ブルータス、お前もか。
2日午後6時30分から鎌田住民センターで、これからの村づくりについての若者との意見交換会が開かれた。気は若いつもりでも、すでに遠い昔に"若者"を卒業した自覚は十分ある私としては、多少の遠慮を感じながら、興味のある人は参加を、という防災無線の優しい言葉に甘えて、オブザーバーに徹するつもりで行ってみた。
予め用意されていた資料には新たな定住の場をつくった場合の人口予測があり、「若者の雇用創造に向けたシンボルプロジェクト」とある。要するに、就職口がないから、と学校を卒業すると外に出てゆく片品の子供たちを村に止め、新たに外からの働き盛りの移住者を増やしたい、ということだ。
意外に感じたのは、村づくり観光課長と事務局数人以外に、私と同じように、すでに遠い昔に若者を卒業した、と見受けられる埼玉の行政コンサルと尾瀬林業の元社長(高崎在住)、埼玉県蕨市の元職員がアドバイザーとして参加していたことだ。しかも、尾瀬林業の元社長の司会進行で始まったから、あまりにオフィシャルな空気に私は意外を越えて違和感さえ覚えた。若者が気楽に意見を交わし合うもっとカジュアルな集まりを私が勝手に想像していたからかもしれないが、この人たちが"まちづくり"の専門家とは思えなかったし、雇用創造に向けたシンボルプロジェクトのアドバイザーということであれば、何故、民間の企業家ではないのか、という疑問があった。まあ、この人たちが片品に来て起業する、ということなら、何歩か譲って理解はできるが。
さて、本題の「若者の雇用創造に向けたシンボルプロジェクト」であるが、①歴史観光推進、②花観光推進、③尾瀬国際観光推進、④(仮称)尾瀬の郷駅整備、⑤尾瀬の郷体験観光推進、⑥尾瀬温泉郷づくり、⑦若者雇用創造の7つの事業を挙げ、それぞれのターゲットになる年代とそれぞれによって雇用が生まれる職種を想定している。
さらに資料を見てゆくと、「若者の雇用創造に向けた観光革新の3つの課題」として、現状の客層である尾瀬のハイカー、スキーヤー、スポーツ合宿の人たちに加えて、中高年のリピーター、子供、外国人の客層を開拓することによって、若者の新しい観光の職場づくりを目標としている。要するに、現状の客層を"明日の米"とすれば、新たな客層開拓はもう少し先を見据えての"種まき"ということだ。そして、資料を見る限り、この種まきはこれまで片品がやってきた限られたパイの奪い合いの、そのパイを多少大きくしているに過ぎない。ただし、種をまかないことには明日の米にもつながらないわけだから、その重要性を否定はしないが、種をまく前に欠かせないことがある、というのが、私が片品に移住して以来、村に対してことあるごとに言い続けていることだ。つまり、土壌をしっかり作るということである。村づくり観光課長の木下浩美が花咲の湯の支配人をしていた頃から、何度もこれを言い、その都度、彼は「後ろを見るより、前を見ましょう」と口癖のように言った。国家公務員上がりを風呂屋の番頭にしておいてもしょうがないだろ、と彼を評価していたが、今日もまた彼が同じ言葉を口にするのを聞いて、「ブルータス、お前もか」と、所詮、彼も片品村役場職員に過ぎなかったことを知った。ちなみに、地元学の結城登美雄氏も"良い地域"の7つの条件のひとつに"行政がしっかりしていること"を挙げているのだが。
実は、この若者の意見交換会に集まる中に、青い目のセーラ、つまり、片品にはない感覚を持った若者がいることをかすかに期待していたが、見当たらないのは残念だった。本屋もない、洋服屋もない、何もないことは不便ではあっても、それを補って余りある大自然があることに魅力を感じる人たちは、私を含め確実にいるわけで、世田谷区が川場村を選んだのもまさにそこである。片品で生まれ育った若者にそれを理解しろ、と言っても直ちには難しいだろうが、せめて片品の枠、片品の既成概念にとらわれない考え方、感覚を持って欲しいとは思う。
例えば、片品中学の隣に5月にオープンしたバッグジャンプである。冬だけの楽しみだったものを通年の楽しみに変えたし、雪のないシーズンの楽しみが冬に向けてのトレーニングにもなる。いまは軽食や飲み物の付帯サービスもレストランとして充実させられる可能性もあるし、ショップを併設すればボードやウェアの販売も可能だ。もちろんイベントやライブの開催もできるし、宿泊施設と連携することで日帰りの客が連泊で楽しむこともできる。雪が積もった冬のスキー場と連携すれば双方でメリットを得ることもできる。周囲の林をうまくデザインして整備すれば、大人も子供も一緒に遊べるスペースができるし、プラン次第ではフリークライミング、ロッククライミング、アイスクライミングも可能だ。これまで片品にはなかった価値観でこれだけの可能性を秘めたスペースを、まだ30代の若い夫婦が作ってしまった。限られたパイを奪い合うだけだった片品に、まったく新しいマーケットを作ったこの感覚、小布施のセーラ・カミングスやニセコのロス・フィンドレーに通じるこの感覚こそが、これからの片品に必要なのだ、と思うが、どうだろう、木下さん。(木暮溢世)
はじめまして。
ここへは3月18日に南相馬市から片品村へ被災者の方々が避難してきた際、どこのバス会社だったのか確認するために画像を探していてたどり着きました。
片品村で受け入れるとニュースを聞いた時、はは~ん!と思ったのが、東電側から村長にホットラインがあったのだろうという事でした。
村長の英断とか善意なんて思いもしませんでした。
村の名前を宣伝できるうえ、かかった経費は、当然東電か募金の中から支払われるものだと思いましたから。
片品村出身の主人は、何でもすぐに銭勘定に置き換えるところがあるので、それがこの村に漂う空気なのではなかろうかと思ってます。
なぜ出て行った人が戻らないか、それはいまだ残る五人組のように、互いが常に監視し合っている雰囲気に息が詰まり、鬱陶しさを感じるからではないでしょうか。
残った人たちがそれを自覚していないところに片品村の悲しさがあると私は思いました。
とても面白かったので、またゆっくりと来させていただきます。
投稿: 元片品村民の妻 | 2011年8月23日 (火) 18:57
元片品村民の奥様、コメントありがとうございます。
東電側から村長にホットラインがあったかどうかは知りませんが、<村長の英断とか善意なんて思いもしませんでした>は、まったく同感です。なにしろ、村長の頭には「県の覚えよろしく」しかありませんから。まあ、村民を下々に従える片品の代官としては、お上の顔色は絶対なのでしょう。とは言え、福島の殿に直接飛脚を送ったということで、大沢公舎濡場守はご機嫌斜めという噂もありますから、噂が本当なら代官もドジですね(笑)。
<銭勘定が村に漂う空気>は鋭いご指摘ですが、正しくは、村を覆いつくす空気です。損得でしかモノを考えない奴が実に多い。それが当たり前と思っている。
<いまだに残る五人組>。私に伍長の役がまわってきたとき、納税組合長として署名捺印しろ、と書類がきました。「税金集めるのはお前らの仕事だろ。いつまでこんなバカやっているんだ。周辺の自治体を調べてみろ」と突き返しました。役場は周りを調べて、県に尋ねて「まだそんなことやっているのか」のひと言で、制度としての納税組合はなくなりました。行政も議会も誰ひとりとしてまったく疑問を感じていなかった。ついこの間、2008年度のことです。そんな私のところに議員のひとりが「あんたは村社会とのつき合いを知らない」と怒鳴り込んできました。「知らねえよ、そんなもの」と追い返しましたが、悲しさを通り越して、哀れでさえあります。
<とても面白かったので、またゆっくりと来させていただきます。>
是非是非! このブログのカテゴリー「片品村」の記事は2本を除いて、すべて私が調べて知った事実を実名で書いています。読んで笑ってください。呆れて溜息をついてください。そして、是非、感想のコメントをお待ちしています。
投稿: 木暮溢世 | 2011年8月24日 (水) 08:12
元片品村民の奥様、私のコメントを捕足します。
<村の名前を宣伝できるうえ、かかった経費は、当然東電か募金の中から支払われるものだと思いましたから。>
確かに村の名前も宣伝できたし、村長も男を上げたようです。ただし、村が東電に対して請求する根性はありません。県も同様です。知事も村長も揃って「尾瀬を売却しないでくれ」と東電にお願いしている立場です。もちろん尾瀬が中国系のバブルマネーや外資系ファンドの錬金術の対象になるのは避けたいところですが、福島原発の事故による東電の損害賠償額を考えれば、東電が尾瀬の地権者であり続けることなどありえないでしょう。確かめてはいませんが、東電は尾瀬の維持管理のために、尾瀬林業に毎年2億をかけている、と聞いています。そんな悠長なことを続けている場合ではないでしょう。東電は法律で消滅を免れただけでも御の字なのですから、すべてを投げ打ってでも賠償にあたるべきです。尾瀬は国立公園なのですから、国有にして国が維持管理をすればいい。中越沖地震で柏崎刈羽原発が止まったときのように、東電が「尾瀬のゴミ持ち帰り運動」のコマーシャルなど流して原発事故から目を逸らせようとしても、いまさらそんなものにはもう誰も騙されません。
南相馬の人たち受け入れ支援の経費に話を戻せば、東電か募金の中から支払われるのではなく、当面は村が費用を立て替えておいて、いずれ災害救助法に基づいて、国から福島県経由でくる、ということです。今日の朝日新聞群馬版
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001108240003
によれば、現在南相馬の人たちを中心に62人が避難しており、30日に30人が帰郷、10世帯15人程度の9月末までの支援継続が決まったようです。それ以外にも、村での定住を考えている人たちや、空家を借りて1年間の避難を続ける人もいるようです。もちろん経費は当面村が立て替え、福島県経由でいずれくる災害救助法に基づいた国からの資金でしょう。
ただし、この受け入れに対する支援義援金が7月15日現在でほぼ3360万円集まっています。この使い道がどうなっているのか、が少なからぬ人たちが支援太りじゃないか、と疑問を呈するところです。
投稿: 木暮溢世 | 2011年8月25日 (木) 06:02