不和雷同と放射線
東電の驕りが途方もない大事故に繋がってしまった。この驕りは東電だけにあったのではない。ただ東電の扱っているものが原発という始末に終えないものだったために収拾のむずかしいことになってしまった。私個人は老人なので今日まで振りまかれた放射能物質は大して恐れていない。被曝して癌になるまでには寿命がもたないからだ。しかし幼児を抱えた親はそうは行かない。二十年後に成人した子どもが放射線の影響で病気になったら、親として詫びようがない。ただ、ここで20ミリSvの許容はけしからん、1ミリSvに戻せ、と政府に喚く前によく考えなければならぬことがある。つまり、事故は起きてしまった、のである。いまさら1ミリSv以下の環境でなければならぬ、と規則をいじったところで、数ミリSvの被曝は動かせぬ現実なのだ。事故前と今とでは環境がすっかり変わってしまったのだ。この環境のなかで用心深く被曝を最小限度に保ち、手洗い、うがいなどを励行し、放射線の高いところにはなるたけ近寄らずに暮らすしかない。
最も愚かしいのは、汚染する以前の環境を返せと叫ぶことだ。汚染せぬ環境に避難させよ、と要求することだ。それができるなら、原発事故も別に怖れる必要はない。避ける、という選択肢がないのが放射能汚染の恐ろしさなのだ。生活を工夫するしかない。不和雷同してヒステリーを興し騒ぎまわるのは一番いけない。冷静さが大事である。
しかし、これは今度の事故に誰も責任をとらなくていい、ということにはならない。東電の責任は重い。東電の愚かな社長が辞任すれば済む問題ではない。損害賠償は当然である。しかし、そもそも原発を国策として国に行わせた政治家や官僚は責任がないのだろうか?私はこんな危険なものを国策とした為政者の責任は重いと思う。原発は事故が起これば環境が放射能で汚染され、人間が暮らすことが長期間極めて難しくなる危険を孕んでいて、しかも、それを絶対に防ぐことは原理的に不可能に近いことを承知の上でこれを選んだ政治家は人類に対する犯罪を犯したといわなければならない。正力松太郎、中曽根康弘といった人たちである。
今、われわれが果たさなければならぬ急務は、原発を徐々に廃炉にしながら使用済み燃料やプルトニウムの最終的処分の方法を探っていくことである。そのためには、オルタナティヴな発電方法の開発を急がなければならない。原発の研究は終わりか?そんなことはない。たとえば月に巨大な原子力発電所を造り、超伝導によって地球に送電することを研究すべきである。地球の上からは原発はなくすべきである。(沼田の保守主義者)
沼田の保守主義者さん
「数ミリSvの被曝は動かせぬ現実」
1960年代は、米ソの大気圏核実験で世界中が被曝しました。日本人の被曝量は、4.4mSv程度と評価されています。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09010507/02.gif
年1mSv にこだわると、どこかに脱出しなくてはなりません。でも、地球中が汚染されていましたし、宇宙では一日1mSvの被曝です。
「この環境のなかで用心深く被曝を最小限度に保ち、手洗い、うがいなどを励行し、放射線の高いところにはなるたけ近寄らずに暮らすしかない。」
年数ミリシーベルトのレベルでは、被曝については何も気にしないという選択肢もあると思います。私はそれを選びます。自分の子供にもそれを勧めます。被曝とは関係なく、生活習慣を少しだけ気にしています。お酒は控えるように心がけてはいますが、やめられそうもないし、やめるつもりもありません。
長崎の例ですが。被爆者手帳を交付された方(被曝した認定された方)のほうが、死亡率が低いという調査結果が出ています。
これをホルミシス効果(低線量被曝は身体に良いという説)をいう解釈もあります。しかし、なによりも、被曝手帖を交付された方は、検診が無料であることなど、検診や心理的安心を含む生活習慣が良かったと言うことです。もっとも、死亡率が低いといってもほんのわずかです。考えることにどれだけ意味があるかとの根本的疑問も抱いています。
「月に巨大な原子力発電所を造り、超伝導によって地球に送電することを研究すべきである。地球の上からは原発はなくすべきである。」
わざわざ月に原子力発電所を造らなくても、太陽が巨大な核融合炉です。それを利用する方が合理的だと思います。
また、地球のマントルの発熱源は核分裂性物質の崩壊熱とされています。つまり、今福島原発で出ている熱、メルトダウンを起こした熱です。そういう意味では、地球の中は原子炉(既に核分裂は止まっている)です。それを利用しようというのが、地熱発電です。
投稿: 杉山弘一 | 2011年6月15日 (水) 09:03