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メンバーの裁判

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2011年7月23日 (土)

守るべきものは何か。

 先日、ある方(Aさんとします)から県内の東毛地区に住む妊婦が人口中絶をしたという話を聞きました。理由は原発事故による放射線被曝です。放射線まみれの世の中になってしまって、安全な場所も安全な食べ物もない。これでは、生まれてくる子供の未来に責任が持てない、と考え、夫婦で熟慮の上、やむなく中絶を選んだというのです。
 これを聞いて、悲しくなりました。腹も立ちました。
 熟慮したというならどうして、現在の被曝の程度、放射線の危険性の程度をキチンと調べなかったのでしょうか。巷に情報があふれる今、その気になって調べれば正しい情報があります。命に関わる判断をするに際して、どうして、医師や放射線防護の専門家の意見を求めなかったのでしょうか。正しい情報に接していれば、群馬県で放射線被曝を理由に中絶することが間違いであったことは明らかです。福島原発の周辺の避難地域に住んでいる妊婦でも、中絶する必要などまったくあり得ません。
 大量の被曝をすれば胎児に影響が出ることもありえますが、それは100ミリシーベルトよりももっと上のレベル、原発作業員の基準値を超えるようなレベルでの話です。群馬では、何桁も下回っています。

 繰り返し何度でもいいます。重大な決断の前には、医師や放射線防護の専門家の意見を求めましょう。

 また、この話をしてくれたAさんは、原発事故による放射線被曝はそれほど深刻であるので原発は絶対止めなければならないというのです。
 そうでしょうか。原発を止めるのは解りますが、深刻なのは放射線被曝ではありません。放射線被曝の危険性が正しく理解されていないことが深刻なのです。今は、誤解に基づく被害の拡大を防ぐことが何よりも優先されるべきです。その前には、原発推進、反対の議論は置いておきべきだと思います。

 根拠も無しに原発は安全だといってきた連中の責任は重いですが、原発をやめさせるという大義名分の元、科学的根拠もなしに、ただ放射線の危険性を煽る連中の責任も同程度に重いと思います。

 さて、この問題に象徴されるように今、いろんな人が放射性物質に対して、いろんなことをいい、まさに、てんやわんやです。そんな中で、私が一番嫌いなのは、「子供の未来を守ろう。」というフレーズです。こういうことをいう方たちは、自分の不安を解消するために、子供をダシにしているとしか思えません。子供が出てきたら疑ってかかった方が良いと思います。そんなことを考えていたら、面白い意見を見つけました。
 子供を守りたい親の気持ち? 知るかそんなもの!
一部抜粋しますので、是非ご一読下さい。

「子供たちのために何かをしたい」という気持ちは重要だ。しかし、残念ながら「何かをすれば子供たちのためになる」ということは必ずしも真ではない。子供を守るために間違ったことをすれば、当然子供の健康は損なわれることになる。
 子供の健康を守るためには、そのためには子供の親であろうと、間違ったことをしていれば当然批判しなければならない。私たちは一部の愚鈍な親から子供を守るためにも、それを躊躇するべきではない。
今の日本において守られなければならないのは「子供の健康」であって、決して「子供を守りたい親の気持ち」ではない。そのことを絶対に見誤ってはならない。

なお、あわせて、以下もご覧下さい。
あやしい放射能対策(SYNODOS JOURNAL)
http://news.livedoor.com/article/detail/5717711/
(杉山弘一) 

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