は必至だと思います。浜岡のように運転停止していて、廃炉を決めても改修しなければならないと思います。安全に廃炉にするためにも対策が必要なのです。さらに、事故原因によってはすべての原発で大幅な改修が必要になるでしょう。改修するには、運転を止めなければなりませんから、これらの原発は止めなければならないのです。
安全性を確保するために止めなくてはならないのですが、止めれば安全になるわけではありません。安全性を確保するための改修をしなければならないから、そのために止めざるを得ないのです。そしてそのことが、安全性の低下を招きかねないという矛盾を含んでいるのです。それを認識した上で議論する必要があります。
航空機は飛ばなければ落ちることはありません。自動車も動かさなければ事故は起こさないでしょう。火力発電も運転しなければ安全と言えるでしょう。しかし、原子力発電はそうではありません。
原子力発電に手を付けたと言うことはそういうことなのです。(杉山弘一)
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